さしきじょう

佐敷城

熊本県葦北郡

別名 : 佐敷花岡城
旧国名 : 肥後

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城好きのメガネ

「佐敷城」 (2026/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
佐敷城は加藤清正が肥後半国の領主となり、築城された。佐敷地区は、薩摩街道や人吉街道が通る交通の要衝であった。戦国時代には相良氏・島津氏などが勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。加藤清正の時代には薩摩との国境を守る「境目の城」として、増改築される。1615年、一国一城令に伴い破却。1638年、島原の乱後に、再度破却される。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
肥薩おれんじ鉄道 佐敷駅 徒歩20分

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ぴーかる

佐敷城 (2026/01/11 訪問)

【佐敷城】
<駐車場他>城跡に駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<見所>門跡石垣・高石垣
<感想>1泊2日お人吉旅2城目。第33回日本100名城、続日本100名城に負けない名城で特集した佐敷城に行きました。特集前にも加藤清正築城の城跡として行きたい城にリストアップしていたので待望の登城となりました。宿の朝食時間が決められていて、遅めだったので、2日目最初のお城攻め、到着が10時過ぎとなり出足遅れ気味。さらに朝から雪が降っていて到着時は吹雪でした。カメラを守りつつ巡りましたが、見終わる頃に雪が止んで急速に太陽が出てきたので写真を撮り直すのにもう一度巡りました。積み直しの石垣とはいえ凄い石垣でやっぱり見応え充分、主郭の背後や三の丸跡の石垣は当時のままの石垣遺構もあり興奮しました。見所の少ない日本100名城、続日本100名城より負けるどころかちょっと勝ってる凄い城跡でした。芦北町歴史資料館にて御城印購入と資料館に出土した「天下泰平」銘鬼瓦が展示してあります。一見の価値ありです。

<満足度>◆◆◆

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送りバント

20211223佐敷城(熊本県葦北郡芦北町) (2021/12/23 訪問)

佐敷の街と海を見下ろす城山山頂にあり、復元整備された立派な石垣が素晴らしい

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トク

(2/2)加藤清正が島津への備えとした城 (2025/11/15 訪問)

佐敷城の続き(2/2)、今度はお城の様子です。

豊臣の九州征伐の後の1588年、肥後の北半分(隈本)は加藤清正に、南半分(宇土)と天草は小西行長に与えられます。さらに宇土の南(芦北)は清正に飛地として与えられました。そして家臣の「加藤重次」が清正の命でここ芦北に佐敷城を築城します。清正と行長は犬猿の仲だったので、どちらかと言うとこの時は、行長を背後から牽制するための城だったのではないかと私は推測しています。

しかし清正と重次が朝鮮へ出兵(文禄の役)で留守中の1592年、島津軍の「梅北国兼」は朝鮮へ出兵する船が到着するまでの間、兵2,000をここで待たせてくれと称して油断させて滞在し、だまし討ちで佐敷城を攻めるという事件が起きてしまいます(梅北の乱)。留守居役が何とか守り切ったようですが、清正はこれでだました島津を警戒するようになります。

九州の関ケ原の後、肥後全土を与えられた加藤清正は、1607年重次に命じて佐敷城を大規模に、今度は対島津の城として総石垣の城に改修させました。現在残っている縄張りや石垣は、この時のものと思われます。確かに本丸から南の薩摩に向かって二ノ丸・三ノ丸・南出丸と段々に連郭式に構築され、いかにも南の島津を睨みつけるような縄張りになっています。四方を壁に囲まれた要塞堅固の山頂には、東側の薩摩街道から攻め登ってくる事を想定していたのでしょうか、東側に追手門・二ノ丸東門・本丸東門と三つの桝形虎口が連続して配置され、その下を東出丸と南出丸で固めるという強固な造りとなっていました。しかし結局、関ケ原後の島津は、義弘の件で謹慎中の身となってしまったので、攻めてくる事はありませんでした。追手門には「天下泰平国土安穏」と刻まれた瓦も出土されました。加藤重次は改修しながらも、実は島津との戦を望んでいなかった、関ケ原も終わり、このまま戦もなく日本と肥後と加藤家が安泰となる事を願っていたのでは、という当時の心境が推測されます。

城はわずか8年後の1615年には一国一城令で破却され、天草島原の乱の翌年1638年、後に肥後に入った細川忠利により、再度徹底的に破却されたようです。石垣は1997年に復元され、今では総石垣の1607年当時の雰囲気がよみがえっています。そして確かに石垣の上半分(隅部と天端部)は石が落とされ塀や建物が建てられないようになっているので、そこに少しだけ破却の跡を感じる事ができました。

私は山頂の本丸から、眼下の八代海や薩摩街道を眺めてみました。「加藤と島津、強者どもが夢の跡」という光景が目に浮かんでしまいました。

この先は、ではなぜその加藤家は滅びてしまったのか? 八代城からわいた疑問をもう少し追って行きたいと思います。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 佐敷氏?
築城年 南北朝時代後期
主な改修者 加藤清正
主な城主 佐敷氏、相良氏、宮原景種(島津氏家臣)、加藤重次(加藤氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国史跡(佐敷城跡)
再建造物 石碑、説明板、石垣
住所 熊本県葦北郡芦北町佐敷
問い合わせ先 芦北町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0966-87-1171