私のお城巡りのきっかけとなった城
(2025/06/05 訪問)
姫路城の訪問は5回目ですが、何度来てもその美しさには目を奪われてしまします。私が本格的にお城を好きになったのは、30年前にこの姫路城を初めて見てからでした。
私は高校(普通科理系)→大学(情報工学科)→社会人(通信エンジニア)とずっと理系畑を歩んできたので、お城どころか高校・大学と、日本史の授業を受けた事もなく勉強したこともない、よって30年前の初めての姫路城を訪問した時は、美しいなとただ天守だけを眺めていただけの全くの初心者でした🔰。でもここから見たその景色が衝撃的でまぶたに残りました(写真①②の場所)。それから20年後、子供も独り立ちして趣味に費やす時間的余裕も出てきたので、あの時を思い出してお城や歴史の本などを読むようになり、近くの城などにも足を運ぶようになりました。するともっと色々と知りたくなり、その目標として試験がある事を知り、試しに受けてみようかなと思うようになりました。
2度目の姫路訪問(10年前)は、姫路城の前(姫路市民会館)がその城郭検定試験の会場だったので、受験の帰りに立ち寄りました。渦郭式とか入母屋破風とか野面積とか懸魚まで・・お城用語を覚えて行くと、だんだんと細かい所まで目が行くようになり、今までに経験した事のない空気感に浸る事ができました。本当に渦格式なのかを確かめるため最上階に登って見てみましたが、やはりドローンで空から見ないと分からないですね(笑)(写真③)。
3度目の姫路訪問(3年前)は、池田輝政はなぜこのような江戸城や大坂城にも匹敵するほどの大城郭を築いたのか🤔? ふと疑問がわき、吉田城から姫路城までの輝政の人生を追ってみました。輝政の築いた姫路城はこの美しさとは裏腹に、実は鉄壁の防御が施された城でした。ならばここで誰と戦い誰を守ろうとしたのか? しかし輝政は大坂冬の陣の直前の1613年に、脳卒中で突然亡くなったため、それは分かりませんでした(写真④)。この時家康よりまだ22才も若い50才だったそうです。
4度目の姫路訪問(2年前)は、西ノ丸にいた千姫の事が気になり、桑名城から姫路城までの千姫の人生を追ってみました。燃え落ちる大坂城から助け出され、桑名の七里の渡しで出会った本多忠刻に一目ぼれ、家康に懇願しその忠刻と桑名城で結婚、そして国替えで姫路城へ、子宝にも恵まれ今度こそ幸せになれるかと思いきや、子や忠刻に若くして先立たれ、結局ここでも幸せにはなれなかったという、悲しい結末を知りました(写真⑤)。
5度目の今回の訪問は、ある武芸者を追ってやって来ました。その武芸者は少なくとも二度この姫路城を訪れていたようです。「るの門」にそのキーポイントらしきものがあり驚きました(写真⑥)。
姫路城の入場料は現在1,000円ですが、来年3月から2,500円に値上げされるそうです😱! 早めの訪問がお得のようです。
夜は姫路駅構内ピオレの奥にある店で「姫路おでん」を頂きました。一人でも入りやすい場所なのでついつい毎回ここに来てしまいます。お城の形のこんにゃくが、私はとても気に入ってます(写真⑦)。
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