丸根砦は鷲津砦と同じく、桶狭間合戦時に今川方だった大高城を包囲していた織田方の砦のひとつです。守将は佐久間盛重でしたが、松平元康により攻め落とされました。
鷲津砦から徒歩10分で到着。
森の中に入って
小さな丘を登ると
頂上付近は平らになっており、りっぱな「戦殉難烈士之碑」が置かれていました。
さらに、少し離れたところに史跡碑もありました。
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2021/02/17 20:40
2021/01/09 22:33
2020/11/24 20:46
桶狭間の戦いの砦群で最も砦らしい丸根砦 (2019/06/23 訪問)
桶狭間の戦い以前に、今川方の鳴海城と大高城の連絡を断ち、大高城を兵糧攻めする為に信長が築かせた砦とされます。
今川軍に攻められ砦は落ち全滅し、信長はその様子を熱田神宮から見ていたといわれます。
桶狭間合戦に関する砦群の中でも、さすが国史跡だけあって、丸根砦は雰囲気がよく残っています。
同じ国史跡でも、鷲津砦は石碑がある場所ではなく、もう少し北側に砦があったとの説があり、気になって北側に行ってみると、そこの方が鳴海城と大高城を見渡すことができる急斜面の立地で砦に適しているかもと思いました。
でも、丸根砦はいかにも砦らしい小山にあり、ここは間違いなく砦があったと思いました。
曲輪を囲っていた横堀と思われる遺構もあり、桶狭間の戦いの砦で一番好きな所です。
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2020/05/02 01:01
桶狭間の戦いの前哨戦となった戦地 (2020/04/30 訪問)
住宅街の中にポツンと丸い小山が出現。急坂を上ると丸根砦の看板とそこから眺める大高城の様子の写真看板が親切です。
周囲に堀らしき跡が外周通路として砦を一周しており、頂上部には戦で亡くなった兵を弔う碑が立っています。
尾張に攻め込んできた今川義元に奪い取られた大高城に対抗して隣接の鷲津砦と共に睨みをきかせるため、織田方の佐久間盛重が立てこもったが、大高城に兵糧を届ける松平元康の2500の兵と激戦の末に全滅したといわれる。
一説には400の軍勢が元康と対戦したと言われるが、頂上部は30m四方位の広さしかなく、兵糧、水、武器を備えて、ある程度の期間立てこもるには50名位が限度に見える。しかも碑があるあたりは時の流れに伴い変わってしまったのかもしれないが平坦ではなく、緩く斜面になっている。元より大高城観察と戦時には時間稼ぎ程度の役割だったのかもしれない。隣の鷲津砦の方が規模が大きく役割も違ったのかもしれない。
周りは住宅街で道幅も広くないので、車で訪れる場合には周辺のコインパーキングに駐めて、大高城と鷲津砦とセットでめぐるのが良いでしょう。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 織田信長 |
築城年 | 永禄2年(1559) |
主な城主 | 織田氏、佐久間氏 |
廃城年 | 永禄3年(1560) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 国史跡(大高城跡 附丸根砦跡、鷲津砦跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県名古屋市緑区大高町字丸根、字西丸根 |
問い合わせ先 | 名古屋市緑区役所まちづくり推進室 |
問い合わせ先電話番号 | 052-625-3876 |