日本100名城

おだにじょう

小谷城

滋賀県長浜市


旧国名 : 近江

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小谷城
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T-Shionoya

どこまで続く小谷城 (2024/12/20 訪問)

昨年12月後半に訪れた滋賀県長浜市の小谷城。

琵琶湖の北東部、湖北平野と伊吹山地の境界で独立峰のように存在する比高約400mの小谷山。その南西エリアの清水谷と、それを挟む尾根に築かれた城。
北陸と京都を結ぶ北国街道東近江路の通行を管理していたでしょうか。

京極氏の内紛に伴いその配下から勢力を拡大した浅井亮政が、1500年代初期に築城したと伝わり、久政、長政までの浅井氏3代が居住。織田信長の浅井攻めの末、ついに1573年に落城となります。

現在は部分的に石垣が残る、国指定史跡の城跡。

訪問時は清水谷の入口から右の尾根に登り、土塁が残る出丸を序章に尾根上の遺構を左回りで1周。
本丸周辺がクライマックスと思い込み、中丸の入口までで2時間半を消費。
ところが山王丸まで見応えが増し続ける城で、そこを興味と葛藤しながら寄り道を最小限にペースを上げて前進。
月所丸に寄った後、山頂の大嶽まで130m上り、エピローグの福寿丸と山崎丸はコンパクトながら複雑な虎口を備えた好みのタイプ。西尾根は小谷城の戦いで朝倉方が陣を敷いた場所とのことで朝倉の城に興味が湧いた一方、遺構は後に秀吉方が築いたようにも感じられ調べると、やはり秀吉説も存在する模様。

城郭歩きで5時間半、資料館に加え帰宅後も愉しめた、私の城郭巡りの192城目でした。

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しんちゃん

小谷城 (2014/05/17 訪問)

「赤尾屋敷」天正元年(1573)9月1日、最後の攻撃のため黒金門から討って出た長政は信長の兵に攻められ、本丸(鐘ヶ丸)に帰ることが出来ずやむなく重臣・赤尾美作守の屋敷に入り自刃した。(案内板より)赤尾屋敷は本丸の東側を取り巻く腰曲輪の下にあり、三段構造を取っているようです。重臣の屋敷とはいえ本丸を守護する重要な曲輪の一つです。
「大広間」本丸の前に広がる、広大な曲輪で別名「千畳敷」と呼ばれるようです。長さ約85m、幅約35mあり奥には本丸の石垣が往時の面影をある程度、残しています。
掲載した写真には別の時期に撮影したものも幾つか含まれています。

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しんちゃん

広い城域を持っています。 (2014/05/17 訪問)

最近コンビニでスイカバーを見ません。スーパーにも無いです、何かの陰謀でしょうか(夏季限定?)。
それは置いておいて、少し古い写真を掲載させて頂きたいと思います。車で番所あたりまで行くことが出来るので、この日は最高所である大嶽城まで訪れています。徒歩で来られた方は、そのまま福寿丸、山崎丸を経由して下山されるのも良いでしょう。東西の尾根に曲輪が連なり、かなりの城域を持っています。また主要な部分は東側に築かれています。
この日のルートは「金吾丸」「御茶屋」「御馬屋・御馬池」「首据石」「大広間」「赤尾屋敷」「本丸」「御局屋敷」「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」「六坊・月所丸」「大嶽城」の順になります。
「金吾丸」は大永8年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したと伝わります。
「番所」は主要部への入り口に当たり、番所が置かれていた場所になります。この近くまで自動車で来ることが出来、温存できた体力で大嶽城までたどり着きました。
「御茶屋敷」は番所の上に配置され、名前にそぐわぬ高い防御力を持った曲輪です。「御馬屋」周辺には井戸や、池があり馬に関係する曲輪かどうかについては意見が分かれているようです。
「首据石」は黒金門の手前に置かれ、天文2年(1535)1月に六角氏との合戦の際に初代・浅井亮政は敵に内通の疑いがあった家臣の今井秀信を神照寺で殺害し、首をここに晒したとされています。
「赤尾屋敷」は重臣・赤尾氏の屋敷で、重臣の屋敷としては本丸の最も近くに配されています。天文元年(1573)9月1日に浅井長政が自刃した場所としても知られています。

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麓を散策 (2024/02/26 訪問)

 福井遠征の帰路で途中下車し、小谷城へ
JR北陸本線 河毛駅下車。河毛駅前には浅井長政・お市の方の銅像が鎮座しています。
 小谷城戦国歴史資料館まで徒歩30分。道中には、織田信長の小谷城攻略の際に築いた虎御前山城もあります。資料館内で日本100名城スタンプを押印。
 福井遠征の影響で疲労困憊であったこともあり、山城にはアタックせず、麓を重点的に散策。
 麓には追手道入口、小谷城下町跡、北国脇往還(大谷市場)などがあり、説明板や石碑が充実していました。
 また織田信長が陣を張った虎御前山城が谷から間近に見えて、かなりの威圧感がありました。
 山城部分は、今回は未登城に終わったので、いずれ再訪したいと思います!!
 また河毛駅から少し北に行った場所には、明智光秀が陣を張ったとされる山脇山があり、道路沿いに説明板が設置されていました。

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概要

浅井亮政が小谷山に築城した巨大な山城。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式に並ぶ曲輪群、大嶽・山崎丸などの独立した曲輪で構成されている。建物の遺構は残っていないが、急峻な尾根に大小の曲輪や石垣が残り、本丸跡では大堀切も見られる。

城郭情報

城地種類 梯郭式山城
築城年代 永正13年(1516)?
築城者 浅井亮政
主要城主 浅井氏、羽柴秀吉
文化財史跡区分 国史跡(小谷城跡)
天守の現況・形態 型式不明[2重?/築年不明/破却?]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県長浜市湖北町他
問い合わせ先 小谷城戦国歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0749-78-2320