宿泊先ホテルの朝食前に、淀江台場と小波城と尾高城の攻城をしました。
宿泊先ホテルから車で20分弱で、公衆トイレ横駐車場入口(35.464617、133.428129)に着きました。
江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在6ヶ所(由良台場跡 境台場跡 淀江台場跡 橋津台場跡 浦富台場跡 赤崎台場跡)が残っています。
農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構のようです。
淀江台場は淀江湊に面し、今津村大庄屋松波宏年が土地を提供、その子宏元が設計して1863年(文久3年)11月に完成しました。
現在残るのは、高さ約4m、幅約24m、長さ約67mの土塁です。
淀江台場には六尾反射炉で製造した18斤砲、6斤砲、5寸径砲各1門が配備されたそうです。
当時は丸い鉄の弾で、射程距離は1里(約4km)と伝えられ、1~2ヶ月に1度、砲撃訓練が行われましたが、実戦に使用されることはなかったようです。
幕末、外国船を撃ち払うため、幕府に命じられ鳥取藩が因幡・伯耆の海岸線に1863年(文久3年)に築きました。
境台場と同じく松波宏元が設計し、宏元の父、今津村大庄屋松波宏年が土地と資金を提供、しかも台場完成後は宏年率いる農民兵が台場を守備したそうです。
松波宏年(徹翁)は、1834年(天保5年)20歳の若さで郡の大庄屋を務めた人物です。
1855年(安政2年)には鳥取藩の郷士に任ぜられ、その恩に報いるため農兵隊を組織しました。
また土地を提供して台場を築き、藩の海岸防備に尽くしました。
その後、1866年(慶応2年)の第2次長州征伐、1868年(慶応4年)の戊辰戦争と、幕府軍として活躍した記録が残っています。
淀江台場は、淀江漁港の背後にあり、現在御台場公園となっています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=小波城に向かいました。
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