室町中期に守護・畠山氏の南部平野支配の拠点要害として築かれた城で、畠山氏に仕えた野辺氏が城主を務めましたが、戦国期に畠山氏内紛の中で野辺氏は没落し、湯川氏の勢力下になったようです。
激ヤブ状態の登城道に阻まれて2年あまり。その後、登城したという人はなかなか現れず、やはり自分で行ってみるしかないか、と思っていたところに、あ さんの登城レポートに勇気をもらって再挑戦しました。登城口から登って行くと、前回敗れ去ったシダとイバラの激ヤブはきれいさっぱり刈られていて、登城に何の支障もありません。あとは梅林の柵沿いにひたすら登って行くだけ…ではあるんですが、かなりの急坂で思ったより大変です。登城道がダメなら直登も辞さず、などと息巻いていましたが、直登せずに済んで良かった…。
登城口から約15分で北尾根の出曲輪に到達。北尾根を主郭部に向かうと鞍部の手前から西側に竪堀を落とし、鞍部の西辺には土塁が続いています。鞍部から少し登ったところに二重に堀切が設けられ、それぞれ両端で竪堀となって続いています。堀切西端の竪堀から西側には計6条の竪堀が連続し、先人の投稿では大いに見応えがありますが、現状は藪に覆われていて見づらい状態でした。連続竪堀の西端は西尾根を遮断する堀切になっていて、両端は竪堀となって落ちています。南端の竪堀の奥にも竪堀があり、こちらは主郭部からはるか下まで続いていました。西尾根の小曲輪群を探索した後は、北尾根付け根の堀切まで戻って東尾根に向かいます。
主郭部東面の踏み跡をたどって東尾根へ。東尾根の付け根は堀切と竪堀で断ち切り、東尾根にはいくつかの小曲輪が設けられています。眼下には南部川が流れ、こちらもかなりの急斜面です。なかなかの堅城ぶりですね。そして残るは主郭部のみ。主郭部は背丈より高いススキとイバラで覆い尽くされているそうなので、そんな中を往復はしたくないと先に支尾根の遺構をめぐりましたが、いよいよ覚悟を決めてススキの草原に突入するしかないようです(続く)。
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