日宮城は神保長職が増山城に移るまで居城し、増山城に移ってからは支城として機能していたようです。武田・上杉・一向一揆の勢力の狭間で揺れ動きますが、しだいに上杉氏に取り込まれていったようです。
元亀3年(1572)武田信玄の調略に応じた加賀・越中国の一向一揆に押され、上杉の援軍が一向一揆に敗れたのを見て、一揆勢と和議を結んで能登国石動山天平寺に落ち延びていったようです。
主郭は北東部の丘陵のようで私有地のため見学は出来ません。薬勝寺と日宮神社も郭のようで、各郭の間は堀切で仕切られ日宮神社の周囲は他の郭よりも急な傾斜に囲まれています。
日宮神社の前の細い道路を移動して来たのですが、出口に除雪車の置いてあった雪の塊が有りました。さっき通りすがりのマダムが手をパタパタふっていたけど、「この先は通れないよ」という意味だったのか(じゃあそう言ってくれ~)。
すでに退路は無いので、自力で雪の小山を削って行きます。比較的調子のよい右の膝で小刻みにキックをかまして崩していく。そしてストックで突いて削って行く。十数分の地味な努力のおかげで自力脱出しました。JAFを呼ぶより早いぜ!
雪対策としてスコップを買って車に積んでいますが、昨日 長野の佐久市に向かう途中の道はけっこう雪が積もっていました。まだまだ油断できません、日ごろの準備は大切ですね。
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