見えにくい説明板には、荻窪城は大胡城の出城であったと言われています。荻窪地区に伝わる古文書には、文和2年(1353)足利尊氏の末派、赤荻主馬之介智宜・同弾正智則が居城。これにより同村の向山に城之守り本尊として、大日如来っを祀り・・・、築城は文書より古いく、赤荻一族と推定される。その他立地・縄張が載っている。
城址の西下の入口を利用。城址の西は谷戸を利用した公園になる。時季なのか篠・草が多いく歩きづらい。すぐに藪中に横堀が現れる。郭の北側に劣化した説明板、ベンチもあるが、藪っぽさは否めない。東に城址碑があり、主郭と分かる。さらに東の郭内には、土塁・堀が遺っている。南に下れば民家の敷地は郭に思え、先に南入口の標示がある。
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