大友宗麟、臼杵城からの続き(13)最終回です。
宗麟終焉の地、大友別館を訪れました。大友別館は、津久見駅から南へ徒歩10分の所にあり、大友公園として整備されていました。公園からは津久見市街が一望できます。この景色が、宗麟が最後に見た景色かと思うと、とても感慨深いです。またそこからさらに20分程へ歩いた場所には宗麟の墓があり、宗麟公園となっています。
臼杵城を何とか守り抜いた宗麟ですが、その直後に心労からか病となり、臼杵から10km南の津久見にあるここ大友別館にて養生します。そして1年後、島津軍が根白坂で豊臣秀長に敗れ、島津義久が剃髪して川内の泰平寺にて秀吉に降伏し、宗麟の子の義統には豊後一国が安堵されたと聞くと、安心したのか静かにここで息を引き取ったそうです(享年58)。
一時は九州六ヵ国の守護も務め、九州最大の戦国大名であった宗麟も、わずかな家臣に見守られながら、静かにここで惨めな最期を迎えたのかと思うと、何とも言えない虚しさを感じました。
宗麟の辞世の句は発見されていませんが、重臣筆頭である立花道雪は、高良山でこのような辞世の句を残していました。
異方に 心ひくなよ 豊国の
鉄の弓末に 世はなりぬとも
これは豊後の国が戦場になろうとも、決して主君(宗麟)を裏切り寝返ってはならぬと家臣たちを戒めたものです。立花道雪は高城川・耳川の戦いの直前、筑前立花城で病に伏せ、龍造寺氏が背後を脅かしていた事もあり、戦に参陣する事はできませんでした。もし百戦錬磨の道雪が参陣していたら、道雪が宗麟を戒め、重臣たちをもまとめ、大友軍は一枚岩になれたでしょう。さすれば数に劣る島津軍に負ける事も無く、宗麟がここで惨めな最期を迎える事も無かったかもしれない・・・🤔。などとまたいつものようにネバたらばかりを考えてしまいました。
以上で「【大友宗麟】の生涯をたどる旅」を終わります。全13話、長々と読んで頂きありがとうございました😌。
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