日本100名城

ひとよしじょう

人吉城

熊本県人吉市

別名 : 繊月城、三日月城
旧国名 : 肥後

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人吉城
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トベシュン

九州13城巡り (2022/11/18 訪問)

五日間で九州13城巡りしてきました。
初日は、福岡城址、大野城址、佐賀城址。二日目は、吉野ヶ里遺跡、名護屋城址、平戸城。三日目は島原城、熊本城、人吉城址。
四日目、鹿児島城址、飫肥城址。五日目、岡城址、府内城址。

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カズサン

復元櫓を観たいと二度目の登城 (2004/06/18 訪問)

 鹿児島に出張時、周辺業務移動にレンタカーを使用し、空き時間に一山越えて人吉城を二度目の登城、初登城には同僚の車で案内していただき、復元されてる角櫓、大手脇多聞櫓を観たいと出掛けたのですが、御館跡、同庭園、有名な武者返し石垣を初見学しただけで、復元櫓を探し当てて見学探訪する事が出来ませんでした、当時スマホが有る訳で無く、浜松に帰って復元櫓の場所位置を確認して、半年後の今回、復元角櫓、復元大手脇多聞櫓、同間をつなぐ続き石落とし付き長土塀を、やっと観察する事が出来ました。

 武家屋敷が広がっていた外曲輪部分の北側の球磨川を外堀とし、西側の胸川も外堀として北西角部分の北側に単層角櫓が平成元年に復元され、西側に大手脇多聞櫓が復元、同時に続き石落とし付き長土塀も復元されました、城郭雑誌に復元された角櫓から大手脇多聞櫓、続長土塀の写真が掲載されて居り、何時か見たいと思って居た事が、18年前の平成16年6月中旬に叶いました。

 相良氏は静岡県相良の出身で鎌倉幕府初期に人吉地頭を頼朝より受けて以来、南北朝、戦国期、対島津戦、秀吉九州征伐、関ヶ原と耐えて2万2千石を守り明治まで相良氏で継承し治世しました。静岡県浜松市在住者としては思い入れも有ります。

 石垣も立派で球磨川沿いの護岸も兼ねた長高石垣群、胸川沿いの長高石垣も素晴らしい苦労の造作だった事でしょう、小藩での高石垣造りはさぞ大変で、対島津への牽制として幕府からの援助も有った事でしょう。
 水の手橋側の水の手門跡の土塀の復元も平成19年に復元されて居ます。

 ただ残念な事に2年前の令和2年7月に人吉大水害に遭い甚大な被害がもたらされた事です、また人吉城も被害に遭って居り、復旧工事中の様子、今回の登城では人吉城歴史館は出来て居ませんでしたが、被害に遭い休館中との事を皆さんの投稿で聞き及んで居ります、早い災害復旧を祈ります。
 

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スミヤキ

ふじみのくまさんもがいてる (2022/09/01 訪問)

タイトルの意味わかりますか?
小学生の頃、賢い同級生から教わった、日本三大急流の覚え方です。

その一つである球磨川を天然の堀として、巧みに利用して築かれたのが人吉城です。
三大急流だけに度々、暴れすぎる事があるようで、令和2年7月の豪雨災害により、この城跡公園も被災にあい、現在も修復途上で立入禁止箇所があります。

見所は西洋式築城技術である「はねだし工法」を応用した、武者返し石垣です。幕末期築城の函館五稜郭、龍岡城、お台場でしか見られない珍しいもののようです。(何気に全てコンプリート!)
そしてお城の隣に温泉、立ち寄り湯があります。歩き疲れた体に効きますよ。もう最高です!

残りの日本三大急流もわかりましたか?

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おっちゃん

江戸時代の人吉城・城下町を表した模型の写真 (2017/11/05 訪問)

現地案内板より抜粋

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概要

鎌倉時代から江戸末期までこの地を治めた相良氏の居城とされる梯郭式平山城。球磨川と胸川を外堀に見立てて石垣を築き、多くの船着場が設けられた。石垣の一部は幕末になると、最上部の石を突き出す「はね出し」を設ける西洋式に変わった。屋敷跡で発見された用途不明の巨大な地下室が遺構として公開されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 元久年間(1204〜1206)
築城者 相良長頼
主要城主 相良氏
文化財史跡区分 国史跡(人吉城跡)
近年の主な復元・整備 相良義陽、相良頼寛
主な関連施設 櫓、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 熊本県人吉市麓町
問い合わせ先 人吉市教育部文化振興課文化係
問い合わせ先電話番号 0966-22-2111