せきやどじょう

関宿城

千葉県野田市


旧国名 : 下総

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たくわん

裏側もおもろいよ (2019/05/18 訪問)

東武動物公園からバスで新町下車。徒歩15分。田んぼの向こうにお城が見えてきます。裏口には熊とかゴリラとかいました。お城のマンホールもありました。お城の1階には河童と川下りゲーム面白かった。

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カルビン

資料館から離れてます (2016/03/20 訪問)

その位置からして、何故ここが千葉県?と言いたくなる程県内北西ギリギリにある関宿城。
先日茨城県の逆井城upした際に関宿城の移築門がある事も書きましたが、両城は10km離れておりません。
電車の駅からは遠く、バスも本数少なかったハズなので、関宿城だけを目的にしない場合は車で訪問された方が良いです。

関宿城博物館はあくまで博物館なので、リアルなお城を探すも・・・2回訪問して見つけられずorz

また草木の少ない季節に三度訪問し、やっと本丸跡地と石碑を見つけましたε=(´Д`;)

しかし得に遺構が残っている訳でも無く・・・おそらく関宿城のあった場所は利根川が江戸川と分岐する場所にある為、川の整備の為に整備されてしまったんだと思われます(もしくはそもそも河川際にあった平城だったので、天災で消失した可能性も)


皆様は関宿城訪問されるなら、本丸1:博物館9くらいの比重で宜しいかと(笑)

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夏の雪だるま

北条氏関東の重要拠点 (2017/09/29 訪問)

千葉県野田市の関宿城です。室町時代に利根川と江戸川の分岐点の関東の水運を押さえる地に古河公方家臣簗田氏により築かれたとされ、戦国時代に入ると関東の制圧を目指す北条氏康より「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評された関東中心部における重要拠点と言われます。簗田氏が守る関宿城を1565年から北条氏は再三攻撃、しかし、簗田氏は城の堅固な守りや上杉謙信などと結ぶことで抵抗、何度か撃退しています。しかし、1574年3万余の北条の軍勢の攻撃を受け籠城の末、矢玉・兵糧が乏しくなり城を開け渡します。その後は、北条方の城となりますが、1590年豊臣秀吉の北条攻めにより無血開城したとされます。北条氏滅亡後、関東に徳川家康が入ると関宿城には松平康元が2万石で入城。以降、譜代大名が次々と城主となり1705年久世氏が城主となると明治維新まで続いています。城は、利根川・江戸川・逆川に挟まれた微高地に築かれ、北・東・西が河川で守られ、本丸、二の丸、三の丸、発端曲輪、天神曲輪などを配し、河川以外に各曲輪に土塁・築地塀、水堀を回し、武家屋敷などが配された外郭部も水堀が回された堅牢な守りの東西800m南北1300の規模の平城とされます。現在城跡は、河川改修により半分以上が河川や堤防の下となり、その他は市街化により、遺構はほとんど残っておらず、河川改修後の河川分岐点に関宿城博物館が建てられ、本来の本丸跡に城址碑と、水堀跡に説明板があるのみです。移設された遺構では、本丸御殿の一部が博物館から南1km半の実相寺に、埋門が博物館から南3km半に、大手門が栃木県下野市に、薬医門が茨城県坂東市の逆井城にあります。

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刑部

桜咲く頃 (2018/04/01 訪問)

自転車で花見に来ました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 簗田満助?
築城年 室町時代
主な改修者 松平康元
主な城主 簗田氏、後北条氏、松平氏、小笠原氏、牧野氏、久世氏
遺構 曲輪、移築門(東高野94)、御殿
指定文化財 市史跡
再建造物 模擬櫓(博物館)、模擬塀、模擬門、石碑、説明板
住所 千葉県野田市久世曲輪230他
問い合わせ先 野田市生涯学習部社会教育課
問い合わせ先電話番号 04-7123-1366