さしきじょう

佐敷城

熊本県葦北郡

別名 : 佐敷花岡城
旧国名 : 肥後

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大手門
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ヒロケン

総石垣造りの山城 (2024/08/12 訪問)

佐敷城は標高87.3mの花岡山に築かれた総石垣造りの山城です。規模は南北200m、東西100m程の規模で本丸、二の丸、三の丸を階段状に配置した梯郭式構造で、加藤清正公の領地となった1588年~1592年にかけて薩摩国境を守る「境目の城」として、また、熊本城の重要な支城の一つとして飛び領地に築かれ、加藤清正公の家臣、加藤重次公が城代として派遣されています。
この城は、一国一城令で加藤氏が破城していますが、加藤氏の改易後、新しく肥後藩主となった細川氏は加藤氏が行った破城が不十分として再度石垣を取り除いたと幕府に報告しており、二度破城が行われた珍しい城跡です。

1993年~2001年にかけて発掘調査が行われ、1997年から石垣が復元されています。復元された佐敷城はこじんまりとしていて、大きくないものの総石垣造りの姿は素晴らしく、大手門から二の丸東門の枡形虎口は見応えがあります。また、車で山頂付近まで行くことが出来、駐車場から徒歩5分程で搦手門まで行くことが出来ます。

皆さん方の投稿を見て、「行ってみたいお城」NO1のお城でしたが、今回初めて登城することが出来、達成感につつまれており来年、鹿児島県を訪問する際には、是非もう一度行ってみたいと考えています。

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ろっし

お城探訪 (2024/01/01 訪問)

近くまで車で行けます。

修復復元されている場所もありますが見事な石垣が見れます。
景色も良く最高の築城場所だった事が分かります。

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しんちゃん

続百名城にはならなかった、総石垣の山上の城。 (2014/01/09 訪問)

ちょっと古い写真になります。
佐敷城は加藤清正の加藤与左衛門重次が城代を務めたとあります。
築城は天正17年(1588)ごろとあります。
山上まで車で行くことができ、北から本丸、二の丸、三の丸と続きます。
二の丸東門と追手門(大手門)が東側にあり、二の丸東門は枡形になっています。
搦手門が北側にあり二の丸に通じているようです。
本丸には東西に門があるようです。
総石垣の立派な城ですが、続百名城には入りませんでした。
正直、入って来るかと思ってはいたのですが、なかなか続百名城も
狭き門のようです。


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コバトン

見事に復元された南肥後の要衝 (2023/03/12 訪問)


佐敷川と湯浦川の合流地点の入江を見下ろす山頂に築かれ人吉街道、薩摩街道と佐敷の港を押さえる要所だったことが分かる。
元和の一国一城令で廃城になっていたものが近年になって発掘・復元された。南肥後にあるが織豊時代から加藤家の飛地で関ヶ原の戦いでは敵地に孤立した状況ながら守り抜いたという堅牢な城である。
大きく三の丸、二の丸、本丸からなっており敵地の城ということで堅固な石垣作り。虎口も備えてあり加藤家の高い技術がうかがえる。廃城されたときの破却の跡も見られ歴史を感じるととも400年前の城をここまで整備した地元の皆様の努力には頭が下がります。間違いない名城。
佐敷の駅からすぐ見える位置にあるが、行きはぐるっと城山の裏手まで徒歩で15分くらい歩いた場所から登城。道は整備されているし登城口にはトイレもあって快適。帰りは登城口の傍から駅前まで直接降りれる道があったので5分くらいで帰れました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 佐敷氏?
築城年 南北朝時代後期
主な改修者 加藤清正
主な城主 佐敷氏、相良氏、宮原景種(島津氏家臣)、加藤重次(加藤氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国史跡(佐敷城跡)
再建造物 石碑、説明板、石垣
住所 熊本県葦北郡芦北町佐敷
問い合わせ先 芦北町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0966-87-1171