日下津城から車で25分くらいで、説明板登城口付近空スペース(34.521384、132.623004)に着き路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、三田氏によって築かれたと云われています。
三田氏は藤原姓で永井庄七郎が祖と伝えられますが、その出自は詳らかではなく、代々三田および永井を称したようです。
天文年間(1532年〜1555年)三田能登守元吉の頃には毛利氏に従っており、1556年(弘治2年)には佐東銀山城番を務めています。元吉の後は弟の元親が家督を継いで厳島合戦などに参陣しています。
元親の家督を付いだのは三田少輔七郎元実で1591年(天正19年)の八カ国御時代分限帳で1220石余を知行しています。
元実の後は三田五郎右衛門吉秀で朝鮮の役に従軍しましたが、帰国後伏見で没しています。
吉秀の後は三田久七郎で関ケ原合戦の後に防長二カ国に転封となった毛利氏に従ってこの地を去っています。
最初、案内標識を見落とし林道のような所まで登ってしまいました。赤テープを捜すが見つからず諦めて下山。
下山中のタンク50m先で案内標識を発見して登城できました。
登山口入口に説明板が設置されています。
堀切や巨大な二重空堀、崩れた高石垣跡らしき痕跡が確認できます。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=恵下山城に向かいました。
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