浅井三姉妹とは、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間にできた三姉妹。
長女茶々は秀吉の側室、次女初は京極家に嫁ぎ、三女江は徳川二代将軍秀忠の正室(三代将軍家光の母)。
戦国の世を数奇な運命の中生きた浅井家の三姉妹。
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2024/04/21 09:56
2024/03/17 09:43
大嶽城 福寿丸 山崎丸 (2024/03/16 訪問)
大嶽城は浅井亮政によって築かれたとされています。亮政の時代には小谷城は大嶽にあったという説があるようです。小谷山山頂にあり、土塁、堀切、竪堀と遺構が思っていたより残っていました。北西部にある二重堀切は見どころのひとつだと思います。山王丸から六坊を経由して行きましたが、こちらも登城路は整備され歩きやすかったですね。城域は藪になっているかもしれないと思っていましたが、予想以上に整備され遺構が見やすくなっていました。下から見ると小谷城の尾根続きの高い山が小谷山で大嶽城です。大嶽城へ行く途中の岩尾からは小谷城を眼下に見ることができます。
福寿丸、山崎丸にも土塁などが残っています。こちらも整備され散策しやすくなっていました。
前回登城したときは出丸方面から登城し清水谷から下山したため、小谷山山頂経由のルートは散策していません。いつかは大嶽城、福寿丸、山崎丸を見てみたいと思っていました。天候にも恵まれ、登城路、城域とも思っていた以上に整備されていて気持ちよく散策できました。
あまり人はいないだろうと思っていましたが、大嶽城方面にも多くの方が登城されていました。
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2024/03/17 06:05
2024/03/17 05:43
戦国の聖地 (2024/03/16 訪問)
主要な曲輪の周囲にも魅力的は曲輪が展開しています。前回来た時には赤尾屋敷跡と月所丸跡には行っていなかったので行って来ました。赤尾屋敷跡には「浅井長政公自刃之地」の石碑がありました。浅井長政は最後の攻撃の時に黒金門から打って出ますが、織田信長に攻められ本丸に帰ることができず赤尾美作守の屋敷で自刃したと伝わっています。月所丸には土塁がよく残っていましたが、進んでいくと堀切が3条ありました。他にも帯曲輪やお局屋敷跡など多くの曲輪が展開しています。曲輪から下を見ると削平地となっている所があり、案内板がある所以外にもいくつか曲輪があると思われます。
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浅井亮政が小谷山に築城した巨大な山城。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式に並ぶ曲輪群、大嶽・山崎丸などの独立した曲輪で構成されている。建物の遺構は残っていないが、急峻な尾根に大小の曲輪や石垣が残り、本丸跡では大堀切も見られる。
城地種類 | 梯郭式山城 |
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築城年代 | 永正13年(1516)? |
築城者 | 浅井亮政 |
主要城主 | 浅井氏、羽柴秀吉 |
文化財史跡区分 | 国史跡(小谷城跡) |
天守の現況・形態 | 型式不明[2重?/築年不明/破却?] |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 滋賀県長浜市湖北町他 |
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問い合わせ先 | 小谷城戦国歴史資料館 |
問い合わせ先電話番号 | 0749-78-2320 |