日本100名城

ひとよしじょう

人吉城

熊本県人吉市

別名 : 繊月城、三日月城
旧国名 : 肥後

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人吉城
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POYO58

西外曲輪 (2026/03/24 訪問)

本丸を終えて、来た道を戻り、西外曲輪に向かいました。
西外曲輪には武家屋敷や台所があったとされ、人々が生活を営んでいたことがわかります。
また主な建物としては多門櫓、大手門、大手門横長櫓、角櫓があったとされ、現在は復元したものが存在しています。
球磨川越しに見るととてもきれいで当時の様子もわかりやすいです。
なんでみなさん人吉城行ってみてください!笑
チェブさんのおっしゃってた閉め方、再開してみました笑

ということで朝田辰兵衛さん、とある煩悩の登城記録さん、チェブさん、ヒロケンさん、赤い城さん、イオさん、ありがとうございます。そしてお久しぶりです。
今お城の写真もたまりまくってるので、これからも投稿頑張っていきたいと思います。

ちなみに軽音サークルでは、ギターボーカルをやってます。自分はミスチルの大ファンなので、ミスチルをやりたいとは思っていますが、なかなか知ってる人もいないので、back numberのコピーバンドを2回やりました。今度文化祭があるのですが、そこではBUMP OF CHICKENをやるつもりです。なんとかギターをはじめて3か月ほどですが頑張っています。

大学では電気・機械に関する勉強をしてますが、それらしい勉強は来年からになりそうです。
第一志望校だった名古屋大学は自分が志望した学科以外は点数的に受かっていて、人生最大のミスをしてしまいました。この悔しさを生かして、大学院でもう一度挑戦しようと思ってます。
それまでお城探訪頑張っていきたいと思います!

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POYO58

三の丸、二の丸、本丸 (2026/03/24 訪問)

三の丸へ向かうと先に御下門跡が見えてきます。桝形にはなってないようですが、左側にはかなり高い高石垣が見えます。これが唯一三の丸へと続いている門なのでここからしか攻められません。
そのあといくつか石段を登っていくと三の丸に到着します。ここでは籠城時に塩を保存していたと考えられています。三の丸にも石垣が点在しています。三の丸と二の丸には二つのルートがあり、西側に二の丸へ続く石段が現存しています。東側には二つを結ぶ中御門があったとされ、大きな桝形虎口となっています。おそらくこれが場内最大の堅固な門となっています。
中御門を突破すると二の丸にたどり着きます。二の丸には大きな御殿があったとされています。
その後石段を登っていくと本丸にたどり着きます。本丸はなかなか標高の高いところにつくられています。本丸には天守閣ではなく護摩堂がたてられていたと予想されており、今は礎石が残っています。
では次は西外曲輪へ向かいます。続く

にのまるさん、あさん、歓迎の言葉ありがとうございます。最近投稿さぼり気味でしたが、これからもお城の情報を皆さんと共有していきたいと思っています!

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POYO58

約10年ぶりの攻城 (2026/03/24 訪問)

熊本城に行った二日後に人吉城に行きました。
人吉城は、1198年(建久9)地頭として相良長頼が入り、それ以降明治まで35代670年間相良氏がこの地を支配した。城として整備されたのは11代相良長続の時代1448年(文安5)ではないかとされる。その後18代頼房から20代長毎にかけて石垣普請を含めた大改修が行われ、御館と呼ばれる当主の居宅も設けられ、本丸・二の丸・堀・矢倉門が完成。また、日本三大急流の一つといわれる球磨川と、その支流の胸川を天然の堀とし、多くの船着き場を設け水運をうまく活用した。
この説明通り、人吉城を見たとき、貿易のしやすい場所に立っているなと実感しました。
北西の長い石垣ははねだし石垣となっており、このはねだし石垣はおそらく、この人吉城と五稜郭、品川台場でしか見れません。なかなか貴重です。
はねだし石垣を過ぎると水の手門が見えてきます。復元長塀もみることができ、当時の様子が想像されます。水の手門は球磨川に直接続いており、船着き場だったと予想されます。さらに、水の手門を過ぎると、米御蔵跡も見られ、米の貿易もされていたと想像されます。
では次は本丸へと向かっていきます。続く

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ぴーかる

人吉城 (2026/01/10 訪問)

【百名城83城目】
<駐車場他>観光客専用駐車場
<交通手段>車

<見所>武家屋敷地下室遺構・御下門跡・はね出し石垣・二の丸石垣・大手門跡
<感想>新春1泊2日お人吉旅1城目。夜中に出立し、途中で仮眠して11時前に到着。先に下記グルメの昼食をとってから登城しました。大手門跡⇒胸川を挟んで多門櫓・隅櫓を撮影⇒武家屋敷跡・歴史館にて見学とスタンプ押印、歴史館の謎の地下室は見所のひとつ。⇒相良護国神社鳥居から北へ抜けて⇒はね出し石垣・水門跡⇒御下門跡から三の丸跡・二の丸跡を散策して本丸跡へと行きました。北東部の谷口船渡跡へは通行止めとなっていたので見落とし。相良護国神社西面石垣は地震の影響でしょうか、石垣の積み直し作業が行われていました。積み直し作業を生で見れたので良かった。打ち込み接の乱積み高石垣遺構が見事で御下門跡の櫓台は圧巻です。本丸は天守だけを造ろうとしたのか小さい郭で、結局護摩堂のみが建造されたそうですが、法面から石垣が無いようになっている。下の方から徐々に造っていって、最頂部で止めた過程なのかもしれないが、よく分かる感じになっていました。この日は1日1城攻めで終了。

<満足度>★★★★☆

<グルメ>洋食レストラン「すぷぅぅん」で人気№1のチキン南蛮定食のご飯を高菜ご飯の大盛りに変えて食べました。開店と同時に満席になりました。オムライスも美味しそうでした。高菜ご飯変更は絶対お勧めです。
<宿・温泉>「薬師温泉 龍乃榊」に泊まりました。温泉が最高でナトリウム泉の弱アルカリでお肌すべすべになります。隠れた名湯、24時間日帰り温泉500円でも入れます。朝食は小鉢が沢山出てくる満腹セット。

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概要

鎌倉時代から江戸末期までこの地を治めた相良氏の居城とされる梯郭式平山城。球磨川と胸川を外堀に見立てて石垣を築き、多くの船着場が設けられた。石垣の一部は幕末になると、最上部の石を突き出す「はね出し」を設ける西洋式に変わった。屋敷跡で発見された用途不明の巨大な地下室が遺構として公開されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 元久年間(1204〜1206)
築城者 相良長頼
主要城主 相良氏
文化財史跡区分 国史跡(人吉城跡)
近年の主な復元・整備 相良義陽、相良頼寛
主な関連施設 櫓、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 熊本県人吉市麓町
問い合わせ先 人吉市教育部文化振興課文化係
問い合わせ先電話番号 0966-22-2111