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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「犬猿も 戻る痩せ尾根 高天神」

いぬさるも もどるやせおね たかてんじん

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「障子堀 不朽の名作 山中城」

しょうじぼり ふきゅうのめいさく やまなかじょう

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「懸造り 天守聳える 苗木城」

かけづくり てんしゅそびえる なえぎじょう

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「曲輪群 切岸三昧 国吉城」

くるわぐん きりぎしざんまい くによしじょう

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「見上ぐれば 頂遥か 七尾城」

みあぐれば いただきはるか ななおじょう

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しんちゃん

長浜周辺 豊臣秀勝公墓所・太郎坊阿賀神社 (2014/05/17 訪問)

滋賀県長浜市の妙法寺には羽柴(豊臣)秀勝の墓があります。豊臣秀勝というと、豊臣秀次の弟で三好(木下)吉房の子である秀勝の方が有名ですが、こちらは秀吉の長浜時代に生まれた子・石松丸で、側室の産んだとされています。
秀勝と名のつく人物は他にも、織田信長の四男で秀吉の養子となった秀勝(於次)がいます。秀勝多いです。
この後、秀吉に長らく子が生まれなったことを考えると、本当に秀吉の血を引いているのか不明ですが、戦国の武将である秀吉が子供を欲しがっていたのも事実だと思います。
太郎坊阿賀神社は古くから神の宿る霊山として崇拝され、聖徳太子・伝教大師最澄・源義経らの崇敬を受けています。境内には「夫婦岩(めおといわ)」と呼ばれる巨岩があり、高さ20m近い巨岩の間に1mに満たない隙間が通っています。なんとなく豊橋市の石巻山に似ている気がしますが、ここに城跡があったという伝承はありません。

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しんちゃん

厳島(宮島) 大鳥居・清盛神社 (2013/10/03 訪問)

また厳島神社です(しつこい)。神社や寺って、基本似たような構造が多く、城めぐりほど持続力が続きませんが、厳島神社は干潮・満潮によってがらりと見た目が変わり、天候や季節によっても違って見えると思います。
本殿の前の平舞台には高舞台が設置されていて、高舞台は立入が禁じられています。平舞台の先の突き出しは火焼前(ひたさき)と呼ばれ、管弦船がここから出入していました。平清盛は管弦祭の時に、ここから船で海へ出て、厳島神社や宮島を見ながら音楽を奏でさせて楽しんでいたようです。清盛公もきっと満足したと思います。
平舞台を支える柱は赤間石で出来ており、これは毛利元就の寄進によるものです。清盛公や元就公、秀吉公ら多くの権力者の崇敬を受け、今は世界の多くの人々の心を引き付けていると思います。
厳島の合戦の舞台でもあるし、歴史的にも意義が深いので、また訪問してみたい場所の一つです。海沿いに小さな神社があって、そこでは平清盛を祭っています。

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しんちゃん

厳島(宮島) 大聖院の狸・摩尼殿 (2013/10/03 訪問)

厳島(宮島)の大聖院の上の方にある摩尼殿の二階には上がることが出来ました。畳の上から眺める景色は格別でした。景色も雰囲気も格素晴らしい。これで満足して、戻ることにしました、弥山には行ってないです。
大聖院にはなぜか信楽焼のタヌキの置物がありますが、例の特徴的な部分を隠しているようです。お寺ですなあ・・
麓に戻ってくると、また厳島神社を参拝。何回いくねん、といった感じですが海抜ゼロメートルの絶景は素晴らしいんですよ。

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しんちゃん

厳島 大聖院 (2013/10/03 訪問)

大聖院は厳島(宮島)で最古の歴史を持つ寺院です。弥山の登山ルートの入り口に位置しますが、実は弥山には行ってないんですね。摩尼殿の二階から見た景色に満足して下に戻ってしまいました。一番の目的は厳島神社だったのですが、宮島もなかなか奥が深いです。
またいつか捲土重来(再訪)したいですね。

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しんちゃん

厳島・塔の岡 大聖院 (2013/10/03 訪問)

実はけっこう神社仏閣も回っています。名所旧跡もけっこう廻っているんですね。犬山・名古屋・岐阜・岡崎と回って城の魅力に気づいて、岩村・古宮・長篠・苗木・大給と回って城の奥深い魅力にハマりました。まずは近世城郭や眺望の良い城から回ってます。
その意味では犬山城は最高でした。眺望が良く、近世の現存天守でしかも国宝です。
その上で岐阜城の眺望を見たら城好きになる人も多いのでは?
宮島の厳島神社も感銘を与えてくれました。城と一緒に多くの神社や寺も回ったのですが、結局城が残りました。神社はあまり変わらないし、寺はボウズがめんどくさい・・(特に延暦寺)城びとを始めてから、ほぼ城です。3000もありやがるから寺や神社を廻ってるヒマが無いですわ。
厳島の五重塔がある丘を「塔の岡」といいます。弘治元年(1555)9月21日陶晴賢は大軍を率いて上陸し、ここに本陣を構えて毛利方の宮尾城を攻撃しました。元就は主力を以て、夜に暴風雨をついて包が浦に上陸し、翌朝未明「博奕尾」を越えて陶軍に襲い掛かり打ち破りました。まさに西の関ヶ原といわれる所以ですね。五重の塔の周辺の景色も素晴らしいです。
「大聖院」は江戸時代厳島神社の別当職の役割を担い、仁和寺との関係も深く現在は真言宗御室派の大本山になっています。
かつては平清盛が参詣し、豊臣秀吉もここで和歌の会を行っています。

※「あ んまり」と書くと「あ んま」と間違われてエラーを出されます。差別用語じゃねー!

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2024/03/01 訪問)

 ①「西東 一城別郭 高天神」(にしひがし いちじょうべっかく たかてんじん)

 ②「小笠山 四尾根郭の 高天神」(おがさやま しおねくるわの たかてんじん)

 ③「断崖の 尾根を活用 高天神」(だんがいの おねをかつよう たかてんじん)

 高天神城は遠州中央、掛川南の小笠山丘陵南東に突出た断崖尾根を利用した一城別郭の城で「高天神を制するものは遠江を制する」と言われている重要な城郭です。
 東峰には本丸、三の丸を配して南の追手門から登城します。西峰には西の丸を中心に北尾根に二の丸、堂の尾曲輪、堂郭の西下に有名な長い横堀を配し、西尾根には馬場平と甚五郎の抜け道と言われる細い尾根道を配し、南尾根は見張台への断崖尾根道が続き、南で尾根を断ち切る大堀切が控えてる、覗くとぞっとします。西峰と東峰間はかな井戸の有る井戸曲輪で繋がっており、井戸曲輪から北へ搦手門へ断崖壁沿いに登城路階段が続く、断崖上の曲輪群を見ながら登ったり降りたり圧巻の登城路です。

 高天神城は今川氏の築城、今川氏が滅びると徳川氏の領有に成るが、武田勝頼に攻城されて武田氏側へ、武田氏対織田氏徳川氏の長篠・設楽原合戦で武田氏が大敗してから6年後に武田氏から徳川氏へ、落城時に武田氏軍監横田甚五郎が西尾根の細道を抜けて甲府の勝頼に報告に行ったと言う謂れから甚五郎の抜け道と言われている。
 この一年後には武田氏の滅亡、本能寺の変で信長が亡くなっています。戦国の激動期でした。
 
 駐車場は搦手門側が収容能力大、トイレ有、大手門側は10台程トイレ有。
 投稿写真の1、3,4,5,8,10は2023.5.25登城撮影。
 投稿写真の2,6,7,9は2024.3.1登城撮影。
   

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2016/03/23 訪問)

 「駿河府の 西方守る 丸子城」(するがふの せいほうまもる まりこじょう)

 丸子城は駿府の西に位置し安倍川を越えて宇津ノ谷峠手前の東海道沿いに峻立する要害の地に在り、四方からの敵対勢力を抑える山城です。初めは今川氏の城として築かれ、武田氏が駿河に進攻してからは武田流の築城術で改修されて、徳川氏が駿河を征して家康が駿河に入ると、対豊臣対策として徳川氏の改修がされた様です。

 丸子宿の東手前に駿府の工房匠宿が有り、有料駐車場を利用して、西側の山手が丸子城です、匠宿に案内板、進入路指示板等ありそれに従って急峻なつづら折り道比高100m程を登って行くと、丸子神社に着きます、案内と道筋に従っていくと尾根に造られた遺構に遭遇します、東の曲輪・大手曲輪の横堀が三日月堀に観えます、竪堀、虎口を経て北の曲輪、北の曲輪から南に折れて二の曲輪、本曲輪に付きます各曲輪間には虎口と土塁、土橋が付き、西側下には本曲輪から二の曲輪間に長横堀が塁を以て続いています。
 技巧的にも大変見応えの有る山城です。
  

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todo94

お盆帰省の城めぐり③ (2025/08/14 訪問)

唐沢山城からの転戦です。説明板のペンキがベロベロにはがれていて内容を読み解くことはできませんでした。それでも城址碑が建っているだけでも御の字です。夏場の攻城にはうってつけの城でした。漢字で「小谷城」と表記する城はいくつもありますが、「こやじょう」と読む城はここだけですよね。

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しんちゃん

宮島 (2013/10/03 訪問)

そこはかとなく未練を残して一度宮島を離れます。また会おう宮島・・翌日早々に宮島に向かいました。また行くんかい・・
やはり厳島神社は潮が満ちていないと。海に浮かぶ社など全国にもなかなか無い。平清盛の発想は凄いですよ。実は宮島は豊臣秀吉とも関わりが有ります。天正15年(1587)秀吉は厳島神社に詣で、大経堂の建立を行います。この大経堂が後に豊国神社となるのですが、実は未完成のままなのです。

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しんちゃん

厳島(宮島) (2013/10/03 訪問)

厳島には鹿がいます。どうやら島全体で500頭くらいいるようですね。随分昔からいるようで、西行法師の「撰集抄」にも宮島には鹿が多いと書かれているようです。奈良の鹿と違って、角の生えている個体がいるので、突かれないように注意が必要です。
昔は鹿せんべいも売っていたらしいですが、いろいろ問題があって今は餌やりは禁止されています。野生動物ですからね。
宮島の夕景はとても綺麗です。

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しんちゃん

厳島神社 (2013/10/03 訪問)

厳島は「安芸の宮島」と呼ばれ日本三景の一つに数えられています。厳島神社は弥山の北麓に築かれ、世界遺産に登録されています。
平清盛によって築かれ、神聖な厳島の上ではなく、海中に礎石を据え、その上に建造物が乗っかっています。
干潮になると、土台が姿を現し、鹿が床下をウロウロしてました。幾度か火災に見舞われ、戦国時代に厳島の合戦で勝利した毛利元就によって、大規模な修復が行われています。

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しんちゃん

広島城 (2013/10/03 訪問)

「水堀に 浮かぶ鯉城の 大天守(みずぼりに うかぶりじょうの だいてんしゅ)」

広島城の別名は「鯉城」といいます。あの「広島東洋カープ」の名前の由来にもなっています。
アメリカの投下した原爆の爆心地から1kmの距離にあり、一帯に約1万の兵士がいましたが、城内の建物と共に壊滅しています。天守も倒壊し、残ったのは水堀と石垣、戦争で最も大きな被害を受けた城郭ではないでしょうか。

現在は広島の街とともに復興し、その見事な佇まいは鯉城の別名に相応しいものだと思います。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2024/06/29 訪問)

「かな井戸に 願いを懸ける 高天神(かないどに ねがいをかける たかてんじん)」

高天神城の築かれている城山は、水はけが良すぎて井戸を掘るのに向いていません。雨の降った翌日に訪問すると、良く解ると思います。道の脇からどんどん水が染みだして来ます。実際、かな井戸のある付近の二の丸からは貯水用の大量の瓶が出土しています。
第二次高天神城の戦いでは、水の手を絶たれ、城内に残されているのは「かな井戸」だけになりました。この井戸がいつ掘られたのかは不明ですが、いくら掘っても水が出てこないため「金井戸」と名付けられたとする説もあるようです。
城兵の願いは「かな」わず、敵陣に向かい突撃して城将の岡部元信をはじめ、688名が討死して果てました。

彼らの無念を心に留めつつも・・かな井戸が「願いのかなう」「叶井戸」としてパワースポットになるといいな、とか考えています。
どうですか掛川市観光協会さん・・ちょっと、おどろおどろしすぎますかね。
ちなみに、この井戸の深さは13mあり、落城時に姫が身投げをしたという、伝説もあるようだけど・・・

「かな井戸で 願いが叶う 高天神(かないどで ねがいがかなう たかてんじん)」

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2020/01/03 訪問)

「後世へ 戒め残す 名護屋城(こうせいへ いましめのこす なごやじょう)」

江戸時代初期、島原藩松倉氏と一部の幕臣の間でマニラ遠征が計画されていたようですが、絶妙のタイミングで島原の乱が勃発して、計画は頓挫してしまいます。幕府もいささか懲りたのか、この後 急激に鎖国に舵を取ります。
名護屋城の石垣の破却はこの時期ではないかと思います。大陸の情勢次第によっては有用性のある城だと思いますが、それ以上に他国との争いを避けるようにという後世への戒めにも感じます。豊臣秀吉の朝鮮出兵の失敗と、島原の乱に至る経緯を考え、リスクの高さを考慮したのかもしれません。この後、江戸時代を通して幕末まで、国内での争いは限定的で、他国との争いが無かったのは僥倖と言えるでしょう。
将軍や王・皇帝による支配体制の徹底(王道楽土を理想とする)と相互不可侵のもたらした平穏だったと思いますが、植民地支配に味を占めた欧米列強には、その理屈は通じませんでしたね。

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朝田 辰兵衛

もしも花巻のホテルがリザーブできていたら… (2025/06/22 訪問)

もしも花巻のホテルがリザーブできていたら,この投稿は花巻城になっていたハズ…。今はクマが血気づいているようなので,東北地方では市街地であっても油断できません。
この日は余裕をかまして空堀の中まで入り込みました。もう,随分昔のような感覚になっています。しんちゃんさんの投稿から間隔を空けたので…。

赤い城さんへ…
コメントありがとうございました。赤い城さんもいくつか採用されるといいですね…。私のお気に入りは「徳島城」です。たぶん,かまぼこ再び…はないと思います。

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