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todo94

【赤色立体地図かるた】 (2018/02/17 訪問)

毛利氏の 雄飛を語る 吉田郡山 (もうりしの ゆうひをかたる よしだこおりやま)

旧本城から拡張に拡張を重ねて今に残る大城郭となった郡山城は、中国地方に覇を唱えていく毛利氏発展の歴史をそのまま表現しているように感じています。

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todo94

三連休二日目の攻城⑧ (2025/07/20 訪問)

ぴーかるさん、尼子十砦(&尼子十旗)制覇、おめでとうございます。私は凄く苦労して夕景城(馬木城)を攻略して尼子十旗はコンプリートすることができたのですが、尼子十砦は十神山のみの攻略にとどまっています。ぴーかるさんが十砦で一押しの勝山城なんて登城路がわからなくて途中撤退していますから。尼子十砦制覇はずっと先のことになると思いますが、いつか私もびーかるさんに続きたいと思っています。

さて、三連休二日目の攻城を続けます。豊福城からの転戦です。肥後御船城は城山公園として整備されていて、丘の中腹に駐車場があります。小学校、役場、中学校に取り囲まれていて、役場前には恐竜のモニュメントが何体か建っていました。城址に立つ看板を見てその謎が解けました。御船町の形は恐竜に似ているのだそうです。丘の先端部には天満宮が鎮座し、太宰府天満宮飛来の梅が植えられていました。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/11/26 訪問)

「観音寺城に 尾根がつながる 安土城(かんのんじじょうに おねがつながる あづちじょう)」

「アソビ心」第2弾です。上五の句でお手つき狙いです。ハイ,1回休み!

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2023/09/17 訪問)

「安土城に 尾根がつながる 観音寺城(あづちじょうに おねがつながる かんのんじじょう)」

「アソビ心」第2弾です。上五の句でお手つき狙いです。ハイ,1回休み!

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2019/05/01 訪問)

「医学史に その名を刻んだ 鳥取城(いがくしに そのなをきざんだ とっとりじょう)」

「医学史に その名を刻んだ 渇え殺し」 でも良いと思います。「渇え殺し(かつえごろし)」は鳥取城攻めの代名詞だけではなく、リフィーディング症候群の歴史上における貴重な事例になっています。医学史に認識されているんですね「渇え殺し」は。
リフィーディング症候群は長期間の慢性的な低栄養状態におかれた人が、急激な栄養補給を受けた際に水や電解質の分布異常によって引き起こされる様々な症例です。おかゆを食べただけでもショック死するくらいなので、この時代では既に助からなかったのではないでしょうか?
鳥取城の「渇え殺し」や高松城の「水攻め」など、羽柴(豊臣)秀吉の作戦のスケールは戦国でも群を抜いています。これらの作戦が、小早川隆景など敵や周囲の大名達に、この人物は只者では無いと思わせる要因の一つになったのでは無いでしょうか。

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ぴーかる

ありがとうございます。

しんちゃんさん・朝田辰兵衛さん・赤い城さん・チェブさん祝辞ありがとうございます🐤

しんちゃんさん:興味湧いてきましたか。先日TVの「歴史探偵」でも尼子氏・尼子十旗も取り上げていましたよね。

朝田辰兵衛さん:大変さと言えば山陰地方、冬場は雨や雪が多いのと、雪が積もってて、休みの日とかみ合わなくて攻略が進まなかったことか。

赤い城さん:この地方魅せられました。三沢城の横にある布広城(三沢城と対になってる?)にも行っていないし、三刀屋じゃ山城など、まだまだ見応えありそうな山城が残っています。楽しみは尽きません。

チェブさん:そうなんですよ。東京と神奈川の県境の多摩川には河岸段丘の城が沢山あるんだなあ、行ってみたいなあ、と思い、その東京端っことかなり迷ったのですが、行ってたら、たぶん江戸城で歩きすぎてスタミナ切れ、熱中症で倒れてた。マジで。もしくは、東京競馬場だけ行って惨敗して、しょげて大阪帰ってた(笑)かです。

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しんちゃん

深い堀が周囲を巡る。 (2014/02/07 訪問)

松山城も亀山城に負けず劣らず多いです。「城びと」の城だけでも七つか、八つはありますか。
新田義貞の陣営が築かれたとされる伝説もありますが、定かではありません。戦国時代、城主上田氏は扇谷上杉氏に従いますが、扇谷上杉氏が滅んだ後は、北条氏の城となりました。小田原攻めの際には上田氏の城代として山田直安が2300の兵で守りますが、北陸勢の大軍に攻められ落城しました。
城址は東に向かって、本丸・二の丸・春日丸・三の丸が配され、周囲を深い堀がめぐり、北側に多くの曲輪を配しています。

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しんちゃん

生生流転 (2014/02/07 訪問)

関宿城は簗田氏によって築かれ、戦国時代に北条氏に攻略され、北条氏の城になりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川家康が関東に移封となり、家康の実弟である松平康元が二万石で入りました。以後、城主がくるくる変わりますが、最終的に久世氏の代井出明治維新を迎えました。城址は河川改修によって三分の二が堤防の下に埋まり(案内板による)本丸跡から離れた場所に千葉県立関宿城博物館が建っています。博物館は御三階櫓を模していますが、一見普通の模擬天守です。
そういえばキメツ見に行こうかな・・

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栃木西方城

にしかた子ども夏まつり2025に栃木市文化課文化財係西方城グループも参加します!! (2025/08/04 訪問)

栃木県にある西方町の地域と文化を楽しみ、ふれあえる交流の機会として、にしかた子ども夏まつり2025が今年も開催いたします。
栃木市文化課文化財係西方城グループも“西方城”にちなんだ企画をたくさんご用意して参加いたします🎐
また、その他わくわくするイベントが盛りだくさん!!城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった方々、夏まつりを一緒に楽しみましょう‼ぜひお越しください。

イベント名  にしかた子ども夏まつり2025
開催日時 令和7年8月23日(土)15:00~
開催場所 関東ホーチキにしかた体育館(栃木市西方総合文化体育館) 栃木県栃木市西方町本郷1705-1/
TEL0282-92-0866
主催   にしかた子ども夏まつり実行委員会
共催   お問い合わせ:西方地域づくり推進課
            公民館係(公民館担当)
            栃木市西方町本城1 
     TEL0282-92-0316/FAX0282-92-2879
URL https://www.city.tochigi.lg.jp/site/tourism/81258.html

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ぴょん

残念ながら富士山は見えず (2025/08/03 訪問)

唐沢山城へ行ってきました。
本丸(神社)への道中、猫と風鈴に癒されながら景色も良かったですが富士山見えなかったのでまた行きたいです。

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2022/07/13 訪問)

西郷も 落とせぬ縄張り 熊本城
(さいごうも おとせぬなわばり くまもとじょう)

1877年(明治10年)、士族の不満を訴えるべく薩摩で挙兵した「西郷隆盛」は、まず九州鎮台「谷千城」が守る熊本城を攻めます。西南の役の始まりです。最初は城全体を包囲し一斉に突破しようと試みます。しかし、連続桝形・49の櫓・18の櫓門とそれらを囲む白川・坪井川があり、城へは容易に近づく事すらできません。ならば今度は、弱点とにらんだ西側に攻撃を集中し攻めようと試みます。しかし加藤清正は270年前の築城時に、西側が弱点である事にすでに気づいていました。それゆえそこに宇土櫓を築き、20mの大堀と60もの鉄砲狭間を持つ長塀を築き、さらに西出丸をも築きました。清正が「ここを落とすには100日はかかるであろう」と豪語したほどの、完璧な縄張りです。

西郷は攻めあぐね、確かに52日たっても落とす事ができません。その時、官軍の援軍が南下し迫ってきたとの知らせを受け、全軍を「田原坂」に移動させ、そこで迎え撃つ事にしました。しかし、輸入したばかりの最新鋭の銃や大砲で装備された援軍に、旧式の銃や大砲と刀では太刀打ちできず、ここで致命的な大敗を喫してしまいます。薩軍はもはや薩摩へ撤退せざるをえませんでした。この時西郷は、こう言い残したそうです。

 おいどんは
 官軍に負けたとじゃなか
 清正公に負けたとでごわす

もし西郷が熊本城を落とし、逆にここで100日間籠城していたら、全国の不平不満士族たちがその間に立ち上がり、状況は変わったかもしれません(ネバたらですが)。宇土櫓は、2032年に復旧する予定です。私はぜひその時に西側にある二の丸からもう一度、西郷が眺めた景色と同じ景色を、眺めてみたいと思っています。
 

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2018/12/02 訪問)

街道を 見渡す要衝 国吉城
(かいどうを みわたすようしょう くによしじょう)

本丸から見渡すと、国吉城が若狭国を東西に走る街道を掌握する要衝に築かれていることがよくわかります。

尾根沿いに 五段の曲輪 国吉城
(おねぞいに ごだんのくるわ くによしじょう)

国吉城の赤色立体地図かるたでは、北西尾根の五段の連郭曲輪群がひとつの目印になりそうだな、ということで。
 

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

雲海に 浮かぶ備中 松山城
(うんかいに うかぶびっちゅう まつやまじょう)

かるたに竹田城も越前大野城もないのでオーソドックスに。
まだ雲海は見てないのですが見てみたいです。
ここは猫城主や現存天守、石垣が有名ですがその先、大松山方面にも行っておきたい城です。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2023/10/09 訪問)

「カキツバタ 堀で植栽 安田城(かきつばた ほりでしょくさい やすだじょう)」

安田城の特徴のひとつに水堀があります。しかし,スイレンの繁茂により腐植土や地下茎が問題となっていました。令和4年度より本格改修を開始し,令和5年度からはカキツバタの植栽試験も開始しました。試験は数年かけて行うそうです。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/10/12 訪問)

「朝霧に 萌ゆる跳ね出し 人吉城(あさぎりに もゆるはねだし ひとよしじょう)」

この日は朝霧に包まれていましたが,時間とともに消えていきました。帰宅していろいろ調べてみたら,人吉盆地と球磨川が関係しているとのこと。しかも,年間100日以上も朝霧が発生するそうです。たまたまではなかったということと,当たり前に向き合ってきた情景だったんだな…と,知識を深めることができました。

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【赤色立体地図かるた】 (2024/11/30 訪問)

「光秀の 技の冴えみる 周山城」 (みつひでの わざのさえみる しゅうざんじょう)

明智光秀が築城した総石垣の山城。残存状態がよく光秀の築城技術をみることができる城です。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2015/10/22 訪問)

「本丸は 数えてニノ丸 増山城(ほんまるは かぞえてにのまる ますやまじょう)」
城下町から近い順で「一ノ丸」「二ノ丸」「三ノ丸」と呼ばれるようになったという説があるようです。だから一番守りの堅い「ニノ丸」が実際の「本丸」に当たるようです。自由だな・・
城域はメチャ広いですが、内まわり道(林道増山城跡線)より外側の亀山城、孫次郎砦は佐々成政時代に拡張されたようです。
上杉謙信が「如何ニも手堅相抱候間」と書状に書いた増山城は道の内側になりますが、これだけでも十分バリカタです。

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しんちゃん

京都防御の城だったのだけど (2013/09/07 訪問)

淀城は宇治川・桂川の合流点に近い川中島に築かれ、伏見城の廃城に伴い、それに代わる京都防御の役割を担わされたものとされています。元和9年、松平定綱は徳川秀忠の命により淀入部を命じられ、城郭は寛永2年(1625)にほぼ完成したとされます。
本丸の北に二の丸を配し、その周囲を内堀で巡らし、西丸と三丸の周囲を外堀で護っていました。多くの櫓を備え、北と西側には揚水用の水軍が設けられていたようです。
寛永10年に永井尚政が10万石で入って以来、多くの大名が6万石で入りましたが、鳥羽伏見の戦いで敗走する幕府軍を城内に入れず、官軍の勝利に貢献してしまったようです。
訪問時、天守台が立ち入り禁止だったために天守台の穴蔵を見ていません。

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にのまる

『香川元太郎 日本の城イラスト原画展』

昨日、日比谷図書文化館で開催中の『香川元太郎 日本の城イラスト原画展』に行ってきました。

行ったことのあるお城も多く、
「ここからここまで歩いたなぁ」(鳥取城)
「この石垣を見に行ったんだ」(芥川山城)
「ここに石垣があるんだよね」(岡山城)
「こんなにすごいお城なんだもん。きつかったはずだよ」(飯盛城)
「るの門はここ」(姫路城)
「駅はこっち」(上田城)
「東横インはこのあたり」(松本城)
「ここの石垣工事してた」(名古屋城)
「行ったばっかり!うれしい」(首里城)
などなど、訪問当時のことを思い出しながら一枚一枚夢中で鑑賞しました。

古地図、城絵図のほか、香川氏が中学生時代に撮影された写真アルバムや製作過程の解説、使用道具などの展示もあり、気づけば2時間近く会場にいました。

これまでも、そしてこれからもずっと、お城めぐりに欠かせない、そしてお城めぐりを何倍も楽しいものにさせていただける作品の数々。
もう新しい作品に出会えないのが残念でなりませんが、日本各地のお城でまたお目にかかれること、大きな夢が見られることを楽しみに城旅を続けたいと思います。

最後にガチャガチャで高知城と名古屋城をゲットしました🏯

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

西国の 御仏見守る 観音寺城
(さいごくの みほとけみまもる かんのんじじょう)

ここも城びと参加前の登城なので「行った」になっていません。
西国三十三観音のひとつ、観音寺があります。
石垣が素敵なのでまた行きたい城です。
ちなみに香川の観音寺はかんおんじと読みます。

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