日本100名城

ひとよしじょう

人吉城

熊本県人吉市

別名 : 繊月城、三日月城
旧国名 : 肥後

投稿する
人吉城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

赤い城

【赤色立体地図かるた】

球磨川の 急流背にして 人吉城
(くまがわの きゅうりゅうせにして ひとよしじょう)

ここも未訪です。
人吉といえば球磨川、これを天然の堀としているとは堅牢さがうかがえます。
実際に行って確認したいです✨

+ 続きを読む

カズサン

【赤色立体地図かるた】

 「球磨川に 対薩かなめの 人吉城」(くまがわに たいさつかなめの ひとよしじょう)

 人吉城、人吉には仕事で何回となく訪ねて居ましたが平成16年(2004年)6月18日には復元されていた角櫓、土塀、多門櫓の見学探訪、平成19年(2007年)3月22日には復元された水手門周りと土塀、合わせて三の丸、二の丸、本丸見学探訪へと訪ねて居ります。
 人吉城主相良氏は静岡県牧之原市相良町の相良荘から鎌倉初期に肥後人吉荘地頭として下向以来幕末明治維新まで人吉を治めていました、江戸期に入ってからは薩摩藩への抑え監視としての役目も有った様です、2万2千石の小藩にしては、球磨川と合流の棟川河岸の石垣積、3の丸、2の丸、御殿、武家屋敷の石垣積は幕府からの援助も有った事でしょうが大変な費用が掛かった事でしょう。しかし美しい石垣を今に残してくれています。
 2020年令和2年7月には球磨川流域、人吉に甚大な水害が発生し人吉城武家屋敷エリアは見学不可に成って居ましたが、最近の城びとの投稿では見学が可能に成った情報が載って居ましたので一安心、復旧復興ありがとうございます、歳を経ましたが機会が有れば訪ねたいとも思っております。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/10/12 訪問)

「朝霧に 萌ゆる跳ね出し 人吉城(あさぎりに もゆるはねだし ひとよしじょう)」

この日は朝霧に包まれていましたが,時間とともに消えていきました。帰宅していろいろ調べてみたら,人吉盆地と球磨川が関係しているとのこと。しかも,年間100日以上も朝霧が発生するそうです。たまたまではなかったということと,当たり前に向き合ってきた情景だったんだな…と,知識を深めることができました。

+ 続きを読む

トク

【赤色立体地図かるた】 (2025/08/02 訪問)

「球磨川に 打ち勝ち復興 人吉城」
(くまがわに うちかちふっこう ひとよしじょう)

【祝!人吉城完全復旧🙌】
待ちに待った人吉城歴史館が復旧!(写真①)。あみりんさんの投稿を拝見して知り、いてもたってもいられず、猛暑の中を行って来ました。情報ありがとうございます。

2020年7月九州南部豪雨で球磨川が氾濫、濁流は堤防を越え人吉城は完全に水没しました(写真②③)。歴史館は屋根の下まで水泥につかり、相良氏の貴重な数百年間保存され続けてきた家宝や資料も、水泥に浸かってしまいました。あれから5年、歴史館以外は昨年復旧を終えていましたが、ついに最後の歴史館も復旧です。家宝や資料の修復は相当大変だったと思います。私は正直「無理かな」と思っていたので、あきらめずに努力された関係者の皆様には頭が下がる思いです。本当にお疲れ様でした。でも安全のため6~9月の増水時期に家宝はまだ展示されないとの事、よって今回は見られませんでした(ガク!)。10月に出直しです。100名城スタンプも歴史館入口受付前に移されていますので御注意下さい。

その代わり「謎の地下室」は見学する事ができました(ラッキーです!)。川より3m高いにもかかわらず水量が一定に保たれているのは不思議です。ここは藩主へ逆らい「御下の乱」を起こした相良清兵衛の屋敷跡の地下だそうです。井戸だけでなく抜け穴か何かのからくりがこの奥にあるのでしょうか? いまだ謎が解明されていないようです(写真⑤⑥)。

また跳ね出し石垣復旧のための解体工事中に、新たな発見がありました。ここは江戸時代初期「相良長毎」により石垣(下半分)が積まれ、その上には当時は塀がありました。しかし1862年に城下であった寅助火事の時、火の粉が飛んできて塀やその奥の御殿まで焼失するという大惨事となりました。石垣の上に御殿は再建されたのですが、再び燃える事を防ぐため、この上には再び塀ではなく4m石垣を高く積み増して、かつ跳ね出しをつける事で防火機能を高めたされていました。今回その積み増しした境目の部分から、焼けた地層が発見されたそうです。これで寅助火事が本当にあった事が、資料以外でも証明されたという事でした(写真④⑤)。

帰りに少し足を延ばし人吉駅まで行ってきました。駅前には引退した「SL人吉」が展示保存されています(写真⑩)。JR肥薩線に復旧の目途が立たず、運転や整備のできる人もいなくなったため、SL人吉号は昨年現役引退しました。今はここで静かに展示保存されています。こちらもお疲れ様でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

鎌倉時代から江戸末期までこの地を治めた相良氏の居城とされる梯郭式平山城。球磨川と胸川を外堀に見立てて石垣を築き、多くの船着場が設けられた。石垣の一部は幕末になると、最上部の石を突き出す「はね出し」を設ける西洋式に変わった。屋敷跡で発見された用途不明の巨大な地下室が遺構として公開されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 元久年間(1204〜1206)
築城者 相良長頼
主要城主 相良氏
文化財史跡区分 国史跡(人吉城跡)
近年の主な復元・整備 相良義陽、相良頼寛
主な関連施設 櫓、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 熊本県人吉市麓町
問い合わせ先 人吉市教育部文化振興課文化係
問い合わせ先電話番号 0966-22-2111