日本100名城

おだにじょう

小谷城

滋賀県長浜市


旧国名 : 近江

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小谷城
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しんちゃん

国の史跡のジレンマ (2025/11/09 訪問)

人によって受け止め方は異なりますが、ガイドさんの話だと現在本丸とされている曲輪は「鐘の丸」とされる曲輪で、本丸はもっと上の方にあったとする説があるようです。とすると「山王丸」あたりが本丸になるのだろうか? たしかに上に有った方が防御には良いだろうけど・・
大広間の周辺はすでに発掘が終了していて「瓦」などが出土していないことから、桧皮葺などの簡素な木造の構造物が有ったのではないかと考えられているようです。ちなみに炎焼のあとは無かったようで、落城時に燃えあがる小谷城から「お市」さんや三姉妹が落ちのびたというのはフィクションらしい。う~ん・・
大広間より上の曲輪はまだ発掘されていないという(ガイドさんの)話なので、この先の進展に期待しますか。

御存じとは思いますが小谷城は「国の史跡」なので、自治体が勝手に改変することが出来ません。とはいえ融通がきかないのも事実で、伝本丸跡の木が老朽化して来たけど、もんか省の許可が下りないので伐採できず困っているらしいです。
石の城址碑を移したいけど、これまた許可が出ず・・木を切って切株の上に固定したそうです。そういや案内板も木に刺さっている。
う~ん、なかなかクレイジーだわ。よそではなかなか見ない光景だが、もんか省からは文句は出なかったらしい。
めでたし、めでたし・・木が可哀そーじゃないか 木の毒に・・ とりあえず「もんか省」が全部悪い。
ガイドさんと「もんか省」の〇口で盛り上がっていたらバスを一つ逃してしまった。自治体もいろいろ大変だ。登城道に階段を作りたいらしいが、道も遺構なので壊さないようにお願いします。

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しんちゃん

小雨の中、バスに乗って城址へ (2025/11/09 訪問)

前日の晴天とうって変わって朝から雨模様です。本格的な山城はしんどいので長浜城など比較的攻めやすい城から周ることにしました。
以前行った城ばかりになりますが「城めぐり」後発組なので、リア攻めを増やしたいんですね。結局自分で回って「城びと」「城めぐり」で三回くらい回っています。スタンプがらみだと四回になるのか・・。
この時期は駐車場までバスが出ているので、それに乗って行きます。駐車場に着くとガイドさんがいて皆で傘をさしながらいっしょに行くことになりました。ガイドさんといろいろ話をしましたが、人によって話の内容が微妙に異なっています。皆、思い入れがあるようです。
久々に本丸の石垣を見ましたが、ここは「鐘の丸」で二重の鐘突き櫓があったとする説もあるようです。これもガイドさん情報です。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「天空へ 曲輪繋ぎし 小谷城」
(てんくうへ くるわつなぎし おだにじょう)

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2015/10/24 訪問)

 ①「U字形 一山全体 小谷城」(ゆーじけい ひとやまぜんたい おだにじょう)

 ②「浅井氏が 三代栄し 小谷城」(あさいしが さんだいさかえし おだにじょう)

 ③「対織田戦 浅井の悲劇 小谷城」(たいおだせん あさいのひがき おだにじょう)

 10年前の平成27年10月下旬、山城サミットin米原大会に合わせて城探訪、米原に宿が取れず大垣に宿をとる。岐阜の黒野城を訪ねてから小谷城へ初登城、当時は車で番所跡辺りまで車で登れて駐車エリアまで有りましたので登る。
 番所跡、御茶屋跡、馬洗池跡、桜馬場跡、黒金門跡、大広間跡、本丸台に登り、大堀切、中丸、京極丸、小丸、山王丸手前の大石垣を観察し、山王丸へ、同好の方と山王丸で少々会話し、その方は先の城域、六坊、月所丸、大嶽城を探訪されると、分かれて私は元に戻り麓の資料館へ、宿の大垣に移動し夕刻の大垣城を探訪しました。
 翌日は山城サミット米原大会に1日費やす。

 小谷城は一山全体を城郭で囲んでおり、東側に出丸、金吾丸、番所、御茶屋、馬洗池馬屋、桜馬場、大広間、本丸、大堀切、中丸、京極丸、小丸、三の丸、北側に廻って、六坊、月所丸、大嶽城がピーク、西に廻って福寿丸、山崎丸で清水谷の屋敷群を守っていた大城郭でした。
 浅井氏は京極氏の被官でしたが頭角を現し浅井亮政、浅井久政、浅井長政と三代北近江を抑えて戦国大名へ、長政は信長と同盟を結び信長妹のお市を娶り、同盟は堅固に見えましたが、織田信長の朝倉攻めで金ヶ崎で背後を襲う裏切り、信長の金ケ崎撤退、姉川合戦、信長による朝倉を滅亡させて、小谷城攻めが始まり、浅井久政自刃、長政自刃、長政長男は磔。お市と三姉妹は救出されましたが皆さまご存じの歴史の流れです。
 

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概要

浅井亮政が小谷山に築城した巨大な山城。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式に並ぶ曲輪群、大嶽・山崎丸などの独立した曲輪で構成されている。建物の遺構は残っていないが、急峻な尾根に大小の曲輪や石垣が残り、本丸跡では大堀切も見られる。

城郭情報

城地種類 梯郭式山城
築城年代 永正13年(1516)?
築城者 浅井亮政
主要城主 浅井氏、羽柴秀吉
文化財史跡区分 国史跡(小谷城跡)
天守の現況・形態 型式不明[2重?/築年不明/破却?]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県長浜市湖北町他
問い合わせ先 小谷城戦国歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0749-78-2320