続日本100名城

ありこやまじょう

有子山城

兵庫県豊岡市

別名 : 有子城、高城
旧国名 : 但馬

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有子山城
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つちのこ

出石城に続いて登城 (2026/08/02 訪問)

出石城の稲荷曲輪を見終わって、そのまま有子山城の登城口へ向かいました。
登り始めてしばらくは、直線でひたすら登りです。
「本丸まで720m」の標識地点では、立派な竪堀が姿を見せてくれます。ここまで遺構らしきものは見えなかったので感動。
もう少し登ったところに、左右の竪堀にかかる立派な土橋がありました。
「本丸まで500m」の標識地点は北第六曲輪です。広めの曲輪でちょっとした休憩所のようなスペース。これまで休める場所がなかったのでベンチがありがたかったです。
そしてここまできたら、しばらくは尾根沿いの平坦な道になりありがたかったです。
しばらく平坦な道を行くと、井戸曲輪の表示があり、斜面下に井戸があるようですが、はっきりとは分かりませんでした。
本丸まで240m地点で、北西方面に延びる連続曲輪が見えます(第七〜第十曲輪)。
主郭方面に向けてつづら折りの坂を登っていくと、第六曲輪が見えます。斜面下の石垣には崩れ防止のためネットが張られています。地面には礎石の石の並びが見えました。
第五曲輪を抜けると主郭へ向かう道と、千畳敷へ向かう道があるので、千畳敷へ向かいました。主郭と千畳敷の間には大堀切があり大迫力です。千畳敷は、但馬地域で一番大きい曲輪といわれ、東西135m、南北50mものひろさです。ちょっとした公園でBBQでもできそうな雰囲気です(できない)。
主郭へ向かう道に戻り、第三、第二曲輪を進みます。第二曲輪からは、主郭の石垣と虎口が見えます。石垣は隅石もしっかり残っており、野面積の無骨さが出ています。
そしていよいよ主郭へ。ここから見下ろす、出石の町並みは絶景です。これを見るために登ってきました。
ポツンと建つ東屋には、有子山城城主でもあった羽柴秀長のイラストが書かれた幟がありました。
ここまで約1時間20分かかり大汗かきましたが、それに見合う素晴らしい城跡でした。
下山時には、寄り道して石取り場に向かいました。斜面になっている道を抜けると石取り場に到着。大きい石がゴロゴロ転がっていたり矢穴痕の残る石が転がっていました。

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トク

5【秀長の但馬平定をたどる⑤】有子山城(山頂からの眺めは抜群です!) (2026/05/15 訪問)

さあ山頂目指して、出石城の稲荷曲輪から登城を開始します(写真①)。登山口には貸杖が置いてありました。これはぜひ借りて行かれる事オススメします。登る時よりも下る時に役に立ちます(それは何故か?🤔実際に下りてみると解ります)。

先人の方々の言う通り、登城開始してしばらくは、まっすぐな急傾斜が(これでもかー)というほど続きます。健脚でない私は、途中で引き返そうかと心が折れそうになりましたが、休み休み何とか登り続ける事50分、確かに(ここから平坦)の標識を見ると、急に救われた気持ちになりました(笑)(写真②③)。

それから今度は20分程ゆるやかな道を進むと、周りが開け急に青い空が見え始めたと思ったら、目の前にすごい石垣群が現れました。これらの石垣は最近の研究では、藤堂高虎の初期作ではないかと言われているそうです。途中から脇道に入ると石取り場がありました。高虎はここにあった石を割って運び、積み上げていったのですね。また主郭と千畳敷の間には大堀切がありました😯! 山頂部には想像もしていなかったダイナミックな世界が広がっていました!(写真④⑤⑥⑦)。

そして山頂(標高321m)からの眺めは最高でした。眼下に見える出石の街並み、目の前には此隅山、遠くは豊岡まで見えました。鯉が元気に泳ぐ程の涼しい風が吹き、流れる汗が一気に渇き、爽快な気分です。登城口から山頂まで、健脚でない私の足では1時間20分もかかりましたが、最初から最後まで誰にも会わず、有子山城とこの絶景を独り占め! 思わず山頂から勝ちどきを上げました(えい、えい、おー!😱)(写真⑧⑨)。

有子山城は1574年に、但馬国主である山名祐豊によって築かれました。1580年その山名祐豊との戦いに勝利した秀長と高虎は、どんな思いでこの景色を眺めていたのでしょうか? 「但馬平定を成し遂げた秀長様のために、但馬の国主にふさわしい城にしてあげたい!」 高虎はそう思って、石垣で城を築いたのではないでしょうか?
 

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トベシュン

京都・兵庫の続百名城巡り (2025/11/21 訪問)

京都・兵庫の続百名城巡り:福知山城・黒井城・出石城・有子山城・洲本城・尼崎城の六城を巡りました。

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キンヤ

藤堂高虎の初期作ともされる荒々しい石垣がよく残る山城 (2025/03/30 訪問)

1574(天正2)年、羽柴秀吉に居城の此隅山城を落とされた山名佑豊によって築かれました。
しかし、1580(天正8)年、再び秀吉の弟秀長に攻められ有子山城は落城した後、城主となった秀長が藤堂高虎に石垣を築かせたとされます。
その後、1604(慶長9)年、城主となった小出吉英が山麓に出石城を築き、有子山城は廃城となりました。

麓の出石城から有子山城への急な登りはキツく、雪・アラレが降ったり止んだりして大変でしたが、疲れを忘れさせてくれる見事な遺構が見られ、見所が多い素晴らしい城でした。
山頂部では、本丸から西側に6段の曲輪がに続き、藤堂高虎の初期作ともされる荒々しい野面積み石垣がよく残されてます。
石垣は本丸北側以外はほぼ全て金網で保護されており見辛いですが、特に第三曲輪の石垣が見応えがあります。北西から南西側にかけて高さがあり角はシノギ積みで、南側へ石垣が長く続いてます。
本丸北側の石垣は金網がなく見事な姿で苔もなく美しいです。
本丸と千畳敷の間の大堀切は圧巻で、これまで山城で見た中で最も大きいかもしれません。
千畳敷は広大な曲輪で、築地塀跡・礎石・石敷・庭園跡と思われる遺構が見られました。
山腹の南側にある帯曲輪には石切場があり、矢穴が残る石が数多く見られます。ここは出石城石垣用の石を切り出された場所と推定されるそうです。
山腹の各尾根は堀切・竪堀で防御されていて、特に東・北西側の堀切・竪堀はダイナミックで見応えがありました。
最後に北西側の尾根から井戸曲輪の下に行くと、見事な 7段の石垣が見られました。

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 天正2年(1574)
築城者 山名祐豊
主要城主 山名氏、前野氏、小出氏
文化財史跡区分 国史跡(山名氏城跡)
主な関連施設 碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、堀切、竪堀、土橋
住所 兵庫県豊岡市出石町内町他