ほりうちしんぐうじょう

堀内新宮城

和歌山県新宮市

別名 : 堀内氏屋敷、堀内屋敷
旧国名 : 紀伊

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石碑と案内板
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とばつびしゃもん

熊野水軍の将、堀内氏善の居城跡 (2020/12/13 訪問)

戦国時代、熊野地方を支配した堀内氏の屋敷跡。周囲の道は狭く駐車スペース確保も難しい。
屋敷は全龍寺とその周辺にあったそうだが、遺構を確認できず撤退。

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キンヤ

新宮堀内氏の屋敷跡 (2023/08/27 訪問)

紀伊の戦国末期における東の旗頭とも言われる堀内氏の屋敷です(西の旗頭は湯川氏とも)。

堀内氏善の代には、熊野で勢力を持っていた七上綱と呼ばれた土豪を屈服させ、羽柴秀吉の紀州征伐の際には従い仕えて熊野統治を認められ、文禄・慶長の役では熊野水軍を率いて参陣したとされます。
しかし、関ヶ原の戦いでは西軍に付き敗れ、改易されたといわれます。

現在の全龍寺一帯が屋敷跡です。
全龍寺の東側の山門脇に説明板と石碑があります。
かつて屋敷の四方は水堀で囲まれていましたが、今は寺の裏手の西側・北西側に流れる水路が堀の名残りとされます。
市街化されていますが、堀跡を確認できて良かったです。

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しんちゃん

堀の中に住んでいるから堀内氏。そのまんまじゃない。 (2023/03/19 訪問)

金龍寺と周辺は戦国時代から近世初頭にかけて奥熊野地方を支配した堀内氏の屋敷跡であった。(現地案内板)
周囲五町(約550m)、四方に堀があったと記されている。
そのまんま堀内氏ということですね。
西方と北方に一部、小川が残っているそうです。
お寺が屋敷跡だと、けっこうイメージがつかみやすいかも。
山門なんか屋敷門そのまんまですからね。

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にのまる

堀内氏屋敷跡 (2022/10/10 訪問)

この日のラストの訪問です。
全龍寺一帯がその場所で、現地案内では「堀内氏屋敷跡」となっていました。
かつての堀の一部が小川として残っているとのことでしたので周囲をひとまわりし、そのまま神倉神社までお散歩しました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 堀内氏善
築城年 天正年間(1573〜1592)
主な城主 堀内氏
遺構 堀跡
指定文化財 市史跡(堀内氏屋敷跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 和歌山県新宮市千穂1(全龍寺)
問い合わせ先 新宮市観光協会
問い合わせ先電話番号 0735-22-2840