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しんちゃん

富山攻めの城 (2025/03/10 訪問)

白鳥城の歴史は古く、寿永2年(1183)に源義仲の武将・今井四郎兼平が陣を張ったと記録が残っています。戦国時代に神保長職が上杉氏に備えて富山城の詰城として本格的に築城し、神保氏が上杉氏に降伏すると上杉氏の城となりますが、一揆勢に攻められ落城しています。
後に佐々成政が富山城に入ると、富山城の支城として機能しますが、天正18年(1585)の羽柴秀吉の富山攻めの際には、羽柴軍の陣が置かれました。
比高130mのれっきとした山城ですが、驚くほど開けていて、この時期でも車で城址のすぐ近くまで行くことが出来ます。展望台や東出丸、本丸のいずれからも眺望が素晴らしく晴れの日がお勧めです。駐車場からすぐの所に展望台と城址碑があり、東出丸→三の丸→二の丸→本丸・天守台→西一の丸→西二の丸→西出丸 といった順で訪問しました。
西側の遺構の空堀や土塁も見ごたえがあります。

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しんちゃん

城之内公園 (2025/03/16 訪問)

小泉城は延徳元年(1489)富岡直光によって築かれたとされています。富岡氏は古河公方や上杉謙信、小田原北条氏などに従い、富岡氏から小泉氏が派生したとされています。天正18年の豊臣秀吉の小田原攻めに際して小泉城も落城し、廃城になりました。
現在は城之内公園として整備がされ、本丸の周辺に水堀が配され、周囲に土塁も残って(再現?)います。

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しんちゃん

あさん京都府&大阪府コンプおめでとうございます

あさん 京都府&大阪府コンプおめでとうございます。京都府はなかなかハードルが高いと思うのですが、お疲れ様でした。
わたしも今は例のアプリで、だいぶ寄り道をしていますが、そろそろ雪も溶けてくる頃なので城攻めに集中できそうです。
今の天候は春秋が短くて、夏がやたら長いので、城攻めにはしんどいですが、めげずに頑張って行きたいです。

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城びとサーバーメンテナンスのお知らせ

いつも城びとをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
3/21(金) 10:00~ 3時間程度、サーバーメンテナンスのため、城びとサイトの閲覧および投稿がご利用いただけません。
ご不便をおかけして申し訳ございません。作業が終わり次第お知らせいたします。

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小城小次郎

恐竜だけじゃない (2024/05/11 訪問)

舎人門を初めて見に行ったが周辺の堀も雰囲気が感じられるように整備されていた。駅前の百間堀の敷石表示やいつの間にか施された福の井の屋根など、福井城は今まさに進化中。恐竜だけじゃない。すごいぞ福井。

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うれし恥ずかし初投稿 (2020/01/25 訪問)

 ぴーかるさん、ご指摘をありがとうございます。何度もコンプリートであることをチェックしたのに、見落としたかと焦りましたが、「行った」をチェックして投稿してませんでした。2020年1月に登城してます。当時は、あまり投稿に熱心ではありませんでした。おかげさまで、思わぬ形で、初投稿のおまけつき、コンプリートになりました。
 ずいぶん前のことで記憶が薄れてますが、登城口のお寺は、常照寺。境内にお邪魔して、左手から、裏の山に入りました。登城時のメモに、「南北に伸びた丘陵の頂部の詰めの城と西山腹の居館」「四段の郭」と残してました。ぴーかるさんから詳しい投稿をお願いします🙇
 

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ぴーかる

あさん京都府&大阪府制覇おめでとうございます

あさん京都府&大阪府制覇おめでとうございます🎉あさん、京都の橋爪城は行かれましたか?私昨年行ったのですけど、登城口のお寺が工事中で登城口がよく分からず断念してしまいました(>_<)。未投稿なので1番槍の方の投稿を待っていました。お分かりでしたらご教授お願いしますm(_ _)m。
 朝田辰兵衛さん、瞬殺です(笑)。大阪マラソンのコース上になっています。3枚目の写真に向かって走ります。ここでゲストの有名人(スポーツ選手等)とハイタッチができます。先日のEXPO駅伝では、3枚目の写真から出てくる感じで走って南に向かいましたね。大阪マラソンはスタート地点が大阪城なのですよ。私も今秋滋賀県をコンプできそうなので朝田さん、これくらいのレベルでお願いします。

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朝田 辰兵衛

あさん,京都府&大阪府コンプ,おめでとうございます🎊

あさん,京都府&大阪府の城びと登録城コンプリート,大変におめでとうございます🎊
兵庫県コンプリートも目前に迫っているということで,関西コンプリートを狙っているのでは…❓
和歌山県の未投稿4城も,ロックオン済だったりして…❓❢

さて,恒例のコンプおめでとうクイズですが,京阪エリアはぴーかるさんに大坂城を出題してからは進展がございません…<泣>。
城ではありませんが,国の重要文化財から出題させていただきます。
ヒントは大阪府です。3枚目の画像の背景はかなりヒントかも…。
ぴーかるさんなら瞬殺しそうな気がしています…。

なお,私は3/20~23まで遠征に行ってまいります。コンプ目前の神奈川県や山形県ではありません。
神奈川県や山形県のクライマックスに向けて,ちょっと全然違うエリアから新鮮味を取り入れたいな…と。
たまたま,高速バスとホテルにアキがあり,速攻で飛び込んだというのが実情です。
みなさんの投稿はチェックさせていただきますが,書き込みは越後に帰還してからになります。
ゆっくりお考えください。

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登城は止めときました (2025/03/09 訪問)

 大阪府高槻市ながら、滋賀からは、京都府亀岡経由が近いです。城びと先人が、私有地につき立ち入り禁止と報告されているので、山を見るだけながら行ってまいりました。山麓の桂香寺の説明板に「なお、当寺に後背する山は、通称、「城山」と呼ばれ、中世末期に小規模な城郭があったといわれている」とありました。桂香寺の階段を登っていくと、ご住職らしき方が外におられたので挨拶しました。「城跡はあるらしいが、道はないし、クマが出るよ」と言われました。「登るのは構わない」ともとれる発言でしたが、大人の分別をもって登城は止めときました。
 城びと先人が田能城の説明板の写真をアップしておられますが、実物は15cm角くらいの小さいものなんですね。山裾からも離れているのによう見つけましたね。先人のレポートがなければ私は発見できてないです。
 気がつけば、大阪府の未訪問の城は、南端の淡輪城、土山城、雨山城、根福寺城と北端の田能城になってました。先日、南端には行ってきたので、残りの北端です。行きやすいところを行って無計画露呈です。これにて、城びと登録の大阪府の城はコンプリートできました。兵庫県のコンプリートの最大の障害と思っていた、利神城は、ガイドツアーに応募できました。SAに置いてあった兵庫県の観光パンフに、利神城のガイドツアーの案内があったのを見て、どうせもういっぱいでしょう、と思いつつHPを見てみると、まだ空きがあるではありませんか。4月上旬のツアーで行って参ります。

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半端ない切岸に圧倒された (2025/03/15 訪問)

 トーダイさんが2019年8月に山の西から進入して、小社がある西端の郭に到達されているものの、あまりの切岸と夏場の藪回避とで、撤退されています。私は、北側の入り口から参りました。こちらは、ちえぞーさんの城いこまいによると「石仏がある民家左わきから背後に回り込んでいくと山への道が続いている」とあります。写真1です。トーダイさんが認識された場所よりも少し東寄りです。言葉で説明するのは難しいですね。
 北から尾根に取りつくと、すぐに平削地が現れます。平削地(郭)を5段たどっていくと、目の前にどーんと巨大で切り立った切岸が現れました。高さ15mほどもあります。行永城の前に訪問した八田城もなかなかの切岸、急斜面でしたが、それをはるかに上回っています。直登は無理です。回り込んで薄い道痕をたどって上へと行きます。主郭および帯郭の切岸もすごいです。特に西側。山の南面は、与保呂川が浸食した急斜面です。
 西の尾根を下っていくと、竪堀を超えて、トーダイさんが撤退した切岸の上に至りました。下の方にお社が見えます。直降も無理です。右手に薄い道があり、下ることができました。
 これにて、城びと登録の京都府のお城をコンプリートしました。行永城にはあまり期待してなかったですが、結果的に最後にふさわしい登城になりました。

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カズサン

【駿河 光鏡院】静岡県静岡市 瀬名氏菩提寺と梶原一族古戦場 (2025/03/10 訪問)

 余湖図コレクションの瀬名氏館鳥瞰図に魅せられて数年後やっと訪ね、周辺を探訪散策撮影しました。

 光鏡院住所:静岡県静岡市葵区瀬名1丁目38-36
 梶原一族いくさの跡案内板住所:静岡県静岡市葵区瀬名1丁目32-14(光鏡院山門の南山道沿いに有ります)
 駐車場:光鏡院山門前に数台の参拝者駐車場有り

 光鏡院は瀬名氏初代一秀の菩提寺です、瀬名氏は今川氏の一族です、今川義忠の遠江横地城、勝間田城討伐戦で討伐したものの残党に不意を突かれて流れ矢に当たり遠江塩貝坂で討死、嫡子龍王丸(後の氏親)家督争いに遠江の今川一秀が加勢補佐し瀬名に移り住み、瀬名氏を称する、二代氏貞、三代氏俊、四代氏詮と今川氏重臣として継承。
 龍王丸の家督争いに義忠夫人北川殿、北川殿の兄弟伊勢新九郎(北条早雲)の名前も重きを占めています。今川氏は氏親の後に義元と継承されて桶狭間の戦いを迎える。
 光鏡院を訪れた時期は紅梅白梅が咲、河津桜も咲いていました、石垣造りの境内で西から山門、山門には阿吽の仁王像、裏手に風神雷神像が安置されて立派な山門です、石段を昇り90度北に石段スロープ状の参道が両脇石垣付きで素晴らしい、南向きに本堂だ有り屋根には今川の二両引き家紋と五三の桐紋が瓦が付いている。光鏡院の北に龍泉院(三代)、南に松寿院(二代)の菩提寺も有り、寺院が砦出城の構かと思われます。

 梶原一族のいくさの跡大看板(グーグルマップに史跡マーク梶原山案内所として有り)
 光鏡院山門の南側、梶原山の登り口に梶原一族のいくさの跡と題して梶原一族の戦場ごとに地図と解説、梶原氏が自刃した梶原山と一本松公園遊歩道案内の大看板が一体と成って設置されています。
 じっくりと地図と解説文を読ませて頂きました、難所の薩埵峠を越えて清見寺の在る清見ヶ関から庵原、瀬名(大内、矢崎、矢射タム橋)、自刃の梶原山と分けて解説がしてあります。源頼朝が亡くなった後の政権争いに敗れてた梶原一族が西国の領地を目指しての西行に幕府の命を受けた地侍の待ち受けに遭い清水、瀬名一帯で戦い、戦いに利あらず一族梶原山に逃れて自害した。梶原塚が有り地元の方々に祀られている。
 大変勉強に成りました。
 

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トク

知覧城(1/3):武家屋敷 (2025/02/23 訪問)

ちょうど私の少し前に、偶然にのまるさんも訪れられていたようで、少しダブった投稿になってしまい申し訳ありません。私は逆で、武家屋敷の方から入り知覧城を通ってミュージアムの方へ抜けて行くルートを選びました。

知覧城は、島津氏庶流「佐多氏」(=知覧島津氏)の居城で、113ある外城の中では規模も大きくまた保存状態もよいので、島津の城造りの特徴が大変よく分かる城だと思います。

バスを降りて脇道へ入ると武家屋敷群があります。身分の高い武士(佐多一族)は普段ここで暮らしていたようで、ここは伝統的建築物保存地区となっています。石積に高い垣根でわざと敵から家の中が見えないようにし、入口も喰い違い虎口にして敵の進入を防ぐなど、様々な防備がなされていました。いざという時には、家も砦として使えるようになっていたという事ですね。徳川幕府とはいつ一戦交える事になるかわからない、そういった危機感が薩摩藩には常にあったと思います。よって表向きの鹿児島城は天守のない平城にして幕府に恭順の意を示すふりをし、裏では幕府にばれぬよう113の外城を作り、その外城では藩士や家族にまでも危機意識が共有されていた。これらの家を見るとその事がよく分かります。

次はここからは県道の坂を登り、知覧城の本丸を目指そうと思います(2/3へ続く)。
 

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イオ

麒麟がくる紀行(明智光秀生誕地)

大河ドラマ「麒麟がくる」にあわせて明智光秀ゆかりの地をめぐろう、と始めた麒麟がくる紀行でしたが、コロナ禍で思うように進められないなどもありながら、昨秋の田中城で「ここは絶対に外せない」と考えていたところは全て訪れることができました。とはいえ、始めてから5年以上も経っていると最初の頃に訪れたところなどは半ば忘れてしまっていますし、この5年あまりに訪れたゆかりの地を光秀の生涯に沿って再構成して振り返ってみたいと思います。

まずは「明智光秀生誕地」から。前半生不詳であり出自にも諸説ある光秀だけに生誕地とされる地も6か所あります。

1 明智長山城(岐阜県可児市)
2 落合砦(岐阜県恵那市)
3 一日市場館(岐阜県瑞浪市)
4 中洞白山神社(岐阜県山県市)
5 多羅城(岐阜県大垣市)
6 十兵衛屋敷(滋賀県多賀町)

桔梗紋を家紋とする土岐氏支流の明智氏の出とする説が有力とされますが、大河ドラマでも岐阜県可児市の明智長山城を居城とする土岐明智氏として描かれていました。明智長山城北麓の天龍寺には明智氏歴代の墓所があり、明智荘には光秀の産湯の井戸跡(未訪)もあります。

明智の地名が残る岐阜県恵那市の落合砦も光秀の生誕地と伝わります。落合砦には産湯の井戸があり、近隣の明知城周辺には生母とされる於牧の方の墓所や、天神神社に明智光秀公学問所、八王子神社の柿本人麻呂社に明智光秀公手植えの楓、龍護寺には明智光秀公御霊廟があるなど、ゆかりの地が数多くあります。ただ、光秀が土岐明智氏の出だとするならば、明智遠山氏代々の居城(明知城)の周辺で生まれ育ち、明智遠山氏の菩提寺(龍護寺)に祀られているのはどう解釈すればいいんだろう…と思っていましたが、龍護寺の説明板の系譜によれば、光秀の叔父の明智光安が養子として明智遠山氏の家督を継いで遠山景行となったとのことで、その説に基づくとこの地が光秀生誕地であり、叔父のもとで若い頃を過ごした地ということになるようです。

岐阜県瑞浪市の一日市場館跡(一日市場八幡神社)も光秀の生誕地のひとつに数えられています。鎌倉初期にこの地に入った源光衡が本拠として一日市場館を築き、地名にちなんで土岐氏を称したことから土岐源氏発祥の地とされますが、光秀もこの地で生まれて一日市場館の井戸で湯浴みし、2歳で叔父の明智光安に引き取られたとの言い伝えがあるようです。境内には土岐源氏発祥の地の石碑や初代・光衡公の銅像に加えて、「明智光秀公ゆかりの地」の石碑と光秀の石像が建てられていました。

岐阜県山県市の中洞地区を光秀の生誕地とする伝承もあります。土岐元頼と中洞の豪族の娘との間に生まれ、やがて明智光綱の養子になったとのことで、中洞白山神社には産湯の井戸が、近くの武儀川には光秀を身ごもった母が「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったと伝わる行徳岩があります。近くには光秀の母が住んでいたとされる庵の跡もあるようです。

岐阜県大垣市にあった多羅城を光秀の生誕地とする説もあります。明智光綱(光隆)の妹が多羅城主の進士信周に嫁いで男子を生みましたが、兄に子がなかったため兄の養子とした二男が後の光秀である、とのこと。甥っ子を跡継ぎとする、なるほどありそうな話ではありますね。多羅城の所在地は特定されておらず、西高木家陣屋や城ケ平城、樫原城などが候補地とされていますが、城ケ平城や樫原城には「明智光秀生誕の地 多羅城」と記されたのぼり旗が堂々と翻っていました(笑)

岐阜県だけでなく隣接する滋賀県多賀町にも光秀の生誕地(出身地)とされる十兵衛屋敷があります。光秀が近江出身というとトンデモ説のように思えますが、江戸前期に彦根藩井伊氏に献上された「淡海温故録」の記述と地元に伝わる口伝に基づく説であり、曰く、美濃の土岐成頼を離反した明智十左衛門が六角高頼を頼ってこの地に住むようになり、その二、三代後に生まれたのが光秀なんだとか。十兵衛屋敷には光秀と見津五人衆らのイラストボードが立ち並び、十兵衛屋敷跡の標柱、説明板、さらに十兵衛茶屋には光秀多賀出身説の資料が多数展示されていました。

…いくら前半生不詳といっても生誕地が6か所はやりすぎだろ、とは思いますが、それぞれ出自は違っても明智光綱なり光安なりに引き取られている点はほぼ共通しており、幼少期から青年期を美濃で過ごしたと考えてよさそうです(ただし多賀説では多賀から美濃を経ることなく越前に行っています)。大河ドラマで描かれたように斎藤道三に仕えたかどうかは諸説あるものの、美濃在住時に妻木氏の熙子を妻に迎え、その後に越前に移り住んだと考えられます(続く)。
 

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todo94

姫路城プレミアムナイトツアー翌朝の攻城① (2025/03/09 訪問)

姫路城プレミアムナイトツアーの終了は21:30。22時過ぎの新幹線に乗車しましたが、この日のうちに帰着できるわけがありません。新大阪にて途中下車し、泊をとって、翌日、朝駆けに勤しんでみました。JRで長居駅にアクセスしてまずは真光寺の説明板を目指しました。それから皆さんが投稿されている神須牟地(かみすむち)神社へと向かいました。長居駅から西に伸びる商店街の道の突き当りが神須牟地神社ですのでこちらの方が分かりやすいでしょう。グーグルマップの寺岡砦のポイントは真光寺についていますが、あさんの投稿の通り、なかなかわかりにくい場所に位置しています。

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赤い城

成羽陣屋 岡山県高梁市 (2025/02/23 訪問)

備中松山城の次に向かったのは鶴首城。
高梁市成羽美術館に車を置いて、と思ったら素敵な石垣があります。
説明板も立っていてここが山崎豊治により造られた成羽陣屋であることを知ります。
山崎豊治は丸亀からここに入り旗本となりました。

この美術館と成羽小学校周辺が陣屋跡で石垣が良く残っています。
美術館の入口が大手門、美術館は書院跡。小学校は御庫跡となります。
裏手に回ると石垣に横矢がかかる部分もありました。

事前準備不足でノーマークだっただけに得した気分。
颯爽と鶴首城へ向かいました。

【見どころ】
 ・旗本陣屋としては屈指の高石垣
 

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しんちゃん

榊原康政 (2025/03/16 訪問)

館山城は戦国時代に赤井氏によって築かれたとされるが、定かではないようです。その後、上杉氏と北条氏の間で争奪戦が繰り返されますが最終的には北条氏に従い、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに際して落城しています。
その後は徳川家康の関東入封に伴い、榊原康政が10万石で入り近世城郭として築き直しました。本丸跡には向井千秋記念子供科学館が建ち、周辺は「館林城ゆめひろば」になっていて、土塁らしきものもありました。館林市役所も城域に含まれ、北西には千貫門跡の碑が立っています。三の丸西端あたりには土橋門が再現され、土塁も残っており、塀も再現されています。遺構は殆ど残っていないのですが、門と土塀が再現されているだけで、周囲には近世城郭としての雰囲気が漂っているので不思議なものです。

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小城小次郎

少しずつ見どころが増えていく (2024/05/11 訪問)

2022年に博物館が新設され、2023年にはガラス製の鑑賞施設が設けられた。少しずつ手が加えられ、少しずつ見どころが増えているのが嬉しい。昨年5月が三度目の訪問で、晴れたのは初めて。

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しんちゃん

飛騨道中・金龍権現  (2025/03/09 訪問)

某アプリで「金龍権現」の異名を求めて飛騨国・高山市を彷徨いました。もう暖かくなってきたし、牧戸城と向牧戸城でも登城してやろうかな、と考えていましたね。甘かったですね、雪国を少し舐めてましたね。
高速を降りてあちこち走ってると、なんか雪が多すぎて除雪するのがめんどくさい、みたいな空気すら感じます。牧戸城登城口・・どんだけ雪が積もっているのか・・ここを登ろうと考えていたんですね・・甘かったな~。
高山城も登るつもりでしたが、周囲を走っているうちに雪に乗り上げJAFの御世話に・・この日の経験と翌日の日宮城での経験から、車に除雪用のスコップを搭載しました。だんだん車に変なものが増えていくなあ。
高山市の金龍神社は、芝郡代が金森長近の法号にちなむ「金龍権現」の神号で、東照宮境内に勧請したものとされています。(戒名:金竜院殿要仲素元)
これでこの日は無事に「金龍権現」の異名を獲得。半日で外されたとはいえ「日本一の兵」の異名も大事に持っていますよ。
イオさんのアドバイスが無ければ「風雲児」で良しとしていただろうから‥感謝してます。
とはいえ、この異名204人も持っている人がいる。今年で城びとが14年目として、月に一人として計算が合わない。どこかでバラ撒いているのかな? 個人的には100人台くらいがレア感があっていいんだけど贅沢な話だろうか。


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芝のもこもこが素敵 (2025/03/09 訪問)

 芝がきれいに刈られて、土の造形が角のない柔らかい輪郭を見せます。主郭の周りは、三方を切岸/土塁/横堀/切岸/土塁が囲み、横堀が帯郭状になっています。横堀の一部に塹壕状あるいは障子堀状に深く掘られた部分が目を引きます。主郭以外に多くの郭があり、もこもこと土の造形が素敵です。石垣の城、福知山城が間近に見え、好対照です。

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しんちゃん

如意の渡し 伏木台場・富山県高岡市木綿町 (2025/03/10 訪問)

伏木台場は嘉永3年(1850)に加賀藩によって築かれ、大砲を5門備えていたとされています。港からは夕景の立山が見えそうですが、立入禁止なので入ることは出来ません。そこから程なく南西に進んだところに源義経と弁慶にゆかりの深い「如意の渡し」があります。
山伏に扮した義経と弁慶主従の像が有り、台座に由来が書かれています。
それによると、歌舞伎の「勧進帳」に安宅の関で、疑いを晴らすために弁慶が義経を金剛杖で打ち据える場面がありますが、それは室町時代の軍記物語「義経記」で「如意の渡し」で弁慶が義経を打ち奉るとの事という挿話を脚色したものとされています。
私は予備知識なしで、ここに来たので、この像を見た時にデジャブを受けました。この人たちはきっと各地で嫌疑をかけられるたびに、こんな小芝居を打っていたのかな・・と思いましたね。弁慶はあまり手加減をしてくれないだろうから、そのうち義経さん、パンチドランカーになっちゃうんじゃないかと勝手に心配しました。こっちがオリジナルだったということなんでしょうか?

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