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ぴーかる

織豊期石垣の最高峰 (2025/03/21 訪問)

【百名城77城目】
<駐車場他>名護屋城駐車場無料あり。
<交通手段>車

<見所>織豊期の高石垣群
<感想>2泊3日西九州旅2日目2城目。大手口跡から東出丸跡⇒三の丸⇒馬場跡⇒二の丸跡⇒遊撃丸跡⇒水手曲輪跡⇒本丸跡・天守台⇒本丸大手門跡⇒弾正丸跡⇒ため池の脇を通り戻って、博物館にてスタンプ押印と御城印購入、木下延俊陣跡の順で巡りました。城跡あるあるで、櫓台や危険箇所等は立入り禁止になっている場所がある城跡が多い中で名護屋城は立入り禁止ゾーンがほぼ無く、また柵が無いのがすごい。大手門櫓台や三の丸櫓台、遊撃丸の石垣の上に登り、曲輪の縁から下の石垣を見たりして堪能しました。北側にある山里丸周辺を痛恨の見落としてしまい、時間の関係で大名の陣城跡が行けなかった(陣城跡を巡ると1日では足りない)のが残念だったが、随一の織豊期石垣の壮大さに圧倒されました。

<満足度>★★★★★
<グルメ>海中魚処 萬坊にて、いか三昧コースを食べました。後日別途投稿します。予約を11時に予約していたので、名護屋城に8時に行ったのですが、城跡の巨大さに駆け足ぎみの散策となってしまいました。

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しんちゃん

大三ヶ岳城 敵の毛利方の陣城を含めて広大な領域が城域となっている。 (2025/05/04 訪問)

大三ヶ岳城はかつて地域一帯に勢力を誇った長野氏の城です。保元2年(1157)左大臣・平時盛の六男・平康盛が豊前国司として下向し、長野氏を称したのが始まりとされています。長野種盛の時代には大三ヶ岳城、小三岳城、下長野城、丸ヶ口福相寺城、稗畑城、上長野城らの緒城を一門で固め勢力を伸ばしますが応永6年(1399)中国の大内盛見の軍門に下ります。
大三ヶ岳城の周囲には永禄11年(1568)に長野氏を攻めた毛利氏の陣城である吉川城と三角城があり、いずれも多くの砦を有していて、その規模は周辺の山々一帯に及びます。吉川城・三角城には毛利方の吉川氏・小早川氏・益田氏が陣取り壮大な包囲戦を仕掛けていたようです。特筆すべきは大三ヶ岳城の郭を構成する西側の丘の目の前の丘に三角城の砦が築かれていることです。敵の城塞を包囲するために周囲に陣城を構築することは良くあるのですが、ここまで間近に肉薄しているのは見たことがないです。
今回は三角城本城と三角城E・D・Bも合わせて訪問していますが、これらの記号は城郭放浪記さんの呼称を参照にさせていただいています。三角城Eの南方にも支城が伸びていて南端の支城の東に長野方の小三岳城があります。
今回は吉川城と三角城の砦のいくつか、小三岳城は時間・体力の都合で未訪になりますが、実際の訪問時間だけでも3時間半のボリュームがあります。おそらく全て訪問しようとしたら8時間近くはかかるのではないかと思います。近場で有れば再度訪問して残りの部分も見てみたいとは思うのですが。
長丁場になりそうなので、周辺で長時間駐車出来そうな場所を探し、登城道に向かうと、入り口はゲートで閉じられていて施錠がされています。「不発弾」は回避したいので、南の民家を訪問して話を聞くと、脇から入っていいよと即答を頂きました。城址に理解のある方で長野城も訪問するといいよとアドバイスを受けました。
ゲートの脇が空いているので、そこから入って林道をしばらく登って行くと城域の入り口に突き当たります。右手(北)が吉川城に向かう尾根ですが、ここは南に向かって大三ヶ岳城を目指します。まっすぐ進んでいくと、右手(西)に敵方の陣城である三角城Eが迫って来ます。左手(東)はすでに大三ヶ岳城の城域になるので、そこへ取りつき主郭を目指します。堀切を二つ越えると主郭になりますが、この堀切の一つはなかなかの大きさです。大三ヶ岳城の構造そのものはシンプルで主郭の北西と西側に郭を配した構造になっているようです。

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しんちゃん

宇佐神宮とゆかりの深い城址だが (2025/05/04 訪問)

引地山城は宇佐神宮とゆかりの深い城とされています。古くから宇佐神宮の神領であり、平安時代に宇佐大宮司到津中務がここに城を築いたとされています。鎌倉時代に宇佐神宮の代官として清末氏が派遣され城主を務めました。永禄4年(1561)大友宗麟との合戦で宇佐神宮が戦火に焼かれると宇佐大宮司らは引地山城に籠ったとされています。
九州上陸後、最初に訪れたのですが、いきなり「私有地につき立入禁止」の看板が立っています。仕方がないので列津八幡神社に詣で、チャリティーを募集していたので、少し奮発して寄付をしました。
城址は丘陵部の鼻先に築かれ、二段の郭の背後に堀切を切ったシンプルなものだそうです。チェブさんの投稿にもありましたが、ここにゴミなどを捨てていく不埒者もいるようですね。こうやって、はっきり意志表示してもらえるとこちらも解りやすくて助かります。
昔は土地所有者さんの厚意で城址を開放してくれている所が多く、城址訪問者との間にも信頼関係があったと思うのですが、最近はインターネットの普及で情報が拡散しやすいのもあって神経を尖らせている方もいるようです。

朝田さん、太平城の不発弾改修、お疲れさまでした。よく見つけましたね、あの文章から。
私個人も双六館に興味が湧いてきました。「御前おとし」の崖も見てみたいですね。城主の奥方と敵将の奥方の二人が異なる時期に身を投げた数奇な場所とされています。いずれゆっくり訪問したいですね。

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道はありません (2025/05/11 訪問)

 朝田さん、神奈川県コンプリートをおめでとうございます。浦賀城、良いですね。
 HYOGOナビで、本庄丸山城は、三田(さんだ)市最大級の山城と微妙な紹介がされています。城びと先達のタイさんが2018年3月に登城されて、2番目の投稿です。タイさんが「登城道はありません」と書かれたとおり、道はありません。写真6の家の前の道を北に進むと溜池の脇に、広い林道が現れますが、獣害柵扉を開けて進んでも山上には向かいません。写真の家の裏にも獣害柵扉がある(写真7)ので、ここからまっすぐ尾根に取り付いて登るのがわかりやすいです。道はないですが、藪にはなってないので、それほど難渋はしません。獣害柵すぐの山麓にも平削地や土塁状の高まりがあり、居館群跡かもしれません。
 主郭~Ⅲ郭が堀切と切岸を介して並んでいます。それぞの郭が二段~三段に平削されているのが特徴的です。尾根の両脇は急斜面で、郭はあまり大きくないですが、連郭式の長い城域になっています。Ⅲ郭の下は尾根が二つに分かれており、どちらにも郭が配置されていますが、北側の郭は、ほぼ自然地形かと。

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にのまる

町なか歩きでいろいろ発見 (2025/03/01 訪問)

諫早から佐賀まで〔かもめ🚄〜リレーかもめ🚈〕に初乗車。お城めぐりのうれしい副産物でした\( ˆoˆ )/

15:30過ぎに佐賀駅に到着。
歴史館の閉館時間(18:00)まで余裕があるので水堀を一周してみようとバスではなく歩きにしました。
結構な距離があり、朝からいろいろ歩きまわった疲れもあってヘロヘロになってしまいましたが、随所にかつての面影が残されておりキョロキョロしっぱなしでした。

佐賀城は2度目の訪問になります。
本丸歴史館入口の案内の方が丁寧かつフレンドリーでとても和やかな雰囲気です。
入館料は無料で募金形式ですが、この素晴らしい御殿の維持のためであれば協力しない理由などありません。

館内をゆっくり見学し、最後に天守台にのぼったところで雨が降ってきました。ギリギリまでお天気がもってくれてありがたかったです。宿泊は(いつもの)東横インだったので佐賀駅までバスで戻りました。

朝田さん、神奈川県コンプリートおめでとうございます🎊
“計画的かつ柔軟に”という城めぐりスタイルに、我が身を振り返りハッとさせられることがよくあります。
『おめでとうクイズ』只今鋭意作成中でございますので暫しお待ちください!

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イオ

椿尾下城(2/2) (2025/01/05 訪問)

(続き)

北西尾根には幾段かの段曲輪の先に浅い堀切があり、西側に竪堀を落としていました。

南西尾根には尾根に沿って細長い曲輪が続き、その両裾に帯曲輪が配されています。虎口状の切れ込みも見られましたが、城郭遺構かどうかは不明です。南西端には土塁が設けられ、両端では竪堀状に落ちていますが…後世の山道かもしれません。土塁南端から南に下りたところに南西尾根を断ち切る堀切があり、東側に竪堀となって落ちていました。

手持ちの縄張図によれば、南西尾根の突端には両端がU字状に竪堀となって落ちる巨大な堀切があるようで、これは見逃せないと思っていましたが、ここから先は主郭にも勝る超絶激ヤブ状態で、背丈を超える高さの笹藪が広がっています。それでもシダの藪と違って足元は見えるんだから、とゴーグルを装着して笹藪に突入するも進んでも進んでも笹藪が続き、方向感覚を失いそうになりつつ何とか突破! 苦労してたどり着いた南西端の堀切と竪堀は写真で見る以上の見応えを感じました。

さて、これで椿尾下城をひとめぐり、と考えたところで南東尾根の堀切を見付けられなかったことを思い出しました。ここから南側の竪堀を下りて行けばしんちゃんさんご案内の登城口に至るはずですし、正直、あの激ヤブをもう一度突破するのは気が進みませんが、画竜点睛を欠いたのでは悔いが残ってしまう、と考えて来た道(激ヤブ)を引き返し、主郭の東側から回り込んで南東尾根の堀切を目指しましたが……やっぱり見付けられませんでした。浅い堀切のようですし、堀切周辺も主郭に劣らぬ笹藪に覆われているので見えなくなっているのかもしれません。まさに骨折り損のくたびれ儲け、こんなことならあのまま竪堀を下りていれば良かったよ……やれやれ。

…ということで、噂に違わぬ激ヤブ城でしたが、主郭内と南東尾根の堀切、南西端の堀切を見ようとしなければそこまで恐れることはありません(ただし夏場は無理)。堀切や竪堀は大いに見応えがありますので、興味のある方は山城装備を整えてぜひ挑戦してみて下さい。…私? 私は一度挑戦したのでもう結構です(笑)
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑱ (2025/04/27 訪問)

千石城からの転戦です。4月27日締めの攻城です。駆け込み気味にラストスパートをかけ、16時過ぎは駆け足で城めぐりを重ねてしまいました。この城は泊を予約してあるホテルに近いので、薄暗くはなっていましたが、城門が移築されている瑞川寺にまで足を伸ばすことができました。

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赤い城

戦は七里の磯づたい

朝田さん、大正解🎉
稲村ヶ崎です。
由比ヶ浜までは行きませんが東側から撮影したものです。
童謡「鎌倉」には「稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場♪」の歌詞があり、新田義貞の伝説を唄っています。

私もサザンのファンでして関東在住時には鎌倉や茅ヶ崎など歌詞に出てくる場所も結構めぐりました。
鎌倉が出てくる曲も多いですが歴史に関係するのは「愛の言霊」の閻魔堂(円応寺)や釈迦堂(釈迦堂切通)。
「通りゃんせ」の北条はん、静御前、やぐら(櫓ではない)、六地蔵など。
「鎌倉物語」に出てくる日影茶屋の向かいには鐙摺城があります。

写真は七里ヶ浜にある有名店、珊瑚礁のカレーです。
また食べたい。

それでは次の方、よろしくお願いします。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑯】長崎観光(2/4)平和公園と原爆資料館 (2025/04/04 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、長崎観光編(2/4)です。

翌朝、長崎駅前から市電に乗って浦上にある平和公園へ行きました(写真①)。まず平和祈念像を見学しました。天を指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味しているそうです(写真②③)。このあと歩いて爆心地(写真④)を通り、その先にある原爆資料館を見学しました(写真⑤:館内は撮影禁止)。とても大変多くの方々が見学されていました。特に白人系の外国人の方や修学旅行生が多かったです。これらを見学していると、本当に戦争の悲惨さが身を切るように伝わってきます。ノーベル平和賞を受賞した核廃絶運動が、これらを通じて少しでも広がって行く事を祈りたいです。

そして市電で戻り、今度は出島を一通り見学しました。当時は出島橋1本のみでつながった人口島で(写真⑥)、外国との貿易が唯一許された場所だったようですが、今ではビルに囲まれているのでなかなか想像できない感じです。でも橋を渡ると当時の様子が一部ですが再現されていました(写真⑦⑧)。

夜は中華街へ(写真⑨)。ここも大変多くの人で賑わっていていました。待たずに座れそうな店を何とか見つけ、そこで長崎皿うどんをいただきました。ちゃんぽんだけでなく、皿うどんも長崎は本場です。とても美味しかったです(写真⑩)。

今夜も長崎に連泊し、もう少し長崎を観光してから、五島へ渡ろうと思います。(3/4)に続きます。
 

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Tokyobay

市役所付近の総構え遺構、久野口「虎口」は必見 (2025/03/10 訪問)

市役所付近には久野口の遺構として総構え出入り用の「虎口」が遺っているので必見。周辺は総構えを見上げる格好になるので、高低差が体感的によくわかる。他方で、丹羽病院付近の堀跡の高低差もしっかり残っているので確認したい。総構えツアーのスタート地点である城下張出を下から見上げられたのもよかった。

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朝田 辰兵衛

双六館を見送って… (2025/05/11 訪問)

まずは,ぴーかるさん,祝辞ありがとうございます。

さて,5/10(土)~11(日)で双六館散策を計画しましたが,断念しました。5/10(土)はほぼ一日中雨。5/11(日)は沿岸部に強風波浪注意報が発令。
なお,大仙市板屋地内で,民家の小屋にクマ出没がニュースになっていました。箱ワナを仕掛けたとのことですが,まだ捕獲されておりません。具体的には,北大曲エリアになります。払田柵の北側です。

雨そのものは小雨だったので,行けそうなところを探していたら,不発弾的な投稿を発見しましたので,アップデートを図ります。
それは,太平城です。主郭までたどり着いてないな…と。
実際に訪れてみたら,太平郵便局のある南側ルートからはフェンスが設置されており,進入を閉ざされておりました。北側に廻ると入れますが,明らかに私有地です。とくに進入禁止とのメッセージ的なものもなく,チェーン等もナシ。土地所有者に遭遇したら挨拶しようと思いましたが,誰とも遭遇しませんでした。
見どころは北側の堀切だと思います。

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小城小次郎

鼠多門と総構え (2024/09/23 訪問)

ゲリラ豪雨に襲われたはずなのにいつの間にか快晴になっていて鼠多門のご機嫌な写真が撮れた(カレンダーになった)。城から離れた総構土塁を復元する金沢の心意気に感服。総構えの塁壁が街に溶け込んでるのもよき。

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しんちゃん

【林道通行注意】コンパクトな主郭と三条の堀切 (2025/05/09 訪問)

久多良木城は第26代宣化天皇の時代・536年に芦北に国造が置かれ、その警護のために築かれた朝鮮式山城という説があるようです。南北朝の時代には久多良木氏の城となり、戦国期には相良家臣の深水宗方が在城していたとされますが、地元には「寺山さん」の城としての伝承が残っているようです。城址の位置・登城方法は古城盛衰記さんの記事を参考にさせていただいています。
地形図の道と実際の林道は入り口付近で少し位置が異なっています。ここは舗装林道に従って山中にはいっていけば、ほどなく地形図と一致します。ただし、この林道は車での通行は不可です。やがて、崩壊・倒木・土砂崩れが頻発して歩行でさえ通行が困難になります。私はこういった道は慣れているので傘をさしながら通行していますが、時々傘を起たんで乗り越えて行きます。
急カーブを二回過ぎると、城址の箇所にたどり着きます。北側、南側のいずれからもアクセスが可能ですが、私は北側から攻めました。雨で足元が少し滑るので注意して登ります。頂部にたどり着くと郭が広がっており、そこが主郭とされています。主郭は三段の構造になっており、数10センチの高低差を有しています。尾根沿いに南に下って行くと三条の堀切があり、尾根を絶っています。ここの二つ目の堀切から林道に戻ることが出来ます。
主郭はそれなりの広さが有りますが、比較的コンパクトな城址で「朝鮮式山城」としての雰囲気はありません。しかし、各サイトの位置情報や城郭大系に記載されている図から、ここが久多良木城で合っていると思います。
晴れの日であれば城址散策はそれほど苦労は無いと思います。ただ林道の通行には注意が必要です。写真は載せきれてはいませんが、林道の崩れを帰りに裏側から見ると、けっこうヤバい状況になっています。
ちなみに駐車場は良い場所が見当たらなかったので公民館に留めさせていただきました。曜日や天候・時間帯等から、しばらくの間、誰も使わないだろうという判断しました。

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ぴーかる

朝田辰兵衛さん神奈川県コンプリートおめでとうございます

朝田辰兵衛さん神奈川県コンプリートおめでとうございます🎉
前回の東京都に続いて、関東制覇を着々とこなしていらっしゃいますね。

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しんちゃん

海に突き出た断崖の丘陵上に築かれている (2025/05/09 訪問)

堂崎城は南北朝時代から室町時代にかけ、この地に勢力を広げた天草氏の一族・長島氏によって築かれたとされています。天文23年(1554)長島但馬守鎮真の時代に相良氏に追われ、薩州島津氏を頼って出水に逃れ、その後堂崎城には天草越前守が入りました。
永禄8年(1565)堂崎城は野田の島津常陸真美忠兼の攻撃を受け、天草の志岐・栖本氏も島津に加勢したため堅城の堂崎城もついに落城し、天草越前守も切腹して果てました。堂崎城を落とした忠兼も、3ヶ月後の7月8日に出水の島津義徒らによって謀殺され、翌年野田・長島で悪疫が大流行したため、人々は忠兼の祟りとして怖れ、汐見と堂崎城址に若宮神社を建立し、命日に踊り(お八日踊り)を奉納するようになったそうです。
かつての堂崎城は4の区画に分けられ、麓の城川内川の外側が「本馬場」内側・城内側が「内馬場」海に突き出た丘陵上の東側が「御城内」西の丘陵先端側が「本丸」で若宮神社が祭られていて南に土塁が残っています。本丸西側、丘陵先端にも区画があり、その先は海に通じていますが覗き込んでいません。

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駿府城

発掘調査現場でダンス!?ストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡2025」開催!

5月3日(土)から5日(月・祝)にかけて、駿府城公園でストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡2025」が開催されました。今年で10周年を迎えた本フェスは、普通の演劇祭とは異なり、静岡の街そのものが劇場となる、他に類を見ない体験型フェスティバルです。
そして中でも注目なのは、駿府城天守台発掘調査現場を舞台に上演された「グルーヴィ・グレイヴ」です。駿府城跡天守台発掘調査現場を舞台にしたダンス作品は、今回が初の試みとなりました。
「グルーヴィ・グレイヴ」は、神戸を拠点に国内外で活躍するダンサー・中間アヤカ氏、舞踏家・今貂子氏、俳優・山田航大氏、そしてアンサンブルダンサーたちが共に創り上げた新作ダンス作品です。
3日間にわたり多くの方にご来場いただき、観客からは「まるで時空を旅するようだった」「日常と非日常が交差する、不思議な感覚を味わえた」などの声もあり、大盛況のうちに幕を閉じました。
イベントは終了しましたが、駿府城跡天守台発掘調査は今なお、歴史の息吹を感じることができる特別な場所です。ぜひ当時のままに迫る壮大な天守台をその目でご覧いただき、静岡の歴史にふれてみてください。

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朝田 辰兵衛

赤い城さんクイズ…

赤い城さん,todo94さん,しんちゃんさん,祝辞ありがとうございました。
赤い城さんクイズですが…
「矢羽放った戦の舞台と言われています♪」とあり,
文末の音符マークが最大のヒントだと思いました。
サザンの「古の風吹く杜」の歌詞。
撮っている場所は,由比ヶ浜。対象物は,稲村ヶ崎でいかがでしょうか…?
もうちょっと上の方と,ピークから下ったあたりまで見えれば確証に至ることができましたが…。
このへんの画像を撮っていないので,残念です…。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑮】長崎観光(1/4)稲佐山 (2025/04/03 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、長崎観光編(1/4)です。長崎市内観光を4回に分けてお伝えさせていただきます。お城に関係ない話が続きますがすいません。

富岡港から高速船に乗り45分、長崎に渡り茂木港に到着です。茂木港には船と接続するバスが待っていて、そのバスが長崎駅経由の[5]稲佐山公園行だったので、このまま長崎駅をスルーしてまず稲佐山に登り、長崎市街を一望する事にました。

ここはロープーウェイもあるようですが、私は終点の稲佐山公園で降り(写真⑩)、そこから山頂までスロープカーに乗るルートで行きました(写真①)。降りたバス停の前には猿や鹿の小動物園がありました(無料)。ちょうど生まれて間もない猿の赤ちゃんもいて、お母さんにべったり😊とてもほほえましかったです(写真②③)。スロープカーなるものには初めて乗りましたが、これはとても面白い乗り物です! 雄大な景色を眺めながら1本のレールで急斜面を登るのでスリル満点でした(笑)(写真④)。

そして頂上からの眺めは最高でした! 東の眼下には長崎駅と長崎スタジアム、北東には平和公園、南東には長崎港とグラバー園、その先にはかすかに先ほどまでいた天草(富岡)が見えました。また西の海の先には五島があります。とても爽快な気分になれる場所でした(写真⑤⑥⑦⑧⑨)。

夜は100万ドルの夜景がここから見えるそうですが、富岡城ですでに歩き疲れていたので夜まで待てず、30分間この景色を座って眺めた後、今夜予約したホテルのある長崎駅前にまたバスで戻りました。

長崎駅に着くと、以前は西の果ての終着駅という暗くて寂しいイメージの駅でしたが、今は西九州新幹線開業にともない、とても広く美しく生まれ変わっていたのには驚きました。高層ホテルやショッピングモールも直結し、貨物跡地にはジャパネットが運営する長崎スタジアムシティ(J2ヴァンフォーレ長崎のホ-ムスタジアムとショッピングモール)に生まれ変わり、とても賑わっていました。

長崎観光(2/4)へ続きます。
 

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イオ

椿尾下城(1/2) (2025/01/05 訪問)

椿尾下城(奈良市北椿尾町・城びと未登録)は、室町期に大乗院衆徒の椿尾氏が築いたとされ、当初は古市氏に従っていましたが、後に筒井氏に従うようになり、松永氏との抗争の中で改修されて椿尾上城の支城として機能したようです。

激ヤブ城として(悪)名高い椿尾下城ですが、遺構自体は見応えがあるようなので上城の前に挑戦してみました。南西側から登って行くルートがしんちゃんさんから案内されていますが、この日は北東側からのルートを選択。登城口(34.63443074145962, 135.87241355004616)近くの広くなった道路脇に路駐して、擁壁の切れ目から登って行き、立木付近の笹藪のわずかな隙間にあたりをつけて突入! 笹藪を突破したところが北東端の堀切でした。堀切にも笹が茂っていますが、真冬でもありこの程度なら問題ありません。堀切は西側に竪堀となって落ち、竪堀を越えて尾根の西面を南西に進んだ先にも竪堀が落ちています。竪堀の堀底を上って行くと主郭部北側の堀切に到達。なかなかの幅と深さで北東尾根を遮断していました。

堀切をよじ登ったところが主郭北下の腰曲輪で、主郭との間に土塁が設けられています。土塁を回り込んで主郭に足を踏み入れると…噂に違わぬ激ヤブ状態! それでも主郭の南東下に堀切があるはず、と笹藪に突入して下りられそうなところを探すも見当たらず、探し回る中で主郭南裾の藪の中に何やら石積みらしきものを発見しました。古墳の石室跡?? 結局、南東尾根の堀切は見付けられず、いったん諦めて南西下の帯曲輪をたどって主郭西側に回り込むと、堀底道のように分岐した横堀がめぐっていました。

主郭部に続いては支尾根をめぐります(続く)。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑰ (2025/04/27 訪問)

朝田辰兵衛さん、神奈川コンプリートおめでとうございます。遠方への遠征に力点を置いている私にとって、関東地方のコンプリートは非常にハードルが高くなっています。古希を迎える前に達成できるかどうか、かなり怪しい状態です。

さて、4月27日の攻城も終焉が見えてきました。千石城はコスモス園(松山御本丸公園)という広大な公園として整備されています。駐車場のキャパシティも非常に大きいです。公園としての整備が加えられすぎているようにも感じますが、堀切など、城の遺構も楽しむことはできました。

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