新宮周防守屋敷(城びと未登録 和歌山県新宮市)から徒歩2~3分で、全龍寺山門前(33.726514、135.986075)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、天正年間(1573年〜1592年)初期に堀内氏善によって築かれ、新宮屋敷の新宮行栄を敗り熊野地方を統治すると、和田森城から堀内氏屋敷へと移りました。
堀内氏善の父・堀内氏虎は1550年(天文19年)頃、内紛により衰退した有馬氏に次男若楠(後の氏善)を養子に送り込み乗っ取りに成功、1574年(天正2年)氏虎が没すると氏善が跡を継ぎ新宮西端の佐野に和田森城を築きました。
その後、氏善は尾鷲三木城や紀伊長島城を攻略、熊野三山の観光資源確保に努めましたが、織田信長が伊勢・北畠家を滅ぼすと織田氏に臣従しています。
1591年(天正19年)豊臣秀吉より熊野統治の支配権を与えられ、堀内新宮城を居城としました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦では石田三成方として西軍に属し敗れた為、海部郡加太村(現在の和歌山市加太)に蟄居後、肥後国加藤清正の宇土城代を勤めたが、1615年(元和元年)熊本城内で没しました。
全龍寺山門脇に案内板がありました。西側に水路が残っていますが写真を撮り忘れました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=越路城(城びと未登録 和歌山県新宮市)に徒歩で向かいました。
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