小浜城1/2-城郭寺院編の続です。
小浜城の中心毫攝寺参拝し南門跡北門跡東門跡を廻ると小濱宿の内部が観て廻れます、丘陵地の上で道は狭いですが時代を感じる趣が在り中々のものです。ルートは小浜城1/2-城郭寺院編をご参照ください。
全体で約1時間強過ごしました。
写真を投稿致します。
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2025/04/29 11:35
2025/04/29 11:15
小浜城1/2-城郭寺院編 (2025/04/26 訪問)
喜寿の祝い郷里の中学校卒関西地区在住同窓(同級)会の翌日、未踏に成って居た阪急宝塚線沿線の城郭を廻る事にしました、小浜城は一昨年の11月播磨、摂津未踏の城廻で時間切れと成り断念した寺院城郭です。
朝早くホテルを出発しJR伊丹駅傍の有岡城を探訪の後JR中山寺駅からタクシーで小浜城である毫攝寺(ゴウショウジ)へ移動(@1,300)。
小浜城は一向一揆衆によって築かれてと言う、現在は浄土真宗本願寺派毫攝寺と成って居ます。西に張り出した丘陵先端に北西南に大堀川が囲み、西は崖状態、北は大堀川の渓谷、南北東に門を構えてる、寺内町、城郭寺院と成っており地形を活かした堅固な構えです。
各門跡には愛宕神社が祀られていました。
探訪散策ルートは毫攝寺参拝して南の車通用門小浜小学校側より出て、閉まってる東側山門を表より見学、戻って西側の小濱宿大標柱の在る南門跡、愛宕神社、北に向かって、時間制パーキングエリアから毫攝寺西側の石垣が見える、皇太神社を過ぎて北へ大堀川の渓谷に着く、国府橋が架かり覗くとゾッとする深さ、愛宕神社、北門跡と成って居る厳重な護りです、戻って皇太神社を東へ、毫攝寺の北通用門から覗き庫裏、庫裏の屋根の煙り抜け確認、小浜宿資料館朝早く閉まってる、小浜山中家住宅、菊仁井川家住宅、小浜宿代官所跡、高札場、二回クランクして東の中国道の西手前に東門跡、愛宕神社が祀られている。
毫攝寺に戻って北門近くのトイレを借りる。境内を掃除してる方に話を伺って聞く処では参詣者の方の駐車場は境内の東山門側に駐められいるとの事でした。
帰りも同じタクシー会社を呼び、阪急売布神社駅へ(@1,500)
小浜城2/2-寺内町小浜宿編に続く。
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2024/11/09 16:04
公共交通のみで(東海&関西遠征)13日目:小浜城 (2024/10/04 訪問)
売布神社駅から徒歩20分弱で、毫摂寺(ごうしょうじ)山門前(34.806866、135.364862)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1557年〜1570年)頃に一向一揆衆によって築かれたと云われています。
小浜御坊亳摂寺を中核とする寺内町が大堀川と南北東の三方に門を設けて城郭化したものだそうです。
1578年(天正6年)有岡城の荒木村重が織田信長に叛くと、信長方の武将が小浜城に置かれたそうです。
遺構として土塁、横堀(水堀)、門跡があるようですが、門跡以外、よくわかりませんでした。
売布神社駅から強雨の中、傘をさして巡った為、結構濡れました。
バスの時間が迫っている為、攻城時間は5分くらいで撤退しましが、バスは10分近く遅れたので、結果論ですが、もう少し遺構捜しをすればよかったと思いました。
次の攻城先=大原城を目指す為、小浜バス停から阪神バスとJRを利用してで新三田駅に向かいました。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 一向一揆勢 |
築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
主な城主 | 一向一揆勢、池田恒興、豊臣秀次 |
遺構 | 土塁、横堀(水堀)、門跡 |
住所 | 兵庫県宝塚市小浜4(亳摂寺) |
問い合わせ先 | 宝塚市国際観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 0797-77-2012 |