唐沢山城攻め
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2026/08/29 11:40
2026/05/03 22:51
堀と石垣とネコの唐沢山城 (2025/12/31 訪問)
昨年12月の最終週に訪れた最後の城が、栃木県佐野市の唐沢山城。
足尾山地南の旗川と秋山川からなる三方を山に囲まれた扇状地の東側、比高約200mの唐沢山一帯に築かれた城。
南側は東山道が通り、嘗ては関所が置かれていた要衝。
平安末期から佐野庄を統治した佐野氏の城で、築城時期は不明ながら1471年には存在していた記録が見られるとのこと。
戦国末期の佐野氏は、当主宗綱が若くして亡くなり後継者問題が浮上。それに乗じて1585年頃から北条氏忠が、小田原征伐の後には豊臣家臣の富田氏が佐野氏を継ぎ、この時代に石垣の城へと発展。1602年に佐野信吉が南の春日岡(佐野城)へ移り、唐沢山城は廃城となります。
現在は県立の自然公園に指定され、城郭主要部には唐沢山神社の社殿や社務所などが建つ続100名城の城跡。
訪問時は年末年始の交通規制が敷かれており、自動車は一方通行となるため要注意。
天狗岩や蔵屋敷からは関東平野が一望でき、籠城戦では敵軍の様子に加えて援軍の動きも確認できたでしょうか。
神社の雰囲気と近代の改変を強く感じたが、土塁が多く残り、実は石垣も蔵屋敷の南東面など広範囲の隠れた場所に点在。
東尾根の二重堀切も尾根部は破壊されているが南側に2本の竪堀を確認でき、堀と石垣とそしてネコが印象的。
南東尾根の千騎口やクランク状堀切・屈曲した土橋は断念したものの、滞在時間は2時間を越えた、私の城郭巡りの223城目でした。
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2026/04/11 16:29
石垣の多用が想像以上でした (2026/04/08 訪問)
案内に、天慶の乱を平定した藤原秀郷の築城で、子孫とされる佐野氏の代々の居城と伝わる。今の姿は16世紀中頃に整ったとある。
唐沢山神社参道入口では石垣造りの喰違虎口で、右手に天狗岩がそびえ、登れば西の山並みから南の三毳山辺りまで眺められる。先の堀に神橋が架かり神社に続く石段が始まる。脇に井戸(大炊の井)、左後ろには数段の曲輪が残る避来矢山(ひらいし)があり、武具土蔵があったと載る。右は西城と載る天徳丸がある。
石垣の残る坂を上れば、左に二の丸への道を分け社務所の建つ南城下に着く。本丸へは左に平場を2段上がれば、社殿の建つ本丸になる。東と北に石組みの土塁が見られる。西には本来の虎口なのか鏡石らしき大きな石、下に土塁が残る二の丸(武者詰)が見える。南に開いた虎口は石垣で固めている。虎口先は有名な高石垣が現れる。西には三の丸(帯曲輪とも)があり、更に西下に当初幅の広い横堀と思ったが、西端の土塁で堀状に見えたが帯曲輪とある。
神橋から北に回り込み、東の遺構に向かう。縄張図の長門丸と金の丸の堀切に着き、西(右)へ行けば本丸北の引局を通り二の丸に行く。金の丸には家屋が建つ、東側に土塁が残るが、杉曲輪は堀ではなく段差を利用。杉曲輪と北城間はよく残る堀切で区切られている。北城の北東下は二重の堀切と載っているが、両斜面に落ちる竪堀で判断可能な場所であった。駐車場から南の鏡岩に寄ってみた、木戸があったと載るが今は車道が通過する。上杉謙信が攻めた際、西日が反射して攻めるのが困難であったという物語から名付けられたと標識に書かれている。
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| 城地種類 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 延長5年(927) |
| 築城者 | 藤原秀郷 |
| 主要城主 | 佐野氏、後北条氏、大貫氏 |
| 文化財史跡区分 | 国史跡(唐沢山城跡) |
| 近年の主な復元・整備 | 佐野成俊、佐野盛綱 |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸 |
| 住所 | 栃木県佐野市富士町1409 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 佐野市観光協会 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0283-21-5111 |