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チェブ

倉庫とトレーラーの頭 (2025/06/28 訪問)

6月だっていうのに、33度。
このところ、土日はずっと天気が悪いし、家族の行事やら所用で、なかなか遠出できませんでした。
やっと、出かけられると思ったら、33度。
でも、「堅倉砦」のある茨城県は30度予報。(実際はもっとありましたが。)いろんな言い訳を作って出陣しました。

江戸 重通さんが築いた「堅倉砦」は現在、大きな倉庫になってます。
説明板の向こうに倉庫。説明板の下に長く土塁(?)。車を説明板の横に駐車していると、トレーラーの頭部分やトラックが走り過ぎます。道路ですが、倉庫会社の敷地みたいな雰囲気で、すぐに退陣しました。

ぐるっと周り転戦しました。

あの、たった1つの説明板だけなのに、倉庫が立派な砦に見えてくる「堅倉砦」攻めでした。
、、、いや、見えてこない。
説明板が、ありがたかった「堅倉砦」でした。

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にのまる

山陽山陰スタンプいただき旅ラスト (2025/03/26 訪問)

現地案内板の見どころの番号を頼りに見てまわりました。
中の門跡の石垣が坂の上から見ても近づいて見てもすごく雰囲気があり、ドキドキしました。
本丸からは日本遺産外ノ浦の港が望め、また幕末の戦いを見届けた三重櫓を脳内再建するなどお城らしさを存分に楽しみました。
最後に麓の町なかにある大手門跡の碑へ。この場所に冠木門があったそうです。後背の城山が当時をイメージさせてくれました。

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がっくん

長年モヤモヤしていたがやっと行けた。 (2025/06/27 訪問)

国道141号を通るたび、行かねばと思い続けそうやく攻城。
万全を期して南牧村役場で道を尋ね、安心して登城口まで行き路駐。
多少草が伸びてはいたが、城の道標通りに進めば30分程度で主郭に到着出来る。
木が伐採されているので八ヶ岳が良く見えた。
意外と狭い主郭部だが、登城路の反対側に一番の見所の大堀切が良く残っている。
堀切を越えてそこから尾根伝いに50m程度が城域か、途中二条ほど浅い堀切があるが
説明板に記載されていた土塁までは確認出来ず。

麓の住民の方に何もないよと言われていたが、いやいや堀切だけでも行った価値アリかな。
果たして若き晴信が初陣を飾った城がここであるかは史実不明ではあるが
ここを駆け上がったのだと思って攻城するとロマンがある。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその39 松尾城 (2025/06/27 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその39

九十九里浜(蓮沼海岸)に近いお気に入りのお店でアジフライや焼き蛤をいただいた帰り道の近くに松尾城がありましたので、登城しようと考えました。
しかし城址は自動車教習所になってしまっているので、本丸への突撃は諦め、移築された松尾城御殿表門を訪問して登城した事にしました。

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うさ

鬼ノ城 (2025/06/08 訪問)

日本の城とはまた違って独特の素晴らしさを感じることができます。
版築土塁の維持がとても大変なのだそうです。

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うさ

備中松山城 (2025/06/08 訪問)

しっかり登って山城を体感できる城。
石垣も天守も城主も最高です!

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うさ

津山城 (2025/06/07 訪問)

石垣好きにはたまらない城。
歩くのもさほどきつくないです。

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うさ

備中高松城 (2025/06/07 訪問)

遺構はほとんどないですが、水攻めされた立地を想像できる城。

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うさ

岡山城 (2025/06/07 訪問)

天守が独特な不等辺五角形を見ることができます。とにかく黒くてかっこいい!

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うさ

墨俣城 (2025/05/03 訪問)

観光地になっているため気軽に行けます。
展示もわかりやすかったです。

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うさ

宇利城 (2025/05/05 訪問)

手軽に登れます。途中行けないかなぁと思う道もあります。

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イオ

御土居めぐり(紫竹~府立医大附属図書館) (2025/03/08 訪問)

(続き)

交通公園から紫竹御土居に向かう道中は微妙に入り組んでいますが、自転車を走らせていると御土居のラインに沿った町割りであることを感じます。

紫竹御土居(京都市北区紫竹上堀川町、紫竹上長目町・国史跡)
御土居の北東角にあたり、若狭川を堀代わりとする北辺の土塁と、賀茂川を堀代わりとする北東辺の土塁が遺っています。北辺の土塁は堀川通で分断されながらも、堀川通の西側まで続いています。生垣や柵に囲まれていて中には入れませんが、堀川通の西側にも遺されているのはありがたいことです。

石井神社(京都市北区小山元町)
御土居跡に建つ神社ということで、明瞭な遺構があるわけではないとしても、境内や社殿が一段高いところにあるとか境内の築山が御土居の名残だとか、何かしら痕跡があるのかと思いきや、しっかり削平されていて何の痕跡も見られませんでした。純粋に「跡地」なんですね…。

天寧寺(京都市北区寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町)
御土居沿いに設けられた寺町北部の寺院で、山門越しに仰ぐ比叡山は「額縁門」として知られます。宗和流茶道の祖・金森宗和の墓所があるとのことで金龍紀行の一環として訪れましたが(宗和は金森可重の子)、宗和の墓所は見付けられず、代わりに明智光秀公報恩塔を発見。天正年間に会津から京に移転した際に光秀の尽力があったようです。金龍のつもりが麒麟がくる紀行になってしまいました(笑)

阿弥陀寺(京都市上京区鶴山町)
本満寺(京都市上京区鶴山町)
阿弥陀寺には織田信長の本廟、本満寺には山中鹿之助の墓所がある上に、墓地後背が御土居のラインとのことですが、すでに16時を過ぎ、蘆山寺の閉門時間が迫っているためやむなくスルーして次へ。

蘆山寺御土居(京都市上京区北之辺町・国史跡)
蘆山寺境内の墓地の奥に国史跡指定の御土居が遺っている…はずですが、あれ? 閉門は16時半じゃなかったっけ??(16時です) この日はいろいろと寺社をめぐっていますので、ほかの拝観時間と勘違いしていたようです…。境内の奥ということは、蘆山寺には入れなくても外から御土居だけでも見られるかも、と東側に回り込んでみましたが、たぶんこれがそうなんだろうけど…という藪が金網フェンス越しに見られただけでした。

府立医大附属図書館の復元御土居(京都市上京区梶井町)
河原町通沿いの府立医大附属図書館前に土塁が復元されています。蘆山寺御土居から南に続く御土居のライン上です。蘆山寺御土居の東側に回り込もうと河原町通に入ったところで綺麗に植栽された土塁(らしきもの)が視界に入ったので、もしやこれが蘆山寺御土居!?  とちょっと驚きました。

…ということで、せめて国史跡の9か所は全部めぐりたいと思っていましたが、ひとつだけ残してしまいました。でも、金森宗和の墓所を見付けられなかった天寧寺に、スルーした阿弥陀寺や本満寺、せっかく行くなら蘆山寺の源氏庭もゆっくり見たいし、御土居の痕跡がある渉成園にも行きたい…と考えると、かえってひとつ残っているほうが良いのかもしれませんね。今度は6年も間を開けずに再訪したいものです。
 

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昌官忠

(東海&関西)遠征15日目:中野城 (2025/05/29 訪問)

東松江駅から徒歩で20分くらいで、標柱説明板前(34.256104、135.140153)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に雑賀衆の支城として、雑賀党によって築かれたと云われておいます。
1577年(天正5年)の織田信長による雑賀攻め(第一次紀州征伐)では織田勢を迎え撃つための前線基地となりましたが落城し、織田信忠がここに本陣を構えました。
中野城は弥勒寺山城に本陣を構える雑賀党に対する織田方の陣として利用されたようです。

小学校とその南にあるスーパーオークワの間にある民家の前に標柱と説明板が設置されています。
この民家の土台となっている石垣が城の遺構と伝えられ、その前にある土の部分(黒いシートがひいてありました)がかつて、堀であったようです。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に行く為、東松江駅から電車で和歌山駅に向かい、コインロッカーから荷物を取り出した後、電車で御坊駅に向かいました。
ちなみに和歌山駅での電車の待ち時間に和歌山ラーメン(中華そば)をいただきました。
歩行歩数=26253歩、歩行距離=18.4Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征15日目:淡輪城 (2025/05/29 訪問)

淡輪駅から徒歩5分で、説明板前(34.331936、135.175314)に着きました。
その後、西林寺鳥居前(34.332126、135.175718)に向かいました。

元久年間(1204年~1206年)頃、この地の地頭となった佐藤忠信の子小治郎重治が居住し、淡輪氏を名乗り淡輪城を築いたようです。
1333年(元弘3年)淡輪正円は足利尊氏に従い、室町期は和泉半国守護の細川氏に従ったようです。
戦国期に入り、天正初期には織田信長に従い、水軍を率いて1576年(天正4年)木津川の戦いで毛利氏の水軍と交戦しました。その後の雑賀攻めにも参加しました。
1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が横死した後は豊臣秀吉に従い、淡輪良重(徹斎)の娘「おこよ」は豊臣秀次の妾となって小督(ここ)の局と呼ばれました。
しかし、1595年(文禄4年)秀次事件で秀次が切腹に連座して、小督(ここ)の局は三条河原で斬首され、淡輪氏は改易となりました。
また、徹斎の次男六郎兵衛重政は1615年(慶長20年)4月29日、大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」で塙(ばん)団右衛門と共に討死したそうです。

説明板がありません。付近を5分くらい捜しましたが見つかりません。
先人のみなさんの投稿写真を確認しましたが、2年前のぴーかるさんの投稿で写っていた建物がありません。
1年前のしんちゃんさんの投稿では建物は無くなっていました。回りの風景は同じなのですが・・・。
説明板は確認できませんでしたが、土塁らしきものは確認しました。
淡輪城は西林寺の南側一帯に築かれていたようですが、西林寺には何もありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=中野城を目指す為、淡輪駅から電車で東松江駅に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征15日目:長藪城 (2025/05/29 訪問)

城山台センターバス停から徒歩15分くらいで、給水塔付近(34.353094、135.614845)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、文明年間(1469年〜1487年)に牲川(贄川)筑後守義春によって築かれたと云われています。
牲川義春によって城が築かれると、義則、義次とつづいて畿内に勢力を伸ばした織田信長に臣従しています。
しかし牲川義清の代の1585年(天正13年)に豊臣秀吉の紀州征伐で攻められ落城しました。

ピンクのテープを頼りに行動しましたが少し迷いそうになりました。
堀切、竪堀などの遺構を確認することができました。
雨がポツリと降りだし、電車の時間の都合上、西城の攻城は断念しました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=淡輪城を目指す為、林間田園都市駅まで35分くらい歩き、林間田園都市駅から電車を乗り継ぎ、淡輪駅に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征15日目:九度山真田ミュージアム(和歌山県九度山町) (2025/05/29 訪問)

高野口駅から徒歩30分くらいで、九度山真田ミュージアム(34.291650、135.559601)に着きました。
その後、善名称院(真田庵)(34.290495、135.559621)➡真田古墳(34.290767、135.561366)の順番で巡りました。

真田昌幸&黒田官兵衛推しの自分としては、真田昌幸が亡くなった九度山を訪問するのが今回遠征の目的の一つでした。
ちなみに、もう一つの目的は、黒田官兵衛(孝高・如水)生誕の地の黒田城訪問です。(5/26(月)に訪問済)
九度山真田ミュージアムでは、「九度山・真田三代の物語」を見学しました。
善名称院(真田庵)では、本堂/大安上人御廟/真田宝物資料館等の見学、真田昌幸公の墓にお参りをしました。ちなみに、入口に六文銭のお賽銭箱がありました。
真田の抜け穴(真田古墳)、「この穴の向こうは大坂城に続き、真田幸村は監視の目をかすめて抜け穴を使って戦場へ出向いた」という荒唐無稽な抜け穴伝説があったことから、真田古墳と命名されたそうです。
観光時間は60分くらいでした。次の攻城先=長藪城を目指す為、九度山駅から電車➡バスを乗り継ぎ、城山台センターバス停に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征15日目:根来寺 (2025/05/29 訪問)

宿泊先のホテルから和歌山駅に向かい、和歌山駅から電車とバスを乗り継ぎ、岩出図書館バス停に着きました。
そこから、大門➡鐘楼門/聖天池/根来寺/聖天堂/庭園➡根来城跡➡大師堂➡大塔➡大伝法堂の順番で巡りました。

根路寺は1130年(平安時代後期)に開かれたお寺で、最盛期を迎える戦国時代の頃には数百の堂宇が立ち並び、その周りには村落ができ、ひとつの経済都市呼べるほどの規模があった大寺院です。
根来城は室町時代に根来衆たちによって築かれた城です。根来寺の外郭を守備するための砦的な意味合いを持っていたと考えられるようです。
強大な勢力となった根来寺は1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻めによって全山焼失してしまいましたが、江戸時代に入り、紀州徳川家の外護を受けて復興され、現在に至っています。

参拝受付は9:00からですが、散歩されている方もいて、外観だけは見ることが出来ました。
国宝、重要文化財が多くある霊験あらたかな寺院です。
見学が早く終わったせいかバスを1時間待ちとなりました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=九度山真田ミュージアム(和歌山県九度山町)を目指す為、根来寺バス停からバス➡電車を乗り継いで、高野口駅に向かいました。

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天守無しがアツい

福井城 天守跡 (2025/06/23 訪問)

福井城本丸の県庁の道を通り…階段を上って天守跡に入る

ここにはかつて…四層五階の天守が存在していたらしい…が、火災で焼失🔥 石の板が残るのみ

戦後間もない昭和23年に福井を襲った大震災は…ここの石垣をも破壊…福井市は(震災の恐ろしさを後世に語り継ぐためか)敢えてその崩れた石垣をそのままにして今日に至る

福の井という井戸が天守跡の側にある…一見これが「福井」の語源か?と思わせられるが…そうでは無いらしい。ちなみにこの井戸は近年復元したもので…水を汲む事ができるそう(蓋が閉じられてるので事実上は不可、あくまで見学用)

天守跡を階段で降りて…外に出ようとすると…山里口御門という門を通る…そこの2階は展示室となっており…城の歴史を学べる。映像展示も薄型テレビを通じてある

御廊下橋…これも近年復元した城の施設…屋根付きの木材がフレッシュ感あり美しい

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ぴーかる

石川城 (2025/04/28 訪問)

【石川城】
<駐車場他>大仏公園駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>3泊4日東北さくらまつり旅3日目ラスト9城目。石川城は別名大仏ヶ鼻城・大渕ヶ鼻城と呼ばれ、周辺の石川十三館の本拠地であったようです。1334年に曽我道性によって築かれました。曽我氏はその後南部氏に制圧され、1571年に津軽為信によって攻められて落城したそうです。弘前城築城とともに廃城となったようです。
 城びと情報では山城区分となっていますが、独立丘陵の丘城といった感じです。現地は公園化されていて、下段の広い曲輪跡はグランドとなっていますので改変されたかどうかはよく分かりませんでした。大きさが変わっていないのであれば、当時はかなり大きな城館が建ち並んでいたかと思われます。上段の曲輪は土塁囲みになっていて、当時の形状のままかと思いました。山の塁線を土塁として尾根上曲輪としています。ピークの反対側の斜面は松林になっていて、斜面にある曲輪や堀が明瞭に残ります。公園には桜が多く植えられていて満開見頃でした。
 これにてこの旅終了。石川城訪城前に下記道の駅に寄り、訪城後に天然温泉花の湯に入り、20時頃出立、帰路のルートは日本海東北自動車道・北陸道を仮眠をとりつつ帰りました。4日目は昼頃大阪に無事帰り着きました。自家用車で東北青森まで行って1周する感じで旅行するのが1つの望みでもありましたので無事完遂できて良かった。いい旅でした。人生最長となる2430㎞走破。

<満足度>◆◆◇

<グルメ>「道の駅ひろさきサンフェスタいしかわ」にて特Aのお米「はれわたり」を買いました。粒はやや小さいですが、もっちりとした食感で少し甘みのある美味しいご飯です。

<温泉>天然温泉花の湯は日帰り温泉で銭湯料金でアメニティ用品・タオルは付いていません。あっさりした透明度のある温泉でした。

<備忘録>初の東北・青森県でしたので、見たひと・町を備忘録として書き記しておきます。
①青森県の山といえば八甲田山とよく聞くので、八甲田山が見えるのかと思いましたが、浪岡や弘前市からは岩木山が美しく見えました。弘前周辺の人々は岩木山と共に暮らしてると思いました。曇り空でしたけれど晴天であればより美しい風景だったことでしょう。
②青森県のアスファルト道は雪でやられてとにかく凸凹で走りにくかった。中央線・車線も消えてしまって、片側3車線の広い道路の真ん中の走行車線も両サイドの車にぶつかりそうで、超走りにくかった。
③でっかい除雪車の中古車が数十台も並べて普通に売られているのにビックリしました。
④とにかく、りんご畑が広がっている。古木と若木の違いが明瞭。りんごの冷蔵所が多く建てられている。
⑤現地の特に女性の方の方言が皆、タレントの王林さんみたいで、生の方言がめっちゃ可愛かった。

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赤い城

お城EXPOin松江 (2025/06/28 訪問)

松江城国宝10周年事業で開催されました。
帰省もしたかったので少しだけ参加して来ました。
EXPO前には米子城と3日間だけ本丸と二の丸が公開される尾高城をリアしました。
こちらのレポートは後日。

11時頃会場に着きました。
開城前は行列ができていたそうです。
入城後、まずはニッポン城めぐりのガラポンへ。
幸運にも姫をゲット、幸先良いスタートです。
城友さんたちとも交流出来ました。

やはり中国地方の城のブースが多かったです。
私の地元の三沢城も尼子十旗のブースで出展していいて、三沢神社の宮司さんの説明も聞くことが出来ました。
地元の方ともお近づきになれ将来の相談事項も解決できそうです✨
各ブースでは資料をたくさん頂きましたが岡山城ブースで頂いた大きな紙袋が大変役に立ちました(感謝)。

また、会場では千田先生をお見かけしました。
ちょっと感激、玉鋼を叩いていらっしゃる姿がお茶目でした。
城ともさんは高橋英樹さんの講演に参加。
これ、聴きたかったです。

もちろん城びとブースにも立ち寄りました。
城びとオールスターズの皆さんにはお会いできないな、と思いながらHNでご挨拶しましたところ耳寄り情報が。
(投稿許可も頂いたので・・・)
この夏、赤色立体地図お城かるたのクラファン出陣決定だそうです。
地形の面白い50城の読み札を募集されるとのこと。
城びとの皆さん、腕が鳴りますね!





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