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赤い城

【赤色立体地図かるた】

三矢の訓 折れない力を 吉田郡山城
(みつやのおしえ おれないちからを よしだこおりやまじょう)

城びと登録前の登城、写真も撮ってないのでまたいかなきゃ、の城です。
毛利元就の三本の矢のエピソードは後年の創作のようですが三子教訓状という書状もあることから毛利家の結束を促す教訓として言い伝えられています。
Jリーグのサンフレッチェの語源でもあります。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

津和野城 見下ろせば蒼く 細い河
(つわのじょう みおろせばあおく ほそいかわ)

未登城ですが行きたい城です。
さだまさしさんの「案山子」に出てくる城跡はここ。
歌詞をパクリました🙏
この歳まで親孝行できてないこと、後悔しても取り戻せないです。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

小田原城 やっぱりお土産 かまぼこだ
(おだわらじょう やっぱりおみやげ かまぼこだ)

100名城かるたでは読み札採用頂きありがとうございました😊
讃岐に移住してなかなか行けなくなりましたがまた行きたい城です。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/15 訪問)

「猫好きが 城好きに進化? 備中松山城(ねこずきが しろずきにしんか びっちゅうまつやまじょう)」

はたしてそれは進化と呼べるのだろうか? 変化、退化? 近年城好きも増加の傾向にあり、メジャーな大人の趣味になりつつあるのではなかろうか。ただ、人気のない山の中をウロウロしてたり、学校の周りをウロついていると「普請者」扱いされるかもしれませんが。
怪しい・・実に怪しい・・ニンニン。 
お城EXPOの忍者コーナーの「忍び足体験」では非常に優秀な成績でした。日頃の城めぐりの賜物だと思います(どんな?)・・
目指すは「天下普請」の城びとですな。

案1-2・・「猫好きと 城好きが集う 備中松山城」
案1-3・・「猫好きと 城好きホイホイ 備中松山城」
案2・・「さんじゅーろーに 会いに行きます 備中松山城」
さんじゅーろー=備中松山城なので、さんじゅーろーだけでも良さそうだ。松山城知らなくても「さんじゅーろー」知ってる人、多そうだし。ちなみに松江のお城EXPOのグッズコーナーで見た「さんじゅーろー」のイラスト、仕事猫にそっくりだと思ったら「くまみね」氏に描いてもらったんだそうな。買っときゃ良かったかな。

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岡崎城公園150年のあゆみ (2025/08/02 訪問)

 岡崎城公園開設150周年記念企画展「岡崎城公園150年のあゆみ」が岡崎城の三河武士のやかた家康館で開催されていることを城びとのイベント情報で知り行って来ました。岡崎城址は廃城後、明治8年9月に岡崎公園として開設され令和6年12月に岡崎城公園と改称されています。廃城となってからの歴史ですので、あまり期待してはいませんでしたが、興味深い事柄もあり楽しく見学しました。
 この日は「岡崎城下家康公夏まつり第77回花火大会」の開催日であり、その準備が進んでいました。岡崎城址も立ち入り禁止区域が多くあちこち回れません。暑い日でもありさらりと散策してきました。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2025/01/05 訪問)

「釣鐘は 弟の御下がり 花巻城(つりがねは おとうとのおさがり はなまきじょう)」

花巻城の南西、市役所の前に時鐘堂があります。かつては二の丸に有ったとされ、正保3年(1646)に本城である盛岡城から移されました。鐘楼は昭和の時代に再建されたものですが、釣鐘は南部時代のものです。
盛岡城は慶長年間に近世城郭として完成するので、花巻城の方がだいぶ「お兄さん」になります。でも、キメツだとお館様が年齢関係なく隊士達を「子供」と言ってるし、本宮先生の「天地を喰らう」だと、どう見ても関羽の方が劉備より年上なのに貫禄が有るということで長兄になっています(たしか・・)。その理屈だと盛岡城が花巻城のアニキになってしまうけど・・
花巻城の始まりは戦国時代の享禄年間で、ヘタをすると前九年の役のころの城柵にまで遡ります・・そんな古い「お城」にアニキ~とか呼ばれるのもシュールすぎるわ。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2025/01/19 訪問)

「水の手は 大池なのか? 高天神城(みずのては おおいけなのか たかてんじんじょう)」
トクさんの投稿にもあった高天神城の水の手、現在井戸曲輪には「かな井戸」と呼ばれる井戸があり、搦手の道中には三日月掘があります。掛川市の文化財課に聞いてみると、いろいろヒントはくれるけど、はっきりとは教えてくれない。何度か時期を変えて訪れてみると城の斜面からどんどん水が流れ出して来てる、古大井川の運んだ高天神礫層で形成された高天神城は非常に水はけが良く、籠城には不便な要因になっているようです。
二の丸から大量の瓶が発掘され、内容物の付着等無かったことから水瓶だと想定されています。おそらく麓の大池が重要な水場だったと思われ、近くの沢や三日月池、大池から水を運んで蓄えていたものと思われます。
「第二次高天神城の戦い」での三月には井戸や沢からは水が取れなかったと思われ、大池の堰を破壊されたのが落城への致命的な要因になった可能性はあります。江戸時代に書かれた古地図には大池跡には水は残っておらず、南東に池があることから、そちらの方に水が流れて行ったのではないかと思います。
大池は現在溜池として復活していますが、誰も来ないので近づかない方が無難だと思います。

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しんちゃん

明治まで五層の天守があった。 (2016/01/17 訪問)

亀山城は天正5年(1577)明智光秀によって丹波攻略の拠点として築かれました。本能寺の変の後は小早川秀秋(羽柴秀俊)によって修築が行われ、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭として完成しました。
明治に撮影された古写真には五層の層塔型天守が写っています。亀山は縁起の良い名なので、城びとにも同名の城が七つあります。江戸時代の人にとっても紛らわしかったようで寛永9年(1632)幕府により丹波亀山城の天守の破却を命じられた堀尾忠晴が間違って伊勢の方の亀山城の天守を解体してしまったのは有名な話です。
しかもその翌年、忠晴は34歳くらいで亡くなってしまいます(何があった?)。天下を目前に控えた主君を殺した光秀が築いた城で有りながら、五層の天守を備えた近世城郭として残り続けたのは数奇な運命だったと思います。そんな経緯で存在した天守だったので出来る事なら残っていて欲しかったですね。

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しんちゃん

上杉家廟所 (2015/05/03 訪問)

米沢市には歴代の米沢藩主・上杉家の廟所が有り、参道には杉木立が整然と並んでいます。中央奥に初代・謙信公の廟があり、その前に横一列で整然と廟が並んでいます。上杉家らしいですね・・これが他の大名だとごちゃごちゃになっているのですが。
実際の米沢藩初代は景勝公なのですが謙信公を初代に据えているあたり、謙信公が歴代上杉家の心の支えになっていたと思います。
なんといっても「軍神」ですからね。亡くなっても「重い」ですね、存在が・・

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しんちゃん

中は口に上下のたて線を貫く (2015/05/03 訪問)

上山城は応永年間の初期に羽州探題の斯波兼頼の曾孫・里見満長が虚空蔵山に城を築いたのが始まりとされています。天文4年(1535)に伊達稙宗に奪われた城を満長の孫・武衛義忠が奪還し、新たにこの天神森に城を築いて月岡城と称したようです。
寛永6年に紫衣事件によって沢庵禅師が流されてきて、藩主土岐頼行は松山の高台に庵を建て手厚く向かい入れました。和尚は庵を「春雨庵」と名付け三年をここで過ごしています。藩主や家臣らと親交を行い茶の湯の手ほどきを行った他、松川に沢庵堰を築くための指導もしていると伝わります。
春雨をネットで見ると別のモノばかり出てきますが、天気の方は一時的なもので心地よささえ感じます。和尚にとって上山での三年は春雨のように有意義な時間であったと思います。
他にも館内には地元の出身力士・出羽ヶ嶽文次郎の等身大の銅像があり、非常にインパクトがあります。


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赤い城

【赤色立体地図かるた】

阿波の夏 踊らにゃソンソン 徳島城
(あわのなつ おどらにゃそんそん とくしまじょう)

諸説ありますが阿波踊りは徳島藩主の蜂須賀家政が無礼講のために踊ることを許したことが起源と云われます。
一度は行ってみたいです✨

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todo94

【赤色立体地図かるた】 (2018/10/21 訪問)

絶景と 登り石垣 洲本城 (ぜっけいと のぼりいしがき すもとじょう)

しんちゃんさんに先んじてしまい恐縮です。私はというと、清水山城の太閤、中城城の護佐丸をトクさんに先を越されてしまいました。特にあたためておいた中城城の読み札は、「護佐丸の 無念」まで一緒で、続く2文字しか違わないので、投稿は差し控えさせていただきます。

内容が全く異なればすでに投稿されている城でも投稿しちゃいますよ。島フェチの私は、やっぱり島の城をチョイスしてしまいます。松山城、彦根城、米子城といった登り石垣のある城が50城からは漏れているので、やっぱり、登り石垣をアピールしたくなってしまいます。赤色立体地図でもくっきりと視認することができたらいいなあ。そして西の丸から見たなんちゃって天守と石垣と海は、私の大のお気に入りなのです。

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todo94

三連休2日目の攻城⑥ (2025/07/20 訪問)

隈庄城からの転戦です。路傍に説明板が立っています。竹林の中に踏み込んでみると、土塁、空堀遺構を確認することができました。

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【赤色立体地図かるた】 (2018/10/07 訪問)

「夜が明けて あっと驚く 石垣山城」 (よがあけて あっとおどろく いしがきやまじょう)


森の中で作業を行い、最後に周囲の木を伐採することで突然城ができたように装ったと伝わる石垣山城です。北条氏は一夜にしてできた城を見て、あっと驚いたのでしょうか。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

・キハ110 お別れ遠足 鉢形城
(きはひゃくと おわかれえんそく はちがたじょう)

今年度限りで。


・八高線 かすめて走る 鉢形城
(はちこうせん かすめてはしる はちがたじょう)

見られたらラッキー✌️

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

ラビリンス⁈ 五城三郭 烏山
(ラビリンス⁈ ごじょうさんかく からすやま)

迷路を歩いているみたいでした!

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

烏山線に 揺られて半刻 那須の城
(からせんに ゆられてはんとき なすのしろ)

JR烏山線の愛称=「からせん」。宇都宮から約1時間で烏山駅到着です。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/07/24 訪問)

「トイレとは 思えぬ石垣 新宮城(といれとは おもえぬいしがき しんぐうじょう)」

トイレがあまりにも威厳ありすぎで,「ここは何?」と思ったのは私だけではないと思います。

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しんちゃん

豊臣秀次 (2013/09/14 訪問)

近江八幡城は天正13年(1585)豊臣秀次が43万石で近江八幡に入った時に築かれました。山上の城は総石垣の梯郭式城郭で詰の城の様な役割を果たしていたと見られ、麓には普段政務を取っていた居館跡があります。
本丸跡には秀次の母で豊臣秀吉の姉の日秀尼(智)が開基となる村雲門跡瑞龍寺が移転されています。山上までロープウェーで訪問できる珍しい城郭です。それだけ訪問者が多いということでしょうか。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/08/27 訪問)

「備中の 天空浮かぶ 松山城(びっちゅうの てんくううかぶ まつやまじょう)」

「備中」と「松山城」を分けて五七五のリズムに乗せるチャレンジをしてみました。これでもしっかり「備中松山城」とわかるのでよろしいかと思います。いかがでしょうか…?

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