晩秋の鶴岡市への旅、午前中は羽黒三山神社と五重の塔、手向町でかつての門前町の通りを観て、芭蕉のおくのほそ道の出羽三山滞在中にならい蕎麦切りの昼食をとりました。その後湯田川温泉へ向かう途中に、どこか城館跡訪問をと思い丸岡城跡を目指しました。熊の出没が相次いでいることから、集落に近い平城をと考えたからです。
丸岡城は旧櫛引町にあります。城は、村上、置賜へ向かう六十里超街道など交通の要衝に立地し、かつては赤川が縦横に流れ、沼地を形成した要害の地であったといいます。戦国時代に築かれ、この地を治めた押切氏、武藤氏、本庄氏、最上氏が重要拠点として利用しますが、江戸期に入り廃城となります。その後庄内には酒井氏が入部するのですが、寛永九年(1632)に肥後52万石を改易となった加藤忠広が預けられ、この地に居館を置きました。
現在は史跡公園として整備されており、かつては四方を囲んでいたと思われる堀が北側と西側に、土塁跡が北側に、大手門跡や堀跡などを観ることができます。また北側に接する天澤寺には加藤清正の遺骨を納めたという五輪塔もありますが、訪問時には冬に備えた雪囲いが施され、詳しく観ることができませんでした。
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