最近分かった事がありまして、私の住む東京の端っこ羽村市には、お城がありません。
間坂と言う地名があり、あきる野市の「戸倉城」小宮氏と、青梅市の「勝沼城」三田氏との境界線なんだとか。
際っ際なので、ないようです。
お話を『城びと』に戻し、『日本城郭協会大賞』の記事を読み地元のボランティアさんの活躍が羨ましく、我が街にも歴史継承している団体がないか調べ、観光協会が主催する講座に参加させてもらいました。
お城目当てで参加しましたが、鉄道やお蚕、神社のお話がメインでした。でも、『東京の端っこも捨てたもんじゃないな』が感想で、観光協会お薦めの『羽村市郷土博物館』を訪れました。
これが、とても面白くて投稿させていただきます。
すでに脱線していますが、大丈夫でしょうか?
『羽村市郷土博物館』は無料。駐車場もあります。
館内は羽村市の歴史です。写真を写して良いか確認しましたら自分用でお願いします。とのことでした。
羽村市は江戸時代、江戸の町に水を流す事業を仰せつかってましたので、関わりが分かります。農村から近代化を辿りました。
外には、赤門が移築してあります。
徳川幕府に仕えていた眼科医の鈴木家の門を、『大菩薩峠』の作家、中里介山さんが譲り受け自慢していたそうです。(自慢て、、、)
それから旧下田家住宅でボランティアの方とお話ができ、江戸時代末期の建物の話しを伺いました。
写真⑦はよく見ると、『水』と彫られてます。屋根の端は銀杏の形にして、どちらも火事にならない、おまじないなんだとか。囲炉裏の飾りマスは目を開けて、火の番をする等など江戸時代の粋な感じが伝わります。
神棚のダルマは煤だらけ。囲炉裏の煤でいい味が出てます。
それから、多摩川の堰に行き『玉川兄弟』をパチリ。
この方々、玉川上水に貢献した兄弟です。
が、もしかしたら羽村市の人ではないかも、と新たな資料が出てきたそうです。
徳川家康さんが江戸の街を作りました。
でも、たくさんの人々の知恵と努力で、江戸の街が彩られたのだと思います。
これからも先人たちの貢献を、いろんな町で出会えたらいいなと、笑顔で帰路につきました。
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