日本100名城

おだにじょう

小谷城

滋賀県長浜市


旧国名 : 近江

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小谷城
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イオ

一日まるごと小谷城(清水谷) (2021/03/14 訪問)

(続き)

清水谷への道を下りながら、もっと早くに家を出ていれば…とか、あちこち寄り道し過ぎたか…とか、気分は沈むばかりでしたが、清水谷にある屋敷跡には石垣もあるようだし、と気を取り直して、大野木屋敷の石碑と説明板から奥の石垣を見に行ってみると、山王丸の大石垣にも劣らぬ見事な高石垣が! その下の三田村屋敷にも苔むす石垣が見られ、この2つだけでもこちら側に下りてきた甲斐がありました。

すっかり上機嫌で(←単純)たどる清水谷の沢沿いには、八畳岩や蛙岩、丸子岩と呼ばれる巨岩が続き、東側斜面には羽柴秀吉が攻め上った水の手道や主郭部から続く長大な竪堀が見られ、その先には浅井氏三代の居館があったとされる御屋敷跡や浅井氏の菩提寺の徳勝寺跡、遠藤屋敷や磯野屋敷など家臣団の屋敷が広がり、小谷城戦国歴史資料館に着くまで全く退屈することはありませんでした。

清水谷に下りると決めた時は、当初の目的を果たせず負けたような気になりましたが、すんなり一周できていれば清水谷を訪れることなく満足してしまったでしょうし、今回はむしろこれで良かったと思っています。とはいえ、やはり一周は果たせていませんので、再訪を期して小谷城戦国歴史資料館にはあえて入館せず、100名城スタンプも押しませんでした。次こそは必ずや!

小谷城を全部めぐるのは一日がかり、とはよく言われますが、周辺の帯曲輪など寄り道し過ぎたとはいえ、6時間では全く足りないとてつもない巨大山城で、規模が大きいだけでなく、御馬屋に馬洗池、黒金門、大堀切、山王丸の大石垣、月所丸に清水谷など見どころも満載で、帯曲輪に下りていけば思いがけず石垣に遭遇し、歴史に大きく影響した合戦の舞台として戦国のロマンにあふれ、夢中でめぐるうちに一日があっという間の素晴らしい城でした。
 

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イオ

一日まるごと小谷城(六坊・月所丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。

六坊を抜けて少し行くと、山頂の大嶽、北東尾根の月所丸、南東・南西尾根の間の清水谷への分岐がありますが、まずは月所丸へ。月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。

さて、この日は一日かけて小谷城を一周する予定で、6時間もあれば充分かなと考えていましたが、月所丸から分岐に戻った時点ですでに4時間半が経過。この後、大嶽から福寿丸、山崎丸を経て下山するには少なくとも2時間はかかりそうです。日没まではまだ時間があり、行って行けなくはないでしょうが、駆け足で見て回ることになるのも嫌だし…ということで、大嶽から先はまた日を改めることとして、清水谷から下山することにしました。(続く)
 

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イオ

一日まるごと小谷城(主郭部詰丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

大堀切の先は中丸。南北三段の曲輪で構成され、あちこちに石垣が見られます。上段北東部には刀洗池と呼ばれる井戸跡があり、その脇を登って行くと京極丸に至ります。京極丸は大広間に次ぐ規模の曲輪で、浅井氏の庇護下にあった近江国守護・京極氏の居所があったとされ、東辺を巨大な土塁で守っています。京極丸から西下を見下ろすと大きな帯曲輪があり、石塁で築かれた枡形虎口がある…んですが、切岸は急で高さもあり、下りられそうにないので中丸まで戻って行ってみました。帯曲輪の南西部に苔むした石材が散乱しており、この虎口が羽柴秀吉が攻め上った清水谷からの水の手道に続いています。

京極丸の一段上が浅井久政が自刃したとされる小丸で、東西二段の曲輪で構成されています。さらに上って行くと、崩された石垣が目に飛び込んできて、その前を東側に回り込むと大石垣と呼ばれる小谷城最大の石垣が状態よく残っています。崩された石垣を乗り越えて進んだ先が主郭部の詰めの丸にあたる山王丸で、最高所の土塁にも石垣が見られます。

南東尾根の主郭部はここまでですが、小谷城はまだまだここでお終いではありません。(続く)
 

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イオ

一日まるごと小谷城(本丸周辺) (2021/03/14 訪問)

(続き)

黒金門から大広間に入る前に桜馬場へ。東西二段の曲輪で、琵琶湖方面の眺望がひらけ、浅井氏及家臣供養塔や大河ドラマロケ地の案内板があり、南下には御馬屋が広がっています。西下には広い帯曲輪が北東にのびており、竪堀は麓まで落ち込んでいます。また帯曲輪には苔むした石が散乱しており、かつては石垣で覆われていたようです。

石造りの黒金門を抜けると大広間に至ります。小谷城最大の曲輪で、建物礎石があちこちに残り、北東部には石組みの井戸もあって、居住空間だった痕跡が見られます。大広間の北端には本丸の石垣がそびえ、本丸に上がっていくと南北二段になっており、天守に相当する建物が建てられていたようです。

本丸から下りて、東西の帯曲輪を経て奥に進もうとすると、本丸からの竪土塁が立ち塞がり(東側は通行止め)、その先の大堀切とで奥の曲輪群との間を断ち切っています。その大堀切、巨大とは聞いていましたが、カメラに両端をおさめるのに苦労するほどの幅広さで、圧倒的な土木量に唖然とさせられました。大堀切の東端まで行って、下を覗いてみると腰曲輪があるので、何の気なしに下りてみると、ここにもなかなかの規模の石垣がありました。これも下調べではわからなかったものなので、あるいは小谷城の至るところにこういう特段取り上げられない石垣があるのかもしれません。小谷城おそるべし…。

さらに大堀切を越えて(御局屋敷を見落としました…)、山王丸を目指します。(続く)
 

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概要

浅井亮政が小谷山に築城した巨大な山城。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式に並ぶ曲輪群、大嶽・山崎丸などの独立した曲輪で構成されている。建物の遺構は残っていないが、急峻な尾根に大小の曲輪や石垣が残り、本丸跡では大堀切も見られる。

城郭情報

城地種類 梯郭式山城
築城年代 永正13年(1516)?
築城者 浅井亮政
主要城主 浅井氏、羽柴秀吉
文化財史跡区分 国史跡(小谷城跡)
天守の現況・形態 型式不明[2重?/築年不明/破却?]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県長浜市湖北町他
問い合わせ先 小谷城戦国歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0749-78-2320