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Tokyobay

「帝都」の昭和遺産 (2024/10/20 訪問)

某大学の近現代史の先生と歴史散歩。江戸城内外には江戸時代の「幕府」のみならず、戦前昭和の「帝都」ならではの遺跡があり、平安~幕末の京都とはまた違って「重層的」に歴史を感じられるところが魅力。戦国や幕末と違って、昭和はあまり人気ないのが残念ではあるが、「帝都」を無視して江戸から東京への変遷は語れないというのが持論。

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しんちゃん

遺構はいずこ? (2025/03/15 訪問)

能見城は二度目の訪問になりますが、正直まったく記憶に残っていません。それもそのはずで小山の上が城址になるのですが、遺構が何も見当たらなかったからです。舗装された車道が上までついているようなので、雨天もあり、車で登ってみたのですが、途中から酷い悪路になりました。やはり下から歩いたほうが無難です。
南北朝の時代に甲斐国守護職武田氏の一族の穴山義武が当地を本拠地としたとされています。能見城は天正9年(1581)新府城の支城として武田氏によって築かれたとされています。また天正壬午の乱の際に徳川氏に改修されたとも伝わりますが、その割にはめぼしい遺構は見当たりません。

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しんちゃん

中野景継 (2025/03/16 訪問)

この日は朝から雨です。あまり城攻めに向かない日ですが、平城なら傘をさせば行けないこともないです。神光寺一帯が城址とされ北側に土塁らしきものがありますが、詳細は不明。案内板には南麺に塁濠らしきものがあると記載があるけど未確認。
文永2年(1265)新田義重の子孫、中野景継によって築かれたとされ、その子 藤内左衛門が延元3年(1338)越前国藤島において、主君の新田義貞とともに戦死した後、廃城になったようです。戦国時代には小泉城主・富永氏の臣・宝田和泉守は当城を本拠としたが、天正18年(1590)廃城となったようです。

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しんちゃん

山梨道中 (2025/03/15 訪問)

15日は山梨、翌日は佐久市、群馬を経て栃木県まで行ってきました。先週は富山まで行ってたのに、けっこうせわしなく移動しています。一月足らずで本州・四国・九州の24都府県を訪問しました。今年に入ってからは28ですか、東北も行きましたからね。
周辺で未訪なのは和歌山県・・地理的に後回しになっていました。イオさん、そのうちお邪魔するかもしれません。
さて、山梨といえば、やはり「ほうとう」。躑躅ヶ崎館(武田神社)の正面にある「蕎麦カフェ 由布姫」で「ほうとう」を頂きます。ここのほうとうはボリュームがあって美味しいです。
「桔梗信玄餅ソフト」も美味しそうですが、ちょっと食べきれない。武田神社をひとしきり散策して二順目の百名城スタンプを捺印して・・そうこうしているうちに腹にスペースが出来てきたので、デザートにおいしくいただきました。

補足・・武田神社を訪問してデザートを頂いた後、廻国異能の者・出雲阿国を見つけました。ラッキー、来てよかった。それから程なくして新府城周辺で出浦盛清を発見。見るからに異能の者といった出で立ちです。まさかの異能の者2連チャンです。まだ2時間もたってないのに、いる所には居る、でもタイミングが良すぎるな・・
盛清くん、君ひょっとして阿国さんのスト・・いやいや考えすぎか。なんにせよ良かった。

盛清くん、1万石加増してあげるから、ちょっと越後まで武将探索に行ってきてくれないかな。

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畝状竪堀があります (2025/03/09 訪問)

 二段の広い主郭に八幡宮があります。主郭の奥に切岸と腰郭があり、更に尾根を進むと、堀切があります。主郭の西斜面の南寄りに、薄くなってはいますが、畝状竪堀が見えました。
 姿は見えねど、電車が鉄橋を渡る大きな音が。城の下を山陰本線のトンネルが通っています。

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姫街道

一城別郭 (2025/03/15 訪問)

高天神城唯一の弱点と言われている西面の緩斜面の地形を補う「堂の尾曲輪」は何度見ても圧巻だ。城はH形状の一城別郭。中央を繋ぐ井戸曲輪部だが、何故堀切を打たなかったのだろう…。打つ必要が無かったのか?掘りたくても岩で掘れなかったのか?それなら何故井戸は掘れたのか?久しぶりに登城すると、以前とは違った見方が出来て楽しい。
伐採が行われていたり、案内看板も新調されていた。本丸、二ノ丸には複数の建物跡が確認出来ているらしい。建物復元も含めて再整備していって欲しい。

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朝田 辰兵衛

「浦賀,まってろよ❢」 (2025/02/23 訪問)

ここはみなさんの投稿にもあるように,民家の石段をパシャリ📷です。ついでに民家の前の道ぐらいかな…と。
金沢八景駅からほど近く,浦賀行きの電車が停車しているのが見えました。浦賀には浦賀城の他にも横須賀美術館という周辺観光ポイントが存在します。思わず…
「浦賀,まってろよ❢」
とつぶやいていました…<笑>。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

貝塚市役所の西側にある要家住宅(貝塚市重要文化財)が畠中城址となります。

城址としての遺構はありませんが、元城主の子孫の方が居住している江戸時代の屋敷が残っています。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

水間鉄道名越駅から近木川に架かる千石橋を渡ったところにある小山が千石掘城址となります。
案内板は少ないものの整備されており、散策は問題なくできます。
遺構としては、郭跡や土塁、空堀などが確認できます。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

JR和泉橋本駅近くの明教寺が積善寺城の本丸跡となります。秀吉の紀州征伐後、廃城となったこともあり、遺構は残っていませんが、貝塚中央病院から明教寺方面に行く橋のところに解説板が設置されています。

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カズサン

小山城-6/6 能満寺諸堂編 (2025/03/10 訪問)

 小山城-5/6の続です。
 
 能満寺には諸堂在り特に女坂を登った桝形郭の様な一角(小山城跡南西角一段下)に虚空蔵尊堂が鎮座、西側エリアに6体石仏が安置祀ってあります。
 以前若かりし頃の初登城時には今は立入禁止に成ってる急峻な石段を昇ったものです、今は女坂4折れして登ります。
 その他に立入禁止の石段下に中段の郭?が有り、東に大日如来堂、西に不動明王堂が祀ってあります、鐘楼の西対面辺りに弘法大師堂が祀ってあります。その辺りには大ソテツの案内解説板、小山城跡案内板が設置されています。

 もう少しで桜咲きいい季節に成って来ます、大ソテツと桜、能満寺、展望台小山城天守閣、小山城遺構をお楽しみください。
 
 長々と投稿をご覧いただきありがとうございます。
  

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カズサン

小山城-5/6 大ソテツの能満寺編 (2025/03/10 訪問)

 小山城-4/6の続です。

 小山城へ登城するには南麓の能満寺山門より入り国指定天然記念物大ソテツの本堂を参拝して大日堂、不動明王堂の在る中段郭?を参拝通って女坂より登ります。
 能満寺は古く行基菩薩が三体の虚空蔵菩薩のうち一体を安置したのが始まりの様です、又本堂前に在ります国指定天然記念物大ソテツは平安時代の陰陽学者安倍晴明が唐から長徳元年(995年)持ち帰って植えたとの寺伝、大ソテツは1000年も経ち根株周り高さも大きく立派で見所満点です、今まで何回となく訪ね参拝して居ましたが気にして居なかったせいか、本堂前の中門?の屋根構造が四方に唐破風造りの唐屋根と成ってる事を認知した次第。山門と中門の間やや東に吊鐘を安置した鐘楼が有り枝垂れ桜が咲誇るのを持っています。
 能満寺院は大井川の氾濫で流失、武田信玄の再興、江戸時代は徳川家康の庇護も受けていた歴史があり、現在は臨済宗妙心寺派の寺院です。

 小山城-6/6に続きます。
  

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トク

紅葉の岡城 (2024/12/01 訪問)

昨年12月に訪れた岡城です。一昨年は散った直後で時期を誤りましたが、昨年は紅葉がいちばんきれいな時期に訪れる事ができました。 「春高楼の花の宴~♬」と歌にもあるように、春の岡城の桜もきれいだろうなと思い昨年訪れましたが、やはり時期を誤り失敗してしまいました。今度こそリベンジしたいと思っているのですが、山城は平地と時期が少し遅れて咲き、また散るのも早いので予測が難しいですね🤔。ちなみに今年の岡城さくらまつりは、4月5日(土)に行われるそうです。
 

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todo94

プレミアムナイトツアー② 今年初公開の「天守の内室」 (2025/03/08 訪問)

大天守での扉を開けるイベントには立候補させていただきました。ぎしぎしときしむと重い扉でした。天守内の井戸を見て連立天守の内側の天守曲輪に入ります。塩蔵、東小天守の地階と貴重なスポットに案内していただきます。プレミアム感があったのは用意していただいたスリッパ。足をすっぽりと包み込むフワフワの防寒対策バッチリのスリッパでした。今回初公開の内室は、5名ずつ2グループに分かれての入室です。天井が低いのでヘルメットを装着しての入室でした。柱に記された番付を見ることができました。天守最上階では参加者全員で一斉に窓を開けるイベント。大天守から姫路の夜景を望むというのも貴重な体験です。大天守を出たところのいの渡櫓との間の間隙は耐震のための造りだそうです。

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赤い城

久しぶりの登城 (2025/02/23 訪問)

前回の登城は2009年8月、まだスタンプラリー目的の頃でした。
なので現存天守を見て終わり、改めて行きたいと思っていました。
城まちステーションのある城見橋公園駐車場に車を置きます。
平日はさらに登ったふいご峠駐車場まで行けますが土日祝はここまで。
有料のシャトルバスもありますがもちろん徒歩で登りました。

途中、山肌を見ると竪堀っぽい凹んだ部分もあります。
竪堀なのか自然地形なのか崩れた跡なのか・・・。
ピンクリボンもあるので竪堀だと信じて登ります。
20分くらいでふいご峠駐車場に着きました。
まずは下太鼓の丸跡を見学します
根古屋と天守の中間地点にあり、太鼓の音を中継する通信施設でもあったとされています。
段になった曲輪があり、石垣も施されています。

一息入れてさらに登ります。
大手門から三の丸に入り腰曲輪へ。
ここから大手門の枡形が良く分かります。
枡形で足を止め、ここから狙い撃ち。
想像しながらさらに二の丸を経て本丸に着きました。
久しぶりなので天守内も見学しました。
さんじゅーろーもいましたが目もくれず?搦手側に。
こちら側の石垣も素敵でした。

今回は大松山城にも行く計画だったのでさらに進みます。
水の手から先に土橋があり、堀切が切られていました。
これから先は次回のレポートに持ち越します。
【見どころ】
 ・下太鼓の丸の石垣
 ・大手門の石垣
 ・腰曲輪から見下ろす大手門の枡形
 ・現存天守
 ・搦手門跡周辺の石垣
 ・土橋の堀切

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Tokyobay

移住はアリ? (2025/03/09 訪問)

一応、ミーハー的に本丸から天守を概観。忠実に再現されてはいるようだが、「準直轄地」にしてはよく見ると破風の少ない結構地味な天守という印象。ちなみに、外国人観光客は思ったより少なく、再開発も殆どなされおらず、良くも悪くも「地方都市」という風情。
尚、人口は18万だそうで、小田原攻めの秀吉軍とほぼ同じ数というガイド説明がちょっとウケる。
最近は、小田原移住&新幹線で東京通勤も増えているらしいが、マダマダ盛り上がり?には欠けるか。
という出遅れ感?ある、いい感じの「古臭さ」?が気に入ったので、自分もちょっと移住したいと思ったが、やはり「津波」が怖い。かといって、高台に住むのは不便そうだなあと散歩して痛感したし・・・。

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しんちゃん

十数分の死闘 (2025/03/10 訪問)

日宮城は神保長職が増山城に移るまで居城し、増山城に移ってからは支城として機能していたようです。武田・上杉・一向一揆の勢力の狭間で揺れ動きますが、しだいに上杉氏に取り込まれていったようです。
元亀3年(1572)武田信玄の調略に応じた加賀・越中国の一向一揆に押され、上杉の援軍が一向一揆に敗れたのを見て、一揆勢と和議を結んで能登国石動山天平寺に落ち延びていったようです。
主郭は北東部の丘陵のようで私有地のため見学は出来ません。薬勝寺と日宮神社も郭のようで、各郭の間は堀切で仕切られ日宮神社の周囲は他の郭よりも急な傾斜に囲まれています。
日宮神社の前の細い道路を移動して来たのですが、出口に除雪車の置いてあった雪の塊が有りました。さっき通りすがりのマダムが手をパタパタふっていたけど、「この先は通れないよ」という意味だったのか(じゃあそう言ってくれ~)。
すでに退路は無いので、自力で雪の小山を削って行きます。比較的調子のよい右の膝で小刻みにキックをかまして崩していく。そしてストックで突いて削って行く。十数分の地味な努力のおかげで自力脱出しました。JAFを呼ぶより早いぜ!
雪対策としてスコップを買って車に積んでいますが、昨日 長野の佐久市に向かう途中の道はけっこう雪が積もっていました。まだまだ油断できません、日ごろの準備は大切ですね。

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Tokyobay

豪華な銅門と手抜きな常盤木門の差異 (2025/03/09 訪問)

他に参加者が居なかったのでガイド独占。ガイド的に強調していたのは平成の銅門と昭和の常盤木門の差異。前者は手の込んだ作りになっているが、後者は手抜きも甚だしく、ガイドすら意味不明の復元になっているとのこと。銅門はハリに細かな意匠が施され、柱も石垣に合わせて加工されているのに対し、常盤木門の方は石垣と柱に空間がある。最悪それは予算の関係で仕方ないとしても、非常に中途半端な位置に柱が建っており、これは常盤木門復元のミステリーとのこと。
とはいえ、常盤木門は平和な世に作られた徳川専用の門でもあり、狭間もなくオープンな作りであるのに対し、銅門の方は桝形虎口で防御性が高いという対比も興味深いものがある。
尚、ガイドの方は「初デート」が小田原城の動物園で、当時の動物園は雑多で待ち合わせに苦労したらしいが、その後無事結婚したとのこと。その思い出地で60~70年後にボランティアガイドができる「幸福」を感じた次第。ガイドの方々は地元愛のある名士的人格者な方々が多く、単なる観光ガイドに留まらない様々な話が聞けるのが想い出になる。それが観光地の「格」を位置付けているのかなとも思ったり。

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Tokyobay

地元民パワー侮りがたし (2025/03/08 訪問)

城下で駐車場探しでウロウロし地元民らしき人に声掛け。最初の若者は「城なんてあんの?」との回答で、次の中年女性は「XXさん家が停めさせてくれるはず」との回答で、その場で電話で問い合わせてもらい、無事民家の駐車場に停めさせてもらう。そしてパンフまで配布してもらい、有難いことこの上ない。
で、肝心の城だが遺構が素晴らしく噂に違わぬ名城であることを痛感。若干の城下町風情?があるものの、他方でJR横浜線と第三京浜道路に分断されているのも時代のせいか。ちなみに専門書によると茅ヶ崎城とは「親子関係」にあるとのこと。双方の修復時に代替的存在だったとか。

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Tokyobay

八幡山古郭東曲輪跡はとてもよい展望台 (2025/03/10 訪問)

小田原城は溶岩が流れて形成された八幡山丘陵に構築された城郭だが、東海道線の開通によって分断された格好になっている。現在の天守は丘陵の下方部分にある平山城であり古郭からは見下ろすポジショニングにある。よって、結果的に八幡山古郭東曲輪跡はとてもよい展望台的な存在。
ちなみにアクセスとしては解体中の競輪場が無料駐車場になっているのでそこを利用するのがオススメ。天守からも全然近いので、丸1日ここに停めて総構え&天守周辺を観光してもよいのかと。地元民との交流も楽しみにしていたので下校中の相洋高等学校の学生に道案内してもらったのもいい思い出。観光地の学生はそういう教育を受けているのか皆結構親切という印象。
尚、現在小田原駅前の繁華街にある「竹花」元々は「岳鼻」であり、八幡山丘陵の溶岩が流れ着いた先端とのこと。という知識があると「立体感」で小田原城郭を把握できる。

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