続日本100名城

わかさおにがじょう

若桜鬼ヶ城

鳥取県八頭郡

別名 : 鬼ヶ城、若桜城
旧国名 : 因幡

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若桜鬼ヶ城
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todo94

年度末山陰の攻城・鳥取編③ 2巡目の続100名城スタンプラリー84城目 (2026/03/30 訪問)

市場城からの転戦です。これが3度目の若桜鬼ヶ城ですが、今回初めて、林道を延々と運転して駐車場に駐車しました。結構時間がかかるので、私のペースで進めば麓から徒歩で登るのと大差ないような気がします。天守台の裏手からアプローチすると全く別の城のように感じてとても新鮮でした。二の丸、三の丸、本丸と回って眺望も楽しんでから、若桜町観光案内所に向かいました。続100名城のスタンプ捺印と城カードの購入、そしてリーフレットもいただき、クリアファイルまでいただくことができました。年度末山陰ドライブでの攻城はこれにて終了です。帰路は篠山経由で亀岡のサンガスタジアムに立ち寄り、ボールデコの赤ピクミンをゲット。あとは素直に京都縦貫道、名神、中央道経由で帰着いたしました。

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イオ

山頂部周辺の曲輪群 (2025/11/02 訪問)

(続き)

本丸から二の丸まで戻って搦手側へ。本丸西面は破城によるものか石垣が崩れています。搦手の虎口を横目に西裾の腰曲輪に向かうと、こちらも破城によるものか南端部に石垣の崩れた枡形虎口がありました。虎口を出た先の登城道沿いには本丸とホオヅキ段の石垣が続いています。こちらは状態良く遺っていました。途中で石垣を登ってホオヅキ段へ。北側の天守台の石垣は崩れて石材が散乱しています。かつてはホオヅキ段から本丸の東裾を通って三の丸の大手枡形虎口に至るルートがあったようですが、藪化していたのであきらめて馬場に向かいます。馬場への尾根沿いには竪堀や櫓台、堀切があり、馬場には説明板が立てられて山麓からの車道の駐車場所になっていました。

馬場で折り返して今度は搦手口から六角石垣へ。搦手口も枡形虎口になっています。腰曲輪西面の石垣を眺めつつ西にのびる支尾根を進むと、尾根沿いの曲輪にも石垣が見られます。物見台と考えられる支尾根西端の曲輪は周囲を鈍角の石垣で囲んでいて、六角石垣と呼ばれています。破城を免れたようで石垣は状態よく遺っていて、周囲をたどって角を数えてみましたが、六角までは確認できませんでした。そして古城手前の分岐で来た道に合流して下山しました。

山腹の石切り場や山麓の居館などもあるようですが、今回はこんなところで。古城もそれなりに遺構はあるものの、この城の見どころは何といっても山頂部の石垣(と眺望)なので、車で登城されるなら山頂まで行ってしまってもいいかな、とも思います。ともあれ、中世の土の城と近世の石垣の城が並存する見応えのある城でした。
 

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イオ

山頂部の曲輪群 (2025/11/02 訪問)

(続き)

木下・山崎期に拡張された山頂部の曲輪群は、頂部の本丸から北に二の丸と三の丸、南にホオヅキ段、西に搦手の腰曲輪を配しています。北端の三の丸は周囲に石垣を施し、南東隅に大手口にあたる枡形虎口を設けていますが、破城によるものか枡形内には石垣石が散乱しています。

三の丸から坂虎口状のスロープを上って二の丸へ。二の丸には城跡石碑と小屋が建てられていて、小屋には説明板と続100名城スタンプが設置されていました。二の丸からは北に三の丸の枡形虎口を見下ろし、南には本丸の石垣が連なっています。

石垣で囲まれた坂虎口を上って本丸へ。本丸の南端には天守台がありますが、高さも広さもあまりないので、あったとしても二重の天守くらいでしょうか。それでも天守台からの眺望は素晴らしく、播磨と但馬からの街道が交わる要衝を押さえるべく築かれた城であることが一目瞭然です。

天守台を下りると、山頂部周辺の曲輪群をめぐります(続く)。
 

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イオ

矢部期の古城 (2025/11/02 訪問)

鎌倉期に矢部暉種が鶴尾山に築いた城で、矢部氏代々の居城となりました。戦国末期に尼子残党が攻め落とすも、吉川元春に攻められ撤退。羽柴秀吉の因幡攻めでは拠点となり、鳥取城が落城すると木下重堅が入りました。関ケ原の戦いで西軍についた重堅が改易されると山崎家盛が入封しましたが、池田光政が鳥取城に入ると若桜は鳥取藩領とされて山崎氏は備中国成羽に移封。若桜鬼ヶ城は一国一城令により廃城となりました。

若桜駅前の町営駐車場(無料)から観光案内所で散策マップをもらい、続100名城スタンプを押して登城開始。山頂部まで車道が通じていますが、山腹の矢部期の遺構も見たいので山麓から歩いて登っていきます。八幡広場から鶴尾山を遠望し、若桜鬼ヶ城跡の説明板の立てられた登山口から約10分で尾根筋に出ました。折り返して尾根の北端に向かうといくつかの小曲輪が連なり、木造のテラスや卒業記念のモニュメントが建てられています。登山道に戻って数分進むと、小さな東屋に山腹遺構の説明板があり、このあたりが古城と呼ばれる矢部期の主郭部のようです。切岸の上に小さな主郭があり、主郭の背後は堀切で断ち切っています。主郭から西にのびる支尾根には幾条かの竪堀を落としていました。

古城を過ぎると尾根をまっすぐ登るルートと六角石垣側に回るルートの分岐があります。六角石垣ルートは帰りに通ることにして、なかなかの急傾斜を登って行くと斜面にいくつかの段曲輪が設けられていました。そして分岐から10数分で山頂部に到着。三の丸からは若桜の城下町が一望のもとです!(続く)。
 

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 正治2年(1200)以降
築城者 矢部暉種
主要城主 矢部氏、山中幸盛、八木豊信、木下氏、山崎氏
文化財史跡区分 国史跡(若桜鬼ヶ城跡)
近年の主な復元・整備 木下重堅、山崎家盛
天守の現況・形態 複合式天守[階層不明/築年不明/破却?]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、虎口、竪堀、櫓台、天守台
住所 鳥取県八頭郡若桜町若桜
問い合わせ先 若桜町教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 0858-82-2213