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しんちゃん

明智光秀に攻略された波多野氏五代の本城 (2014/07/21 訪問)

八上城は多紀郡を支配した波多野氏が五代に渡って居城として来ました。波多野氏は大永7年(1527)に関東管領細川氏を放逐、天文7年に丹波守護代内藤氏を攻略し、応永年間には三好長慶や松永久秀と争いました。荒木村重などもそうですが、近畿やこのあたりの大名や武将は一筋縄ではいかない者が多く、織田信長も相当に手こずったと思います。
波多野氏は八上城を本城とし、周囲の奥谷城や法光寺城を合わせて守りを固めていたようです。
山頂に本丸が置かれ、周囲を岡田丸や二の丸が取り巻いています。本丸北側や右衛門丸の東側には石垣が残っていました。城址の案内板の縄張りには、全部「伝」が付いていて、各曲輪の名称・配置は推定だと思われます。

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todo94

夏のチャシめぐり①【城びと未登録】ウバトマナイチャシ(北海道枝幸町) (2025/08/08 訪問)

毎年、8月は北海道に避暑に来ております。今年は、道北にターゲットを定めました。稚内のホテルに4連泊です。ただ、レンタカーもホテルも夏の特別料金でびっくりです。さほどグレードの高くないホテルが素泊まりで1泊14000円はないでしょ。とりあえず、稚内の初日は、正午から5時間レンタカーを借り受けて宗谷岬経由で100km以上離れているヤムワッカチャシを目指しました。そのヤムワッカチャシのちょっと先の北見神威岬公園の一角にウバトマナイチャシの説明板が建っています。そこから、ウバトマナイチャシを望むことができます。

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しんちゃん

独自の景観を持った庭園 (2016/05/15 訪問)

池田城は旧豊島郡を支配していた国人領主・池田氏の居城でした。池田氏は元は細川氏の家臣でしたが、織田信長が勢力を伸ばして来るとその傘下にに入りました。池田勝正は旧家臣の荒木村重らに追放され、村重は摂津で勢力を伸ばしますが信長に忠誠を誓い、やがて伊丹城改め有岡城に移って行きました。
池田城は村重にはあまり使われてはいませんが、村重謀反の後、有岡城を攻めるための織田方の陣所として機能したようです。
現在は池田城跡公園として整備されていますが、遺構はあまり残っていません。池のそばには櫓風の展望休憩舎が建ち、周囲を良く眺めることが出来ます。

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ぴーかる

悠々無事に。

翡翠さんへ。秘訣というほどのものは思い付かない(気づいたら890城くらいで、そこから意識しだした)ので、わたくしの城巡りの生活を少し。
 城びと入会当時は百・続百名城中心に、周辺の城びと登録城を巡っていました。フラッグに色が付くのが気持ちよいので、そこからはまっていくわけですが、今となっては入会当初はただ、がむしゃらに巡っていたように思います。拠点が大阪なので条件が良い(城びと城の数が多い)のもありますが、登城数を稼ぐなら、ちょこ城(わたしの造語でお城の遺構がちょこっとしか残っていないとか、城跡碑しかないような城跡)巡りが良いでしょう。数年前から夏場はちょこ城巡り、冬場は山城巡り(山城は参考にしなくていいです、1日行けても3城なので)のルーティーンで巡っています。近畿の2府、奈良盆地、愛知県、首都圏にはちょこ城が多いので、行く旅の目的をちょこ城だけと決めて攻めまくります。名古屋のちょこ城巡りの時は地下鉄の1日乗車券で丸1日沢山行きました。

 自分の中では旅のプランを立てるのが楽しいし、また重要視しています。行くお城、巡る順番、駐車ポイントや最寄り駅、お城の遺構、地形の見処、移築建造物や城主墓碑等があればその場所、食事・道の駅・土産買い物等を下調べしてノート(持ち運びいいA5の小さいやつ)に書けるだけ書いて持って行きます。思ってたより見所ある城跡があったりして、大概プラン通りにはいかなくて、見落としたり、7~8割くらいしか巡れませんが一応欲張って沢山お城を入れるか、予備のお城(行けたら行く)を書き入れています。プラン通りにいかなくてもいいし、お城の出会いを楽しみに巡っています。

 一応PDCAサイクルでいうところのP・D・Check(撮った写真を整理・行ったお城の評価や歴史背景の勉強やおさらい・投稿の下書き等)をして城びとに投稿しています。TVや雑誌・書物などでやっていた城跡を書き留めたり、城びとの「みんなの投稿」を読んで行ってみたい城跡を書き留めたりして、結構常に次に行くお城を考えていますね。秘訣とまでは言えないですが、行ってみたいお城をとにかくどんどん行くっていうもの飽きがこないかとは思います。翡翠さんは百・続百名城以外の城跡はあまり巡られていないようなので、以外のお城もぜひぜひ行って見て下さい。いろいろ行ってるうちに、百・続百名城の凄さも分かりますし、百・続百名城にも負けていない城跡(主観的でいいんです)にも出会えます。

 以前にも書きましたが脳内に占める割合が、お城8割、仕事1割(笑)の私なので旅の途中ですがここまでこれたのかなあと思います。事故なく楽しむのが1番だと思います。長文になり、また理屈っぽくなりすみません。こんなところです。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

美しい 丸子城の堀に 土橋を架けて♪
(うつくしい まりこじょうのほりに どばしをかけて♪)

もちろん原曲は中島みゆきさんの悪女。
マリコ嬢には何度でも会いに行きたいけどまだ1回。
城ともさんたちも割と忙しいようで、そうそう付き合わせてもいられないです。

皆さん仰るようにここは遺構が素晴らしいです。
一度は行っておきたい城だと思います。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2019/05/04 訪問)

「執着が 悲劇を呼んだ 津和野城(しゅうちゃくが ひげきをよんだ つわのじょう)」

津和野城は坂崎直盛(宇喜多詮家)によって総石垣の近世城郭に生まれ変わりました。直盛は大阪夏の陣で千姫を救出しますが、幕府といさかいを起こし千姫を強奪する計画を立てるも、自害(もしくは家臣によって殺害)したとされています。
千姫救出の功績で1万石を加増されたと伝わりますが、これが5万石だったら、このような事件は起きていなかったかも。
千姫の命って1万石くらいなの?

「始まりは 蒙古襲来 津和野城」
弘安5年(1282)吉見頼行が沿岸防備のためにこの地に赴任し、周辺に城を築いたとされています。とはいえ津和野城はけっこう内陸にあるのですが。

「山陰の 天空の城 津和野城」
天空感けっこうあります。竹田城に似てるかな。

「千姫に 拒否られ改易 津和野城」
ミもフタも無い・・ オッサン相手なら何を言っても構わないという風潮はありますが、オッサンは傷つきやすいんですぞ。



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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2010/11/06 訪問)

 「さだまさし 案山子作曲 津和野城」(さだまさし かかしさっきょく つわのじょう)

 母の3回忌法要に合わせて家内と15年前に竹田城から故郷鳥取城、松江城、浜田城、津和野城と周辺観光秋の頃、津和野城は初探訪で丁度紅葉の頃、さだまさしが作曲し歌ってる「案山子」の作曲作詞の場所が津和野城との事、石州瓦の赤瓦家並み、山口線通る城下町の情景が良く唄に込められています、カラオケのレパートリーの一つでもあります。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2023/08/12 訪問)

「竜宮を 模した天守の 洲本城(りゅうぐうを もしたてんしゅの すもとじょう)」

天守台に鎮座している模擬天守は昭和3年に造られたもので、鉄筋コンクリートの模擬天守では国内最古になるそうです。竜宮城をモデルにしたとされる小振りな天守が風呂椅子みたいな台座にのっかっているセンスは初代通天閣に近いイメージはありますが・・
登り石垣を良く見ていないので、また訪問したいですね。

「石垣が 左右でお見合い 洲本城」
以前あきさんが投稿された、石垣が鈍角で突合せになる部分です。写真は無いですが、こういった隅部の処理は城ごとに、いろいろな趣向があるようです。

「淡路一 誉の名城 洲本城(あわじいち ほまれのめいじょう すもとじょう)」
淡路島は、かつては一つの国でした。洲本城は淡路国の「一の城」と言えると思います。砂岩で築かれているので、各所で石垣が崩れて来ていて痛々しいです。未訪の方は出来るだけ早く訪れて欲しいです。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/10 訪問)

「戦国の 姿で復元 安田城(せんごくの すがたでふくげん やすだじょう)」

戦国の姿と言っても、柵や建物等は無く、堀や土塁・郭などの復元になります。少々、寂しい気もしますが、これはこれで趣きがありますか。背後に見える山脈はおそらく立山連峰で、晴れの日の景色は格別です。富山県はどこからでも立山連峰が見える気がします。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2003/05/02 訪問)

 「蝦夷さくら 北のまもりの 松前城」(えぞさくら きたのまもりの まつまえじょう)

 50代半ば家内と5年毎の特別休暇を利用して長年の思いを叶えた北海道松前城初探訪、次期は桜の頃染井吉野桜を始め百種以上の桜が桜園で咲き誇って居ました、昭和24年に焼失した天守は復元されて、本丸御門と対に構えて見所、砲台跡、土塀、門も復元されていました。青森弘前城、北海道五稜郭、松前城と羽田から飛行機移動とレンタカー移動を合わせて桜の時期に探訪しました。
 

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/08/09 訪問)

「第一回 協会大賞 飯盛城(だいいっかい きょうかいたいしょう いいもりじょう)」

真夏の攻城でしたが,四條畷市側からも大東市側からも多くの方が登られておりました。年代層も幅広く,地元に愛されている山なんだと実感しました。栄えある「第1回日本城郭協会大賞」を受賞されたのも納得でした。ただ,どうやって五七五に整えるかが難問でした…。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】

 ① 「幕末の 姿像甦る 鳥取城」(ばくまつの すがたよみがえる とっとりじょう)

  平成18年(2006年)鳥取城の幕末の建物群復元30年計画が策定されて、最初の10年計画入ってる、擬宝珠橋の復元、中の門枡形表門渡櫓門が復元され、残りの太鼓櫓門へと進行しています。
 写真1は令和6年(2024年)11月14日の中の門枡形渡櫓門復元工事中の姿です。写真2は平成25年(2013年)8月14日仁風閣博物館内で展示されていた「大手登城路復元整備イメージ図」です。

 ② 「鳥取城 日本唯一 巻石垣」(とっとりじょう にほんゆいいつ まきいしがき)
  
  平成25年(2013年)8月14日鳥取帰省中に天球丸下の盾蔵跡の櫓台、石垣が完成し、天球丸の巻石垣も既に復元されて天球丸とその下の石垣が昭和18年の鳥取大地震以来崩落していた石垣が修復復元されて南面、東面が奇麗に成りました。
 写真3は平成23年8月14日の天球丸下の巻石垣です。写真4は平成23年8月14日の盾蔵跡台角から天球丸東側面の修復復元石垣列です。
 
 

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2007/02/09 訪問)

 「石塁に ペリーもビックリ 中城」(せきるいに ぺりーもびっくり なかぐすく)

 琉球の城跡が世界遺産に登録された直後、首里城、中城、勝連城、今帰仁城、座喜味城の5ヶ所探訪しました。
 特に中城はぺりーも浦賀の前に訪ねていると知らされて驚き、琉球石灰岩を利用した褶曲した石垣長塁が良く残って3の郭2の郭1の郭南の郭の存在も見逃せません、各郭間にはアーチの石門が在り独特の存在感も有り、一部正門、南の郭は復元整備も進行中でした。
 丁度沖縄桜の寒緋桜が咲き始め時期でした、今帰仁城では満開、素晴らしい探訪でした。
 

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2007/02/10 訪問)

 「今帰仁城 寒緋桜に 曲り石塁」(なきじんじょう かんひさくらに まがりるい)

 世界遺産に登録されて間もない頃沖縄出張が有り訪ねました、琉球石灰岩に成る褶曲した石垣長塁に只々感激圧倒されました、又時期的に早咲の寒緋桜が満開頃で桜にうっとり、圧巻の今帰仁城探訪でした。

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2019/01/27 訪問)

新宮城 高石垣の 船着場
(しんぐうじょう たかいしがきの ふなつきば)

備長炭 江戸へと出荷 新宮城
(びんちょうたん えどへとしゅっか しんぐうじょう)

見事な石垣、本丸から出丸越しに望む熊野川など見どころは多々ありますが、私のイチ押しは水ノ手郭です。川に面した高石垣と巨大な船着場は、熊野川流域の備長炭を集積し江戸へと出荷する拠点だったそうで、備長炭の専売により紀州藩の財政を支えました。
 

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2014/01/28 訪問)

「堀切への 深いこだわり 河村城(ほりきりへの ふかいこだわり かわむらじょう)」

本城郭と蔵郭の間にある堀切は、幅20m 深さ8mもある大規模なものですが、その堀の深さにも負けてない堀へのこだわりを感じます。
先の堀切は5回もの造り直しが確認されており、復興橋が架かっています。
他にも小郭と茶臼郭の間や、本城郭と小郭の間など、多くの畝堀が確認されており、改修者の堀への愛・・もといこだわりを感じます。
訪れた人が山城にはまるきっかけを与えてくれそうな良い山城っすね。

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翡翠

ぴーかるさん

お返事をありがとうございます。ゴールデンウイークの弘前城には車で行かれたのですね。凄いです。写真を見ました。お城と桜が綺麗でした。弘前城来年3月くらいから、耐震工事?で外を囲うとの事で、行くのは工事が終わる4〜5年後?かもです。今回は、お休みが取れませんでした。行くだけで1500キロちょっとあるので。。まず50城もしくは100城達成に少しでも近付きたいですが1000城達成の秘訣をお聞きしても良いでしょうか?文章が長くなって、すみません。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2020/01/02 訪問)

「城弁は 大村寿しで 玖島城(しろべんは おおむらすしで くしまじょう)」

大村寿しは大村市に伝わる郷土料理で、昔 大村純伊が旧領を回復した時に領民が歓迎の為に料理を作ろうとしたのだけど食器が足りなかった為、押寿司を作って供したとされています。兵たちはこれを脇差しで四角く切り分けて食べたとか。
駅弁とか、空弁とかあるけれど、玖島城内の梅ヶ枝荘で購入した大村寿しは「城弁」でいいんじゃない? あいにく脇差は持ち合わせていないんだけど・・。持っていたらお縄になっちゃいます。
玖島城の埋門の上には石の板が敷いてあって、上には石がたくさん乗っかっています。たしかにこれは落ちてきそうだわ・・

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ぴーかる

ありがとうございます。

翡翠さん、祝辞ありがとうございます🐤翡翠さんの自己紹介での目標、車で弘前城素晴らしい目標で共感しました。わたしも車で弘前城は大きな目標だった1つで、今年の目標に決めました。GWに達成できて良かったと思っています。山口県からだと本州縦断となりますネ。半分の距離、大阪の私でも、行きはよいよい、帰りはグッタリでした。元気なうちに頑張って😊

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chiroru

初 群馬県 (2025/08/04 訪問)

東京に所用あり、空いた日に群馬県へ。
名胡桃城、沼田城、岩櫃城とまとめて周りたかったのですが、沼田では「沼田まつり」が開催されているらしく御神輿などで自分が
混乱すると思い次回へ。

上毛高原駅前でレンタカー→17号線沿いの素敵な喫茶店でお昼ご飯→吾妻神社参詣→岩櫃城
(平沢登山口観光案内所はカーナビではマップコードを設定された方がいいです)

観光案内所にやっとの思いでたどり着き汗だく(・_・;)、案内所の方が「よく来てくれたね~」と、ほっとする温かい言葉を
掛けて下さり報われた気分。「こちらに行けば天狗丸だよ、登山口はあっちね、このパンフレット持って帰ってね」など本当に
親切!!!!!

たくさんの方に、岩櫃城の空気と絶景と案内所の方の思いを知ってもらいたいです。

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