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しんちゃん

二条城 西方城の支城 (2026/01/03 訪問)

西方城の投稿ですが、西方城の東に在る二条城の投稿になります。ちょっと精神的に万全ではない状態でやって来たので、本来のルートを違えました。推奨は長徳寺からのルートで駐車場も借りられる(?)ようです。
一応、二条城に向かうトンネルの入り口にも「西方城」の看板が有るので、昔は二条城から西方城に行けたのかもしれません。
でも今は藪で行く手が遮られ、近くにはダムもしくは堤防みたいなのがあって、いろいろ危ないので長徳寺から訪問して欲しいですね。私もヤバいなと思ったので二条城まで散策して引き返しました。
公式さんの投稿に出ていた赤色立体図を見ると二条城は本城である西方城に近いぐらいの面積があるように見えます。
頂部に主郭が配され、立体図でも確認できるぐらい土塁がしっかりと残っています。東に堀切と土塁が配され、堀切の底は郭のようになっています。主郭土塁のそこかしこに石積がありましたが、いつの時代の物かは不明です。
あと・・ここに何かがいました すぐ近くのヤブの中から奇妙なうなり声が聞こえてきましたが、一喝したら静かになったので、そのまま下山しました。近くに落ちていたフンの大きさから見ると小熊などでは無さそうです。野犬かなにかでしょうか?
個人的な意見ですが、山の中に犬や猫などを捨てていく輩には腹がたちますね。

西方城には行けなかったので「行ってみたい」のままです。

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シェル

ひたちなか史跡めぐり ①那珂湊  (2025/04/19 訪問)

 遅ればせながら、令和八年を迎えました。
 例年同様、今年も不定期で投稿を続けていく予定ですので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、新年一発目は、お城というよりも、史跡めぐりの投稿となります。
 いきなりズコーと思われるかもしれませんが、ご安心を。お城も登場します。
 今回は、ひたちなか市の史跡めぐりの様子を投稿したいと思います。最初は那珂湊編。那珂湊へは、JR常磐線 勝田駅からひたちなか海浜鉄道で向かうか、水戸駅から路線バスで向かう二つのルートがあります。私はひたちなか海浜鉄道で向かいました。

① 夤賓閣(いひんかく) 
 ひたちなか海浜鉄道 那珂湊駅から南に徒歩10分ほど。
 元禄十一年(1698)に水戸黄門こと徳川光圀がつくった水戸藩の別邸です。現在は湊公園となっています。日和山と呼ばれる高台につくられ、那珂川の対岸の大洗や太平洋を望むことができ、幕末には海防見張番も置かれたようです。しかし幕末の元治甲子の乱(天狗党の乱)で建物は焼失してしまいました。戦火を逃れたクロマツと井戸跡の石碑が往時を偲びます。

② 那珂湊反射炉・水戸藩小石川邸の移築門
 夤賓閣を出て北東側に16分ほど歩くと、あづまが丘公園があります。公園内には那珂湊反射炉と煉瓦窯が復元されています。那珂湊の反射炉は、幕末に水戸藩が建設し、鋳造された大砲は、幕府へも献上され、江戸の台場にも設置されたようです。説明板によると、反射炉も元治甲子の乱(天狗党の乱)で破壊されたようですが、昭和に復元されました。そして公園の北側には、山上門という薬医門があります。この門は、水戸藩江戸小石川邸にあった門を移築したもので、水戸藩邸で唯一現存する建築物のようです。

③ 館山城跡エリア 
お待たせしました。城びと未登録の城ですが、那珂湊の館山城です。那珂湊駅から北に徒歩10分ほどです。
 現在は、お寺の密集地帯になっていて、お墓が所狭しと並んでいるような感じでした。館山城は、小泉左京亮重幹が平安末期に築いたとされ、戦国時代は江戸氏(水戸城主)の城として機能していたようです。遺構は、一番北側にある浄光寺の本堂奥に土塁が残存していました。
 土塁の残る浄光寺は、かつて水戸城内に置かれていた寺院で、江戸幕府三代将軍 徳川家光から那珂湊を朱印地として与えられ、水戸城内から那珂湊へ移転しました。そして浄光寺の山門は、水戸城から移築した佐竹時代の城門という伝承があるらしいです。立派な薬医門でしたので、水戸城の門だった可能性も十分ありえそうでした。
 次に浄光寺の南西側にある正徳寺です。正徳寺の山門は、元々は水戸城の弘道館そばにあった水戸藩の典医久保田宗仙の屋敷門を移築したものです。この山門は幕末の元治甲子の乱(天狗党の乱)の戦火に遭い、右袖側は火災の被害を受け、左主柱には、当時の弾痕が残っています。

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しんちゃん

破城された石垣愛🪨🪨😍 (2026/01/01 訪問)

今年の元旦、石垣山城に寄って来ました。他にも元日に登城された方がいますね。元日に登城するには石垣山城は良い城だと思います。
駐車場から出て、最初に目にするのが崩された南曲輪の石垣・・石垣山城を象徴する石垣だと思いますが、見慣れすぎてある種の美しさすら感じます。パルテノン神殿も壊れている場所があるから、より美しくみえるという趣もあるような・・
石垣山城よ 崩れていても君は美しい・・デ〇ルマンのカ〇ムみたい。。
三連休缶詰のせいか調子が出ないな~ 風雨にさらされ、じわじわ崩れていくからこそ愛おしく感じる部分が有る
そこに愛はあるんか?・・元日から「破城された石垣への愛」がタマランチ会長ですわ😂

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しんちゃん

中村館 (2026/01/01 訪問)

中村館は神奈川県中郡二宮町にある丘の上にある城跡です。密嚴院が跡地とされますが「城めぐり」のリア攻めポイントは東の丘陵の頂部あたりを指していますね。複数の郭があったようで周囲の見晴らしは良いと思います。
残念ながらポイントの周囲に宅地がありリア攻めは出来ませんでした。まだ本調子でないとはいえ、この程度の坂は問題ないのですが、周囲から見れば明らかに「普請もの」です。ここはリア攻めムリっす・・せめてもう少し範囲が広ければ。
中村氏の城館跡とされますが遺構の状態を含めて詳細はよくわかりません。

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いんげん丸虫

桜山城 長野県飯田市 (2025/12/29 訪問)

比高約100mの山城です。麓に遊歩道がある
のですが城郭の案内はなかったかな。
明確な道、看板はありませんが、藪漕ぎをする
こともないです。主郭が細長い三日月型になって
るのが特徴的です。楕円形に土塁が残ってます。
段曲輪が続き麓には広い平坦地があり、天然の
巨大土塁で防御してます。

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送りバント

20030927岩国城(山口県岩国市) (2003/09/27 訪問)

錦帯橋から見上げる天守、天守から見下ろす錦帯橋と錦川、どちらも絵になる

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送りバント

20180131櫛崎城(山口県下関市) (2018/01/31 訪問)

北麓の城址碑付近に立派な石垣が残っている

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送りバント

20190430ヲシャマンベ陣屋(北海道山越郡長万部町) (2019/04/30 訪問)

平成最後の日に訪問。飯生神社裏手に明確に残る土塁と空堀は見事の一言

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送りバント

20190429五稜郭(北海道函館市) (2019/04/29 訪問)

GWで激混みの中、40分待って登った五稜郭タワーから満開の桜が取り囲む全景と青空を楽しむ。花見客で賑わう中見た石垣と水堀と桜のコラボも素晴らしかった

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チェブ

城トラップに出口を間違える? (2025/11/23 訪問)

2回目の「守谷城」攻めです。
2022年の春、守谷小学校近くの土塁と石碑と説明板を写真に写し、すっかり「守谷城」に行った気でいました。
帰って皆さんの投稿を見てビックリ、『守谷城址公園』にて再登城してきました。

北側の大きい駐車場に車を止めて「守谷城」攻め開始です。
『守谷城址公園案内図』を見上げ、左手に『かわうそ弁天』がありました。
カワウソ?イタチ科のカワウソ?これだけで、左方面に歩いてしまいました。
私は小学生の頃、テレビアニメ
『冒険者たち ガンバと7人の仲間』
を観るのが好きで、毎回白イタチのノロイとの戦いにハラハラしてました。
それから、最近行った新江ノ島水族館のコツメカワウソが可愛いくて、、、と、こんな理由でかわうそ弁天へ。
かつて、「守谷城」を守る水掘の役割だったのでしょうか?沼があり、かわうそが生息していたそうです。
かわうそはいません。
写真②を随分と歩き、何しに来たんだろう?と思う頃、ようやく「守谷城」攻め開始しました。
皆さんが絶賛する「守谷城」。私は縄張り等、よく分からずに歩いていますが、イラストと説明板があるので分かりやすく歩けます。
散々、土塁上や堀底を楽しみ、土橋を渡り、虎口を見て戻ってきたつもりが、南側の駐車場でした。
また、入城したら、どこへ歩いて行ってしまうか心配だったので住宅と公園の間の道をぐるっと周りました。

再登城しても、まだまだ歩き足りない「守谷城」攻めでした。

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todo94

2026年始・元日の両毛の攻城④ (2026/01/01 訪問)

勧農城からの転戦です。国の重要文化財に指定されている物件です。基本的に土日祝日のみの公開で平日に見学したい場合は、事前に電話にて予約する必要があります。元日は祝日ではあるけれどもちょっと非常識でありました。「午前中はお年始で留守にしていたので午後で良かったけれども、事前に予約をしておいてほしかった。」と言われてしまいました。申し訳ありませんでした。それなのに、館長さんに非常に丁寧にご案内していただいてしまって恐縮です。とても勉強になりました。ありがとうございました。次に向かった桐生城は駐車場の先の入り口部分が倒木でふさがれてしまっていて、登城がかないませんでしたので、元日の攻城は彦部屋敷が最終となりました。

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しんちゃん

太閤出世稲荷 (2025/12/30 訪問)

名古屋市熱田区の高座結御子神社の境内にある末社・高座稲荷社は太閤出世稲荷の異名で知られています。
幼いころの豊臣秀吉が母に手を引かれてお参りしたことから、そう呼ばれるようになったそうです。年末でひっそりしていましたが初詣の参詣者でたいそう賑わったのではないかと思います。周囲には貝塚やら古墳らしきものもあり、なんとなくパワースポット的な雰囲気を感じました。

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しんちゃん

本多忠高 (2025/12/30 訪問)

安祥城の跡地は大乗寺(主郭)と八幡社(二郭)の境内になっています。北には歴史博物館と駐車場があり、周辺を安祥文化のさと(郷)と呼ぶようです。天文18年(1549)徳川家康の父・松平広忠が死に、同年 今川・松平軍は太原雪斎を総大将として織田信長の兄・織田信広が城代を務める安祥城を攻めました。先鋒を務めた本多忠高(忠勝の父)は信広に追い迫るも深入りしすぎて敵の矢で射られて戦死してしまいました(案内板参照)。
大乗寺の境内には忠高の墓碑があり、徳川家に対して功績のあった者だけが許される大亀の墓碑を以て築かれています。
境内には堀平十郎宗正の墓もありました。安城古城の近くにも宗正の塚があるとされ、安城合戦で討死した将士ではないかと考えられています。主郭跡とされる大乗寺は周囲より高い位置に有り城址の雰囲気を残しています。

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沼田城

テスト投稿

沼田城跡の情報について紹介するアカウントです。

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トク

126【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (島津の退き口(2/3))

(26人目)井伊直政の続き㉘です。
琳光寺にて長寿院盛淳の捨て奸に時間をかせがれてしまい、直政は義弘を見失ってしまいます。しかし直政はまだまだ諦めません。義弘は牧田の交差点を東の伊勢東街道へ逃げ去りました。一方の烏頭坂で盾となった豊久は、盛淳が時間稼ぎをしている間、伊勢西街道へ逃げ去ろうとします(写真①)。しかし深傷を負っているため、もはや自力では歩けず、家臣らに担がれて逃げているようです。直政は豊久の後ろ姿をかすかに見つけ、「おのれ義弘!」と豊久を義弘だと勘違いし追いました。しかし牧田川に差しかかると(写真②)、この日は前日の雨で水量が増しており、渡るのに時間がかかってしまい、またも見失なってしまいます。

この時直政の家臣らも、ある者は傷を負い、ある者はもはやもう走れず、誰も直政についていける者はいませんでした。つまり直政は完全に単騎駆けの状態になっていたようです。もう回りがまったく見えていなかったのではないでしょうか。そして私も川を渡り、さらにチャリをこぎ続け、やっと勝地峠の入口(現:上石津中学校)までたどり着きました。

島津軍に残された弾はあと一発。この一発の銃弾で直政を討ち取るべく、最後に渾身の捨て奸を敢行します。しかしその場所が一体どこだったのか? 未だその場所は特定されていません。薩摩に残っているかすかな記録によれば、勝地峠の入口ではなく、かつ頂上でもなかったようです。分かっているのはただそれだけです。

ならば私は、ここから島津軍の気持ちになり、もし自分なら最後の捨て奸(最後の一発)をいったいどこで使うか? ゆっくりと実際に坂を登りながら自分の目で見て考えてみる事にしました。

ではここから、勝地峠に向かってゆっくりと坂を登ります。
勝地峠の入口である上石津中学校前(写真③)から今も残る林道を登り始めます。ここが当時の伊勢西街道です。ここを5分程登ると、多仁林道に入りだんだんと狭くなってきました(写真④)。少しずつ人家や人気も無くなり、うっそうとした杉林に囲まれて気味の悪い雰囲気です。そしてここなら、島津軍にとっても隠れやすい場所が増えてきました。

そしてカーブに差しかかりました(写真⑤)。このカーブなら直政の馬もスピードが落ちるでしょう。鉄砲で狙いやすくなるかもしれません。しかし直政からも相手が待ち構えているのがよく見えてしまいます。よって私は、島津軍が待ち構えたのは、まだここではないと思いました。

ここで突然、私の頭上でガサガサという音が・・。何と野生の猿が木から下りてきました! 1匹2匹・・4匹もいます! その距離30m! 何かじっーと私を見ています。ここの猿たちは、えらくデカイです😯。これはもう・・・恐怖です(襲ってきたらどうしよう😱~)。写真を撮りたかったですが、もうそんな余裕はなく自分の命の方が大切! 落ち着いて高崎山で学んだ事を思い出し、とにかく襲われないように(まず目を合わせないように)、背を向け知らん顔しながら、恐る恐る・・・一歩ずつ少しずつ前へ進み、何とか脱出に成功しました!(😥助かった~)。

さらに5分程登りました。すると両側を杉の木で完全に囲まれ狭くてうっそうとした場所がありました。またそこはまっすぐな登坂になっていました。しかもその坂の向こうは全く見えません(写真⑥)。私は「ここだ! 絶対にここだ!!」となぜか直感的にそう思いました。直政も同じく坂の向こうは見えなかったと思います。脇道もなく両側は杉林なので、ここは馬でまっすぐ進むしかありません。私が島津軍なら絶対この坂の向こう(写真⑦)で鉄砲を構えて待ち伏せます! でもこれはあくまでも私の直感です。証拠は何もありません。

隠れて鉄砲を構える「柏木源藤」、その指揮をするのは家康の陣に入り、御前で奏上したあの「川上四郎兵衛」です! 直政の馬のひずめの音がだんだんと聞こえてきました。そして直政の姿が見えた瞬間、「松井三郎兵衛」が突然と現れ、道をふさぎ立ちはだかります。行く手を塞がれた直政の馬は驚き(ヒヒ~ン)、急に立ち止まりました・・・

その時です!!・・・😱!

次は、島津の退き口(3/3)に続きます。
 

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todo94

2026年始・元日の両毛の攻城③ (2026/01/01 訪問)

足利城からの転戦です。グーグルマップでの表記は勧農城です。渡良瀬川が三日月湖になる手前の如く大きく蛇行している中の小丘に築城されていて、二の丸には赤城神社が鎮座しています。神社裏手の最高所が本丸とのことでした。

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赤い城

不二見城 香川県観音寺市 (2025/12/14 訪問)

城びと未登録城です。
県道242号線沿い、柞田川の北側にあります。
広くなったスペースに車を置き、登りました。
主郭部には神社が建っています。

参道部分はおそらく竪堀?参道を登った反対側にも竪堀が落ちています。
県道を挟んだ向かい側も城域だったようです。
(ここには古墳があるようです)

神社なので綺麗に整備されていて西側は一段低くなっていました。
虎口のような凹みがありますがおそらく後世のものかと。

斎藤氏の家臣である大西氏の居城で藤目城の支城であったとされます。

【見どころ】
 ・東側に落ちる竪堀

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しんちゃん

箱根関所 (2026/01/01 訪問)

箱根の山は~天下の険♪♪ 函谷関も物ならず♪ 
箱根関所に行ってきました。リア攻めがしたくてジリジリ近寄ったのですが、このままではレッドラインを越えそうです。
「すみません大人一枚」 結局また入ることになりました。
面白いのが、ここの建物の石垣と接する木材が石垣の形に併せて削られている。まるで石垣に木材が吸いつけられるようにピッタリとはまっています。「ひかりつけ」という技法らしい。江戸時代ヒマだったんだなあ・・
関所の内部は大番所や足軽番所などが再現されており、初見であれば十分楽しむことができます。

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しんちゃん

富士山チラ見愛🗻😍 (2026/01/01 訪問)

今年の城始めは興国寺城です。興国寺・・良い名だ・・ついでに穂見神社で初詣も済ませました。伊豆に進出する前の伊勢新九郎盛時(宗瑞)が本拠としており、盛時はその後 韮山城に移りました。
富士山が見える城としても地味に知名度を伸ばしていると思います。
そこに愛はあるんか?・・逆に多すぎて難しい。土塁、空堀もすごいし・・おまけに神社に石垣まである、でもやはりここは・・
「富士山チラ見愛」でしょう。チラリズムにロマンを感じる・・そんな年齢です🥹

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小城小次郎

えっさえっさと堀を掘り (2025/03/30 訪問)

「堀もない城の主に嫁には出せん」と言われて領民総出でえっさえっさと堀を掘り、「櫓もない城の主に嫁は出せん」と言われてもないのにえっさえっさと櫓を作った菰野藩。一見無駄にも見えるこういう一所懸命さは嫌いじゃない。

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