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イオ

観光程度にひとめぐり (2025/04/06 訪問)

今年の城の日は首里城に登城しました。…といっても、家族旅行として訪れたため観光程度でしたが、それでも県営駐車場から守礼門をくぐって園比屋武御嶽石門を横目に歓会門、瑞泉門(龍樋も)とたどるうちに気分は高揚し、漏刻門、広福門を抜けて首里森御嶽を眺めつつ奉神門から有料エリアに入り、素屋根見学エリアで正殿の復元工事を見学。サラメシや新プロジェクトXで観たように3階部分は朱漆もかなり塗られていて、あの火災から5年あまりを経てここまで復元されたんだなぁ…と感慨深いものがありました。そして東のアザナから城内と城下を見渡し(あいにくの雨天でしたが…)、あとは順路に沿って首里城北面の石垣を眺めつつ駐車場に戻りました。

ほぼ見学コースをたどるだけで城好きとしては少々物足りなくもありましたが、正殿が再建されればまた来ることになるので、城下も含めてとことんめぐるのはその時の楽しみにとっておくとして、今回は概要をつかめただけでヨシとしておきましょう。晴れて正殿が完成する日が待ち遠しいですね。


…ということで、平日を一日つぶして2泊3日の沖縄旅行に行っていたので、城びとはしばらくご無沙汰でしたが、無事生きてます(笑)  しんちゃんさん、お気遣いありがとうございます。焦るどころか南の島でのんびり羽をのばしていました。朝田さん、山形県コンプおめでとうございます。関西でさえ、滋賀や京都や兵庫の北のほうは雪で行ける時季が限られるなぁ…と思っているのに、山形なんてほぼ全県が限られますよね。隣県とはいえさすがです。
 

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑨ (2025/04/04 訪問)

四国・淡路城巡り最後の城、高松城へ。
大きくきれいに積まれた切り込み接ぎの桝形、月見櫓・艮櫓の2つの重文三重櫓、桜満開の桜の馬場など見どころ満載!
特に2つの重文三重櫓は天守並みの迫力がある!
月見櫓は日曜日に内部公開しているとのことなので、今度は日曜に来たい。

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赤い城

おめでとうクイズ

山形のネタが無いのでクイズはパスかな〜と思ってましたがにのまるさんの出題に便乗(悪乗り?)して赤い橋3枚です。
1枚目は瞬殺希望、2枚目は朝田さん未訪かな?
3枚目は・・・。

よろしくお願いします!

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑧ (2025/04/04 訪問)

四国・淡路城巡りの旅、最終日の3日目。
白村江の戦い後に築造された朝鮮式山城のひとつ。城門と石積みが復元されている。
石垣は地形に沿ったやや弧を描いた形状をしており、近代城郭との違いが面白い。
かつて源平合戦の舞台にもなった屋島は景色も絶景!

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にのまる

ありがとうございます。

朝田さん、山形県コンプリートお祝いクイズの回答ありがとうございます。
行ったお城を振り返られて自分でも楽しかったです。
回答ですが、1枚目は1字違いです。橋の形状がそっくりさんでした。茶臼山陣城と米沢は難問にしようと思って拡大したのですがあっさり見破られてしまいました😣
では、次の方にバトンタッチします!

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑦ (2025/04/03 訪問)

淡路島から徳島に戻り、続日本100名城のひとつ勝瑞城へ。
敷地は方形で水堀に囲まれており、現在は見性寺という寺が建っている。
城の遺構は水堀とわずかに残された土塁くらいしかなく、同じ続日本100名城の洲本城と比べると見劣りする感は否めない(^^;
すぐ近くにある勝瑞城館跡展示室(無料)でパンフレットとスタンプがもらえ、ガソリンスタンドで御城印を購入できる。
御城印はこの地方(藍住町)特産の藍染に金文字で書かれており、かなりかっこいい(^^)

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天守無しがアツい

専称寺でおこまを叫ぶ (2017/06/03 訪問)

(2017年6月3日)
(紹介URL)http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A0404020

最上義光歴史館からやや離れた場所に専称寺という寺があります。ここも駒姫に関する史跡巡りで絶対外せない場所。

山形駅でレンタサイクルを借り、地図を頼りにアプローチ。手探りのような感覚で探し、とある寺の前で地図を見直したら、左手に門があり、なんとそこが専称寺でした。つまり気づいたら着いていたわけです(笑)

スマホ検索で墓の形は知ってましたが、意外と境内の奥にありました。観光客向けの矢印に従い歩き、墓(1枚目)が目に入りました

墓の前に来たら、両手を合わせて黙祷…というのが、一般的なお参りかもしれません。もちろんそれはしましたが…それだけでは…想いが足りない…

「おこま~😭😂😆」と叫びました。「おこま」とは(とある歴史番組で彼女の死を知った親族が泣き叫んだ際に口にしていた)駒姫の愛称です

一期一会の訪問になるかもしれないので、墓の周りを何周もして、ここを見学しました

ちなみにこの墓は近年になって建てられたもので、それ以前は墓石の後ろにある小さな石しか置かれてなかったそうです

あと、駒姫は(他の側室と共に)三条河原で処刑された後、そこに掘られた穴に埋められたため、当然ながら遺体はこの墓にはありません

ここには遺品として山形に持ち帰られた頭髪(の一部)が埋葬されているそうです。おそらく小さな石の下に埋められたのでしょう

ま、三条河原の下に埋められたとされる遺体は骨ごと微生物に分解されたか、洪水で濁流に飲み込まれておそらくもう残ってないそうです

そしてここ専称寺に埋葬された頭髪もおそらくすぐに微生物に食われ、今は土に還っていると想像できます

でも、それを言ったら、歴史上人物の多くは、遺体は残ってない。もしくはどこにあるか分からない…そうです

例えば義経の首塚はあるけど、そこに遺体は無い…というのが一例。伊達政宗のように墓に遺体のあるほうがむしろ珍しいそうです(そのおかげで彼の生前における体格や顔つきが判明)

なので、歴史上人物の墓の多くは、「お墓」というよりも「慰霊碑」と解釈したほうが妥当なのかもしれません。墓の下にあるのは遺骨というよりは霊(たましい)みたいな

そもそも骨自体、そのまま残るということはなく、何百年も経過すれば分解されてしまうと知恵袋の情報から知りました。

とりあえずここには駒姫の霊が眠っている…と思うことにしました。周囲は竹藪と民家に囲まれ、閑散とした雰囲気。私以外誰もいなかったので…

「おこま~😂」と私は連呼して彼女の霊を慰めました…🙏

(2025年3月23日)
まさかの再訪問…墓の側までたどり着いた私は…そこで(前回は見なかった)案内板(2枚目)を目にしました

五輪の塔の後ろにある小さな石…この名称が黒髪塚というそうで…遺髪(処刑される直前に親族への形見として駒姫自らが髪を切ったのかも)が侍女の手により山形まで届けられて…この地に埋められた(上記の記事でも同じ内容を書いてるけど念のため記載)

案内板の末尾に令和三年と書かれており…前回私がこの地に足を踏み入れたのは平成二十九年のため…「どうりで見た覚えないはずだ」となりました

黒髪塚(3枚目)🪦 今回もまず…「おこまー😭😂」と何度も叫び…それから黒髪塚に100円玉、五輪の塔に5円玉をお供え

家からこの日のために…線香とチャッカマンを持ってきたので、黒髪塚に3本・五輪の塔に2本…それぞれ火をつけてから線香置き場に備えました。墓石の上に片手を添えたりしながら…私なりの想いを…気持ちを込めて…15分ほど…ひたすら祈りました。ここまでした人間は…私だけ?😅

ちなみにここ専称寺でも御朱印をいただきたかったのですが、本堂にも隣の建物にも…誰もいない。なので授与を諦めました。その少し後にネットで調べてみたら…浄土真宗のお寺(の多く)は御朱印をしないそうです

専称寺も浄土真宗を名乗る寺。(基本無人なので受付のしようがないという事情もありますが)つまりそういうことでしょう😓

(浄土真宗は御朱印しない 参考URL)
https://blog.goshuin.net/shinshu_01/

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いつもの鉄塔越しの眺望 (2025/03/23 訪問)

 朝田辰兵衛さん、山形県コンプリートをおめでとうございます。残念ながら、山形県の城には一つも行けてないです。皆さんの投稿を見て、東北の城に「行きたい」をたくさんつけているので、いずれは、と思っています。にのまるさんの赤い橋シリーズも絶妙ですが、回答も見事ですねえ。
 さて、長野城です。鈴鹿山脈の山深いところで、標高540m、比高360m。そしてとても険しいです。青山高原の風力発電風車が近くに見えます。城の構造は単純ですが、室町幕府にたてついて、2年以上籠城したというだけあります。東に向かって眺望が開けているのですが、どうしても真ん中に送電鉄塔が入ってきます。城域への舗装道は、送電線建設、維持のためでしょうから。
 

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小城小次郎

蜂須賀家政生誕の地(ほんとに) (2024/08/18 訪問)

「ありがちだよね」と通り過ぎそうな蜂須賀家政生誕碑は実はホンモノ。なんでまたここに蜂須賀と思ってしまうが蜂須賀城を追われた蜂須賀さんは「嫁の実家」の安井氏が拠るこの城に居候しそこで家政が生まれたのだそうな。へー。

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しんちゃん

飯盛山  (2024/09/17 訪問)

最近イオさんの足跡が見えません。焦らせるような言動をしたのであればご容赦を。城攻めは個人のペースで楽しくやるのが一番だと思います。また「金龍がゆく紀行」の続きが見たいのですが、怪我とかはされていないですか?

最近は山城攻めのハードルが高くなってきているので、山城ばかり攻めている人の痕跡が途絶えると心配になりますね。いんげん丸虫さんも元気にしてますか? たまに投稿されると、それだけで安心しますよ。

城びとの城ではありませんが、飯盛山の投稿です。白虎隊士の少年たちの最期の地です。白虎隊の会の設置した案内板には慶応4年(1868)この地で敵陣に突入するか、帰城するかを巡って激論が交わされたとあります。最終的に敵に捕まって主君や祖先に迷惑をかけるわけにはいかないという意見に皆が同意し、鶴ヶ城に向かって決別の意を表し、全員が自刃したと記載されています。
美しく潔いですが、あまりにも儚いですね。私は戦国時代の人々の、「何が何でも生きのびてやるぞ」という泥臭い生き方の方が好きです。最期には潔く散りますが、そう簡単には死んだりしません。郡長正の死にも思う所があり、日新館でも、もっと逞しく生き抜くことも教えて欲しかったと思います。


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しんちゃん

江戸時代も特例として残された近世城郭 (2024/09/16 訪問)

猪苗代城の続き。猪苗代城は佐原義連の子孫・猪苗代氏によって築かれ、豊臣秀吉の御奥仕置の後は蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入り、その後も上杉氏、蒲生氏、加藤氏の支配下に置かれ、江戸時代も特例として存続が認められています。蒲生氏の頃から近世城郭としての改修が行われていったようですが、石垣などの遺構は大手の付く東側に多く築かれ、西側は土塁や空堀などで守られています。
最高所に本丸が置かれ、南に二の丸、周囲には北帯郭、西帯郭、南帯郭が置かれ、南帯郭には煙硝蔵や番所が置かれていたようです。
東の大手には枡形が付き、石垣遺構は崩れている箇所もありますが、見ごたえがあります。
西側の土塁などの遺構も良く整備され、石垣の城と土造りの城の良さを味わうことが出来ます。
・・ストックが溜り過ぎてなかなか片付かない。記憶に頼りながら書いている部分もあるので、ご容赦ください。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪14/17上末城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内14城目上末城へ井上城から東に約7.7km程に在り、城郭放浪記さん上末城跡スポットの陶昌院の近くに在るファミリーマート小牧上末店駐車場を目指して走行。

 駐車場:ファミリーマート小牧上末店駐車場。トイレ借用し買物して駐させて頂く。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 ファミリーマート駐車場から東へ登り小道を進行して落合医院を南に折れて一本南の道を西に折れて50m程で城郭放浪記さん上末城ポイントの当たる陶昌院に着く。陶昌院の本堂と鐘堂の間に数台車は駐められそう。
 陶昌院の本堂の西に「俗姓落合氏将監藤原安親碑」が有り落合氏の墓が残って居る、南は崖、西も落ち込んでいる、北の国道155号線側で北に落ち込み、グーグルマップに上末城跡史跡マークが有り土塁、堀が残って居る。この辺りが上末城域なのか?
 陶昌院、落合氏の墓を参拝して西の山門から参道を降りて北の国道155号線南側に遺構が残る土塁、堀、上末城跡碑、案内板を見学確認した、丁度道側約1m程竹林が伐採されていて石碑、案内板は良く見えた、堀と土塁は目では確認できたが写真では竹が重なり良くは見えない。大事にしたい土塁と空堀です保存管理を宜しくお願いしたい。

 案内板によると
 上末城跡は森下城ともいう。足利氏の末裔、落合将監勝正が築いたものである。勝正は文明年間(1469年~87年)の人物で、子の安親は織田氏につかえた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦では、池田勝入らの三河侵入の道案内をしたという。(小牧市教育委員会)
 

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ぴーかる

源義賢館跡 (2025/02/09 訪問)

【大蔵館】
<駐車場他>源氏三代供養塔駐車場6台分程あり
<交通手段>車

<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、ラスト6城目。現地説明版によると大蔵館は平安時代末期に源義賢によって築かれたと伝えられています。館の規模は東西170~200m、南北220mと推定され四隅に土塁、空堀が残されています。
 上記駐車場所が源氏三代の史跡公園にようになっています。供養塔の道路を挟んで源義賢公の墓があり、お参りして大蔵館跡の大蔵神社に行きました。土塁が一部残されています。残る遺構は少ないですが、史跡は良く整備されて良い場所でした。
 
 これにてこの旅終了。この日の日中に除雪と一気に雪が溶けたようで、帰路時には新名神高速の冬用タイヤ着用も解除され、スムーズに帰ることができました。本当に事故無く無事でよかった1248㎞走破です。

<満足度>◆◇◇ 

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dougen

2019.12.28登城 (2019/12/28 訪問)

袋井駅の南側の浅名地区にある諏訪神社が馬伏塚城址となります。
城址は住宅地になっており、遺構はわずかですが、主郭跡となる諏訪神社周辺に土塁や空堀の遺構が残っています。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪13/17井上城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内13城目井上城へ下奈良城から南東に約3.5km程に在り、グーグルマップ史跡マーク井上城址の近くに在るローソン一宮千秋町加納馬場店駐車場を目指して走行。

 駐車場:ローソン一宮千秋町加納馬場店駐車場。昼を摂りトイレ利用させて頂く。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 ローソンPより東に約80m程で五条川、川沿いの桜並木は咲きそろい、大勢の桜ウオーキングの人たちで賑わっていました、神明神社の駐車場も1、2台可能で有りましたが車が入り当日使用できない状態でした。
 神明神社を参拝して五条川沿いを北東に80m程で井上城址案内板、井上城址石板解説碑、その奥土塁状高台に祠と覆い小屋、石板碑、井上城址角柱碑が立っている。
 当日は桜が咲き美しい五条川景観を楽しめました。
  

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪12/17下奈良城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内12城目下奈良城へ宮後城から南西に約4.0km程に在り、グーグルマップ史跡マーク下奈良城跡の近くに在る一宮地域文化広場C駐車場を目指して走行。

 駐車場:一宮地域文化広場C駐車場(一宮市春明河戸56)(35°19'20"N 136°50'51"N h=20m)40台可。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 駐車場から北へ春明橋を東へ曲がり50m程でグーグルマップ史跡マーク下奈良城跡ポイントに着く、通りに面して下名田城跡石碑と下奈良城跡案内板が在る。
 案内板によると
 天正12年(1584年)小牧長久手の戦いのおり、尾張北部のこの地は両軍の最前線地域として重要な地域となった。秀吉方古文書に下奈良に砦を普請、秀吉と信雄との講和が成ると下奈良砦は破却され道具類は河田砦に移す。との文がある。下奈良にも砦があったものと考えられる。(一宮市観光協会春明町内会を抜粋)
 

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駿府城

駿府城公園の桜と歴史ロマンを楽しもう!

桜が見頃を迎え、駿府城公園は華やかな春の彩りに包まれています。お花見に訪れる方が多く、公園内や駿府城跡天守台発掘調査現場は賑わいを見せています。
 
この時期ならではの、お堀と桜が織りなす美しい景色を楽しみながら、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場にも足を運んでみてはいかがでしょうか?
駿府城跡天守台発掘調査現場では、江戸城をしのぐ規模を誇る壮大な天守台を間近で見学できます。また、併設されている「発掘情報館きゃっしる」では、金箔瓦や駿府城に関する展示を無料で見学できます。
歴史を学びながら、春の陽気の中でゆったりと公園を散策するのもおすすめです。桜と歴史が織りなす特別なひとときを、ぜひ駿府城公園でお楽しみください。

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todo94

【城びと未登録】撃方山城(長崎県対馬市) (2025/03/30 訪問)

朝田辰兵衛さん 山形県コンプリート、おめでとうございます。このコンプリートに向けても雪の残る中を攻められている様子でしたが、日本海側の城は山城のオンシーズンが限られていて制覇へのハードルが高いと感じています。さすが、雪国在住の方だけあるなあと感嘆しています。

さて、黒瀬観音堂の後は一気に対馬を北上して吉川弘文館の「九州の名城を歩く」に所収の撃方山城へ向かいました。旧上対馬町の北のはずれの城ですが、城びと登録の城で一番近いのが金田城なので、ここに投稿させていただきます。城郭放浪記さんの記載通り、尾根にたどり着くまではかなりハードな直登が続きます。生えている樹木がまばらなので手がかりを見つけるのに一苦労です。最悪、足元のもろい岩盤(粘板岩かな)をつかみつつ何とか尾根にたどり着きました。尾根道も決して緩やかではありません。西側の郭を経由してたどり着いた山頂の主郭は、帯郭に取り囲まれていて、三方に郭が伸びています。東側の郭には石垣がありました。想像以上に良く遺構が残っていて楽しめましたが、下城も大変な苦労が待っていました。築城者は毛利高政。2025年2月に佐伯市歴史資料館にて毛利高政の展示を見てきたばかりだったので、築城者が毛利高政と知ったときはちょっと嬉しくなりました。

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朝田 辰兵衛

にのまるさんクイズ…

しんちゃんさん,赤い城さん,ぴーかるさん,にのまるさん,祝辞ありがとうございます。

さて,にのまるさんクイズですが,赤い橋は特徴があるので記憶の中に詰め込まれています。
10枚目の関東ローカルですが,以前赤い城さんから出題された城で,未訪ですがロックオン済。今年行けたら行こうと思っています。
7枚目はサービス問題ですね。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪11/17宮後城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内11城目宮後城を目的とする、溝口城探訪の後一旦浜松へ戻り翌日再探訪2日目グーグルマップ史跡マーク宮後城跡と宮後八幡社南と名鉄犬山線踏切の間の1台程の駐車場を目指す。
 
 駐車場:宮後八幡社南の秋葉禅寺参拝者駐車場(35°20'30"N 136°53'06"E h=20m)利用。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 宮後八幡社を参拝、南入口に蜂須賀桜が咲いている、蜂須賀家政が再建したという八幡社が丸石を使った石垣で周囲を囲み鎮座している、八幡社の南東隅に宮後城跡解説板令和5年7月製、令和5年2月宮後城発掘調査出土した干支の文字が刻まれた石が地表展示(子、丑、卯、申、酉、戌)、解説板には当時の宮後城推定図と位置図が描かれていました、宮後町八幡社の由緒、八幡社入口左手に蜂須賀家屋敷跡と宮後城跡の案内図が掲示されていました。
 案内図に従い宮後城跡を住宅街を通ってその辺りへ、新しい住宅が建設されている、グーグルマップ史跡マークの宮後城跡標柱スポットには標柱は無く成って居る、県道64号線対面の蜂須賀家政公誕生之地碑と蜂須賀家屋敷跡(宮後城跡)解説板はしっかりと残って居ました。
 史跡マーク宮後城跡辺りから宮後八幡社へ戻る途中には東側に川が流れて居り低く成っており段丘、畑が有り堀跡かな?と思われる痕跡。

 宮後城は安井氏つながりで蜂須賀小六正勝、嫡子家政、安井弥兵衛長子で浅野長政などの戦国武将が輩出しています。
   

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