広い城域を持っています。
(2014/05/17 訪問)
最近コンビニでスイカバーを見ません。スーパーにも無いです、何かの陰謀でしょうか(夏季限定?)。
それは置いておいて、少し古い写真を掲載させて頂きたいと思います。車で番所あたりまで行くことが出来るので、この日は最高所である大嶽城まで訪れています。徒歩で来られた方は、そのまま福寿丸、山崎丸を経由して下山されるのも良いでしょう。東西の尾根に曲輪が連なり、かなりの城域を持っています。また主要な部分は東側に築かれています。
この日のルートは「金吾丸」「御茶屋」「御馬屋・御馬池」「首据石」「大広間」「赤尾屋敷」「本丸」「御局屋敷」「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」「六坊・月所丸」「大嶽城」の順になります。
「金吾丸」は大永8年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したと伝わります。
「番所」は主要部への入り口に当たり、番所が置かれていた場所になります。この近くまで自動車で来ることが出来、温存できた体力で大嶽城までたどり着きました。
「御茶屋敷」は番所の上に配置され、名前にそぐわぬ高い防御力を持った曲輪です。「御馬屋」周辺には井戸や、池があり馬に関係する曲輪かどうかについては意見が分かれているようです。
「首据石」は黒金門の手前に置かれ、天文2年(1535)1月に六角氏との合戦の際に初代・浅井亮政は敵に内通の疑いがあった家臣の今井秀信を神照寺で殺害し、首をここに晒したとされています。
「赤尾屋敷」は重臣・赤尾氏の屋敷で、重臣の屋敷としては本丸の最も近くに配されています。天文元年(1573)9月1日に浅井長政が自刃した場所としても知られています。
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