おだじょう

小田城

茨城県つくば市


旧国名 : 常陸

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「手子生城」 (2025/03/01 訪問)

前回投稿した「長峰城」から「手子生城」へ転戦しました。
「手子生城」てごまる、と読みます。
お腹に手を当てたら子が産まれた、のような物語がありますが、おめでたい感じではなかったです。

茨城県 つくば市 手子生1078
「長峰城」から県道24号を筑波山方面にドライブ。5分位で右手奥に、石碑が見えてきます。何もない芝生の広場(?)と畑があり、こちらにも立派な石碑がありました。
左手には説明板の台座だけがあります。
これから石造りの説明碑ができるのかと思いましたが、東日本大震災で倒壊してしまったそうです。

「手子生城」は八田 知家さんの子、知重さんが築いたようです。
ちなみに八田 知家さん、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、市原 隼人さんが演じてました。ワイルドに上半身裸で力仕事をしてましたよね。
その後、八田家子孫の小田氏が治め、「小田城」の支城の役割もしました。
堀跡が残っていました。かつては二重堀だったそうです。
ちなみに、「小田城」までは車で20分の距離です。

たくさんのお城が自然災害により被害を受けました。復興に力を尽くしていただいている職人さんや自治会、関係各所の方々には頭が下がります。
でも、そのままのお城もあるのは事実です。
次に乗る説明碑は、前の物よりも長く長く誉な物になって欲しい「手子生城」攻めでした。

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カズサン

2度目の登城-8/8 本曲輪Ⅲ編 (2024/11/10 訪問)

 2度目の登城-7/8 本曲輪Ⅱ編の続き投稿写真です。

 投稿文は2度目の登城-6/8 本曲輪Ⅰ編と同じく。投稿写真は撮影順です。

 長々とご覧頂きありがとうございました。
 

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カズサン

2度目の登城-7/8 本曲輪Ⅱ編 (2024/11/10 訪問)

 2度目の登城-6/8 本曲輪Ⅰ編の続き投稿写真です。

 投稿文は2度目の登城-6/8 本曲輪Ⅰ編と同じく。投稿写真は撮影順です。

 2度目の登城-8/8 本曲輪Ⅲ編に続く。

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カズサン

2度目の登城-6/8 本曲輪Ⅰ編 (2024/11/10 訪問)

 2度目の登城-5/8 本曲輪周辺の堀編の続きです。

 小田城跡は昭和10年6月7日に国の史跡指定を受けました。指定面積は21万7千㎡と広大で、本曲輪の曲輪Ⅰから曲輪Ⅱ、曲輪Ⅲと曲輪Ⅺ(信田郭)と曲輪Ⅰを輪郭式に3重に取り囲んでいます。つくば市は平成21年度(2009年)から7年間をかけ、発掘調査成果を元に城跡中央本丸(曲輪Ⅰ)跡とその周辺約4万㎡を中世小田城跡を体感できる歴史ひろばとして復元整備されました。私が初登城したのが発掘調査開始から7年目の平成28年(2016年)2月29日、復元整備中で土塁、堀底、虎口、東曲輪、南西馬出が土の香り真新しい状態、一般公開前でした。

 本曲輪へは東虎口から入り、よく目立った北東突出し櫓台?に登り周辺、本曲輪内部をぐるっと俯瞰、北土塁上を北虎口側へ、降りて本曲輪内部より突出し櫓台?を見上げる、東虎口と北虎口の合流路に小田城の各種案内板と小田城跡石碑、復元建物の四阿、本曲輪西側に建物域と庭園域を分ける低い土塁と堀、白い砂利で表示された西池、茶色の砂利で覆われた石敷部、南西虎口跡、一旦南西馬出に移動するが戻り、南土塁に登り周囲を俯瞰し、南東の櫓台、涼台へ登る、涼台下から本曲輪越しに筑波山を眺める、水が張られてる東池、西土塁へ移動して土塁上より本曲輪を眺めて北西角へ、特に本曲輪西側エリアを確認、北西角の出入口の土塁断面図の確認、お子さんのトイレ待ちで待機してる方が居られ断面図の写真はパス、出入口内部にはトイレも有ります。
 北西角から歴史ひろば案内所導入路を通て駐車場へ、途中の導入路端に史蹟「神皇正統記起稿之地」碑が立っています、これを見ると南北朝期南朝に味方した小田氏小田城、北畠親房を迎えた地である事を思い知らされます。
 
 2度目の登城-7/8 本曲輪Ⅱと続き、本曲輪探訪散策順に撮影した写真を投稿致します。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 八田知家
築城年 建久3年(1192)
主な城主 小田氏
廃城年 永禄12年(1569)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、移築門(龍勝寺)
指定文化財 国史跡(小田城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県つくば市小田
問い合わせ先 つくば市文化財室
問い合わせ先電話番号 029-883-1111