1. 長沼氏館跡
武蔵七党・丹党の安保氏三男が居住して、長浜氏を名乗ると言われる。興国寺の南西にある民家一帯が館跡らしい。道路脇に立派な館跡の碑が建っているが、畑・民家となり面影はない。民家の北側の畑地との境に、何回も曲がりながら水路が続く。水路が堀跡ではないかと、先人さん達の書き込みがある。
2. 勅使河原氏館跡
勅使河原氏は武蔵七党・丹党一族と言われる。館跡はJR高崎線が神流川に架かる手前の南にあり、現在は大光寺の境内になっている。駐車場の前に大きな土塁がL字型に残っており、西数メートルは石垣風に補強されている。隅まで観たわけではないが、遺構らしいものは土塁だけらしい。
3. 金窪南城跡
諸先人さんの記載を簡略にすると、築城は1420年代に大畠氏が築城、城主は北にある金窪城と重複する名が多いが、畑氏・斉藤氏など。跡地には陽雲寺が建っている。神流川の戦い(1582年)で灰燼にかす。陽雲寺は1591年に武田信玄の甥・川窪信俊が義母の信玄夫人と入り、没後夫人の陽雲院から陽雲寺と改称したとある。前の寺名が崇栄寺、その前が満願寺とあり、満願寺は違う場所で、出水のため移ったらしいが、詳細は分からない。境内の東から北に掛けて、低いが土塁・浅い幅広な堀が確認出来る。北には50m以上の土塁が観られ、わずかだが堀の一部と思えるものもある。
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