天徳寺が城跡とされ、周囲より高台になっています。眞田與一義忠は三浦義継の四男・岡崎城主の岡崎四郎義実の嫡子とされ、その居城とされています。義忠公は治承4年(1180)8月23日夜、石橋山の合戦で俣野五郎家臣・長尾新五・新六のために25の若さで討死したようです。天徳寺は義忠公の菩提を弔うために天正年間に岐阜の天徳寺七世義翁盛訓禅師によって建立されたと案内板に記載があります。
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2024/06/26 07:09
2024/03/06 18:35
2023/09/17 05:12
2022/09/14 22:22
真田氏発祥の地? (2022/08/21 訪問)
天徳寺周辺が城跡で駐車場もあります。
山門から入り左手の与一堂に説明板があります。
城では物見台だったのでしょうか。
天徳寺背後には墓地があり、北東部には土塁が残っていますがかなり低くなっていて良くわからない感じでした。
周辺の低くなっている辺りは堀跡と思われますが遺構はありません。
あの真田氏の発祥の地とされています。
元々は佐奈田と書かれていたそうです。
ロマンを感じることはできますね。
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分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 真田義忠 |
築城年 | 応永年間(1394〜1428) |
主な改修者 | 上田氏 |
主な城主 | 真田氏、上田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 神奈川県平塚市真田(天徳寺) |
問い合わせ先 | 平塚市教育委員会社会教育課文化財保護担当 |
問い合わせ先電話番号 | 0463-35-8124 |