昨年12月後半に訪れた滋賀県長浜市の小谷城。
琵琶湖の北東部、湖北平野と伊吹山地の境界で独立峰のように存在する比高約400mの小谷山。その南西エリアの清水谷と、それを挟む尾根に築かれた城。
北陸と京都を結ぶ北国街道東近江路の通行を管理していたでしょうか。
京極氏の内紛に伴いその配下から勢力を拡大した浅井亮政が、1500年代初期に築城したと伝わり、久政、長政までの浅井氏3代が居住。織田信長の浅井攻めの末、ついに1573年に落城となります。
現在は部分的に石垣が残る、国指定史跡の城跡。
訪問時は清水谷の入口から右の尾根に登り、土塁が残る出丸を序章に尾根上の遺構を左回りで1周。
本丸周辺がクライマックスと思い込み、中丸の入口までで2時間半を消費。
ところが山王丸まで見応えが増し続ける城で、そこを興味と葛藤しながら寄り道を最小限にペースを上げて前進。
月所丸に寄った後、山頂の大嶽まで130m上り、エピローグの福寿丸と山崎丸はコンパクトながら複雑な虎口を備えた好みのタイプ。西尾根は小谷城の戦いで朝倉方が陣を敷いた場所とのことで朝倉の城に興味が湧いた一方、遺構は後に秀吉方が築いたようにも感じられ調べると、やはり秀吉説も存在する模様。
城郭歩きで5時間半、資料館に加え帰宅後も愉しめた、私の城郭巡りの192城目でした。
+ 続きを読む