今回此の地を訪れた理由は、他でもない大野城再チャレンジのためでした。
とはいえこの素晴らしき歴史遺産をただ通り抜けるなんてできません。しっかりゆっくり見学させていただきました。
頭に詰め込み記憶し続けるキャパの限界のせいか、何度来てもそのたび新鮮です(^^)
ひととおり見学し、後背の山をを見上げます。
「あの山のてっぺんに登るのか!」
武者震いがしてきました。
兵糧と水分は政庁前の「ベストマート」さんで調達しました。
しゅっぱーつ!!
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検索結果・・・「」を含む投稿
2025/06/03 08:41
大野城の登城口 (2025/03/20 訪問)
今回此の地を訪れた理由は、他でもない大野城再チャレンジのためでした。
とはいえこの素晴らしき歴史遺産をただ通り抜けるなんてできません。しっかりゆっくり見学させていただきました。
頭に詰め込み記憶し続けるキャパの限界のせいか、何度来てもそのたび新鮮です(^^)
ひととおり見学し、後背の山をを見上げます。
「あの山のてっぺんに登るのか!」
武者震いがしてきました。
兵糧と水分は政庁前の「ベストマート」さんで調達しました。
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2025/06/03 08:05
鉈尾山城(岐阜県美濃市曽代) (2025/02/01 訪問)
鉈尾山城(城びと未登録)は、戦国末期に佐藤清信が鉈尾山頂部に築いた城で、佐藤方政が関ケ原の戦いで西軍に与したことにより改易されると、飛騨・高山城主の金森長近に与えられました。長近は隠居するといったん鉈尾山城に入ったようですが、長良川沿いに築いた小倉山城に移ったことにより廃城となりました。
この日は金森長近の足跡をたどる「金龍がゆく紀行」の一環として長近の隠居領である上有知を訪れました。美濃市運動公園の第1駐車場に車を駐めて、弓道場の脇から登城開始。登城ルートは南回りの大手道と北回りの搦手道がありますが、所要時間が短い(急坂だが歩く距離は短い)搦手道を選択。登城道はよく整備されていて案内表示も随所にあるため迷うこともなく、登城口から約40分で山頂部に到達しました。
鉈尾山城は古城山とも呼ばれる鉈尾山頂部に南北に曲輪を連ねた連郭式山城で、西側は断崖絶壁、東側には帯曲輪をめぐらせています。比高350mの高所だけに本丸からの眺望は素晴らしく、長良川と郡上街道に睨みをきかせる位置であることがよくわかります(小倉山城も見えます)。北端には土塁が搦手道に立ち塞がり、曲輪群の東面には随所に石垣が施されていました。南端の大手口には算木積みの石垣(石塁)があり、一番の見どころと言えるでしょうか。大手口の少し南側から西側に落ちる竪堀脇にも石垣が見られました。
そして大手口から大手道を下山しましたが、大手道はあちこちにある巨岩の間をぬうように通されていて、往時はこの巨岩を防衛に活用していたのかな…などと考えつつ歩いていると、どうせ搦手道も大手道も両方通るのなら、大手道から登城したほうがより雰囲気を楽しめたかも、とも感じました。
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2025/06/03 07:19
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり④ (2025/05/04 訪問)
鵯尾城からの転戦です。2016年に案内板を撮影したのみだったのに「行った」をポチってしまったのはどう考えても詐欺ですね。すぐに攻略するつもりだったのに9年も経ってしまいましたが、今回、しっかり攻城できてほっとしています。主郭に向かう登城路の途中に浅い堀切がありましたが、そこから竪堀が落ちていてその竪堀の上部に石塁がありました。続100名城の要害山城を想起させられました。
かつて、藤崎城に行った際に揖斐川上流の徳山ダムの放流をゴールデンウィークに拝んだ経験がありましたが、今回も殿ダムの放流を拝むことができました。ちなみに殿ダムの読みは「とのだむ」のようです。競馬ファンとしては、「しんがりだむ」と読みたくなってしまうのではありますが。
帰ってきてから、ぴーかるさんの投稿を拝見してまたしても愕然としてしまいました。斜面に張り付いての石垣チェック、できていません。ここも再訪せざるを得ないようです。
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2025/06/03 06:55
我孫子城・新堀城 大阪府大阪市 (2025/05/19 訪問)
奇跡的に相方が当選した髭男のライブで大阪に。
盛り上がった翌朝、会場だった長居スタジアム周辺を散歩しました。
2つとも城びと未登録で遺構も残りません。
まずは我孫子城、御堂筋線の我孫子駅から徒歩で5分くらい。
あびこ観音(大聖観音寺)が城跡です。
早朝だったので境内には入れませんでした。
周囲を一周、道路に折れのある部分もあり、辛うじて城跡だったことを想像させます。
ここから徒歩で25分くらい。
長居運動公園近くの新堀城へ移動しました。
保利神社周辺が城跡推定地ですがここも遺構は残りません。
周辺の道路がゆるくカーブしてたりするので心眼に頼ります。
いずれも石山本願寺の出城だったとされています。
写真の撮れ高が少ないので前日のお昼に食べた美津のさんのお好み焼きを載せておきます。
結構な行列でした。
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2025/06/03 00:28
清水城 和歌山県有田川町 (2025/06/01 訪問)
清水城の続きの投稿です。城址の遺構については一稿目に、ほぼ書いてあります。ルートとしては、あさんの投稿にあった、八幡宮のゲートから入って、城址北側尾根の遺構を見て引き返してくるルートになると思います。小学校の先生の了承を得ることが出来れば、城址西側に沿って進む道から城址に入ることも出来ます。尾根に付いている堀切から南に進めば堀切が三つ付いているはずです。すでに記憶が薄れてきていますが・・。
北の腰郭の上が主郭になっていて、周囲に石垣が付いています。これは元・神社の石垣のようですね。山城が神社として活用されている場合が多く、おかげで多くの遺構が残されているのですが、いつの時代の物かわからない石垣もあります。
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2025/06/03 00:01
あらぎ島 (2025/06/01 訪問)
今回の近畿訪問では和歌山県の元未訪の城「清水城」「田尻城」も回って来ました。「鶴ヶ城」は別の機会の楽しみにします。
今回は二番手の訪問になるので、先人のあさん、イオさんの投稿を参考にさせていただいています。お二人ともわかりやすく解説をつけていただいているので、訪問の助けになっています。ありがた山・・もとい感謝します。二番手も悪くはないですよ。
とか言いながら、清水城は搦め手から攻めています。県道わきの空スペースに車を留め、狭い道から八幡宮を目指して行きますが、どうも城址に向かっていく道が気になる。登った先は小学校でけっこう車が留まってます。地形図を見るとここから城址に道が付いているので、職員室にいる若い先生と話をして、通していただけることに。小学校内にもゲートがありますが、そこを通らずに脇道から進んでみます。そのタイミングで、頭にGPSらしきものを着けた中型の猟犬らしいのが二匹校内に入って来ました。首輪をつけずに放し飼いの状態で、先に道に入って行ったので、後からついていくことに。進んでいくと地形図の転線からそれて北の尾根に沿って道が続いています。途中に竪堀が有り、上から続いています。
少し進むと、相方を見失った犬が狭い道をうろついています。すぐ脇にいるので、話しかけてみるけど通じない。攻撃してくる気配は有りませんが、相方がいないので不安そうな表情をしています。さらに進むと北尾根に堀切を見つけたので、ここから城址に入ります。尾根から城址に向かっていくと、大きな堀があり、竪堀となって下に続いています(先の竪堀との関連は不明)。
その北側が城址で、浅い堀があり、腰郭が高低三段の構造で西側まで回り込み、その下にさらに腰郭があります。三段の腰郭には礎石の様な物があり、城びとの情報にも建物礎石とあるので、腰郭に建造物が有った可能性もありそうです。
最上部が城址で、南側に腰郭が二つ以上あり、南南西にあさんの投稿にもあった、大きな竪堀が付いています。これはなかなか迫力が有りますね。人工的な扁平地を南に進むと西手に、堀切がありました、先の竪堀と続いているのでしょうか? 下って行った先のゲートから出ると、そこが八幡宮になります。
あさんの投稿を参考にしているので、当然あらぎ島展望所も尋ねています。なんかミャクミャクみたいな色の奴がいますね。季節によってはイルミネーションもやっているようなので見てみたいけど、ちょっとハードルが高い。
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2025/06/02 22:02
洲本城-9/9 下の城・史料館編 (2025/05/15 訪問)
洲本城-8/9 東の丸二段の郭編の続です。
洲本城を15年振り3度目の登城、樹木伐採されて景観が整備されてきた、東登石垣も樹木伐採されて見易く成って来たとの情報も有り立寄りましたが、本丸、天守郭、西の丸、南の丸、東の丸、二段の郭に、武者溜、大手周りと廻り、家内が私の遭難?騒ぎをよそに約2時間見学探訪の後、下の城、淡路文化史料館を訪ねる。
車は淡路文化資料館前に駐めて、史料館入館@500、洲本城の歴史文化の資料展示を閲覧、洲本城の立体模型、洲本城跡赤色立体地図写真は特に注目でした。
史料館を出て前の東櫓台、西櫓台、東土橋、西土橋、水堀前面の石垣塁、三熊山頂上に聳える洲本城模擬天守を仰ぎ見る。
全体で3時間超の探訪と成りました。家内は良く付き合ってくれました。
洲本城9編に渡って長々とご覧頂きありがとうございました。
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2025/06/02 21:21
洲本城-8/9 東の丸二段の郭編 (2025/05/15 訪問)
洲本城-7/9 東の丸東端高石垣編の続です。
武者溜側より東の丸東端高石垣を観察見学し、東の丸東端高石垣北端より東の登り石垣を感激の見学観察して、東二の門を通て東の丸下、八王子木戸より東の丸二段の郭に入り込む、二段の郭の南側下には樹木で鬱蒼とした東の丸がある、二段の郭下段虎口があり進入、上段に入り、上段東端南北いっぱいに多門櫓台が一段高く石垣が積まれている、北側は景色眺めは絶景、多門櫓台東下には一段下がって曲輪が在り、武者溜で見た東の丸高石垣の上面内部に成って居る。
多門櫓台?には瓦片が少し散見されましたが江戸期の物なのでしょうか?
三度目の登城で東の丸、二段の郭に初めて踏み込む事が出来ました、樹木伐採の効果でしょうか?大変ありがたい。
長く洲本城西の丸、武者溜、東の丸、登り石垣の探訪で本丸の喫茶店に待たせた家内のもとへ、長かったせいかスマホに連絡を入れたそうスマホの音を消音にしていましたので気付かず、着いて遭難したかと?と言われてしまう。
コーヒーとケーキを頂いて下の城・洲本文化史料館へ移動しました。
洲本城-9/9 下の城・史料館編に続く。
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2025/06/02 20:40
洲本城-7/9 東の丸Ⅰ東端高石垣編 (2025/05/15 訪問)
洲本城-6/9 武者溜編の続です。
武者溜の西端から15年前は樹木で鬱蒼として良く観察できなかった東の丸東端が明るく見通しの効いた高石垣を観察見学出来るようになりました、本丸ほどの高さは有りませんが、東の丸下段、東の丸二段の郭東端の高石垣が見える様に成って感激での初体験実感を味わいました。
洲本城の一大特徴である東の登り石垣、西の登り石垣が存在しており初登城では観察できず、二度目は西の登り石垣の麓部分を探訪観察しておりますが、今回は是非樹木が伐採されて観察できるようになった東の登り石垣を是非見たいとの願いを叶える事が出来ました、東の丸北東角の高石垣下より東の登り石垣を観察見学しました、脚力が弱くもう少し北側の狭い足場に踏み込めず階段状の立体感ある登り石垣を観たいとの気持ちが有っても足が動きません、ですが確認観たことに変わりは有りません、大満足です。
洲本城-8/9 東の丸Ⅱ二段の郭編に続く。
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2025/06/02 20:13
勝山御殿 (2025/03/10 訪問)
コロナ禍で2年以上帰省できなかったこともあり、5年ぶりの訪城でした。
後背の勝山城へは踏み込めないままです。関東であればお城仲間に声をかければどなたか同行してくださるかと思うのですが、故郷とはいえ高校までしか住んでいなかったのでこっちにはお城仲間がいないのです(><)
このままでは体力的に無理😭となってしまうかも。
いつかのチャンスのために体だけは鍛えておこうと思います。
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2025/06/02 20:05
洲本城-6/9 武者溜編 (2025/05/15 訪問)
洲本城-5/9 西の丸と南の丸編の続です。
西の丸、南の丸を終えて本丸大石段下を抜けて、八王子口から東の丸南下を通て、東二の門の石垣虎口を抜けて広い東の武者溜へ入る、15年前に比べて、東の丸、武者溜周辺城塁の樹木が伐採されて明るく見通し景観が良く成って鬱蒼とした状態が明るく成って居ました、内部の芝には鹿のフンらしいものが散見される、洲本市街、瀬戸の海も良く俯瞰出来て明るく気持ちい曲輪です、東端の東一の門石垣虎口も観察見学、樹木が伐採されているので武者溜周囲の城塁石垣もよく観察できる。
武者溜の西端と東の丸東端の高石垣辺りも樹木が伐採されて以前の探訪時より鬱蒼さが無くなり良く高石垣城塁が観察できる。3度目の登城で初の体験観察です、感激ものでした。
洲本城-7/9 東の丸Ⅰ東端高石垣編に続く。
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2025/06/02 19:18
菊池一族居館跡 (2025/03/22 訪問)
【菊之城】
<駐車場他>菊池則隆公墓の北側に2台分の駐車スペースがあります。または<32.969539,130.806347>道路退避所に駐車
<交通手段>車
<感想>2泊3日西九州旅3日目ラスト14城目。菊池市の公式サイトによると菊之城は北宮館と呼ばれ国史跡である「菊池氏遺跡」の構成要素の1つです。菊之城という呼び名は江戸時代に使用されはじめた名称で、1070年頃に初代の菊池則隆が居館として築いて、15代武光の頃まで菊池一族の居館として使われていたようです。戦乱期においては防御制において分が悪いことから16代武政の時に隈府に本拠地を移転したそうです。移転後も菊池十八外城の1つとして、また重要な菊池川の船着き場として活用されたそうです。
現地は田んぼの真ん中に土壇状の曲輪跡が残っています。内部は雑草が少し多く、地表は未整備でした。西に数百メートル行った所に菊池則隆公の墓と菊池氏発祥の碑があります。
これにてこの旅終了。3日間、長崎県⇒佐賀県⇒熊本県の百・続百名城を中心に巡り、観光とグルメを楽しみました。菊池市に城びとフラッグが集中しているのが気になっていたので、沢山あるのが菊池十八外城の城跡群だった事がわかり、ある程度巡れたことが良かった。最終日3日目は宵になり、下記<グルメ>の食事をして、山鹿温泉に入り帰路につきました。1765㎞無事走破。
<満足度>◆◇◇
<グルメ>「黒酢チキン南蛮専門店たかもとや」にてチキン南蛮の定食をいただきました。ご飯・タルタル食べ放題です。菊池公園に近いので隈府城攻めの際の食事がいいかも。夜が19:30までです。宮崎県でチキン南蛮を食していないので、人生№1のチキン南蛮でした。
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2025/06/02 18:51
昨今のご時世により,勘ぐってしまう… (2025/05/31 訪問)
昨今のご時世により,「ここの米蔵の備蓄米は世田谷区専用か…❓」と,勘ぐってしまうネーミングです。そんなワケありませんが…。
とうとう,岩手県の未投稿城に足を踏み入れました。いつの間にか,二日市城が投稿されていました。世田米城の他に,末崎城,米ヶ崎城,二日市城と攻城してきましたので,随時レポートしたいと思います。しかし,天候は最悪でした。雨の他に風も強かったです。
世田米城ですが,世小の森公園の入口にパネルが設置されております。登城口は公園の南端にありました。草木の繁茂により,空堀は確認できませんでした。畑となっている2郭はここだろうという推定です。空堀が確認できていれば確証に至ったのですが,天候と季節が悪かったです…。
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2025/06/02 17:55
城址東側・三段の郭 (2025/05/08 訪問)
加瀬田城の東側は整備がされていて、とても歩きやすい。最上部に郭1(主郭)があり、二段構造になっていて西側が高く、端部に土塁が残り祠が立っています。また土塁の下には城址の関係者(?)と思われる五輪塔も有りました。
郭1の下段に郭2、その下段に郭3があり檀状に配置されているので訪問もしやすいです。城址の西側も三段の郭が有るようですが、藪に覆われているようなので今回は訪問はパスしています。東西の境界の大堀切(渓谷)の写真も無いので、訪問がしやすくなったら再度訪れてみたいと思います。
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2025/06/02 16:06
高田城訪問&「御所参内・聚楽第行幸図屏風」見学 (2025/05/21 訪問)
続100名城巡りと上越市立歴史博物館で6/15まで開催中の「御所参内・聚楽第行幸図屏風」展覧会を見学するため日帰りで行ってきました。
博物館内は撮影禁止だったので屏風の写真撮影が出来なかったのは残念ですが、貴重なものを見ることが出来て良かったです。
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2025/06/02 11:34
「屋代城」 (2025/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
屋代城は屋代氏が築いたとされる。戦国時代には屋代政国が村上義清から真田幸隆の調略に応じ武田氏に臣従。1559年頃に武田氏の命により荒砥城に領地替えとなる。現在、土塁等が遺されている。※ 付近には前方後円墳の『有明山将軍塚古墳』、長野県内最大級の『森将軍塚古墳』がある。川中島の戦いで上杉軍が布陣したと伝えられる妻女山もある。
<アクセス>
しなの鉄道線 屋代駅 徒歩25分
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2025/06/02 09:15
黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(1/2) (2025/02/21 訪問)
黒田六端城を行く、3城目は「鷹取山城」です。六端城の由来と(1城目)黒崎城(2城目)若松城は以前お伝えしたので、その続き3城目からまた始めさせて頂きます。
黒崎城から南へ20km、直方(のおがた)市の標高633m(比高550m)の山頂に鷹取山城はあります。六端城の中では訪れるには最大の難所だと思います。黒田長政は重臣の「母里太兵衛友信」に18,000石を与え築城させました。母里太兵衛(もりたへえ)と言えば、福島正則との飲み比べに勝ち、あの黒田節のモデルとなった事で有名な槍の名手です。大河ドラマ軍師官兵衛では「速水もこみち」さんが演じられていましたね。
城びと先人の方々の投稿を拝見すると、南側に車を止めて人気の上野登山口の南ルートから攻めていたようなので、そこがいちばん整備された道で登りやすそうです。しかしその近くに行くバスは無く、直方駅から山の北側に行くバスがあり、そこから北ルートがあるようなので、私は北ルートから攻めてみる事にしました。まず博多駅前にある太兵衛の銅像にあいさつしてから出発します(写真⑩)。そしてJR篠栗線で博多から直方へ、直方駅前からバス[2][3]道目木循環に乗り15分、「出口」のバス停で下車しました。ここから鷹取山を見上げると、うわ!結構高い😯(写真①)。
歩き始めて30分、登城口の「鳥野神社」に着きました(写真②)。鳥居のすぐ前のダム湖沿いに駐車場とトイレがあり、車の方はここまで来れそうです。鳥居をくぐって石段を登り、安全祈願をして神社の右側から入りました(写真③)。この先どこが道なのかよくわからない場所が多かったです。30mぐらいの間隔でピンクのリボンがあったので、迷わぬように慎重に、それらを一つ一つよく探しながら登りました。登山道というより、これはもう修験道ですね(笑)。
途中の山の中腹で大規模な畝状竪堀とその一部が石で積まれた登り石垣のような場所がありました(これはすごい!)。竪堀は風化されていますが、それでもかなりの深さと長さです。その上には櫓台のような石積があり、このあたりはかなり強固な防御陣地が築かれていたようです(写真④⑤)。下には鳥野神社もあり、ここは黒崎に最も近い場所なので、たぶんこのルートが昔は最も防備を固めた大手道だったのではないかと推測しました。
さらにこの先を尾根伝いを進むと、数十メートル間隔で大きな石がゴロゴロありました。これらは破却された石垣のようです(これもすごい!)。よっていくつもの砦がこの尾根伝いに数十メートル間隔で築かれ、かなり壮大な防御網がここにあったようです(写真⑥)。よって黒田長政は、もし細川忠興と一戦交える事になった場合、この鷹取山城を六端城の中でも最重要拠点と考えていたのではないかと私は推測しました!🤔。
しかしながら、長政は一国一城令の出た1615年頃には、江戸幕府から危険人物とされてしまったので、特にその原因となった六端城は、これ以上疑われぬよう徹底的に破却したようです。これらの石は、そんな大規模な破却の跡のように感じました。最後は福岡城の天守まで壊したくらいですからね。
そしてやっと山頂(鷹取山城)へ到着。案内図では神社から1時間40分と書かれていましたが、健脚でない私の足では3時間もかかり、もう息絶え絶えです(笑)。でも先人の方々が見られなかった、大規模な畝状竪堀や破却の跡などを見る事ができたので、疲れ以上に満足感がありました。
次は、その山頂本丸の様子(2/2)に続きます。
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2025/06/02 07:29
2025春・西九州城めぐりの最後に。 (2025/03/04 訪問)
しとしとと降り続く春の雨。
桜まつりにはまだ早く、復元潮見櫓も公開前ではありましたがそれもまた一興と、西九州城めぐりの最後に行ってみました。
復元工事は既に終わり、あとは公開を待つばかりの潮見櫓。少し離れたところから見つめるのみでしたが、5年、10年……100年後、今日の日のことを知る人が誰もいなくなっても、「現存令和時代の復元櫓」としてここに在り続けてくれたらいいなと思いました。もちろん、(伝)潮見櫓の方も現役で!
本丸に行くと、何と、立派な天守が復元されていました!!桜まつりの一環として設置されたものですが、幻の天守をイメージするのにこれほど助けとなるものはありません。50基近くあったという櫓とともにイメージするのは更に想像力が必要でしたが、福岡城にとっての天守の物理的・抽象的位置づけにも思いを巡らせてみました。
黒田如水御屋敷跡、旧母里太兵衛邸長屋門、名島門、祈念櫓跡、多聞櫓、そして力強い石垣を見学しながら、福岡城の広大さや奥深さを改めて実感しました。
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2025/06/02 06:43
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり③ (2025/05/04 訪問)
因幡大崎城からの転戦です。獣除けのネットフェンスの開閉が億劫で麓に駐車しました。麓から山頂まで、かなりの歩きでがあります。途中、鵯尾神社の鳥居があり、石の祠の本殿までもかなりの距離がありました。馬場、三の丸、本丸までの距離表示はしっかりとあるのに、肝心の現地表示がなく推測するしかなかったのはちょっと残念でしたが、好天の下、素晴らしい眺望を楽しむことができたので満足です。
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2025/06/02 06:39
星ヶ岡城 東京都千代田区 (2025/05/09 訪問)
城びと未登録城です。
東京出張の際、近くに所用があったので立ち寄りました。
主郭跡はキャピトル東急が建つあたりとされ、日枝神社が二郭となるようです。
道路を挟んだ日比谷高校が三郭でこの道路が堀跡とされます。
遺構はほぼ残りませんが日枝神社境内の山王稲荷神社背後に土塁らしきものがありました。
戦国時代の江戸城の支城とされるようです。
現在は都会の真ん中ですが日枝神社が高台にあり、その高低差が城の名残りを示しています。
【見どころ】
・二郭と三郭の間の堀跡(道路)
・二郭に建つ日枝神社
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