戦国期に因幡山名氏と但馬山名氏の抗争の中で築かれたとされ、両山名氏のみならず尼子氏、毛利氏、尼子残党、織田氏らによる争奪戦が展開されました。羽柴秀吉による渇え殺しとして知られる兵糧攻めで吉川経家が自刃し開城すると宮部継潤が城代(後に城主)となって石垣や天守を築き、関ケ原の戦いで西軍についた宮部氏が改易されると池田長吉が入って近世城郭に改修。江戸初期に池田光政が32万石で入ると城郭の拡張と城下町を整備し、光政とのお国替えで池田光仲が岡山から入封して鳥取池田家のもと明治まで続きました。明治に城内の建物はほとんど撤去されましたが、平成18年から30年に及ぶ保存整備計画が策定され、これまでに擬宝珠橋と中ノ御門が木造復元されています。
県庁北側駐車場から登城開始。内堀沿いに進むと擬宝珠橋の向こうに中ノ御門、その奥に二ノ丸や天球丸の石垣、さらには山上ノ丸のある久松山が聳えています。復元された擬宝珠橋を渡って大手門にあたる中ノ御門へ。中ノ御門は表門と渡櫓門からなる枡形門ですが、枡形を囲む石垣の土塀には狭間が設けられていません。カズサンさんの投稿にあるように、幕末の姿を復元したため狭間はないんだとか。枡形としては違和感はあるものの、長く続いた平和の時代の城はこういう姿なんですね。
中ノ御門を抜けると宝隆院庭園にちょっと寄り道。早世した11代藩主・池田慶栄の正室・宝隆院のために造営された庭園で、奥には明治に建てられた仁風閣がある…にはありますが、保存修理のため素屋根に覆われていて休館中でした。登城道を進むと太鼓御門手前の石垣が喰い違い状に遺っています。その先の太鼓御門も復元計画があるようなので楽しみに待ちたいところです。太鼓御門を抜けた右手は三ノ丸でしたが、現在は鳥取西高校の敷地になっていて手前に標柱と説明板が立てられています。部活帰りなのか多くの高校生とすれ違いました。そして天球丸へ向かいます。見上げると二ノ丸の石垣が幾重にも連なっていました。さすがは32万石の大藩。なかなかの石垣の城ですね(続く)。
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