わかさのじんや

若狭野陣屋

兵庫県相生市


旧国名 : 播磨

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①法界庵
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昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:若狭野陣屋 (2025/05/25 訪問)

ホテル最寄りの加古川駅から電車で有年(うね)駅に着きました。
有年駅から徒歩30分弱で、若狭野陣屋前(34.835126、134.415401)に着きました。

若狭野陣屋は赤穂藩主・浅野長直の養子となっていた浅野長恒が、1671年(寛文11年)3,000石を分知されて旗本となり、若狭野陣屋が築きました。
赤穂浅野家の分家旗本三家のひとつで、1702年(元禄15年)に本家の浅野内匠頭長矩が殿中での刃傷事件により断絶となったあとも若狭野浅野家は旗本として存続して、明治維新を迎えました。

法界庵は建物も土塀も崩壊しそうです。門に柵がしてありますが、建物外観は見学できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=下土井城へ徒歩で向かいました。

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しんちゃん

法界庵 (2025/04/07 訪問)

どうもすみません。悪気は無いんですよ、本当に。ただ、某城びとさんの記事を見てたら出てきてしまったんですよ「不発弾」が。
他にもいろいろ出て来そうで怖いですな(笑)。しかし、ストリートビューで見てみると双六館もなかなかいかつい・・危ないと思われたら遠景でも十分だと思います(差し出がましいですが)。でも「ゴジラ岩」の写真は見たいです。

若狭野陣屋は浅野陣屋とも呼ばれ、寛文11年(1671)赤穂藩主・浅野長直の養子・長恒が分家して3000石の旗本として陣屋を築いたのが始まりとされています。現在残っている建物は、藩札を作っていた札座と呼ばれる建物であった法界庵と西法寺に移築された陣屋門とされています。陣屋門の方は、今回パスさせていただきました。早く姫路城の桜が見たかったんですよ。
以前、訪問しているはずだけど、昔の写真から探し出すのもメンドイし・・・。

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ろっし

お城探訪 (2023/06/24 訪問)

近いうちに壊されるかもと言う事で見に来ました。

維持していく事は大変ですが残念です。

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松本恵司

札座を見たい人は2023年中にお越しください。解体されてしまう可能性が高いので。 (2022/12/07 訪問)

この建物は札座(ふだざ)といいます。1822年、旗本浅野家が札切手(藩札)発行にともなって建築したものです。私は文化財的価値があると思い保存運動をしていますが、建物の老朽化が進み来年には解体される可能性が高くなっています。見学したい方は、2023年のうちにお越しください。若狭野陣屋の御殿屋敷はこの建物の北側にありました(現在、神社の前の広場になっているところ)。札座の石垣の西の坂道を登ると鳥居があります。そこに陣屋門がありました。鳥居をくぐったところが若狭野陣屋の中心です。
若狭野陣屋を紹介する動画です。https://youtu.be/Dzt6T13pyjU
なお、陣屋門は相生市那波野の西法寺に移築されています。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 浅野長恒
築城年 寛文11年(1671)
主な城主 浅野氏
遺構 移築門(西法寺)
再建造物 説明板
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野