八上城は多紀郡を支配した波多野氏が五代に渡って居城として来ました。波多野氏は大永7年(1527)に関東管領細川氏を放逐、天文7年に丹波守護代内藤氏を攻略し、応永年間には三好長慶や松永久秀と争いました。荒木村重などもそうですが、近畿やこのあたりの大名や武将は一筋縄ではいかない者が多く、織田信長も相当に手こずったと思います。
波多野氏は八上城を本城とし、周囲の奥谷城や法光寺城を合わせて守りを固めていたようです。
山頂に本丸が置かれ、周囲を岡田丸や二の丸が取り巻いています。本丸北側や右衛門丸の東側には石垣が残っていました。城址の案内板の縄張りには、全部「伝」が付いていて、各曲輪の名称・配置は推定だと思われます。
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