日本100名城

おかざきじょう

岡崎城

愛知県岡崎市

別名 : 竜城

投稿する
岡崎城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

にのまる

乙川(菅生川)沿いの石垣が5年前より長くなっていました。 (2019/02/10 訪問)

最近のお城めぐりは、本丸や天守などは後回しにする、山城でポツンと城址碑が見えてもすぐに近寄らず周囲からじわじわと攻める、というのが私の中で流行っています。
ここでは胞衣塚に寄り、産湯の井戸の水に触り、二の丸井戸の中を覗き、空堀や石垣をじっくり観察し、大手門から一度退出して入城し直し、家康の館を見てから最後に天守に登りました。おあずけ感がたまりません!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

夏の雪だるま

家康誕生の城 (2016/09/19 訪問)

愛知県岡崎市の百名城の一つ岡崎城です。15世紀中頃三河国守護代西郷氏が築いた竜頭山城が始まりとされ、岡崎の地から北東の山地にある松平郷の豪族松平氏が勢力を拡大し、1530年代前半徳川家康の祖父の松平清康の代に城を奪い岡崎城と名付け本格的な城に改修したとされます。清康は北・東三河を勢力下に置き、1535年尾張攻めを行いますが陣中で家臣に刺殺され、子の広忠は幼かったことから一族で内紛が起き衰退、駿河の今川氏に従属しています。1542年家康がこの城で誕生し、駿河に送られ人質時代を過ごしています。桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にすると、家康は独立、今川氏滅亡後は武田氏と争い、大大名となっていきます。のちに家康が関東移封後は、田中吉政が城を大きく改修し天守閣と総構の堀を築いています。江戸時代になるとこの城は神君出生の城として神聖化され、譜代大名が城主となり5万石と石高は少ないものの岡崎城主となることが誇りだったとされます。城は乙川北岸丘陵に築かれ本丸、二の丸、三の丸の外複数の曲輪や堀を配し、東西1km南北900mの規模とされます。現在の天守閣は昭和34年に復興されたもので、鉄筋コンクリート三層五階建ての展示・展望室となっていて、ほかに大手門や東隅櫓、城壁、石垣なども復元され、遺構としては石垣・堀などが残っています。現在城跡は本丸と二の丸などが城址公園となり、三の丸や他の曲輪は市街地となっています。

+ 続きを読む

三河のかづ

岡崎城 鏡石 (2018/12/22 訪問)

12月22日に石垣を巡るイベントがあり鏡石を間近で見てパワーをいただいてきました。

+ 続きを読む

モト

一度は来てみたかった日本100名城 (2018/11/20 訪問)

天下人家康公の原点の城である岡崎城には以前から一度は行ってみたいと思っておりました、
色々な時代、城主の時に築かれた石垣などにも目をやりながら周りましたが、やはりなんと言っても家康公の城です。
大手門も立派でしたし、天守、堀と見応えがありました。
また、しかみ像や本多忠勝の像や産湯の井戸や家康館といった見るスポットも多数ありました。

愛知県には他にも魅力的なたくさんの城跡がありますが日本100名城である岡崎城には史跡だけでなく歴史の重みやそういったものを感じてしまいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

元々は徳川家康の祖父・松平清康の本拠。家康がこの城で生まれたことから、徳川家の聖地として重視された。豊臣家臣の田中吉政が近世城郭に改修し、その後本多康紀が藩主の時に付櫓と井戸櫓を付属した三層三階地下一階の天守が築かれた。本丸北側を防御するための清海堀など、中世の遺構がよく残っている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 康正元年(1455)ごろ、天正18年(1590)
築城者 西郷頼嗣(稠頼)、田中吉政
主要城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏、松平(松井)氏
文化財史跡区分 市指定史跡、県指定文化財1件
近年の主な復元・整備 平成7年に天守の外壁等の補修。平成19年度に天守の耐震補強・展示改装工事を実施
天守の現況・形態 層塔型 三層五階 鉄筋コンクリート造(復興)
主な関連施設 三河武士のやかた家康館(二の丸)
主な遺構 清海堀、坂谷門跡、切通、石段
住所 愛知県岡崎市康生町561
問い合わせ先 岡崎市教育委員会事務局社会教育課文化財班
問い合わせ先電話番号 0564-23-6177