若桜鬼ヶ城は八東川の南西の標高452mの鶴尾山山頂に築かれています。天正9年(1581)の鳥取城攻めの後に羽柴秀吉の家臣・木下重堅に与えられ、関ヶ原の合戦で重堅は西軍につき改易となりますが、若桜鬼ヶ城はそれまでの間に総石垣の城として近代化がなされたようです。出丸である六角石垣の周辺と本丸・二の丸・三の丸のある主要部は見事な総石垣となっており、本丸には天守台が築かれ、北に二の丸、三の丸が配されています。南北に城域が連なり主要部の東西の壁面には石垣が良く残っています。
マ〇〇さんが「鳥取には砂しかない」とおっしゃっていましたが、鳥取には「すなば珈琲」と素晴らしい山城が多く残っています。(他には無いんかい?)
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