今回の鳥取城スタート九州一周城探訪の5日目、天草島の再登城富岡城、初登城河内浦城を終えて国道266号線を南南西へ直線12.3km程、経路で約15km、久玉城を目指す。
久玉城は15年前富岡城の後に初登城を狙っていたのですが、鹿児島出張中でも有り行き帰りの三角経由時間を考えると断念(その当時フェリー航路の考え頭に無し)しました、今回は牛深港からのフェリーとしました、がフェリー16時半を考えて棚底城はショートカット断念しました。
久玉城は城郭放浪記さん歴史読本記事で以前より認知はしており何時かはと考えて居り、今回の肥後探訪では陣ノ内城、富岡城、河内浦城と企画に入れて初登城を叶えました。
駐車場:特に無し、隣接の無量寺墓場前の国道266号線西側幅広路側帯に路駐、数台可能
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
路側帯路駐場所より南へ20~30m程に石垣上に史跡久玉城跡碑が在り更に南にスロープが有り久玉城跡大手口へ大手口は館跡?井戸、標柱、久玉城跡説明板があるが経年変化で文字写真図が薄く成って居る、奥へ進むと道が分かれて主郭東下段?谷筋奥に進み廻り込んで主郭枡形虎口より主郭へ、広く西端には高石垣が有る様ですが、上から見るだけ、傍まで樹木が茂り高さを実感する事は出来ず、主郭南東下に石垣が残存する馬出の様な虎口、そこを降りず主郭奥の2段3段4段奥へ最上部には北端に土塁、2段3段の間にスロープ土橋と切岸が見える。主郭南東下の馬出?虎口を降りて石垣の残存部を見て置けが良かったと帰って気付く。まぁ~久玉城に初登城した事で満足です。
歴史は、久玉城はこの地方の領主であった久玉氏によって築かれた城と伝わる。久玉氏は16世紀後半に河内浦を居城とする天草氏の傘下に入ったと考えられる。久玉氏領主のキリスト教導入に関して一族内紛があるも、関ケ原後、天草は唐津藩の寺澤氏の飛地領となり、久玉城は寺澤氏によって大改修されて高石垣などが残って居る、江戸時代初期の絵図「慶長肥後絵図」に描かれた久玉城は天守風の櫓が表現されている。(現地久玉城跡説明板による)
久玉城初探訪を終えて牛深港へ、ハイヤ節の故郷、日本海の港々にハイヤ節を伝播していった大元がここです、よく祖父も俳句と民謡、ハイヤ節も(メインは貝殻節ですが)唄っていましたし、教えてもらいましたが忘れてしまいました。
16時40分発のフェリーで鹿児島県長島町蔵之元港へ船上約20~30分程、東シナ海に沈み夕陽が奇麗でした。2時間の地道で鹿児島市内ホテルへ、途中無料高速道も有り割と早く着きました。
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