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T-Shionoya

松代城訪問 (2006/11/22 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第30弾は、先週投稿した松本城の翌日に訪れた長野県長野市の松代城。

長野盆地の南部、藤沢川・蛭川・神田川により形成された扇状地の扇端部に築かれた城。
江戸中期までは城の北側を千曲川が接して流れ、天然の要害であったとのこと。

この地に侵攻した武田信玄がvs上杉の前線基地として1560年頃に海津城を築城。築城者は山本勘助で初代城主は高坂弾正昌信。
武田滅亡後は支配者が森長可などに度々変わり、1622年の真田信之入城以降は幕末まで真田氏10代が継承。
城名も1600年以降、待城、松城、そして1711年に松代城と改名されました。

現在は三の丸や外堀は失ったものの、平成の大普請で二の丸から内側を江戸期の姿に復元した100名城の城跡。
また城下エリアには江戸末期に建てられた藩主邸と藩校が残り、今後は鉄道の廃線に伴い馬出と三日月堀の復元を計画中。

訪問時は"城"をメインに散策。
曲線的な土塁もあれば石垣づくりの枡形虎口と天守台的な櫓台もある姿は、中世と近世がミックスされた世界観。

今回改めて写真を見ると、太鼓門は一の門と二の門がオフセットして平行に並ぶタイプだが、北不明門はL字に折れるタイプで、建物付きで2タイプの枡形が揃う城は意外と珍しいかもしれない。
更に同じく武田が信濃の拠点とした松本城とも、共通点が多々ありそうに見えてきた松代城です。

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チェブ

畑の中のお城。 (2025/11/23 訪問)

昨日投稿した「三ツ木城」の後「菖蒲城」へ転戦しました。
「菖蒲城」は『菖蒲城址あやめ園』がお城跡です。

前回は2019年5月にお邪魔しました。あやめの季節で、駐車場に困った事を思い出し、寄れたら寄るかーぐらいに思っていたら、駐車場はガラ空きでした。11月はシーズンオフです。あやめどころか人っ子1人いません。
あやめ観賞用の遊歩道も、雑草が元気で進めない所がありました。

一帯は水田と畑。「菖蒲城」が活躍していた時代は湿地帯で攻めづらかったのかな?
戻ってきて、服に植物のトゲトゲがある種が、たくさんくっついてました。
そーだ秋って、こーなるんだ。と、短い秋を教えてもらった「菖蒲城」攻めでした。

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コウマくん

海城 (2025/11/29 訪問)

名護屋城からレンタカーにて約40分。唐津湾と松浦川に挟まれた満島山にそびえる天守閣に登城。エレベーターの誘惑をぐっと我慢して階段を登ると紅葉の間から天守閣がみえ、藤棚をくぐると海と川の絶景がお出迎えしてくれました。天守は名護屋城を模していると知って唐津市やるなーと思い歴史の面白さを感じました。
福岡に戻るときに築肥線の車窓から見える唐津城も映えますね

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コウマくん

紅葉と小倉城 (2025/11/27 訪問)

西小倉駅にてキャリーバッグをコインロッカー(100円玉しか使えません)に預けて散策。約10分で到着。算木積やの石垣も圧巻ですが、紅葉と小倉城がとても美しく何度も写真を撮ってしまいました。
天守閣内はとにかく広い!さすが床面積1位のお城ですね。

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コウマくん

広大な陣跡 (2025/11/29 訪問)

唐津からレンタカーから呼子大橋など気持ちの良い海沿いをドライブして約40分で到着。登城と言うより広大な廃虚を散策といった感じです。
建造物は何もないけど、天守台跡、多聞櫓跡などは、礎石や玉砂利などが残っているので、当時の様子に思い馳せられます。
天守台からの360°景観は絶景です。
崩れた石垣が絶妙な味を醸し出してます。
1時間しか無かったので周りきれませんでした。
でも呼子のイカは、堪能しました。

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山口駿河守幻夢斎

国指定史跡 (2025/11/15 訪問)

諏訪原城跡のイベント当日に午前中行きました。

掛川駅からレンタカーで行きましたが、周辺で道に迷い何度も同じ場所を一時間近くぐるぐると迷い続けたおかげで、朝食も昼食も食べる時間がなく、予定していたほかのお城も見れませんでした。

それはともかく、台風の影響なのか通行止めの標識があちこちにあり見どころであるはずの場所は見れず・・・。
また整備されているとの事前情報でしたが、少し荒れていて、草も伸びている感じを受けました。
(それでも千葉や茨城のヤブ城に比べたら断然ましですが)

銃声らしきも聞こえたので、急に怖くなりそそくさと退散しました。見たいところは見れていない印象です。

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カズサン

二の丸の偉人銅像群 (2025/10/28 訪問)

 二の丸には銅像が二つの基壇に二体ずつ立像で設置されています。天草回天之碑基壇には初代代官鈴木重成、代官の兄鈴木正三和尚が並んで立っています。もう一つは日本の恩人基壇には頼山陽と勝海舟が並んで立っています。
 15年前の初登城では鈴木代官は何処からの赴任かな?と言うくらいサラッと流していたのですが、今年3月三河で唯一残って居た山城の松平山城を初登城した後、周辺の城を探訪しようと寄った、鈴木代官の領地である椎城、則定陣屋の中腹に富岡城と同じ鈴木代官兄弟の像が有り、15年間の、もやもやが一挙に解決、自分の身を捧げて天草の領民を助けた鈴木代官であったことが分かり敬服致しました。
 三河出身の方だったのですね。
 今年3月に鈴木代官の領地を偶然にも訪ねたので、改めてまじまじと鈴木重成代官、鈴木正三和尚銅像を拝見しました、解説板も撮影し投稿致します。
 
 頼山陽と勝海舟は説明のいらない超有名人ですので銅像の写真投稿のみとと致します。
 頼山陽と勝海舟の基壇北面に富岡城の城歴が掲示されて居ましたので写真掲載します。
    

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カズサン

二の丸修復復元石垣 (2025/10/28 訪問)

 二の丸西下駐車場からは二の丸の西側の赤茶けた石垣がよく観察できます、天草・島原一揆当時の寺沢氏の時代、立直しの山崎氏の応急措置時代と再修復時代の三層構造に成ってる様です。
 二の丸東側は三の丸側への構として二の丸東虎口石垣が修復復元よく整備されています。
 この辺りは前回15年前と変わりなく良く保存整備されています。
 

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カズサン

出丸から二の丸へ復元櫓初対面 (2025/10/28 訪問)

 15年振りに再登城で前回探訪して居なかった、大手門跡修復復元石垣、百間土手石垣・白長塀を充分堪能して写真保存もOK、富岡城中腹の前回駐めた駐車場を目指す、建物は閉まって居り閑散としてるのでその上の二の丸西側駐車場を利用する。
 二の丸西駐車場から出丸へ、周囲には白土塀が立ち、芝は奇麗に刈って有りよく整備されている、青空と海に映えている、二の丸北虎口より進入、初対面の西櫓、東櫓、長屋を撮影する。三つの櫓は平成26年、10年前に復元されてそうです、長屋は翌年の平成27年7月に苓北町歴史資料館としてオープンしています。
 資料館には入館料100円払いリフレットを頂き見学閲覧、富岡城の立体模型が私には大いに気に留めました。
 新しい櫓が出来てから10年経っての見学は、やはり天草富岡城は遠いと、幹線道路高速道からも遠く気楽には来れない感が有ります。
 

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todo94

三連休・山口県の攻城① 麓から北水門迄 (2025/11/22 訪問)

献血回数が4回の県、残すところ4県と成りました。その中から今回の行き先は山口県にしました。城びと未投稿の物件がかなり残っている県ですが、遠方なので三連休でもなければなかなか訪れることはできません。広島に前泊して徳山にてレンタカーを借り、まず向かったのは石城山神籠石。麓の三国志城は館長の逝去ですでに閉館となっていますが、傍らに史跡碑が建っています。県道160号の終点に駐車場がありました。神籠石サミットの記念碑がありました。リーフレットの案内図を見て城郭放浪記さんと同様に時計回りに攻めていきます。神護寺跡(第二奇兵隊本陣跡)の先、西水門に下っていく道はなかなか見つけにくかったです。北水門の前はかなりぬかるんでいましたが、西水門よりだいぶ見栄えの良い水門でした。

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ぎりょう

いつ来ても楽しい鶴岡市① (2025/10/23 訪問)

永年病気一つせず過ごしてきましたが、今年は7月から二回の入院と手術。なんとか持ち堪え、この週末は心配をかけてしまった家内と自分へのご褒美に鶴岡市に温泉旅行でした。
とは言え今回も旅のテーマは、芭蕉おくのほそ道出羽路と戊辰戦争で庄内藩で活躍した「江戸のお巡りさん」こと新徴組の足跡をたどります。
新庄をあとにした芭蕉は本合海から舟に乗り最上川を下ります。途中仙人堂や白糸の滝を経て清川で船を降り、出羽三山に向いました。私もその行程をたどって羽黒山に向うのですが、羽黒手向町の随身門からの2,446段の石の階段は病み上がりの身にはきつく、有料道路で羽黒山山頂に登り、出羽三山神社に詣でることができました。
この日の宿は、鶴岡市湯田川温泉の隼人旅館です。江戸で活躍のあと新徴組は庄内藩に召し抱えられ、庄内に移動して戊辰戦争では庄内藩の一隊として大いに貢献します。その際この隼人旅館に本部を置き、隊員は湯田川の旅館や民家に滞在したといわれています。
隼人旅館の源泉かけ流しの温泉はいつ入っても適温で、新徴組関連の展示コーナーでは資料を読み、ゆっくりすることができました。

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遠山友政 (2025/11/29 訪問)

 木曽川沿いに高くそびえる標高432mの高森山に築かれた城で、木曽川から山頂の天守跡までは約170mあります。岩山の上で利用できる土地の確保が困難であったため、自然の地形を有効に活かして築かれています。岩場を利用した建物はすべて懸造でした。
四十八曲りを登って三の丸に着いたときは午前9時半くらいでしたが、まだ霧が深く天守台方面がうっすらとしか見えない状況でした。うろうろしているうちに霧が晴れてくれました。
 何回も来ていますので、気に入っている場所があり投稿する写真もおなじような風景になってしまいます。

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四十八曲り 大手を登る (2025/11/29 訪問)

 約1年ぶりの登城です。今回は大手門跡から四十八曲りといわれる道を上がって登城しました。遠くから見ると急峻な崖にも見えるので不安でしたが、道は幅広く整備されていて歩きやすかった。登り始めるとすぐに石垣が現れ、その後も曲がるたびに新たな石垣等が顔を出してくれます。約20分で三の丸に到着しますが、石垣ごとに足を止めているので息を切らすことなく登ることができました。石垣は江戸時代に整備されたようです。四十八曲りといいますが、中津川市のHPには「実際に登って数えたところ、大手門から馳門まで曲りが30あり、城内に入って本丸まで20ほどありました。」との記載がありました。終着点は竹門で2脚の門で、扉が竹でつくられていたため、この名前で呼ばれていたようです。参勤交代で江戸から帰ってきた藩主は、この門から城に向かい、藩士等はこの門の手前を右に曲がり北門から城に入りました。今回、登城するときは四十八曲りを使い帰りは別ルート予定していましたが、もう一度石垣を見たくて帰りも四十八曲りを下りて来ました。大手門が木曽川沿いにあるのはおもしろいと思いました。
 苗木城は何度も登城していますが、大手から登ったことがなかったため歩いてみました。石垣などがあり楽しく散策できました。
朝は午前9時頃から登り始めましたが、霧が出ていました。大手門の表示板の写真以外は霧が晴れた下山時に撮影したものです。

 玉蔵橋から苗木城を見ると手前から旧恵那鉄道木曽川橋梁、リニア中央新幹線の工事中の橋、城山大橋が見えます。

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いんげん丸虫

万願寺山城 福井県あおい町 (2025/11/22 訪問)

比高100mの山城です。近くに路駐出来ます。
獣避けフェンスを開けそのまま5分も直登す
れば城跡です。細尾根上を堀切で区切ってる
だけの遺構で面白い縄張りではありませんが
2重、3重堀切をしっかり見れます。ただ獣避
けフェンスが遺構を分断してるのが残念です。

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にのまる

18きっぷの旅は続く…… (2025/08/12 訪問)

この日の4城目、ラストです。急に土砂降りになって雨宿りしながらでしたが、夕暮れの景色を眺めながら、城旅ができる幸せを噛みしめました。
そういえば何年か前、手すりが設置された時にちょっとした話題になってたなぁ…。

カズさん、すみません。お城と全く関係ないおめでとうクイズでした🙇‍♀️
…豊橋駅です。

赤い城さん、もしよろしければどうぞお声掛けください。城びとメンバーと登城、楽しいに違いありません!

ここのところ実家と東京を行ったり来たりしていますが、12月は東京にいるので、お城EXPOも参城予定です。今年こそ勇気を出して(!)城びとブースで名乗ろうか……な。

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しんちゃん

羽柴秀吉邸 徳川家康邸 (2025/11/08 訪問)

羽柴秀吉邸の石垣の一部は角度に併せて石を加工してあるようです。実用本位の山城だと適当にごまかしてある部分なので、ちょっと手が込んでいて面白い。うぃきによると総奉行は丹羽長重で、秀吉は縄張奉行を務めていたようです。
安土城は国の特別史跡ですが摠見寺の管轄になっているようで麓で入山料を徴収しています。石造りの城で入山料が必要なのも安土城らしくて良い。この日は摠見寺(新)の公開も行われていたので追加料金を払って拝観して行きました。
ここは徳川家康邸跡でもあるので、家康邸の石垣は見ておかねば。安土城の金箔瓦の写真も撮って良いといわれたので撮影ましたが「城びと」に載せて良いか聞き忘れたのでやめておきますわ。金箔がしっかり残っているので貴重なお宝です。

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アネ

石垣に注目 (2025/11/08 訪問)

土の城派ですが、ここは石垣をじっくりと。
庭園も美しく、城猫が紅葉した木々へと案内してくれました。
盛岡にはわんこそばや冷麺以外に老舗喫茶店、それも紅茶の美味しい店が沢山あります。

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アネ

クマに注意 (2025/11/08 訪問)

大好物の古代城のここも広い!
クマを警戒したヘリが飛んでいたので、早々に撤退。
資料館が見応えあります。
100名城、続100名城ではないものの、岩手県三名城には選ばれているため、スタンプの代わりに御城印はgetしました。
お昼には昭和レトロな喫茶店のランチセットを。

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アネ

クマ注意 (2025/11/07 訪問)

ただいま大手口界隈修復中のため迂回が必要。
今年はクマ出没中のため、空堀周辺のみで撤退しました。

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アネ

城? (2024/05/21 訪問)

城というと闘いのための天守や櫓をイメージしますが、ここは普段の暮らし=屋敷とか御殿といった趣のつくりで、なんだか心安らいでしまいました。

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