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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:小谷城 (2024/10/01 訪問)

竹城台4丁バス停から徒歩2~3分で、阪和第一泉北病院入口(34.495107、135.499075)に着きました。

小谷城は平氏一族の小谷氏の居城でした。
戦国時代に入り1575年(天正3年)、大夫進種氾のときに織田信長による根来攻めがあり、この一帯も根来党であったために攻められ落城しました。

現在城址は阪和第一泉北病院の敷地となっており、本丸跡が公園化されていますが無断で立ち入ることはできません。
泉北病院の受付に声を掛け、小谷城見学希望の許可を頂いてから向かい、案内板と石碑を確認しました。
そこから、旧伯田陣屋裏門入口(34.492772、135.498513)に向かい、裏門を確認。小谷城郷土館は時間の都合で見学しませんでした。
小谷城郷土館への移動時間も含め、攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=陶器城を目指す為、若竹大橋バス停から南海バス➡泉北高速鉄道➡南海バスを経由して福田中バス停に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:家原城 (2024/10/01 訪問)

津久野駅から徒歩10分弱で、石碑説明板前(34.537746、135.471284)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、1566年(永禄9年)松永秀久と三好三人衆が対立したときには、松永方に組する泉州衆が家原城から出撃して畠山高政と合流し、三好勢と戦ったが敗れ岸和田へ退いています。

遺構はなく、石碑と説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=小谷城を目指す為、堺市立総合医療センター前バス停から南海バスで竹城台4丁バス停に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:伯太陣屋 (2024/10/01 訪問)

信太山駅から徒歩15分くらいで、伯太石碑前(34.496051、135.441490)に着き、その後、武家屋敷跡石碑前(34.495220、135.442240)に向かいました。

1727年(享保12年)渡辺基綱によって築かれました。 伯太藩渡辺氏は徳川家康に仕えて「槍の半蔵」の異名をとった渡辺守綱の五男吉綱を初代とします。
宗家は尾張藩家老の渡辺家で守綱没後、四男治綱が家督を継いで尾張国寺部に陣屋を構えています。
伯太藩渡辺氏は五男吉綱が、1624年(寛永元年)早世した兄忠綱の旧領3,000石と新田520石を合わせ、3,520石の旗本として始まりました。
1661年(寛文元年)渡辺吉綱は大坂定番となって10,000石を加増され、13,520石を領して諸侯に列しました。
当初、武蔵国比企郡野本に陣屋を構えていましたが、1698年(元禄11年)三代渡辺基綱の時、領地を近江国へ移されたので、和泉国大鳥郡大庭寺へ、さらに1727年(享保12年)陣屋を和泉国泉郡伯太へ移し伯太藩となりました。

現在は空き地に石碑が建っています。文字は見えません。
武家屋敷跡石碑は確認しました。
小谷城郷土館にある移築門は、小谷城攻城時に確認しました。
攻城時間は移築門確認時間も含めて10分くらいでした。次の攻城先=家原城を目指す為、信太山駅から電車で津久野駅に向かいました。

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ぴーかる

八田城 (2024/10/12 訪問)

【八田城】
<駐車場他>水道施設前のスペース<35.362792,135.323468>2台分あり。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り丹波の黒枝豆購入と城攻めの旅1城目。投稿が2019年にトーダイさんお一人で、城びと5年ぶり2人目となりますので少し詳細に。城びと城郭情報によると築城年築城主ともに詳細不明で主な城主に上杉氏(上杉氏発祥の地とも)・籾井教業(波多野氏家臣籾井城主)となっています。
 上記水道施設の右側に階段がありますのでここが登城口になります。少し上がると左手に神社、真ん中に山斜面を行く道がありますので登ります。5分程度登ると貯水槽配水地の施設に到ります。施設の背後の尾根(荒れている)を木々を避けつつ登ると小さな尾根上削平地に登り着きここからが城跡だなと分かります。尾根曲輪の手前側に礫石が多く落ちています。尾根曲輪奥に深い堀切があり、その向こうに高い切岸がそびえています。切岸を登ると主郭跡に着きます。
 主郭は南北に50m程、南の幅が3m程、北の幅が20m程で南から見ると逆三角形状になっています。主郭に付随する堀切が丑寅・辰巳・未申・戌亥方向の4か所にあり、その先に尾根がそれぞれ伸びています。南方向にも土橋状の尾根があり、主郭からは合計5方向に尾根が伸びています。戌亥方向が登ってきた尾根で手前の尾根曲輪が付曲輪か副郭となっているようです。主郭の丑寅方向の堀切の横に人工に掘った竪堀が残り、主郭の東側に自然地形の谷を利用した大竪堀がみられます。主郭周囲の切岸は急斜面によく削られていて見応えと登り降りの攻略しがいがあります。しかし尾根筋が多く伸びている割には散策して、自分が城主なら、もっと深い堀切を2重3重設けるのに。と感じました。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

ラーメン

しんちゃんさん、鳥取のラーメン鳥人は行ってないです。知らなかったので次鳥取行った冬場の山城攻めで(検索しました。美味しそう)行きます。貧乏旅行なので現地のグルメ紹介で鰻や牛肉は高級で行けないのでラーメンは少し行きます。城攻め旅行の中でのベスト2ラーメンは紹介したかもしれませんが、
・新潟県上越市の「上越家」
・広島県井原市の「ラーメン長州」のとんかつラーメンとチャーハンのセット(メニューに無いが頼めます)がとんかつとラーメンのミスマッチと思いきや、やみつきになる、2回行った。

ラーメン以外のベストは群馬で食べた 上州御用鳥めしの「登利平」を店舗で食べたのが最高でした。ご飯の旨さがベスト1でした。

ラーメンではないですが、城攻めの時グルメを調べて控えて行くのですが、行列ができていたら城攻め優先でよくパスする事も多いです。特に蕎麦屋なんかは。

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まさお

奈良 大和郡山城 (2024/10/30 訪問)

奈良・京都への観光旅行の一貫で登城しました。
近鉄大和郡山駅から徒歩でも10分くらいで、よく整備された城址公園になっています。
付近には薬師寺・唐招提寺などの寺院や天皇陵の前方後円墳もあり、探索には楽しいところでした。

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じゅんじん

神社と文学館 (2024/10/13 訪問)

文学館前に立派な門と堀がありますが関係ないみたいですね。烏山神社に説明がありました。

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トク

123【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (関ケ原の直政陣跡-直政の調略2) (2022/10/25 訪問)

(26人目)井伊直政の続き㉕です。
「井伊直政陣跡」です。JR関ケ原駅からすぐの線路脇にありました。またこの写真③の左側には関ケ原古戦場記念館と徳川家康陣跡があります。直政は現在の関ケ原駅と線路上のこの一帯に3,600の兵を率いて布陣していたようです。

話を布陣の前に戻し、調略の話を続けます。
最後に残ったのは毛利の調略でした。家康は、朝鮮帰国後に秀吉から越前北ノ庄12万石に減封左遷されていた小早川秀秋を、三成の反対を押し切って元の筑前35万石にもどす事で恩を売ります。直政は長政と親しい毛利の重臣吉川広家を調略にかかります。広家には毛利120万石の本領安堵を条件にしますが、なかなかうまく行きません。それもそのはず、大坂城にいる輝元が決断しないからです。また輝元と広家のやり取りの手紙が途中で奪われるなど、うまくコミュニケーションがとれなかったようです。

福島や池田らの先導による小山評定や岐阜城攻めで予想外の結果で清州城まで進軍した家康ですが、唯一の誤算が・・・主力の秀忠軍がまだ信濃の山の中、これでは間に合いません。ならば得意の野戦に持ち込もうと清州城から美濃赤坂へ陣を移しますが、島左近が牽制するのみ大垣城の三成らは出て来ません。西の南宮山にはやる気満々の毛利秀元と安国寺恵瓊がいます。

しかしここで「大津城が陥落! 立花宗茂ら15,000の軍勢が明後日には到着するもよう」との知らせが入ります。家康はこれが蔚山で明の大軍を破った部隊である事を知っており、三成がこの精鋭部隊の到着を待って攻めてくれば完全に不利です。もはや秀忠を待っている余裕はありません。

この時、吉川広家は独断で毛利は戦をしないで中立の立場をとると、毛利の総大将で南宮山に陣を敷く毛利秀元にも黙って、本領安堵の条件を受け入れる旨の起請文を直政と交わし、ここで直政はついに広家の調略に成功しました。この起請文には長政の連名もありこれも大きかったようです。

ここで家康は三成を大垣城からおびき出すため、関ケ原へ移動するという最大の賭けに出ます。そしてその夜、広家は家康ら東軍の軍勢を南宮山の下に陣を敷く自分の目の前を黙って通します。この動きに気づいた三成は、「このままでは吉継が危ない!」そして「玉城が奪われてしまう!」と思ったのかもしれません。急ぎ全軍を大垣城から関ケ原へ、雨の中を飲まず食わずで一晩中かけて走らせ、家康に気づかれぬよう伊勢街道に迂回しながら先回りし移動させます。

明朝8時、雨が止み霧が晴れると突然鉄砲の音と軍勢の声が・・・、いるはずのない東西両全軍が眼下にいる事に、松尾山で驚いた毛利の重臣小早川秀秋は、これでもはや輝元は大坂から来ず・・・そして広家や秀元はすでに・・・毛利はもはや東軍に寝返った!と悟り、自らも恩のある家康へ寝返り大谷吉継を攻めたのではないかと私は思います(ここは諸説あります)。そして広家は、弁当を食べているなどとはぐらかし、秀元と恵瓊が南宮山から下りられぬよう阻んだのでした。

関ケ原の戦いの2年前から始まり、前日ギリギリまで粘りに粘って成功したこの直政の調略が、関ケ原での東軍勝利をもたらした最大の功績ではないかと私は思いました。

ここまでの内容に異論や反論のある方は多いと思います。しかしここは、あくまで私の個人的な見解なので、そこは御容赦願いたいと思います。

では、次は直政が鉄砲を放ち火ぶたを切ったと言われる開戦地へ向かいます。
 

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赤い城

模擬天守は資料館 (2024/10/26 訪問)

この日は久しぶりのゴルフ、その前にサッと立ち寄れそうだったので近くの朝日山城へ。
麓の道路からも模擬天守がよく見えます。

朝日山森林公園の一部で伊勢朝日山本宮も建っています。
車で駐車場まで登り、模擬天守までは徒歩で行きました。
登城路には桜が植えられているので春の訪問がよさそうですね。

模擬天守は資料館になっていますが早朝の登城につき入れず。
周りを少し歩きましたが遺構は見当たりませんでした。

この後のゴルフですが・・・ここは城のサイトなので触れないでおきます😢

朝田さん、日蓮着目?東京コンプ最後の城の伏線ですかね?考えすぎかな。

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todo94

日帰り羽越ドライブでの攻城① (2024/10/20 訪問)

日帰りと言いつつ、家を出たのは日が変わる前の夜の11時過ぎ。土曜の勤務を終え、早めに就寝して3時間の睡眠をとってから自宅を出ました。一気に城びと登録の城の中で山形県最北の城を目指しましたが、ガソリンがとても持ちそうになかったので鶴岡市内で給油。ということでこの日の最初の攻城は尾浦城となりました。いくつもの郭があって一通り巡ってみましたが、本丸三吉神社後背の土塁とその後ろの空堀が一番の見どころになるのかと思います。天気が良ければ鶴岡市の眺望も楽しめるでしょう。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:貝吹山城 (2024/10/01 訪問)

久米田駅から徒歩10分ちょっとで、公園入口(34.458975、135.409983)に着きました。

1561年(永禄4年)三好実休(義賢)によって築かれました。
高屋城を三好に奪われて敗走していた畠山高政が再起をはかって岸和田城を攻めると、これの後詰として三好実休がきて久米田寺を本陣とし貝吹山城に陣を構えました。
翌1562年(永禄5年)に畠山高政に攻められ、三好実休が討ち取られ三好勢が敗れました。

貝吹山城は前方後円墳の古墳を利用した陣城であったようです。
現在は公園として整備されています。攻城した時、ゲートボール会場になっていました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=伯太陣屋を目指す為、久米田駅から電車で信太山駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:積善寺城 (2024/10/01 訪問)

畠中城から徒歩20分弱で、説明板前(34.429667、135.362944)に着きました。

1558年(永禄元年)頃に根来衆によって築かれました。 根来衆が岸和田の三好氏と戦ったとき、砦として築かれたのが始まりと云われ、その後、根来衆の拠点の一つとして整備されました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉が岸和田城に入って本格的な戦いとなりましたが、この頃には積善寺城は二重・三重の堀を巡らせた堅固な城になっており、出原右京を大将として九千五百名の根来衆が立て籠もっていたそうです。
秀吉方の攻撃にも落城せず、貝塚寺内の卜半斎了珍の仲介により開城となりました。

積善寺城は現在の橋本集落一帯に築かれていました。 本丸は明教寺付近であったそうですが、行っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=貝吹山城を目指す為、和泉橋本駅から電車で久米田駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:畠中城 (2024/10/01 訪問)

羽衣駅から電車で貝塚駅に着きました。そこから、徒歩20分くらいで、長屋門前(34.437105、135.353585)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、土豪神前氏の屋敷を城郭とし、天正年間(1573年〜1592年)には根来衆などが籠もっていたそうです。
江戸時代は庄屋を務めた要家の屋敷となりました。

畠中城は要家の庄屋屋敷が本丸のようで、ボロボロの土塀で囲まれた居館城郭です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=積善寺城へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:真鍋城 (2024/10/01 訪問)

泉大津駅から徒歩7~8分で、南溟寺門前(34.504675、135.401612)に着きました。

詳細は不明のようですが、南北朝時代に南朝方の真鍋主馬大夫の居城であったそうです。
眞鍋城は南溟寺の境内一帯に築かれていたそうです。

遺構らしきものは見当たりませんでしたが、本堂前の石碑は確認しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=畠中城へ行く前に、一旦ホテルに戻り朝食を食べる為、電車で泉大津駅から羽衣駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:綾井城 (2024/10/01 訪問)

ホテルでの朝食前に綾井城と真鍋城を攻城しました。
羽衣駅から高石駅に電車で向かいました。高石駅から徒歩7~8分で、専称寺門前(34.519941、135.437345)に着きました。

詳細は不明のようですが、鎌倉時代に綾井氏によって築かれたと云われています。 南北朝時代には北朝の足利氏に属し、戦国時代は綾井日向守仁世が城主であったという。
綾井城は専称寺の境内一帯に築かれていたそうです。

境内東側の濠と、石碑、標柱を確認しました。
朝早く、専称寺門前に着きましたが、カラスが多くてちょっと怖かったです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=真鍋城を目指す為、高石駅から電車で泉大津駅に向かいました。

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しんちゃん

キューピーの鼻より (2024/10/12 訪問)

今日はあいにくの雨模様です。せっかくなので晴天の時の写真を‥。伊木山山頂の主郭から尾根を伝ってキューピーの鼻と呼ばれる展望所を目指します。かつては郭で見張台が有った場所だと思われます。
キューピーの由来は不明ですが、展望台の柵にキューピーの絵が貼り付けて有ります。「?」
眺望は素晴らしいです。木曽川の向こうに犬山城が良く見え、西手には遠く、小牧山城が見えます。主郭より少し歩きますが、ここはぜひとも訪れて欲しい場所です。やはり景色のよい山城は良いですね。帰り道の途中、麓で謎のスリッパを発見しました。良く見るとおにぎりもあります。「???」なんかモヤモヤする今日この頃です。

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にのまる

一期一会 (2024/09/29 訪問)

新利府から仙台方面にひと駅戻って岩切下車。駅から徒歩で向かいました。
八坂神社を過ぎた青麻道の道標から県民の森へ続く道路を上ります。歩道は埋もれてしまっているので後ろから轢かれないように車道の右側を歩き、急カーブでは前から轢かれないように外側に移動して上り続けること約20分。突然、城址碑と説明板が目の前に現れました。到着したうれしさもありましたが、この道で合っていたんだという安堵感の方が大きかったです。
その先は車が入ってこない安心の堀切道です。たくさんの郭が階段状に連なる山城だったようで、まだ夏の盛りの緑が生い茂る時期ではありましたが、いくつかの郭や土塁、竪堀らしきところを確認することができました。眺めもよくE5系が小さく見えました。
草叢を分け入ることはせず無理なく行けそうなところまで見学して終了としました。
多賀城へ行く前に乗り換え駅で降りて寄ってみた、というのが抑の訪問理由ではありますが、山道を黙々と歩きながら、また目的地のお城の地面を踏みしめながら、見知らぬ土地を歩くことが私はとても好きだ!ということを再認識すると同時に、ひとつひとつのお城との出会いを大切に覚えていたいなと思いました。

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しんちゃん

曽根氏館 (2024/09/29 訪問)

曽根城の近く、尾鷲市曽根町字殿池のあたりは曽根城の城主・曽根弾正の屋敷が有った場所とされ、今でも住宅の土台にかつての石垣が使われているとされています。東西40m、南北65mほどとされ、周辺の住宅の石垣がかつての屋敷跡ということでしょうか。

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コロスケコロコロ

石垣山城! (2024/10/31 訪問)

石垣が立派で、天気はイマイチだっけど眺めも素晴らしくて、良かったです。

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しんちゃん

鬼ヶ城と獅子岩 世界遺産 (2024/09/29 訪問)

国指定名勝で天然記念物で世界遺産。ずいぶん肩書がすごい「獅子岩」鬼ヶ城のすぐ近くです。案内板によると海岸の隆起と海蝕減少によって生まれた奇勝で高さは約25m。熊野灘に向かって吠える獅子のように見えることから、「獅子岩」の名が付いています。
私にはカラス天狗のように見えますが、なんにせよ草木が気になる。根を張って、岩を壊さなければよいのだけど。
鬼の城の千畳敷の下を見ると、地元の釣り人が数名います。そういえば、駐車場に猫がいたような。おこぼれにありつけるのでしょうか?
ぴーかるさん、鳥取市には「鳥人」というラーメン屋さんがあったと思いますが、行かれました?

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