関宿城は簗田氏によって築かれ、戦国時代に北条氏に攻略され、北条氏の城になりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川家康が関東に移封となり、家康の実弟である松平康元が二万石で入りました。以後、城主がくるくる変わりますが、最終的に久世氏の代井出明治維新を迎えました。城址は河川改修によって三分の二が堤防の下に埋まり(案内板による)本丸跡から離れた場所に千葉県立関宿城博物館が建っています。博物館は御三階櫓を模していますが、一見普通の模擬天守です。
そういえばキメツ見に行こうかな・・
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/08/04 20:26
生生流転 (2014/02/07 訪問)
関宿城は簗田氏によって築かれ、戦国時代に北条氏に攻略され、北条氏の城になりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川家康が関東に移封となり、家康の実弟である松平康元が二万石で入りました。以後、城主がくるくる変わりますが、最終的に久世氏の代井出明治維新を迎えました。城址は河川改修によって三分の二が堤防の下に埋まり(案内板による)本丸跡から離れた場所に千葉県立関宿城博物館が建っています。博物館は御三階櫓を模していますが、一見普通の模擬天守です。
そういえばキメツ見に行こうかな・・
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2024/11/09 21:59
利根川と江戸川の分岐点 〜移築建造物が多く残る〜 (2024/06/04 訪問)
東武スカイツリーライン 東武動物公園駅東口から境車庫行のバスに乗車し、30分弱バスに揺られながら、県境を越え千葉県へ。江戸町のバス停で下車し登城開始。
江戸町のバス停そばには、関宿関所跡の石碑があります。関所から北に進むと関宿城大手門跡の説明板があり、ここには外堀の遺構の溝が残っています。
江戸川の堤防伝いに進むと堤防の袂に不自然に出張っている丘があり、そこが本丸跡の一部のようです。
たまたまかもしれませんが、すぐそば田んぼの稲が本丸寄りだけ、なぜか植えておらず、水堀と勘違いしてしまいそうでした。(実際田んぼの付近は本当に水堀だったようで、農家さんナイス!!と心で叫んでしまいました。)
本丸には、関宿城址の石碑、説明板が設置されています。
本丸跡からさらに北に進み、模擬天守(千葉県立関宿城博物館)へ。こちらでは、関宿城主の梁田氏と北条氏との関宿合戦や利根川東遷などについても詳しく解説されていました。また「北条氏康起請文」「下総国関宿城本丸絵図」なども展示されていました。御城印は、駐車場そばの売店にて販売されていました。(春仕様のものを購入)
また城跡近くには、移築建造物が残っています。
まず實相寺の境内に新御殿が移築されています。関宿城博物館の展示パネルによると、久世広周蟄居所として利用された建物ということです。御殿が現存しているのは、全国的にもかなりレアですね。實相寺には、太平洋戦争の終戦に尽力した内閣総理大臣 鈴木貫太郎の墓もあります。
次に関宿から南に徒歩20分弱 東高野の民家に関宿城埋門が移築されています。ここは見学者専用の駐車場や説明板も設置されています。
その他、茨城の逆井城にも城門が移築されているようですが、今回は断念。
帰りは、埋門近くの「東高野」から川間駅へ向かいました。「東高野」は近くの工業団地へ向かうバス路線も合流する関係で、関宿城の近くよりもバスの本数が増えるので、公共交通を利用する方は参考になさってください。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2024/04/09 11:55
2024/02/20 23:33
鈴木貫太郎を生んだ関宿藩 (2024/02/18 訪問)
河川工事で殆ど破壊されてしまったが、模擬天守の南方に僅かに城址の痕跡あり。城下を散策すると、藩校跡や大手門跡や関所跡の案内等があるが、こちらも城下の風情がわずかながらにあるものの面影は殆どなし。
とは言え、鈴木貫太郎を生んだ関宿藩は戦後日本にとってもっとも重要な藩であると言えるのかもしれない。
※ちなみに鈴木貫太郎が実際に「産まれた」のは関宿藩の飛地である堺のようです
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 簗田満助? |
築城年 | 室町時代 |
主な改修者 | 松平康元 |
主な城主 | 簗田氏、後北条氏、松平氏、小笠原氏、牧野氏、久世氏 |
遺構 | 曲輪、移築門(東高野94)、御殿 |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 模擬櫓(博物館)、模擬塀、模擬門、石碑、説明板 |
住所 | 千葉県野田市久世曲輪230他 |
問い合わせ先 | 野田市生涯学習部社会教育課 |
問い合わせ先電話番号 | 04-7123-1366 |