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chiroru

初茨城県 (2025/05/05 訪問)

人生初、茨城県!

東京駅から常磐線の特急列車で土浦駅へ。
駅からは徒歩にて、「土浦市観光協会・まちかど蔵」で続100名城のスタンプ押印後、城下町大手門跡を通過しながら
亀城公園へ。町なかもきれいに整備されており風情もありゆったりとした気持ちで歩けました。

子どもの日にお邪魔したこともあり公園で遊ぶ親子も多くみられました。

太鼓櫓は堂々としていて、現存物は見る物(者)を圧倒させてくれます。

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しんちゃん

謎の陣城 (2025/01/01 訪問)

遠倉館は詳細不詳の城館で、伊達政宗の陣城と言う伝承があるようです。城址まで林道が付いていますが、道が少し狭いので歩いて訪問しています。ミニ四駆なら問題なく主要部まで到達できると思います。事務荷ー欲しいなあ。
北側の丸森町から続いている道の方が、舗装されている良い道のようですね。古城盛衰記さんの記事だと北側から普通に主郭まで車で行っています。この人たちは普段何の車に乗っているのだろうか?
主要部まで、しばらくの間歩きますが館跡には特にこれと言った遺構はありません。上下二段になっていて、上段にはスマホの中継所らしき施設。下段には神社があって駐車も可能です。一応標柱も有って「馬上十一騎槍鉄砲百五十人組の陣地の跡ではと推定される」と表記があります。その根拠とは?

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しんちゃん

亘理権太夫藤原経清 (2025/01/01 訪問)

諸説あるようですが、中島館は亘理権太夫藤原経清の居館であったとされています。経清は「前九年の役」で源頼義に従い、陸奥の俘囚長・安倍氏を攻めた人物で、後に頼義によって処刑されてます。中島館には国道6号線沿いに道が付いているので、車での訪問で有れば比較的アクセスは容易です。道沿いに進んでいけば程なく館跡に到達します。東側にスロープ状の土橋が付いていて、そこから入ります。土橋の周囲に見えるのは堀の後でしょうか? ちょっと記憶が薄まって来ています。コンパクトな構造をしていますが、戦国期には砦として転用されたのではと思います。

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しんちゃん

坂元要害 (2025/01/01 訪問)

坂元城は亘理郡一帯を治めていた亘里氏の家臣「坂本三河」が元亀3年(1572)に築いたとされています。天正19年、亘里氏が涌谷に移ると、坂元氏もそれに従い、以降 後藤・黒木・津田と城主が替り、元和2年(1616)に大條宗綱が伊達政宗より城を拝領して以来、明治維新までの252年もの間。大條氏の居城となっています。
人里近くにあるものの城址は当時の面影を比較的良く残しています。本丸は坂元神社、二の丸は坂元小学校となり、さらに北側には三の丸を備えていました。本丸と二の丸は直に接し、周囲は水堀で囲まれていたようです。縄張りを見ると北に備えを置いているように見えますが、北は仙台になるので、なんじゃこりゃといった感じです。要害とはいえ、どう見ても立派な城で、うるさい徳川幕府が存続を許していたのが不思議です。本丸の西側に大堀切が残り、その西の山中には大條氏の墓所があります。

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にのまる

クリーク (2025/03/02 訪問)

午前7時に佐賀駅を出発。
おとなりの伊賀屋駅で下車して徒歩で向かいました。

水田の緑鮮やかな道をひとり歩く時間はこの上なく贅沢で穏やかな気持ちになります。静寂の中で時折長崎本線の列車が音を立てて走り去る様子を見ていると、この移動時間も含めてお城めぐりが好きなんだなぁと改めて思います。

最初に見つけたのは水路をふたつ超えたところにあった「姉川城跡 下馬口跡」の案内。
その先の「姉川農村公園」に姉川城の案内板がありました。

〈クリーク〉を知ったのもお城めぐりを始めてからで、初めは何のことやら全くわからなかったのですが、みなさまの投稿や書籍、Googleマップ等で理解を深め、また、環濠集落にいくつか赴いているうちに少しずつイメージを捉えられるようになってきました。

姉川城の入口、構口と小路に行き当たりました。左手の島には天満神社。
[屋根のない博物館]のコピーが示すとおりのいにしえの空気を感じる大小の「島々」。600年以上の時を役割を変えつつ在り続け、今この姿を見せてくれていることに深く感じ入るともにそこには数多の人々の様々な関わりがあったことを思います。
歴史を受け止め伝えていくことが城びとのひとりとして出来ることなのかなと思いました。

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しんちゃん

伊東祐尭 (2025/05/06 訪問)

清武城は周囲に宅地のある丘陵上に築かれていました。ある程度近くまで車で寄った後、広めのスペースに駐車し、城址には歩いて向かいます。最高部が主郭で、案内の標識もあるので迷うことはありません。道中の民家には立派な土塁も残っています。
主郭の周囲に郭を配し、住宅地や農地などに転用されているようです。それ以外の遺構は民家脇の土塁が残っているようです。
伊東氏48城の中でも重きをなす城で、文安3年(1446)都於群城主となった11代祐尭は四方に勢力を拡大し、日知屋・門川・清武・田野の伊東氏族を吸収し、戦国時代になると日向平定を目指し、土持氏を延岡まで追いやり、島津氏と対峙しました。
文明17年(1485)飫肥の島津攻撃に出陣する子の祐国を見送った後、祐尭は清武城で病死しています。清武城の北の道路わきには伊東祐尭公の墓所があります。

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しんちゃん

伊東氏48城の一つ (2025/05/06 訪問)

曽井城は野崎病院のある丘陵上に築かれていて、東西約400m、南北約300mの城域を持っていました。南西部に主郭があったとされ、南側の一段高い場所は櫓台のような雰囲気です。北側の一段低い場所は二の丸とされ、それぞれの郭跡に病院の施設や駐車場などが築かれているようです。北側の道路から病院の駐車場まで到達でき、駐車場の脇に新しい案内板が設置されていました。
おかげで普請者扱いされずに済みますが、病院の敷地内なので、散策などはせずに戻りました。
見落としましたが、病院の北東に位置する曽井公民館の脇に登城路の一部が残っているようです。
曽井城は南北朝時代(1375~81)頃に伊東氏の一族(曽井氏か)によって築かれ、戦国期は伊東氏48城の一つとなり、伊東義祐没落後の島津氏による支配を経た天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定の後、伊東祐兵に与えられました。その際の改修工事では黒田官兵衛が総指揮を取ったと伊東家の家請に記されているそうです。その後、江戸幕府の一国一城令によって廃城になっています。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑳ (2025/04/28 訪問)

陸前小野城からの転戦です。三陸道も利用してのアプローチです。館山公園として整備されていて、本当に公園と化してしまっているような南側の城域は、今回は割愛いたしました。城址碑のある北側のみ簡単に散策して、いよいよ、このゴールデンウイーク前半で一番の目的地へと向かいます。

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にのまる

全問正解❗️瞬殺ありがとうございます‼️

朝田さん、おめでとうクイズご返答ありがとうございます。
私のお気に入りの【赤くない橋】は徳島城。
これぞ神奈川県の奥牧野城は2度目はないかなと思うだけに思い出深いです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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しんちゃん

サボテンパーク閉館により立ち入り禁止 → 烏帽子嶺砦を攻略【直登注意+熊】 (2025/05/07 訪問)

瀬平ノ城は元弘年間(1331~34)に矢野義元により築かれました。戦国時代は伊東氏の家臣・上別府氏が守将を務め、1543年に伊東義祐はこの城から島津軍との戦いに出陣し、南方の鵜戸神宮の近くの烏帽子嶺砦を攻め落としています。

瀬平ノ城はサボテンハーブ園から道が続いていますが、園の近くから早々に「通行止」になっています。ネットを検索するとこの先にもゲートがあり鍵がかかっているようです。到着早々に「不発弾」確定ですが、ここまでは昨日の段階で解っていました。伊東義祐がここから烏帽子嶺砦を攻めたという情報も得ていたので、まっすぐ烏帽子嶺砦を目指します。
近くの空き地に車を留め、烏帽子嶺砦へ。ここは鵜戸神宮の西側に位地し、近くを新鵜戸トンネルが通っています。鵜戸街道の難所の一つ「烏帽子峠」を押える砦で、1541年に飫肥城主・島津忠広が伊東義祐に備えて築きました。
それなりに名のある城だとは思うのですが、案内板も登城道も整備されていません。宮崎県ですね・・。
脇道から分け入って行くと、途中から直登で城域に取りつくことになります。登りやすい場所が見当たらないので崩れの場所から登って行くと、途中から勾配が急になって来ます。勾配の途中から脇の森に取りつき、樹木を利用して上によじ登って行きます。
勾配をよじ登ったあたりからマジモードに入っています。ここの急斜面はなかなかにヤバいですよ。
烏帽子嶺砦は砦と称しながらも、山城と呼んでも遜色のない規模を持っています。城址の最高所に主郭を設け、下方に多数の郭を配しています。もっと注目されても良い城址だとは思いますが、安全な登城道の整備が必要になると思います。
あと、成獣のものと思われる、大きな熊のフンらしきものがありました。しかも新鮮なやつです。日南市の他の城址でも大量の熊のフンを見ています。九州には熊はほとんどいないはずですが、日南市限定・しかも人里近くで繁殖しています。これは怪しいですね。捕獲した熊を勝手に他の地域に放獣する人たちがいるのなら、重い刑罰を課しても良いと思います。

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しんちゃん

【藪注意】詳細不詳の城 (2025/05/06 訪問)

那珂城は伊東氏の城とされ、天文年間(1532~1555)に築かれたとされていますが、ネットで調べても殆ど詳細が出てきません。地元のガイドさんや、城びとさんも嘆いていましたが、宮崎県(教育委員会まど)はあまり城址の調査に熱心ではないようです。坪谷城の稿でも述べましたが、調査が困難だと放置しているケースが多いですね。これは熊本県や鹿児島県など南九州全般に言えることですが、危ない縄張りを持ったネイティブな城がそのまま残っている場合があるので、注意が必要だということです。
なんとなく予想はしていましたが、逆に私としては来た甲斐があるというものです。
那珂城は宮崎県総合農業試験場に隣接していて、東の郭と見られる部分は試験場の敷地に含まれるようです。各所にゲートが設置してあるので、東側や林道側からは入ることは出来ません。試験場であるので外来の植物の種なども持ち込みはNGだと思われるので、そこも考慮しなくてはいけません。九州はヘタをすると「不発弾」だらけになってしまいそうな案件が多いので、それも最小で済ませたい所です。
北側の林道を西手から歩いて城址に近づくと、畑地の脇から入れそうな感じがします。畑地に入らないように気を付けて近づいてみると劇藪の向こうから城址に取りつくことが出来そうです。ここから入れと「城址の声」が聞こえてくるようです。
朝から小雨が降っていますが、ちょっと藪の中に入って見ます。試験場の件は気になりますが、注意書きもフェンスも全くなく、完全放置の藪山状態です。地元ガイドさんも攻略して藪で撤退したと言っていたので、藪をくぐり潜り抜けながら先に進みます。
この日は試験場は休みだったので、連絡は取れませんでしたが、城址の状態から試験場の範疇外と判断しました。翌日、確認したところ城址の部分はフェンスの外になるので試験場とは関係ないとのことです。

先に進むと土塁が見えてきました。このあたりも主郭を守る郭になるのでしょうか。土塁に沿って進んでいくと周囲に堀を巡らした小高い郭が見えてきます。どうやら、ここが主郭のようですが切岸が急なのと、雨で足元が滑りやすくなっているので、比較的登りやすい箇所を探します。

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しんちゃん

福岡藩六端城(出城)の一つ。 (2025/05/04 訪問)

黒崎城は現在は感じの良い城址公園になっていて、城址近くまで車で行くことが出来ます。普通車でも十分登ることが出来ますが、坂道の途中にも住宅があり、住民の生活の場となっているので配慮して登る必要があります。駐車場にも十分な広さがあるのでゆっくり見学できます。頂部が本丸で、北に伸びた尾根上に二の丸、三の丸も配されていたとされますが、案内板に有る黒崎城図とはイメージが少し異なります。周囲の地形も昔とはだいぶ変わっているようです。北に郭が伸びていたのであれば、駐車場も郭跡ということになりますか(三の丸かな)。本丸南西部に展望台があり、周囲を眺望することが出来ます。

黒崎場のある城山はまたの名を道伯山と言い、かつては福岡藩の端城(出城)の一つとされ、他にも若松城・大隈城・鷹取城・小石原城・左右(まてら)城があり六端城と呼ばれました。
城代には黒田二十四騎の一人、井上周防之房が据えられ、道伯山の名は彼の号・道柏に由来するそうです。黒崎城はその後、元和元年(1615)の一国一城令により破却されました。

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カズサン

日本唯一螺旋通路付すり鉢状井戸 (2025/05/13 訪問)

 4、5年前に城郭放浪記さんで紹介され、城びと投稿も有り是非訪ねたいと思っておりましたが、中々単独で城郭探訪は叶わず、今回家内の要望拾年越しに「大塚国際美術館」「祖谷のかずら橋」を訪ねる事に成り、空いた時間に探訪しました。
 駐車場:芝原八幡神社南通路路側帯(34°05'32"N 134°27'49"E h=20m)2台程可。
 参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者グーグルマップに依る

 阿波芝原城は日本唯一の螺旋状の通路を付けたすり鉢状の井戸です、蔵珠院境内に在り、門前通路土塀沿いの案内板には「蔵珠院の心水の泉」とあり、グーグルマップ史跡では「蔵珠院まい込み泉」と表示されています。
 長年の願いが叶い螺旋状通路付すり鉢井戸を見学確認する事が出来ました、日本唯一の井戸を見学出来て感激です。その間蔵珠院の大型犬に吠えられており(犬小屋鎖付)長居は出来ませんでした、本堂に参拝し山門、通路側土塀沿いの案内板心水の泉、江戸期末の吉野川洪水の氾濫水位痕跡標柱と案内石盤を確認。
 同じく芝原城域だった蔵珠院の東隣の芝原八幡神社を参拝し見学確認、石盤の芝原八幡神社由緒には芝原城主久米安芸守義弘の名前が刻まれ知ました。
 また久米氏が合戦で討死した鑓場古戦場跡が芝原城・蔵珠院北東約2kmの吉野川南側堤防県道15線南下に石碑と案内板が設置されていました。前を通りましたが写真撮影無し。
 周りは田園地帯で当時は田植え前の農業機械が通路、田園で動いていました。
   

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ぴーかる

唐津城 (2025/03/21 訪問)

【続百名城76城目】
<駐車場他>東城内駐車場(有料)に駐車。
<交通手段>車

<見所>本丸石垣
<感想>2泊3日西九州旅2日目3城目。現在は登るルートが1つのようなので、南の大手道を登っていきました。エレベーター100円で本丸まで上がれるのもあります。大手道はよく整備され石段や門跡遺構が残っています。二の丸から本丸を見上げる眺めは迫力があります。模擬天守内にスタンプ設置場所があるのですが、車にスタンプ帳を忘れて取りに戻って往復したらさすがにキツイ、息があがりました。本丸石垣の南面と西面は、はらみの修復や積直しが行われたりして良く整備されていますが、東面は結構荒れていました。北面は見ていません。また海側の石垣遺構も散策するのを忘れ、なんともビギナーな城跡攻めになってしましました。訪城後に曳山展示場⇒虹の松原を訪れ(後日別途投稿)ました。周辺散策・周辺観光が楽しい町でした。これにて佐賀県の百・続百名城制覇です。

<満足度>★★☆

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チェブ

チバリーヒルズでリッツパーティ。 (2025/05/01 訪問)

本日も脱線予報が出ております。
と、その前に、遅くなりましたが朝田 辰兵衛さん、神奈川県コンプリートおめでとうございます。この前、東京都を制覇したと思ったら今度は神奈川県。『すごっ!』と、声が出てしまいました(^_^)

さてさて、「大椎城」。
1つでも『行った』をポチッとする為に向かいました。
写真①の所で『目的地に到着しました』とナビが言うので、信じます。竹藪と藪の向こうに「大椎城」があるのてしょう。ポチッ。退陣。
こんな山奥な写真ですが、ほんの少し車を走らせると高級住宅街に出ます。
その名も『ワンハンドレッドヒルズ』こと、『チバリーヒルズ』です。バブルの時は、たびたびテレビで紹介されてました。
この時は『チバリーヒルズ』だと分からなく、
相方、『リッツパーティしそうな住宅ばっかだな。』
私、『リッツパーティって沢口靖子の?リッツパーティなんて、やった事も呼ばれた事もないな。』
と、この後、次のお城までリッツパーティの話題ばかりでしたとさ。

こんなんで、お城好きと言って良いのか分からなくなった「大椎城」攻めでした。

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朝田 辰兵衛

亀田城佐藤八十八美術館が主郭跡です🏰 (2025/05/10 訪問)

亀田城佐藤八十八美術館が主郭跡とのことなので,入館料【210円】を支払い,内部を散策しました。茶室「天鷺庵」,休憩処「惣助亭」,「深山軒」が庭園内にあり,趣がありました。この主郭エリア一帯のエントランスとして模擬櫓門があり,ちょっと離れた集落内に模擬天守があります。

こんな時に雨男ぶり発揮です…<泣>。双六館を断念してここに来ました。
5/17(土)~5/18(日)で再び秋田県入りし,双六館を落としたいと思います。天気予報を確認すると,5/18(日)になるかと思います。書き込みはお休みします。

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シェル

大宰府の出入り口の長塁 (2025/02/28 訪問)

 スタンプ押印の兼ね合いで西鉄春日原駅から徒歩で向かいました。最寄り駅は、JR水城駅または西鉄下大利駅です。
 まず春日原駅から徒歩10分ほどの大野城心のふるさと館で、大野城と水城の100名城スタンプを押印。
 大野城心のふるさと館から、水城の東門跡までは、徒歩30分ほどで行くことができます。
 東門跡の付近に展望台や水城館などの施設があります。東門は大宰府へ向かう古代官道が通っていた場所の一つだったみたいです。今も道路が東門跡を通っていて、周辺には国道3号もあるなど交通の要衝になっていることが感じられます。
 水城館そばには展望台があり、水城の全体の様子を見学することができました。とにかく規模が大きく、外国からの防衛の要の一つだったことが伺えました。

 ここからお城とはあまり関係ない蛇足ですが、飛行機までの時間を利用して、水城から博多の間にある ららぽーと福岡 のνガンダムを見てきました。そして、ランチは福岡城からも近い天神の節ちゃんラーメン本店で、ラーメン定食(ラーメン・半チャーハン・餃子3個)をいただきました。豚骨スープですが、そこまで濃くなくて非常に食べやすかったです。お値段もチャーハンと餃子付で780円と非常にお買い得ですので、おすすめです!!
 初の九州旅行もあっという間に終わりましたが、まだまだ巡りきれていないので、再度九州は訪れたいと思います!!

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シェル

素晴らしい高石垣&JR久留米駅そばの移築門 (2025/02/28 訪問)

 JR久留米駅から本丸まで徒歩15分ほどです。
 本丸まで直接行きたいところでしたが、いったん、JR久留米駅の西口に出て、日輪寺へ向かいました。日輪寺には久留米城二の丸乾門が移築されています。駅から5分ほどの好立地ですので、新幹線や電車待ちの際にも気軽に巡れると思います。門の所からJR久留米駅舎が丸見えでした。
 移築門を見学して、ブリヂストンの工場沿いに進んでいくと、歩道脇に三の丸跡、二の丸跡の石碑が立っていました。
 工場を抜けると、いよいよ本丸跡に到着。本丸には、かつて7基の櫓がそびえていたという とんでもない城郭だったようです。現在は、櫓はありませんが、高石垣と水堀の一部が残存しています。冠木御門跡の桝形を通り、本丸内部へ。本丸跡にある篠山神社を参拝。篠山神社の社務所で、続日本100名城のスタンプを押印しました。篠山神社社務所の営業時間は8:00~17:00までとのことですので、押印に向かわれる際はご注意ください。
 本丸をぐるっと見学し、帰路は大宰府方面へ向かうため、本丸から南に8分ほど歩いた「築島」というバス停で西鉄バスに乗車し、西鉄久留米駅へ向かいました。バス停まで道中には「三ノ丸濠跡」の石碑がありました。堀跡は遊歩道になっており、堀の名残と思われる高低差がありました。

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シェル

石碑の見学注意!! (2025/02/27 訪問)

佐賀城の水堀の南東側の“中の館児童遊園”という公園が城跡になります。公園に城の遺構はありませんでしたが、龍造寺隆信の生誕の地ということで、大きな「龍造寺隆信公碑」が立っています。石碑の周りには、「立ち入り禁止」のキープアウトテープが引かれていました。何ごとだ?と思い、よくよく見てみると石碑の周囲の玉垣の一部が倒れている状態でした。
 これから見学される際は、崩落の可能性もありますので、十分注意してください。

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dougen

2020/2/1登城 (2020/02/01 訪問)

小川町高見地区の四津山神社がある四津山が高見城址となります。

主郭に神社があるので、登城道は整備されています。

また、県の史跡に指定されていますので、城址としても整備されていて、郭や堀切などの遺構散策が容易に楽しめます。

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