みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

如意の渡し 伏木台場・富山県高岡市木綿町 (2025/03/10 訪問)

伏木台場は嘉永3年(1850)に加賀藩によって築かれ、大砲を5門備えていたとされています。港からは夕景の立山が見えそうですが、立入禁止なので入ることは出来ません。そこから程なく南西に進んだところに源義経と弁慶にゆかりの深い「如意の渡し」があります。
山伏に扮した義経と弁慶主従の像が有り、台座に由来が書かれています。
それによると、歌舞伎の「勧進帳」に安宅の関で、疑いを晴らすために弁慶が義経を金剛杖で打ち据える場面がありますが、それは室町時代の軍記物語「義経記」で「如意の渡し」で弁慶が義経を打ち奉るとの事という挿話を脚色したものとされています。
私は予備知識なしで、ここに来たので、この像を見た時にデジャブを受けました。この人たちはきっと各地で嫌疑をかけられるたびに、こんな小芝居を打っていたのかな・・と思いましたね。弁慶はあまり手加減をしてくれないだろうから、そのうち義経さん、パンチドランカーになっちゃうんじゃないかと勝手に心配しました。こっちがオリジナルだったということなんでしょうか?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

安田城 本丸 (2025/03/10 訪問)

安田城は天正13年(1585)豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻める際に本城となった白鳥城の支城として整備された城とされています。慶長2年(1597)前田利長が富山城へ入ると、家臣の岡嶋一吉と片山延高が始めに白鳥城へ富山城の支城として入り、後に安田城へ移ったようです。史跡は遺構が良好に残っています。本丸の土塁は登り口が付いて周遊できるので、再現された部分も多そうです。
水堀は基本的に繋がってるようですが、土橋で区切られた部分もあり、右郭周辺は良く水を湛えていますが、本丸と二の丸の間は湿地となっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

久永氏陣屋 (2025/01/12 訪問)

【久永氏陣屋】
<駐車場他>あずま水生植物公園駐車場20台分程あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日栃木・群馬旅、ラスト6城目。現地説明板によると久永氏陣屋は領地が領地が点在する禄高3200石の旗本久永源兵衛重勝の領地でした。ここ東小保方村は石高1182石で村の支配のためにここに陣屋を設けました。明治維新後陣屋跡は小学校になり、現在は周辺の神社を合杞して大東神社がおかれています。南池の南端と西池の東端にわずかに面影が残されているとのことでしたが、よく分からなかったので周辺を散策して終了しました。これにてこの旅終了。1183㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

栃木西方城

西方町公民館内にてパネル展を開催します!! (2025/03/18 訪問)

 栃木市西方町公民館内にある西方城ラウンジ(西方公民館北側ロビー)にて西方城跡のパネル展を開催します。そのほかに西方城模型や西方公民館文化財室に保存されている実際に使用されていた本物の武者甲冑もあわせて展示しておりますので、西方城ラウンジにあるソファにゆったりとすわり戦国時代の余韻に浸りながらいにしえの旅へ出かけてみませんか?
 まただんだん暖かくなり行楽シーズンですね…ぜひ現地の西方城跡にも訪れてみてくださいね!お待ちしております🌸

主催:西方地域づくり推進課公民館係(公民館担当)
会場:栃木市西方町公民館西方城ラウンジ(西方公民館北側ロビーにて)
ご住所:栃木市西方町本城1
西方地域アシストネット本部HP
https://www.city.tochigi.lg.jp/site/culture/7537.html
お問い合わせ
栃木市文化課文化財係
〒328-8686
栃木市万町9-25栃木市役所4階 文化課
TEL:0282-21-2497 FAX:0282-21-2690
栃木市文化課H.P
https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/57/

+ 続きを読む

駿府城

3月21日(金曜日)発掘調査現場の見学ゾーン北側入場制限のお知らせ

3月21日(金曜日)は9時から12時まで水中ポンプ撤去のため、発掘調査現場内の見学ゾーンの北側を入場制限します。12時以降は通常通り見学できます。
ご迷惑をお掛けしますが、ご理解ご協力のほど宜しくお願い致します。

※赤塗りの範囲を9時から12時まで入場制限します
※12時以降は通常通り見学できます。

+ 続きを読む

駿府城

駿府城公園が生まれ変わる!?再整備の全貌をチェックしよう!

駿府城公園の再整備に関する説明看板が、公園内の各所や関連施設に設置されました。
この看板では、駿府城公園の歴史やこれからの公園の姿をわかりやすいイメージ図とともに紹介しています。整備後の公園は、「歴史遺産」「市民の憩い」「防災拠点」をテーマに、訪れる皆さんが歴史を感じながら楽しめる空間へと生まれ変わる予定です。

看板は、駿府城跡天守台発掘調査現場「発掘情報館きゃっしる」や駿府城公園内の施設、静岡市歴史博物館にも設置されています。お散歩の途中や公園を訪れた際には、ぜひチェックしてみてください。

+ 続きを読む

にのまる

木曜日はお休み (2025/01/23 訪問)

佐土原城から路線バスで宮崎市街に戻り、次に目指すのは綾城です。
バスの乗り換えまでに30分くらいあり、じっと待っているのもつまらないので行けるところまで進もうと歩いていたら宮崎神宮に着いたのでお詣りしました⛩️

綾城は「綾待合所」バス停から徒歩で行けます。
ところが……、
坂道をどんどん登り、着いたー!と思ったら休館日でしたΣ(゚д゚lll)
木曜日だったので大丈夫だろうと油断していました。完全に下調べ不足です。
こんなことなら佐土原城のあと、2択で迷った都於郡城へ行けばよかったかな……と一瞬思いましたが、まぁそんなに落ち込むことでもありません。現実を受け入れるのみです。
せっかくここまで来たので天守を遠望できるところはないか探してみると、吊り橋からいい感じで見えたので今回はOK🙆‍♀️です!

九州城めぐりひとり旅6日目。
少々疲れてきたので、後半戦を乗り切るために、増えてきた荷物を宅急便で自宅に送りました。身軽がいちばん😊

この日の遅いお昼は宮崎駅のごぼううどん。
ずっと外食(ほぼ携行食)ですが、しっかりしたものを食べに行く元気もないので、
夕食は、東横イン最上階の眺めのいい部屋で、
カルシウムを摂ろう!→牛乳
繊維質が足りない!→野菜スティック
肌荒れ防止に!→ビタミンウォーター
コラーゲンでアンチエイジング!→チョコマシュマロ
にしました😄

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

プレミアムナイトツアー③ 今年初公開の「井郭櫓東室」 (2025/03/08 訪問)

天守から出て備前丸では、やはり並び立つ西小天守と大天守の写真を撮影したくなります。10人の貸し切りですから、それこそ撮り放題。そして、これまた今年初公開の井郭櫓東室へ。井戸周りの板を踏み抜かないよう、一人ずつ、案内されました。最後はぬの門の石落としから足軽に扮したスタッフめがけてボールを落として当てるイベントでした。夜の姫路城内をたっぷりと楽しんで迎賓館に戻ると、地物素材で作られた軽食の提供、そして解説員の工藤茂博さんとのお城談義で締めとなりました。17:00の受け付け開始から21:30の終了まで、トイレに行かずに済んだことに我ながら非常に驚いています。歳をとってトイレがかなり近くなってきていましたので。トイレのことを忘れるほど楽しかったということにしておきましょう。

収入が激減している中でこんな贅沢をしてよいものかとも思いますが、70代、80代になった時、こういうイベントを楽しめる健康状態(例えば、現存天守の階段を上り下りするための足腰の保持とか)である保証はありません。退職金を取り崩してでも60代の今、楽しめることはしっかり楽しんでおこうと思っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

大松山城 岡山県高梁市 (2025/02/23 訪問)

備中松山城は小松山城とも呼ばれ、元々は中世の山城。
備中兵乱後に毛利氏の支配となり、近世城郭へ改修されました。
元はさらに奥、秋葉三郎重信により築かれた大松山城より始まります。

小松山城の背後、土橋と呼ばれる堀切を過ぎて進むと相畑城戸跡に着きます。
備中兵乱の古戦場といわれ、広場のようになっています。
さらに進むと天神の丸跡、臥牛山の最高所にあたります。

堀切を通り進んで行くと大松山城への分岐に着きますがまずは大池へ。
水は無く発掘調査中でした。
なので石積もしっかり見学できます。
ここで首や刀を洗ったと伝えられ、「血の池」とも呼ばれています。

大池の先を下ると展望台方面への吊り橋に。
雲海が望める展望台に続いています。
今回は渡らず左に進み切通と番所跡を見学して引き返しました。

ようやく大松山城へ。

説明板を読んで進むと井戸があります。
右手に主郭、二郭との間には浅くなった堀切があります。
二郭と三郭の間には明確に分かる堀切が残り、この堀切は発掘調査により箱堀状だったとのこと。
その先はさらに段になって曲輪が続いています。

皆さんのレポートにあるように夏の登城は厳しいかもしれませんが是非ここまで足を伸ばして欲しいです。

【見どころ】
 ・相畑城戸跡
 ・天神の丸の堀切
 ・大池
 ・大松山城の曲輪と堀切

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

田安、清水に比べて一橋は・・・ (2024/10/20 訪問)

あらためて「一橋」の痕跡を確認。もはや「一橋」と言えば「御三卿」ではなく「大学」というイメージだが、「国立」にあるのに「一橋」を名乗るのもどうかと思うし、そもそも一橋大学は銀座に発祥の碑があるしと思って歴史を調べたら、既に関東大震災後に国立に移転したにも関わらず、戦後に学生投票で「一橋大学」になったとか。なんじゃそりゃ???
それにしても田安門・清水門はある意味「ガチで健在」なのに、一橋門の無惨な姿はなんなのか。これも江戸城に最も近い「立地の良さ」ならではの結果なのか。まあ、全ては東京五輪の再開発のせいなのかと。日本橋もその「犠牲者」だろうが、首都高地下化で「日本橋には空がある」世界に期待。でも、一橋は無理か。丸紅がカネ出して復元すればいいと思うが。そもそも地下鉄すら通さない皇居に首都高通すって何事なのかと。「北の丸は皇居じゃない」と舐めてるとか?その辺の経緯は都市開発の歴史として興味深いので別途考察したいテーマではあるが。

+ 続きを読む

Tokyobay

「帝都」の昭和遺産 (2024/10/20 訪問)

某大学の近現代史の先生と歴史散歩。江戸城内外には江戸時代の「幕府」のみならず、戦前昭和の「帝都」ならではの遺跡があり、平安~幕末の京都とはまた違って「重層的」に歴史を感じられるところが魅力。戦国や幕末と違って、昭和はあまり人気ないのが残念ではあるが、「帝都」を無視して江戸から東京への変遷は語れないというのが持論。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

遺構はいずこ? (2025/03/15 訪問)

能見城は二度目の訪問になりますが、正直まったく記憶に残っていません。それもそのはずで小山の上が城址になるのですが、遺構が何も見当たらなかったからです。舗装された車道が上までついているようなので、雨天もあり、車で登ってみたのですが、途中から酷い悪路になりました。やはり下から歩いたほうが無難です。
南北朝の時代に甲斐国守護職武田氏の一族の穴山義武が当地を本拠地としたとされています。能見城は天正9年(1581)新府城の支城として武田氏によって築かれたとされています。また天正壬午の乱の際に徳川氏に改修されたとも伝わりますが、その割にはめぼしい遺構は見当たりません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

中野景継 (2025/03/16 訪問)

この日は朝から雨です。あまり城攻めに向かない日ですが、平城なら傘をさせば行けないこともないです。神光寺一帯が城址とされ北側に土塁らしきものがありますが、詳細は不明。案内板には南麺に塁濠らしきものがあると記載があるけど未確認。
文永2年(1265)新田義重の子孫、中野景継によって築かれたとされ、その子 藤内左衛門が延元3年(1338)越前国藤島において、主君の新田義貞とともに戦死した後、廃城になったようです。戦国時代には小泉城主・富永氏の臣・宝田和泉守は当城を本拠としたが、天正18年(1590)廃城となったようです。

+ 続きを読む

しんちゃん

山梨道中 (2025/03/15 訪問)

15日は山梨、翌日は佐久市、群馬を経て栃木県まで行ってきました。先週は富山まで行ってたのに、けっこうせわしなく移動しています。一月足らずで本州・四国・九州の24都府県を訪問しました。今年に入ってからは28ですか、東北も行きましたからね。
周辺で未訪なのは和歌山県・・地理的に後回しになっていました。イオさん、そのうちお邪魔するかもしれません。
さて、山梨といえば、やはり「ほうとう」。躑躅ヶ崎館(武田神社)の正面にある「蕎麦カフェ 由布姫」で「ほうとう」を頂きます。ここのほうとうはボリュームがあって美味しいです。
「桔梗信玄餅ソフト」も美味しそうですが、ちょっと食べきれない。武田神社をひとしきり散策して二順目の百名城スタンプを捺印して・・そうこうしているうちに腹にスペースが出来てきたので、デザートにおいしくいただきました。

補足・・武田神社を訪問してデザートを頂いた後、廻国異能の者・出雲阿国を見つけました。ラッキー、来てよかった。それから程なくして新府城周辺で出浦盛清を発見。見るからに異能の者といった出で立ちです。まさかの異能の者2連チャンです。まだ2時間もたってないのに、いる所には居る、でもタイミングが良すぎるな・・
盛清くん、君ひょっとして阿国さんのスト・・いやいや考えすぎか。なんにせよ良かった。

盛清くん、1万石加増してあげるから、ちょっと越後まで武将探索に行ってきてくれないかな。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

畝状竪堀があります (2025/03/09 訪問)

 二段の広い主郭に八幡宮があります。主郭の奥に切岸と腰郭があり、更に尾根を進むと、堀切があります。主郭の西斜面の南寄りに、薄くなってはいますが、畝状竪堀が見えました。
 姿は見えねど、電車が鉄橋を渡る大きな音が。城の下を山陰本線のトンネルが通っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

一城別郭 (2025/03/15 訪問)

高天神城唯一の弱点と言われている西面の緩斜面の地形を補う「堂の尾曲輪」は何度見ても圧巻だ。城はH形状の一城別郭。中央を繋ぐ井戸曲輪部だが、何故堀切を打たなかったのだろう…。打つ必要が無かったのか?掘りたくても岩で掘れなかったのか?それなら何故井戸は掘れたのか?久しぶりに登城すると、以前とは違った見方が出来て楽しい。
伐採が行われていたり、案内看板も新調されていた。本丸、二ノ丸には複数の建物跡が確認出来ているらしい。建物復元も含めて再整備していって欲しい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

「浦賀,まってろよ❢」 (2025/02/23 訪問)

ここはみなさんの投稿にもあるように,民家の石段をパシャリ📷です。ついでに民家の前の道ぐらいかな…と。
金沢八景駅からほど近く,浦賀行きの電車が停車しているのが見えました。浦賀には浦賀城の他にも横須賀美術館という周辺観光ポイントが存在します。思わず…
「浦賀,まってろよ❢」
とつぶやいていました…<笑>。

+ 続きを読む

dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

貝塚市役所の西側にある要家住宅(貝塚市重要文化財)が畠中城址となります。

城址としての遺構はありませんが、元城主の子孫の方が居住している江戸時代の屋敷が残っています。

+ 続きを読む

dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

水間鉄道名越駅から近木川に架かる千石橋を渡ったところにある小山が千石掘城址となります。
案内板は少ないものの整備されており、散策は問題なくできます。
遺構としては、郭跡や土塁、空堀などが確認できます。

+ 続きを読む

dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

JR和泉橋本駅近くの明教寺が積善寺城の本丸跡となります。秀吉の紀州征伐後、廃城となったこともあり、遺構は残っていませんが、貝塚中央病院から明教寺方面に行く橋のところに解説板が設置されています。

+ 続きを読む

ページ11