伏木台場は嘉永3年(1850)に加賀藩によって築かれ、大砲を5門備えていたとされています。港からは夕景の立山が見えそうですが、立入禁止なので入ることは出来ません。そこから程なく南西に進んだところに源義経と弁慶にゆかりの深い「如意の渡し」があります。
山伏に扮した義経と弁慶主従の像が有り、台座に由来が書かれています。
それによると、歌舞伎の「勧進帳」に安宅の関で、疑いを晴らすために弁慶が義経を金剛杖で打ち据える場面がありますが、それは室町時代の軍記物語「義経記」で「如意の渡し」で弁慶が義経を打ち奉るとの事という挿話を脚色したものとされています。
私は予備知識なしで、ここに来たので、この像を見た時にデジャブを受けました。この人たちはきっと各地で嫌疑をかけられるたびに、こんな小芝居を打っていたのかな・・と思いましたね。弁慶はあまり手加減をしてくれないだろうから、そのうち義経さん、パンチドランカーになっちゃうんじゃないかと勝手に心配しました。こっちがオリジナルだったということなんでしょうか?
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