長篠の医王寺の陣の周りにはまだ見るべき箇所が有るかもしれませんよ。長篠山医王寺は永正11年(1514)に克補契嶽大和尚が開山となり創建されたとされています。戦国時代の寺は基本「城」なので守りに適した立地に築かれていると思います。
国道151号線・竹広の信号の北側に合戦の戦死者の首を洗ったとされる「首洗池」があります。当時はどれだけの大きさが有ったのかはわかりませんが、そりゃ池も真っ赤に染まると思います。主だった首だけでもかなりの数になりますからね。
池には八重のハスの花が咲き、彼岸花も咲いています。古戦場の周囲には武田軍の将兵の墓(供養塔含む)がたくさんあります。以前尾張の城めぐりをした際に城址碑ぐらいしか残ってない城が多く「お墓めぐり」をしているみたいだとボヤきましたが、古戦場ウォークは本当に「お墓めぐり」なんですわ。
まるで死地を求めるように散って行った武田軍の老将たちに思いをはせながら散策しますか。首洗池のすぐ西手の丘の上に本田玉発見地の標柱と岡部竹雲斎・岩手左馬之助胤秀の墓が有ります。いずれも武田方の武将と思われますが詳細が分からないんですわ。AI先生も分からないようですよ。
+ 続きを読む










