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しんちゃん

真田氏と仙石氏 博物館と別館もオススメです。 (2025/02/15 訪問)

現在の上田城の縄張りは元和8年(1622)仙石忠政により築かれたものですが、城内には真田にかかわる伝承がいくつか残されています。
地元の人々の心情によるものでしょうか、仙石氏は忠政・政俊・政明と三代続いた後、出石に転封になっています。
櫓は冬季閉鎖中ですが、隣接する博物館は開館していて仙石氏や真田氏に関する展示がされています。特に仙石氏にかかわる展示が充実していて、甲冑なども多数展示されています。上田市立博物館の隣にある別館は真田氏にかかわる展示が多数あり、真田昌幸所要具足の展示も有ります。赤備えではありませんが、六文銭をあしらった甲冑は非常に恰好良かったですね。

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カズサン

日の入り前の西尾城本丸編ー2/2 (2025/03/01 訪問)

 日の入り前の西尾城二の丸編ー1/2の続です。

 太陽が沈みの頃西尾城に到着し二の丸から本丸へ、本丸丑寅三重櫓の北面は石垣を含めて樹木の伐採剪定が進み見える化景観整備が進んで居ます、内堀の北側から石垣、丑寅三重櫓の北側が大変良く見える様に成って居ました。
 本丸内部は夕刻日の沈み頃ですので樹木に覆われており暗く成って来ました、本丸内部の神社は修復工事中、本丸裏門から入り本丸表門から出る、資料館は閉まっており、資料館裏手より内堀の東側、本丸丑寅三重櫓の東面を眺める、二の丸鍮石門を潜って駐車場へ。
 本丸丑寅三重櫓と二の丸鍮石門の復元は平成8年にて今年で29年経過しています。
 天守閣の復元再建は何時に成るのでしょうか?生きてる内に見てみたい。
 3月1日、日帰り三河松平城山城からの城廻りは西尾城でエンドと成りました。
  
 3月8日より国道23号線が名古屋から西尾市、蒲郡市、豊橋市、浜松市へ無料で、新東名、東名が北側に偏っていますので信号のない準高速道路が貫通し愛知県南部が便利に成って来ました。城探訪にも益々便利に成って来ました。
 

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小城小次郎

震災の記憶 (2025/02/15 訪問)

2012年に訪れた際には土塁に大きな亀裂が入りベンチも傾いていたが、今ではそんな過去も忘れてしまいそうなくらい元の姿を取り戻している。でも土塁上の復興記念碑がきっと震災の記憶を伝えてくれるのだろう。
(写真は一枚だけ2012年当時のもの)

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しんちゃん

夢は果てしなく

「登録3,000城投稿コンプリート記念パーティ」・・いいんじゃないでしょうか。私も出て良ければ出たいですね。
皆で城びとコンプを成し遂げ達成感を共有する・・いいですね。
私はそのあとで単騎での3000城も目指したいと思っています。todo94さんなら出来るんじゃないですか? 私も後から続きます。
まずは車で行ける本州・四国・九州から・・北海道も車で行けたらいいのに・・第二青函トンネル作って欲しいな。
沖縄もあるなあ・・7年~10年で達成できるかな? 個人的にはあと500くらいあってもいいと思います。近場で行くところが無くなってしまったので。夢は追いかけている間が楽しいので、ずっと追いかけていたい。
3000城は10数年あれば達成できると思うので、いまから城めぐりを始める20代から40代の人がうらやましいです。何しろ城びと・ニッポン城めぐり・日本百名城・続百名城を一度に回ることが出来るわけだし、こちとら何回、同じ城を回ったことか・・

私の城めぐりのきっかけですが、愛知には近世城郭が5つもあり、特別史跡・国宝もあります。これらに長篠城・小牧山城・岐阜城を足して周遊しているうちに、城の魅力に取りつかれて来ました。城めぐりを始めたころから膝は良くなかったのですが、城を見たい一心で城址を歩いていたら、筋肉がついて山城にも行けるようになりましたね。

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todo94

城めぐりのきっかけ

本当に「遅れ馳せながら」状態で恐縮なのですが、私も城めぐりのきっかけ、投稿させていただきます。

小6の社会科の日本史にはまり、買ってもらった学研の図鑑「日本の歴史」に載っていた城の写真には魅せられていました。小6の時の木版画は図鑑の写真を見ながら、姫路城大天守を彫りましたし、中学美術のF6スケッチブックの余ったページにはこれまた図鑑の写真を見ながら、和歌山城天守を素描で描いたりしていました。長野県の大学に進学して、国宝・松本城に触れる機会を得、大学2年の研究室の旅行で松江城、大学3年の春休みに東北ワイド周遊券で弘前城・八戸城・会津若松城、大学4年の夏休みには北海道ワイド周遊券で五稜郭と松前城、大学4年の前期試験後の秋休みには北近畿ワイド周遊券で姫路城に足を伸ばしたりもしました。当時のワイド周遊券の学割は破格の低価格で、周遊区間は特急の自由席が乗り放題、経路の選択の幅も広くその往復には急行が使えました。北近畿ワイドの場合は、姫新線と因美線で鳥取にアクセスするというルートが許されていて姫路で途中下車できたのです。当時は、姫新線にも因美線にも急行が走っていました。

小学生のころから城好きの素養はあったのですが、職についてからは仕事だけで手一杯で時間も金もない若いころには遠出をするゆとりなんてありませんでした。40歳を前にして国宝天守だけは見ておきたいと一念発起、未訪の国宝天守・犬山城と彦根城に行きました。そして彦根城にて現存12天守の存在を知り、未訪の6城にも行こうと決意したことが私の城めぐりのスタートと言えるのではないかと思います。現存12天守コンプをかけた2000年の高知行き前に「竜馬がゆく」を読んで歴史小説にはまり、その後は、小説に登場した城にも足を伸ばすようにもなりましたし、200円で買った「城のしおり」に載っている全国城郭管理者協議会加盟の城にも行くようになりました。(現在、「城のしおり」は「日本の名城」の名で300円で販売されています。)そこで出会った竹田城の素晴らしさに触れて天守一辺倒の城めぐりから脱却することもできました。2007年4月に100名城のスタンプラリーがスタートした時には未訪の100名城は根室半島チャシ跡群のみでした。そして2017年の第1回お城EXPOに参戦して即「城びと」に会員登録させていただきました。鉄道の乗りつぶしやスタンプラリーに目がない私にとって、城びと登録城の制覇はまたとない目標となっています。にのまるさんご提案の「登録3,000城投稿コンプリート記念パーティ」、私も賛同いたします。鋸崎台場のように原発敷地の奥に所在していて立ち入ることができない物件をどうするかなど、コンプリートに向けての障壁は存在していますけれどもね。朝田辰兵衛さんの印象を裏切らぬよう、あと2年くらいで青森県はコンプしたいと思っています。大人の休日倶楽部パスを利用して北東北には頻繁に足を伸ばしておりますので。これからも末永く、城めぐりを楽しんでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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よっしー

2026年3月1日から入場料が値上げ (2025/02/28 訪問)

2026年3月1日から入場料が値上げ大人1000円→2500円に成ります。
世界遺産であり国宝で有る。
2回の大修理を経て今に400年前の建築技術と歴史のロマンを感じる姫路城。
値上げ前に一度鑑賞してみてください。

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todo94

イベント前の攻城① (2025/03/08 訪問)

この日は夜にお楽しみのイベントがあるので、前泊ではなく、始発のしなので西下しました。11時に姫路駅前でレンタカーを借り受け、書写山に向かう前にここに立ち寄った次第です。空堀を確認するためだけの再訪でした。書写山ロープウェイが運休していたので、圓教寺再訪は断念いたしました。

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トク

秀吉の命で築かれた朝鮮出兵の兵站基地 (2025/03/09 訪問)

勝本城は、壱岐島の北部の勝本町の高台に位置し、180°海が見渡せる大変眺めのいい城です。

博多埠頭からジェットフォイル(写真⑦)に乗り70分、壱岐島南部の郷ノ浦港に到着。そこから10分程歩き、バスが出ている本町から勝本行バスに乗り30分、城山で下車するとそこが勝本城です(写真①)。本町のバス待合所では島内1日フリー乗車券(1000円)を売っているので利用するととても便利でした(写真⑧⑨)。

豊臣秀吉は、朝鮮出兵のための兵站基地(食料備蓄と渡海する兵の休息場所)として、平戸城主の松浦鎮信に4ヵ月で築城せよと命じます。鎮信は、五島純玄・大村喜前・有馬晴信などのオール長崎衆の助けを借りて、短い期間でしたがそれを成し遂げました。城の北側の大手門周辺は、見事な穴太衆が築いた石垣で積み上げられています(写真②③)。とても4カ月で築城したとは思えない規模です。また本丸は東西40m南北80mあり、ここに館が三つほど建っていたようで(写真④)、兵站基地にしては、かなり本格的な城だったようです。

その本丸に立ち、海を眺めてみました。眼下には勝本港が見えました(写真⑤)。北西(写真⑥)の水平線上には対馬が見えるはずですが、天気がいいのになぜか見えなかったのがちょっと残念でした。

【余談】壱岐高校
島のいたる所にはこんな垂れ幕やポスターで、もう大盛り上りです(写真⑨⑩)。来週18日から始まる春の選抜高校野球大会に、ここ壱岐島から「壱岐高校」が出場します。郷ノ浦港では私と入れ替わりで、ちょうど出発の激励会が行われていました。離島からの甲子園出場は、春夏を通じて初めてだそうです。秋の長崎県大会に優勝しているので、21世紀枠ですが実力はそこそこありそうです。また野球部員21人全員が壱岐生まれの壱岐育ち、この「壱岐っ子」たちがどんな野球を見せてくれるのか、私は楽しみです。
 

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にのまる

バスで行ったけど路線図見て感泣 (2025/01/22 訪問)

九州城めぐり旅5日目です。
鹿児島から志布志への行き方はいくつかあるようですが、
・鹿児島中央→(日豊本線🚃)→都城
・都城→(路線バス🚌)→志布志駅
で行きました。

都城→志布志のバスは直通もありますが時間的に途中で乗り換えとなりました。
2本とも他に乗客はおらず運転士さんと2人きり。googleマップで見ると感動するくらいの山の中で、地元の人間でもないのにここを運んでいただけるなんて!と感謝しきりでした。

志布志駅前の観光案内所で情報をいただいてから埋蔵文化センターへ徒歩で向かいました。そこで見たジオラマがものすごくて!今思い出しても感動がよみがえってきます。

志布志へ行ったら絶対に行きたかった志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所に寄ってから志布志城へ。

観光案内所の方に4つの城郭のうち見学できるのは松尾城と内城。ただ、内城の方は中野久尾まで行こうと思えば行けるけれど厳しめだと伺っていたので、無理はしないで本丸までにすることにしました。
はじめに松尾城へ。知覧城で見たのと同じシラス台地を掘削した空堀。しーんとした山の中を歩くのは慣れているはずですが、初めてのところはやはり緊張します。ビクビクしながら行って戻ってきました。
続いて内城へ。こちらには幟や案内板、散策コースマップがありました。初めは恐る恐るでしたが本丸に到着すると気持ちの余裕も出てきてじっくり観察できました。曲輪3下段、曲輪2上段の発掘調査の詳細な解説板に、ジオラマに違わぬすごいお城だったんだなぁと感動しました。

下山後は福山氏庭園に寄りました。昨夏大規模修復を終えたそうです。貴重なお話をたくさん伺えました。100年後の将来を見据えた修復という説明にお城の復元に通じるものがあるなと思いました。

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イオ

『城めぐりのきっかけ』告白リレー(笑)

チェブさん、朝田 辰兵衛さん、赤い城さん、にのまるさん、『城めぐりのきっかけ』告白リレーへのご参加ありがとうございます……って、一週間あまり確定申告に追われていた間にそんなことになっていようとは(笑)

チェブさん
妊娠でのドクターストップがきっかけとは……本当に人生何がどう繋がっていくかわかりませんね。子どもの送迎などもあってまだ思うままに城めぐりはできませんが(と言いつつわりと好き勝手やってますが)、大学生くらいになったらもっとできるようになるかなぁ…。

朝田 辰兵衛さん
全国行脚の付加価値に城めぐりは最適ですね。全国どこにでもある上に時間的な制約も(あまり)受けませんし。私も仕事で今よりもっとあちこちに行っていた頃に城めぐりを始めていたら…と思うことがありますが、まだ間に合ったかな、とも。それと、遅ればせながら東京都コンプリートおめでとうございます。私は今年中の都道府県コンプリートはなさそうですが、奈良県は来年あたりには何とか…。

赤い城さん
なるほど、100名城スタンプラリーがきっかけで、城めぐアプリを通じて世界が広がった、と。赤い城さんといえば関東コンプリートを「すげぇ…」と拝見していましたが、四国の城のレポートも楽しみにしております。私は…もう転居することはないだろうからなぁ。

にのまるさん
「城びと」サイトとの出会いがなかったら…というのは全く同感です。東京出張を有意義に過ごせたのはにのまるさんの「江戸城36見附めぐり」投稿のおかげですし、私自身、城びとに投稿することが登城した城についてさらに理解を深めるきっかけになっていますので。

ところで、「登録3,000城投稿コンプリート記念パーティ」の件、私も大賛成です。しりとりの時のように城びとのみんなで力を合わせて大きな目標を成し遂げる……考えるだにわくわくします。関東や東海など各都府県をコンプリートした猛者も幾人もいらっしゃいますし、すでに8割以上は達成されてるんじゃないかと思いますが、和歌山県内には4つ(写真が未投稿の城を含めれば5つ)ほど未投稿の城がありますので、ここは地元民の責務を果たさねばなりますまい…。
 

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小城小次郎

回遊できる範囲は広くなったが (2024/05/06 訪問)

国史跡指定を祝して2024年5月に見に行った時には以前より回遊できる範囲が広がってはいたが石垣等が検出されて盛り上がっていた本丸・二の丸は立入禁止で肩透かしを食った(しょんぼり)。今は改善されているのだろうか。

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はまけん

窪川城跡(2025年3月9日訪城) (2025/03/09 訪問)

高知県立埋蔵文化財センターの講座「窪川城跡フィールドワーク」に参加しました。窪川城跡は以前一度登った事がありましたが、道が無く尾根を直登したので他に道があるのかと、また専門家の説明が聞けるので。登ったのはやはり前回登った尾根でした。ある意味間違ってなかった。食い違い虎口や、土橋。井戸や主郭を囲繞する低土塁。縦土塁や畝状竪堀群など見所満載の山城です。

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朝田 辰兵衛

山形県の城びと未投稿城,これで解消です🏰 (2025/03/08 訪問)

山形県の城びと未投稿城,これで解消です。私の山形県コンプリートまではもう少しかかります。降雪が長引いたことが影響しています。
全国の城びと未投稿城はあとどれくらいだろう…東北地方北部は多い気がしていますが,かなりtodo94さんが攻めている印象があります。
にのまるさんが提案されました「編集部さん、登録3,000城全ての投稿が埋まったらお祝いパーティしましょうよ!!」という件,私も賛成です。簡単な検索方法あるかな…❓

さて,上野館ですが,ホントはもう少し待とうかと考えていました。職場に山形市から単身赴任している方がいて,けっこう山好きです。その方に私の城めぐりは伝えていませんが,何気ない日常会話に挟んで「南側斜面や,日当たりの良いところはけっこう雪解けしている」という情報を引き出しました。
私は私で,山形市の天気予報を日々チェックしており,日中は気温が上がっているが,夜間は氷点下になっているという状態が続いているということを確認しておりました。これは,積雪の上を歩けるということです🐾
アトは現場に行って雪崩に注意。クラックを発見したら近づかないこと。悔しいけど撤退。
こんなリスクを抱えつつも向かってみました。
結果,予想どおりバッチリ散策できました。しかも,残雪具合が絶妙で,主郭と腰曲輪の境目が浮き出ました。これは,通常ならワケわかんない画像になり,使えなくなっていたことでしょう。

攻城後,長谷堂城を東側から遠望しましたが,まだまだ雪に覆われていました…。
山形県も神奈川県も,ラストを2択で悩んでいますが,どちらも天気予報次第になるかと思います。

赤い城さん,にのまるさん,私を持ち上げてくださりありがとうございますm(__)m

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ヒロケン

石垣が立派 (2025/02/01 訪問)

星ヶ崎城は、鏡山から北にのびる丘陵先端尾根頂上部に築かれた山城で、北端麓には旧東山道が走り北西麓の鏡集落には中山道鏡宿が置かれており、古くから栄えた交通の要衝であり、更には嵯峨天皇の勅願所・鎌倉時代から室町時代にかけて将軍などの宿陣が置かれた西光寺跡が城山の麓にあります。
星ヶ崎城の主郭部には、長さ35m、高さ1~2mで3~5段の石垣と、反対側の南西部に少しの石垣が残っています。(主郭部は幅約20m×縦35mほぼ方形で、虎口と思われるところもあるのですが、要衝の地でありながらこの主郭部以外にこれといって城の遺構等が見当たらず、西光寺の何かの遺構であったのではと疑いたくなります。)

道の駅竜王かがみの里に駐車し、建物を背にし駐車場を左側に斜め横断した所に登城口があり、害獣除けの柵を開けて直ぐに西光寺跡があり、そのまま15分位登ったところに主郭があります。この城の主郭部にある石垣は立派で見所で、西光寺跡の重要文化財・石塔等と合わせて見学下さい。

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カズサン

日の入り前の西尾城二の丸編ー1/2 (2025/03/01 訪問)

 本證寺、岩根城を終えて日の入り時間は17時44分、残りの40分に掛けて南西方向5km程の西尾城を目指して進行。

 駐車場:西尾城二の丸東の駐車場を利用。

 二の丸駐車場入り口で既に満車状態、こんな夕刻になぜ?老若男女スマホをいじってる大勢の人が二の丸周辺にたむろしている、やっと2台の空きを確認して駐車場IN。

 聞くと新しいキャラクターが発表されてゲットするのに集まってるとの事、名古屋城はもっと大勢ですよと教わる。スマホ集団をしり目に日の沈む時間に二の丸復元丑寅櫓、屏風折れ続き土塀、復元天守台を北側の通りより撮影見学、天守台下北西の橋架け替え工事で天守台下に入れない、北側、西側からの天守台を狙ったのですが撮影は出来ず、戻って二の丸に再入し天守台を内から、本丸土橋の本丸裏門から本丸へ、本丸の神社が工事中、本丸表門から資料館へ、資料館は時間切れで閉まってる、資料館裏からの本丸丑寅三重櫓、東、北の内堀を確認、鍮石門を潜って北方向の本丸丑寅三重櫓を眺めて撮影、樹木が伐採されて景観は素晴らしい、眺め良好です。

 二の丸の復元丑寅櫓が令和2年7月に竣工公開された時に訪ねていますので5年振りの探訪で日没頃は初の探訪でした。
 天守台の復元は平成26年3月ですから11年も経っています。
 
 「日の入り前の西尾城本丸編ー2/2」へ続きます。
 

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ぴーかる

足利氏館 (2025/01/11 訪問)

【百名城72城目】
<駐車場他>鑁阿寺東側観光駐車場数十台分無料駐車しました。
<交通手段>車

<見所>鑁阿寺本堂・鑁阿寺山門・堀
<感想>新春1泊2日栃木・群馬旅1城目。人生初の栃木県に訪れました。東門から入り⇒本堂にてスタンプ押印、御城印の購入⇒鑁阿寺境内を散策し一旦出て、⇒織姫神社、神社内の蕎遊庵にて昼食をとりました。戻って⇒南と西側の堀を見て⇒山門をじっくり観察して鑁阿寺を終了し⇒最後に足利学校を訪れました。
 城跡としての遺構が堀・土塁のみのようなので見応えは少なかった。しかし足利氏が創建した鑁阿寺としての歴史が古いので国宝の本堂・重要文化財が多数ある建造物の見応えは良かった。また有料だが経堂にて巨大な八角の輪蔵(経蔵)を押して回す初体験ができたのは面白かった。関西人の私には経堂の方の生の栃木弁の説明も新鮮でした。★の満足度は少ないですが、織姫神社からの足利市の眺望や歴史の教科書に出てくる足利学校を見たりして、初めての土地を散策はなかなか楽しかった。

<満足度>★★☆☆☆

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「向石毛城」 (2025/03/01 訪問)

前回の「石毛城」から鬼怒川を渡り、「向石毛城」へ転戦しました。
とは言っても、到着して「向石毛城」だと知りました。
グーグルには『平将門公本據 豊田館跡』とあります。

茨城県 常総市 向石下 121
小さな公園に、「石下城」よりも更に大きな説明碑が、どでーんとありました。
向って右手が、平将門さんの功績と豊田館について。
左手が、豊田館の場所に「向石毛城」が築かれた等。
そして真中には1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』の将門さんの騎乗姿が刻まれてます。
少し前に総集編を観ました。
『将門さん、英雄だけど理不尽な出来事ばかり続くな〜
』が感想で、
『緒形拳さん、カッコいい〜。草刈正雄さん、若い!』
等、ぜんぜん物語を覚えてない自分が怖かったです。

説明碑の裏には「向石毛城」の図と賛同者のお名前も彫られていました。
私の住む東京の端っこにも、平将門さんが関わる神社があります。
「石毛城」の向こう側に「向石毛城」。
「豊田城」に来たら足をのばしては いかがでしょうか。

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シャンシャン

渋谷にも城があった! (2025/03/05 訪問)

渋谷駅から歩いて10分ほどの距離にある城跡。
渋谷は何度も行ったことがあったけど、再開発が進み高層ビルが立ち並ぶ喧騒の街に、こんな厳かな場所があることはまったく知らなかった。
現在は金王八幡宮という神社になっており、城の遺構はかつての石垣が「砦の石」として唯一置いてあるのみ。

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とばつびしゃもん

那覇の港を守る城 (2025/01/02 訪問)

三重県在住者としては気になる城名なので攻城。駐車場はなく同伴者に車を任せて登城開始。
ホテルに隣接し海に面したところにある。自然石を利用して作られた砲台で、陸地とつながる3か所の石橋をつくったため三重城と呼ぶとか。虎口付近に見られる石垣は当時の遺構かどうか不明。5分のスピード攻城。
年をまたぎ沖縄4日間で13城攻略し帰国。

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とばつびしゃもん

首里以前の王都の城 (2025/01/02 訪問)

浦添大公園南エントランス駐車場から攻城する予定のところを道に迷い、浦添グスクようどれ館駐車場に着陣しここから登城開始。
浦添ようどれは後にして、ルートに沿って復元石垣のところから城内に入る。館跡の先には浦添市街を展望できるところがあり、沖縄戦の激戦舞台になったことを示す案内板がある。その先、城の東側は立入が難しそう。
城の中心と思われる殿を通り城の南側へ・浦添城の前の碑のところから城の南方、復元中の首里城正殿の囲いを望む。
石畳道を通って浦添大公園南エントランスに立ち寄る。入館はできなかったがパンフレットを入手。
調査で発見された南側の石垣は目地が縦に直線になっているのがわかる。
ルートを一周した後、北側の崖下にある浦添ようどれへ。復元された王家の墓は立派の一言。墓番の屋敷跡地を通り抜け駐車場へもどる。80分の攻城。

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