淡路で2城目、西淡三原ICを降りて北の叶堂城を探訪し、南に約3km程の志知城を訪ねる、以前城郭放浪記さん昨日のTop10紹介で認知しまた最近城びとの投稿で是非訪ねたいと思っておりました、家内の要望で鳴門大塚国際美術館、阿波祖谷のかずら橋訪問のし、淡路島に寄り念願が叶いました。
城郭放浪記さんの情報で、南の声明寺さん側大手から鉄板橋を渡り登城開始、草刈されたルートを歩き、本丸南西側の竹林伐採で堀跡?傍の「史蹟志知城趾」石碑観察、本丸へ竹林伐採されて通路が出来ている、北に当たり石積?(後に保存会の方の後世の畑土の目石かと?)本丸北側に桜が多数植わって青葉が茂って居る辺りに、石碑、案内板、古地図、太閤石、同説明板、幟旗が翻っているエリアに着くと、伐採した竹を柵状に造作されてる方が居り、お声掛けしたら「志知城守る会」の代表と会員2名様、暫く話をして、残存石も有り案内頂ける事と成りました。
本丸やや高の北下に手作りの志知城看板は保存会製、水堀の水を抜いて発見されてた石垣石、水堀も草を整備してよく見渡せる、本丸西に進み、やや広の犬走?帯曲輪?の竹藪を伐採されて見やすく歩きやすく成って居る、本丸の西土塁も大変見易き、暫く案内頂き、残存石垣の栗石が散見される、石垣が有った事を物語る、感激の観察、暫くして残存石1ヶ石が木の根元に残って居た、このまま進んでいくと南の大手へ、先に観た竹林伐採堀跡?かの処へ繋がるらしいが、ちょっと狭く急道なので取り止めて搦手に戻る。
帰り際に志知城資料があるからお渡ししますとありがたい言葉、今年3月30日に志知城跡桜まつりが有り、現地説明会で配布されて小冊子「天正10年(1582)~天正13年(1585)頃の志知城の主は誰?著作「前田卓也氏」(南あわじ市文化財審議委員)によるものでした。大変ありがたく感謝申し上げます。
投稿写真は竹林伐採されて奇麗に観える本丸西土塁、残存石垣?整備された水堀、南大手鉄板橋を掲載いたします。
私は今回大手の南側から登城しましたが、志知城守る会ご尽力で北側の県道477号線側スーパーマルナカ南あわじ店からの登城路が整備されていました、二階建て事務所の駐車場が志知城守る会の専用駐車場として利用できる、県道沿いに志知城の手造り看板がある、一部畦道も有りますが木製チップを敷き詰めた搦手登城路、南竹林に沢山幟旗は翻って良く分かります。
志知城守る会 代表 関口様、本当にありがとうございました、皆様のおかげで楽しく見やすく観察でき感謝申し上げます。
今後も体に気を付けながら志知城の整備を宜しくお願い致します、発掘調査をされて市の文化財、県の文化財、国史へと「織豊期城郭、水軍拠点」として保存されることを願って居ます。
志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編に続く。
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