屋代駅から北廻りルートで徒歩約50分で到着。バリバリ現在も居住されています。自宅をジロジロ見られるのに抵抗はないのだろうか…と思いましたが,そのへんは地域の観光資源として割り切っているのかな…と。
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2025/06/13 18:59
2025/06/13 09:13
黒田六端城を行く:(6城目)麻底良城 (2025/02/18 訪問)
黒田六端城を行く、最後6城目は「麻底良城」です。筑後川沿い豊後へ通じる日田街道を見渡せる地に、黒田長政は家老筆頭の「栗山備後守利安」に18,000石で与えます。大河ドラマ軍師官兵衛では、「濱田岳」さんが演じられていましたね。
西鉄朝倉街道駅から[41]杷木行のバスに乗り50分、国道386号沿いの「志波」で下車(写真②)、そこから左の円清院の標識に従い10分程歩くと、左側に(写真①)の景色が見えてきます。そこから50分程登った麻底良山(295m)の山頂に麻底良城はありました。車の方は、麻底良神社下宮(写真④の裏)に3台程の駐車場がありますが、途中の普門院から先は道がとても狭く、おそらく軽でギリギリ幅、普通車はやめた方が無難です。途中の円清院には栗山利安の位牌と子の栗山大膳の墓碑がありました(写真③)。
下宮から先は、1m幅の土なので歩きやすかったですが、傾斜が急なので意外と足にきました(写真⑥⑦)。最後に階段があり、そこを登った山頂が城跡で現在は麻底良神社上宮が建っていました(写真⑧⑨)。江戸元禄時代(1700年頃)に政所(藩政の中心)は麓の円清院周辺に移され、跡地にこの神社(上宮)が建てられたようです。杉に囲まれて山頂からの眺望がなかったのがちょっと残念でしたが、登山道の途中に眺望がありました(写真⑩)。眼下には筑後川と原鶴温泉、中央の大分自動車道の下に志波のバス停があります。
【注意】ナビを信じるな!
下宮から先の道が、案内標識が何もなく分からなかったので、スマホのナビを使用して登ると、ナビは写真④の下宮の先の分岐から右へ行けと出ます(写真⑤)。信じて15分程登った所で道は行き止まり(あれ~🤔?)。果樹園農家のおじさんがいたので訪ねると、戻って下宮の杉の木の間にある細い道を登れと言われました(写真⑤)。皆さんもナビに騙されないよう気をつけて下さいね! 30分もロス、地図か案内標識くらい付けてくれよ~!😩
【後書き】黒田六端城を行くはこれで終了です。全7回読んでいただき有難うございました。「みんなの投稿」から「黒田六端城を行く」で検索していただければ、私の六端城7回分のバックナンバーを見ていただく事ができますので、登城される方の参考にして頂ければ幸いです。
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2025/06/13 06:29
万博翌日の攻城③ (2025/05/11 訪問)
河内小山城からの転戦です。八尾南駅に徒歩でアプローチし大阪メトロ谷町線で出戸駅にアクセスしました。古墳を利用した城という訳ではなく城域に古墳があるだけなのだと思うのですが、グーグルマップでは花塚山古墳に()付きで瓜破城と記されています。期せずして、古墳3連発となりました。じゅんじんさんの投稿を拝見して、真田幸村休憩所跡にも立ち寄っていきました。そして出戸駅に向かう途中で志紀長吉神社にも立ち寄っていきました。そして、真田の六連銭(むつれんせん)がデザインされている勝守1000円を衝動買いしてしまいました。
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2025/06/13 05:42
(東海&関西)遠征5日目:トトロの森レトロ看板ミュージアム(滋賀県米原市) (2025/05/17 訪問)
米原駅徒歩15分くらいで、トトロの森レトロ看板ミュージアム付近(35.321102、136.295809)に着きました。
トトロの森レトロ看板ミュージアムというよりは、バス停で古い看板が側面一杯に飾ってあります。
攻城時間は5分くらいでした。米原駅に向かい、コインロッカーより荷物を取り出した後、ホテルに向かいました。
歩行歩数=27030歩、歩行距離=18.9Kmです。
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2025/06/13 05:39
(東海&関西)遠征3日目:徳昌寺(城びと未登録 滋賀県東近江市) (2025/05/17 訪問)
仙台藩羽田陣屋(城びと未登録 滋賀県東近江市)から徒歩10分くらいで、徳昌寺参道入口(35.089089、136.157029)に着きました。
築城年代や築城者など詳細ことは定かではないようです。
徳昌寺境内の土塁と堀を確認しました。
攻城時間は10分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストですが、ちょっと時間があったので、トトロの森レトロ看板ミュージアムに行く為、羽田西バスから米原駅に向かいました。
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2025/06/13 05:34
仙台藩羽田陣屋(城びと未登録 滋賀県東近江市) (2025/05/17 訪問)
後藤館から徒歩10分ちょっとで、長屋門前(35.085741、136.156994)に着きました。
羽田陣屋は、1664年(寛文4年)に伊達綱村によって築かれました。
仙台伊達氏は、近江蒲生郡・野洲郡内で1万石の飛び地領があり、その采地陣屋として設けられたそうです。
陣屋は、円通寺北側の長屋門がある民家敷地一帯に築かれていたそうです。
その脇にある鹽竃神社は、陸奥国一宮・鹽竃神社から陣屋の鎮守として勧請されたそうです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=徳昌寺(城びと未登録 滋賀県東近江市)へ徒歩で向かいました。
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2025/06/13 05:30
(東海&関西)遠征3日目:後藤館 (2025/05/17 訪問)
羽田西バス停から徒歩5分くらいで、説明板前空スペース(35.087355、136.149288)に着きました。
築城時期は定かでないようですが 鎌倉期にはすでにあったようです。
後藤氏は進藤氏とともに「六角氏の両藤」と呼ばれる重臣で、後藤賢豊が六角義粥に殺害された(観音寺騒動)1563年(永禄6年)頃まで存在したと考えられており、六角氏が織田信長に滅ぼされた後は蒲生氏に仕えたようです。
周囲は水田および畑ですが、大きな土塁が北と東側に残り、西側には立派な石垣があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=仙台藩羽田陣屋(城びと未登録 滋賀県東近江市)へ徒歩で向かいました。
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2025/06/13 05:24
(東海&関西)遠征3日目:大谷吉継の首塚(城びと未登録 滋賀県米原市) (2025/05/17 訪問)
米原駅から、徒歩10分くらいで、大谷吉継の首塚(35.319213、136.285199)に着きました。
長浜市余呉町小谷(おおたに)は、吉継の出生地と伝わっているとのことで、昌寺城(城びと未登録 滋賀県長浜市)に行く前に大谷吉継の首塚にお参りしました。
関ヶ原の合戦(1600年)で、西軍・石田方の参謀として奮迅の働きをした大谷吉継(1559~1600)の首塚と伝えられる石塔です。
関ヶ原での小早川秀秋の裏切りによって、西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、甥の僧・祐玄が首を錦の袋に入れて、敦賀の逃亡の途中に、この地に埋め隠したといわれています。
今も地元の人々により、大切に守られ供養されているようです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=後藤館に行く為、米原駅から電車➡バスを乗り継いで羽田西バス停に向かいました。
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2025/06/13 05:17
(東海&関西)遠征3日目:揖斐城 (2025/05/17 訪問)
揖斐川町バス停から徒歩15分ちょっとで、城台山公園空スペース(35.490509、136.572281)に着きました。
本来は(長野県&岐阜県)遠征の2023年4月26日に攻城する予定でしたが、風邪をこじらせ途中で攻城を断念した城です。今回はリベンジです。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に土岐氏の一族によって築かれたと云われています。
1343年(興国4年)に土岐頼清の子頼雄が築いて揖斐氏を称したのが始まりとも云われています。
代々揖斐氏の居城として続いていましたが、1547年(天文16年)揖斐光親が城主のとき斎藤道三によって攻められ落城したそうです。
その後、斎藤氏の武将堀池氏が城主となりましたが、1583年(天正11年)稲葉一鉄によって攻められ落城しました。
主郭は東西に長く、東端には大きな堀切に土橋を架け、内側は枡形虎口があります。
ここから東へ二の丸が続き、その先には大手とされる虎口があります。
たくさんの(大堀切と土橋)、堀切、連続する竪堀、横堀、切岸と見所満載の城です。
しかし強雨の中、多くの写真を撮りましたが、やはりピンボケ写真が多く投稿できずすみません。でも、リベンジして良かった。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=大谷吉継の首塚(城びと未登録 滋賀県米原市)に行く為、揖斐川町バス停から米原駅に向かいました。
本来は柏原駅に向かい、長比城(2023年4月26日のリベンジ)➡須川山砦(城びと未登録 岐阜県米原市)➡柏原宿(城びと未登録 岐阜県米原市)を巡る予定でしたが、雨の為、諦めました。
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2025/06/13 05:09
(東海&関西)遠征3日目:小島城 (2025/05/17 訪問)
揖斐駅で養老鉄道レンタサイクル(ecoサイクル)を借りる予定でしたが、強雨です。とても自転車で攻城はできません。
予定を変更し、城びと未登録の城の攻城は取りやめ、攻城対象を小島城と揖斐城に絞りました。
揖斐駅から揖斐川町ふれあいバスに乗り、宮ノ下バス停に着きました。
そこから、強雨の中、ものすごい急坂を登り、徒歩20分弱で、城址駐車場付近に着きました。
本来は(長野県&岐阜県)遠征の2023年4月26日に攻城する予定でしたが、風邪をこじらせ途中で攻城を断念した城です。今回はリベンジです。
築城年代は定かではないようですが、1337年(建武4年)南朝方勢力が籠もる小島城を北朝方が攻めていることが知られており、この時代には城が築かれていたようです。
その後、美濃、尾張、伊勢の3ヶ国の守護職となった土岐頼康の居城となります。
家督を継いだ土岐康行は1390年(明徳元年)、足利義満の命を受けた京極高秀らの軍勢によって攻められ落城したそうです。
菩薩公園の入口に案内板が設置されています。
駐車場から案内板の通りに進むと、大きな竪堀が現れ、さらに進むと雛壇のような段曲輪が確認できます。
巨大竪堀、堀切と竪堀のオンパレードで見所満載です。強雨と落葉で足元滑りまくりでしたが、リベンジして良かった。
帰宅してから撮った写真を確認しましたが、ほとんどピンボケでした(強雨と時間に押されるの中、手元がぶれまくりだったようです)。いい写真が残ってなく残念です。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=揖斐城へ向かう為、揖斐川町ふれあいバスで宮ノ下バス停から揖斐川町バス停に向かいました。
揖斐川町ふれあいバスを使用するこのルートは2025年5月17日現在、土日祝日限定でかつ、
揖斐駅バス停(8:55発)➡宮ノ下バス停(9:09着)➡小島城攻城(40分くらいが限度)➡宮ノ下バス停(10:24発)
➡岡島バス停乗換(10:36/10:44)➡揖斐川町バス停(10:49着)このパターンだけだと思います。
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2025/06/12 23:56
セブン復活 まだだ まだ終わらんよ (2025/05/09 訪問)
うぃん7のPCのブラウザをエッジからクロームに代えたら、城びととの相性が良くなりました。
PC「これは運命だよ 僕はまだ戦える」またどこかで聞いたような声が・・ そのうちまた調子悪くなると思うんだけど。
ジークアクスに安室さんが出ていないのは、やはり「例」の件がらみだろうか・・う~ん、複雑。すごい フ・ク・ザ・ツ
コスモも燃えずにくすぶったままだし、湿度は高いし、風邪はまだ直らないし、なかなかしつこい風邪です。もうじき「合戦」が始まるというのに・・
カズサンさん、土合館を引き合いに出していただき有難うございます。八丁目城の出城で、私の中ではセットのイメージがあります。もう少ししたら紫陽花がいっぱい咲いて来ると思います。
あさんの投稿に会った坂本城の新しい縄張りにも興味がありますね。個人的には岡田さんのキャラは凄い好きなので、またどこかで講演を聞きにいけたらな、と思います。
神尾城は菊池十八外城の一つで代々、水次氏の居城とされています。鹿本方面に対する台城の援護(後方支援)的な役割があるようです。ガンキャノン的なポジションですね。一見土塁に見える古墳の上に城址碑が立っています。この辺は古墳を利用した城跡が多いですね。それ以外には特に遺構は無さそうです。
最後の写真は和歌山県のラーメン屋「幕末」の写真です。けっこう時代がかった名前のラーメン屋が好きなんですよ。のどの調子が良くなったら、また大阪の「大阪らーめん 秀吉」で「茶々」に挑戦したいです。
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2025/06/12 19:46
盛岡城 (2025/04/26 訪問)
【百名城78城目】
<駐車場他>盛岡城跡公園地下駐車場あり。満車だったので近くのコインPに駐車しました。
<交通手段>車
<見所>石垣・虎口・櫓台
<感想>3泊4日東北さくらまつり旅1城目。人生初の東北地方、午前0時に出発、1050㎞走行し11時半頃盛岡に到着しました。下記グルメの食事をして、城跡へ。先に歴史文化館にてスタンプ押印し⇒鶴ヶ池を渡り⇒三の丸・二の丸・本丸⇒本丸南西部腰曲輪⇒吹上坂を下り⇒腰曲輪西部の石垣はしだれ桜と見事にマッチ(言い回しが古いか・・・)⇒彦御蔵⇒石切場跡から城内に戻り⇒二の丸巾木石垣⇒本丸南東側から本丸石垣を眺め⇒もう一度吹上坂を下って⇒主要部の西側の石垣を眺めつつ北上⇒武徳殿跡の桜が見事です⇒瓦御門跡・櫻山神社の烏帽子岩⇒内丸の鐘楼を観て終了しました。ソメイヨシノはだいぶ散ってはいましたが、しだれ桜は満開で石垣とよく調和していました。総石垣造りの連郭式の平山城は現存建物が残っていなくとも、石垣眺めの散策は桜も加わって十分楽しめました。見応えがあり、美しい石垣城跡でした。
<満足度>★★★★☆
<グルメ>盛岡冷麺ヤマトにて焼肉と冷麺のセットを食べました。盛岡冷麺は初体験ではなかったが、ご当地で食す冷麺はやっぱ旨いです。ヤマトだけかもしれないですが、カクテキを入れるのがメインなのですかね。
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2025/06/12 18:48
こちらの碑&パネルはまとめて仮置中です… (2025/05/04 訪問)
令和7年9月5日竣工予定で「長沼地区河川防災ステーション地盤改良工事」が実施されており,碑&パネルはまとめて仮置中でした。場所は,長沼体育館の南東約50m付近です。たぶん,平日は工事中のため立入禁止措置が実施されると思います。ご注意ください。
三才駅から徒歩約35分。三才駅で三才児の記念撮影が行われておりました。そういうスポットなんですね…📷
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2025/06/12 17:07
【陸奥 土合舘】福島県福島市 八丁目城東方の支城 (2025/06/06 訪問)
八丁目城の本曲輪、南曲輪探訪を終えて、近くに在りしんちゃん投稿に触発されて、南東約1.2km程に在る土合舘(土合舘公園)を目指す。
住所、駐車場:福島県福島市松川町土合舘7外(土合舘公園)、余裕の駐車とトイレ完備
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記グーグルマップに依る。
独立丘陵が城郭と成っており、公園駐車場は北側に位置し、公園より北西側の突出た曲輪を北から東の廻り込む遊歩道を登って行く、比高は30~40m程、余湖図コレクションの曲輪番号で言ううと7、6が公園遊戯場、北端に観音像が立っている、曲輪3、2、1の北側を廻って、曲輪1の北曲輪4に入り、曲輪1の北虎口階段から進入、曲輪1は東屋の有る低い段、一段上がって神社が鎮座し鹿島神社、稲荷神社、駒形神社が合祀されている、曲輪1の南虎口階段を降りる、曲輪Ⅰの南と東に土塁の痕跡、曲輪6との間には空堀があり下に落ちている、曲輪6は南端に当たり、現地では展望所と呼ばれている、松川の田園が見渡せる。
展望所から南側回りで切岸、城塁を見ながら曲輪3の北下へ出て元の道を戻る。
歴史的には、八丁目城本曲・愛宕館で書き込みました、伊達稙宗、晴宗、輝宗、実元、成実の時代の城郭です、規模的には八丁目城と同じくらいかと、遊歩道が整備されて見易い、あやめ池に黄色い菖蒲が咲いていました。
又公園では地元の方々がくつろがれて、地元の言葉で話されてる会話を聞いてると何かほっこりして気持ちい、御婦人仲間とちょっと会話しましたが世間話が楽しい。
この後は南に7km程の二本松城を地道で目指します。
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2025/06/12 14:33
進撃の日田 (2025/05/10 訪問)
熊本県から大分県日田市近辺を走っていると、道の駅「水辺の郷おおやま」に「進撃の日田」の のぼりがたくさん立っていました。どうやら「進撃の巨人」の原作者・諫山創氏の故郷が大分県日田市であることから、コラボ企画をやっているようです。
道の駅には「進撃の巨人 in HITA ミュージアム」もあるので寄って見ました。諫山氏の作業デスクや原画など、貴重な展示がいっぱいあります。かなり力が入って、お客さんも結構来ています。近くの大山ダムや日田駅には銅像も設置してあるらしい。
大山ダムに行ってみると、幼いころのエレン・ミカサ・アルミンの銅像がダムの方を見て立っています。「進撃の巨人」アプリを現地のQRコードからインストールして、ダムにカメラを向けると「超大型巨人」が出現しました! おおっ、エレンたちはこれを見て驚いているわけか。上手に起動しないと、巨人がずれて、宙をとびます。
日田駅に行くと、リヴァイ兵長の銅像がありました。何でもブーツに触るとパワーを授かるらしい、ほんまかいな。ここでアプリを起動すると、でかいサルの巨人が出現します。
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2025/06/12 14:28
モシリヤチャシ探訪 (2025/06/06 訪問)
モシリヤチャシを訪問しました。このチャシ跡の内部見学には許可が必要で、今回事前に釧路市歴史博物館に見学申請をしました(1週間前までに)。個人の訪問でも可でした。
駐車場は近隣にある城山会館の駐車場を利用しました。
最初にチャシ跡の周りの道路を1周し、姿、大きさを感じて、その後柵内部に入り見学しました。チャシ跡には二か所の平坦地、間が濠となっているようです。最も高い平坦地からは、釧路川、そして市街地が見渡すことができます。
訪問される方は、史跡内を見学するのをお勧めしますね。その姿、大きさを実感できます。
同じ釧路市内にハルトルチャランケチャシとセットで訪問すると良いと思います。
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2025/06/12 14:24
ハルトルチャランケチャシ探訪 (2025/06/06 訪問)
釧路市の春採湖北岸にあるハルトルチャランケチャシを訪問しました。市街から自動車で数分の場所で、駐車場は春採湖公園の駐車場を利用しました。
チャシ跡は半島状で、史跡入口から入って、湖側に進むと2重の濠と平坦地が良く分かりました。
近くに釧路市歴史博物館があります。釧路の自然や歴史の展示が充実しているので是非立ち寄ってみてください。パンフレットも入手できまよ。
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2025/06/12 14:20
根室半島チャシ探訪 (2025/06/05 訪問)
根室市のチャシ跡、ノツカマフ1・2号チャシとヲンネモトチャシを訪問しました。釧路市街からノツカマフ1・2号チャシまでは自動車で約2時間の行程でした。
根室市内からは道道35号線を進むのですが、風力発電の風車が目印となります。根室駅の隣の観光インフォメーションセンターでは地図等を入手できますので、立ち寄ってみてください。
6月初旬の訪問でしたが、駐車場からチャシ跡まで下草が綺麗に刈り取られており、見学し易かったです。感謝ですね。
1・2号のチャシ跡とも、平坦地と濠で構成されているのが良く分かりました。チャシ跡からはオホーツク海を一望できます。
ヲンネモトチャシはノツカマフ1・2号チャシから自動車で10分強の距離ですが、史跡入口が少々分かりにくいかと。自動車で訪問する際は注意が必要です。
ここも見学路が整備され見学し易かったです。盛土された平坦面に上がると丁度タンポポが咲きほこっていました。この季節の訪問の特権でしょうか。
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2025/06/12 13:57
うてな (2025/05/09 訪問)
台(うてな)城は台台地の鼻先に築かれていました。打越城と向かい合い、間に馬渡・正光寺・増永の三城があり、連携して玉名・熊本方面の敵に備えたようです。城主は決まっておらす、城番制であったようです。
1374年、12歳で菊池家を継いだ武朝(加賀丸)は1375年、九州探題今川了俊率いる大軍をこの地で迎え撃ち、数万の軍勢を2千騎で撃破したとされています(水島の戦い)。激戦のあまり、自軍の矢が尽きた後、敵の放った矢を取って放ったということから、台地の下の内田川一帯には「矢取」の名が残っています。
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2025/06/12 13:40
板井原の戦い (2025/05/09 訪問)
現地案内板によりますれば、打越城は菊池十八外城の一つとされ、台城と共に守山城の西・北の敵に備える要衝とされています。代々菊池方の城で林原与三隆益一族(原文まま)が防備に当たったとのことです。天授5年(1379)三万の軍が投入された今川了俊との闘い(板井原の戦い)で落城しました。
菊池氏が滅亡したのちは怒留湯(ぬるゆ)氏が城主となりました。
丘陵先端部を南北に縦断する道路の東脇から城址碑と案内板のある場所へ道が続いています。この周辺に遺構らしきものはありません。
道路の北側から東に分け入ってしばし散策すると、林の中に土塁の様な物が見えますが、城址との関連は不明です。
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