日本100名城

おだにじょう

小谷城

滋賀県長浜市


旧国名 : 近江

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小谷城
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麓を散策 (2024/02/26 訪問)

 福井遠征の帰路で途中下車し、小谷城へ
JR北陸本線 河毛駅下車。河毛駅前には浅井長政・お市の方の銅像が鎮座しています。
 小谷城戦国歴史資料館まで徒歩30分。道中には、織田信長の小谷城攻略の際に築いた虎御前山城もあります。資料館内で日本100名城スタンプを押印。
 福井遠征の影響で疲労困憊であったこともあり、山城にはアタックせず、麓を重点的に散策。
 麓には追手道入口、小谷城下町跡、北国脇往還(大谷市場)などがあり、説明板や石碑が充実していました。
 また織田信長が陣を張った虎御前山城が谷から間近に見えて、かなりの威圧感がありました。
 山城部分は、今回は未登城に終わったので、いずれ再訪したいと思います!!
 また河毛駅から少し北に行った場所には、明智光秀が陣を張ったとされる山脇山があり、道路沿いに説明板が設置されていました。

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HARU

小谷城 (2024/05/11 訪問)

令和6年5月11日、滋賀旅行2日目に「長浜城」を訪れたあと、日本100名城の「小谷城」に向かいました。
JRの「河毛駅」まで行き、何十年ぶりの自転車(レンタサイクル)で麓の「小谷城戦国歴史資料館」を訪れました。
「小谷城」は浅井氏の居城で、織田信長との激しい攻防戦が行われた山城で、遺構も沢山残されていますが、今回は麓までにしました。
帰りに大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」放映記念の兜像もある「浅井三代の里」にも足を延ばしました。
「河毛駅」前には浅井長政とお市の像もありました。

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風来坊や

道の駅浅井三姉妹の郷 (2024/04/18 訪問)

浅井三姉妹とは、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間にできた三姉妹。
長女茶々は秀吉の側室、次女初は京極家に嫁ぎ、三女江は徳川二代将軍秀忠の正室(三代将軍家光の母)。
戦国の世を数奇な運命の中生きた浅井家の三姉妹。

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大嶽城 福寿丸 山崎丸 (2024/03/16 訪問)

 大嶽城は浅井亮政によって築かれたとされています。亮政の時代には小谷城は大嶽にあったという説があるようです。小谷山山頂にあり、土塁、堀切、竪堀と遺構が思っていたより残っていました。北西部にある二重堀切は見どころのひとつだと思います。山王丸から六坊を経由して行きましたが、こちらも登城路は整備され歩きやすかったですね。城域は藪になっているかもしれないと思っていましたが、予想以上に整備され遺構が見やすくなっていました。下から見ると小谷城の尾根続きの高い山が小谷山で大嶽城です。大嶽城へ行く途中の岩尾からは小谷城を眼下に見ることができます。
福寿丸、山崎丸にも土塁などが残っています。こちらも整備され散策しやすくなっていました。

 前回登城したときは出丸方面から登城し清水谷から下山したため、小谷山山頂経由のルートは散策していません。いつかは大嶽城、福寿丸、山崎丸を見てみたいと思っていました。天候にも恵まれ、登城路、城域とも思っていた以上に整備されていて気持ちよく散策できました。
あまり人はいないだろうと思っていましたが、大嶽城方面にも多くの方が登城されていました。

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概要

浅井亮政が小谷山に築城した巨大な山城。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式に並ぶ曲輪群、大嶽・山崎丸などの独立した曲輪で構成されている。建物の遺構は残っていないが、急峻な尾根に大小の曲輪や石垣が残り、本丸跡では大堀切も見られる。

城郭情報

城地種類 梯郭式山城
築城年代 永正13年(1516)?
築城者 浅井亮政
主要城主 浅井氏、羽柴秀吉
文化財史跡区分 国史跡(小谷城跡)
天守の現況・形態 型式不明[2重?/築年不明/破却?]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県長浜市湖北町他
問い合わせ先 小谷城戦国歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0749-78-2320