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しんちゃん

天守閣が残っているのは奇跡 (2025/02/09 訪問)

江戸城天守閣にエレベーターを付けるというのであれば、是非CGで見てみたいですね。江戸城再建を望む人たちが納得する形になるのか。
通常に木造で再建した姿と、エレベーター付きで再建した姿をCGで比較して皆が納得する姿で有れば、それも有りかと。
私は木造天守を愛しているので、自分が車椅子の生活になっても木造再建の天守にエレベーターを付けて欲しいとは決して口にしないでしょう。城キチの矜持ですが、世間一般の人にそれを求めるつもりはありません。正直、期待もしていません。

我らが名古屋城は昭和20年5月14日の空襲で焼失してしまった。国が愚かな戦争を起こして燃やしてしまったのだから、国が土下座して再建させて下さいと頼んで来るのが本来の筋だ。広島城や大垣城も同じだと思う。
姫路城が空襲で焼失しなかったのは奇跡に近いと思う。黒い偽装網で天守を覆って空襲から守ろうとしたが、米軍機のレーダーが水か陸地しか判別できなかった為、水堀を湖と誤認して爆撃を行わなかったという見方もある。
実際は天守にも焼夷弾が飛び込んで来たが、不発だったために大事に至らなかったという。幾重もの奇跡で守られた城だと思う。
彦根城も今、目にすることが出来るのも奇跡に近い。終戦日の8月15日に空襲を予定していたが、日本がポツダム宣言を受諾したので空襲が取りやめになったようだ。この二城が失われていたらどうなっていただろうか・・

申し訳ないが、なぜ江戸城の天守を再建する必要があるのか全くわからない。名古屋城関係ないし、立ち位置が全く違うし。

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江戸城天守を再建する会ガイド解説付き 皇居東御苑散策ツアー 10月9日(火)14.00~16.30 (2025/10/09 訪問)

集合時間・場所: 10月9日13.50 皇居東御苑大手門前(内堀通り)
申込先:江戸城天守を再建する会事務局 info@npo-edojo.org   参加費: 一般3.000円 当会会員1.000円
振込先:ゆうちょ銀行:00120-9-578881  三井住友銀行光が丘支店:普通0851894
当日江戸城御城印を販売 1枚500円 参加費と合わせお振込み下さい

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オンライン講演会:天守の昇降について ~なぜ名古屋城天守閣木造再建計画は進まないのか(その1)~ (2025/09/04 訪問)

名古屋城天守閣木造再建計画は、エレベーター未設置の方針につき、障害者団体の抗議や、日弁連の勧告があって、計画は停滞しています。江戸城天守再建を進めるに当たって、これは避けて通ることのできない課題となります。当会顧問三浦正幸広島大学名誉教授がこの問題につき提言を行います。

講演会you tube :https://youtu.be/vBez1QLTryA (ぺーストしてお使い下さい)

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しんちゃん

鶴ヶ城 浜松市天竜区 横堀と竪堀が良く残る。 (2021/06/27 訪問)

浜松市天竜区佐久間町にある鶴ヶ城は「城びと」の城ではないものの、遺構を良く残す良い山城です。相川の湾曲部に突き出た標高320mの頂部に築かれ比高は100m程度です。
城郭放浪記さんの情報では永禄8年(1565)に鶴ヶ山大磯之丞によって築かれたとされています。規模は比較的小振りですが山頂に主郭を備え、周囲に横堀を配し南側に虎口が付いています。北に北曲輪が有り、他にも腰曲輪を配しています。横堀・竪堀・土塁とひとしきり遺構が残っており、横堀が竪堀に繋がって下に向かっていく部分もあったと思います。
横堀を多用すると雨水がたまる恐れもあるので排水も兼ねているのかな?

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しんちゃん

寸又峡 ゆるキャンにも出てきました。 (2022/01/04 訪問)

静岡県川根本町の寸又峡は紅葉の名所として有名です。大間ダム湖にかかる夢の吊橋は有名な観光名所で夏場のお客さんも多いとか。
でも訪れたのは冬、完全にシーズンオフです。時間も少し遅くなってきて風も強くなってきている。寒いし、風強いし・・吊り橋こわっ。
でもダム湖が良く見えるし、風の少ない日はきっと楽しいだろう。
道中、奥大井湖上駅を遠景で見ました。電車が来たところをパシャ・・駅は無人らしいけど何かあるのかな?

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/27 訪問)

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城を巡ってきました。

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/27 訪問)

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/26 訪問)

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城を巡ってきました。

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/26 訪問)

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/26 訪問)

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駿府城

企画展「しずおかの古仏たち」を開催します!

静岡の地には、平安・鎌倉時代から大切に受け継がれてきた数々の仏像や経典が息づいています。時を超えて現在まで守り伝えられた仏像は、美術品としての美しさはもちろん、地域の日々の祈りや歴史を映し出すかけがえのない存在です。
本展では、静岡市内の寺院に伝わる貴重な古仏や仏教資料を一堂に集め、その魅力とともに、文化財を未来へと受け継ぐ取り組みも紹介します。
また、記念イベント「ハマる、仏像の世界」も開催予定です。彫刻や造形の視点から仏像の奥深さをひも解く講演や座談会を通して、企画展の見どころをより深く楽しめます。企画展とあわせてぜひご参加ください。

◆会期:令和7年10月25日(土)~12月7日(日)
◆開館時間:9時~18時(展示室入場は閉館30分前まで)
◆休館日:月曜日(国民の祝日・休日の場合は開館、翌平日休館)※10月27日(月)、11月10日(月)、25日(火)は臨時開館
◆観覧料 ※詳細は添付画像をご覧ください。

さらに、ガイドツアー、歴史を楽しく学べるトークイベントなど、関連イベントも多数開催予定です。詳細は静岡市歴史博物館ホームページ(https://scmh.jp)をご確認ください。

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/25 訪問)

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城を巡ってきました。

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トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/25 訪問)

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トク

【宮本武蔵】(12)小倉城(巌流島の決闘(前編)) (2025/06/18 訪問)

宮本武蔵の続き(12)です。

この頃、細川忠興はある悩みを持っていました。剣術師南役として客分に迎えた小次郎ですが、横暴な振る舞いが多く藩の秩序を乱していたのです。しかし藩内には誰も勝てる相手がいないのでどうしようもありません。小次郎より強い者が現れれば何とかなるのではと忠興は密かに考えます。

ちょうどその頃、新免流の弟子たち(中津)と岩流の弟子たち(小倉)で、どちらが強いのかというけんかが始まります。ならば小次郎と無二斎の師範どうしで勝負し決着をつけようではないかという話になりますが、年老いた無二斎がこれを拒否したそうです。

この時、新免氏を預かる家老の松井興長が、新免流を継ぐ者で、京都であの有名な吉岡一門を破った宮本武蔵という男がいるという噂を聞き、興長は無二斎を通じて武蔵を小倉に呼び寄せます。武蔵は無二斎から困っているという知らせを受け、小倉に向かいました。忠興と興長は、この武蔵があわよくば小次郎を倒してくれれば・・・、いやいっそ亡き者にしてくれれば・・・、と頭をよぎったのかもしれません。

武蔵が小倉に着いた頃には弟子たちの争いはエスカレートしていました。そしてついに武蔵が無二斎の代わりに決闘することになりました。しかし当時決闘は幕府の御法度、表立ってする事はできません。ましてや細川家が公認した事が幕府にばれると、大問題になってしまいます。よってその決闘は非公認の私的なものとされ、細川領外の関門海峡に浮かぶ「船島」(当時は長州藩領)で行われる事になりました。しかし密かに忠興は、門司城代の沼田延元に見聞させていたようです。

巌流島の正式名称は、今も昔も「船島」です。下関側からは唐戸から毎日、門司側からは門司港駅前から土日祝のみ船が出ています。どちらも所要10分程(約1時間毎)です。私は門司側から上陸しました。坂本龍馬もお龍(おりょう)を連れて訪れた事があるようですね。これは私も初めて知りました。

次は、巌流島の決闘(後編)、今まであまり知られていない「決闘の真実」に迫りたいと思います。
 

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イオ

梶原一族と小牧長久手の戦い (2025/06/01 訪問)

鎌倉を追われた梶原景時の孫・梶原景親が鎌倉前期に築いた城で、以降約380年にわたる梶原氏の居城となりましたが、梶原景義が織田信長に従って本能寺の変で討死し梶原氏が断絶すると、羽黒城も廃城となりました。その後、小牧長久手の戦いの際に小牧山城に対する羽柴軍の陣城として改修され、山内一豊や堀尾吉晴らが守将となっています。

住宅街の道から路地を入ったところの羽黒城址公園に駐車して登城開始。公園には羽黒城址の説明板、ベンチ、東屋が設けられ、説明板背後の前方後円墳(羽黒城古墳)が主郭部にあたります。主郭部の北裾には周濠を改修したと思しき横堀をめぐらせ、北西方向に伸びていました。古墳の前方部が主郭と考えられ、墳丘頂部には羽黒城址の石碑が立てられています。

羽黒城南西部の興禅寺は梶原屋敷と呼ばれた居館跡で、北辺に羽黒城の土塁が遺っています。また興禅寺には梶原景時をはじめとする梶原一族の供養塔や五輪塔が祀られていました。羽黒城から北に約100mの史跡庭園には、梶原景季が源頼朝から拝領し、宇治川の先陣争いで活躍した名馬・磨墨を祀った磨墨塚があります。磨墨にちなんだ馬の形の遊具(ジャングルジム+すべり台)もありました。

羽黒城から南南東に約700mの羽黒八幡は、小牧長久手の戦いの前哨戦とされる八幡林の戦いの古戦場にあたり、社叢林北辺の道沿いに「八幡林古戦場と野呂塚」の説明板が立てられています。八幡林の戦いはこの地で野営していた森長可を酒井忠次・榊原康政らが奇襲した合戦で、説明板から名鉄小牧線の踏切を渡った先には、包囲された長可を脱出させるべく奮戦し討死した野呂助左衛門・助三親子を祀った野呂塚があります。

…と、梶原一族と小牧長久手の戦いに何かと縁のある羽黒城散策でした。
 

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todo94

日帰りドライブで北陸の城めぐり① (2025/09/27 訪問)

9月最後の土曜日、午前1時過ぎに家を出て安房トンネル、国道471号経由で北陸へと向かいました。かほく市のすき家で朝食をとり森公民館へ。そこには西田幾多郎博士の銅像が立っていました。ここは博士の出生地で、近くには墓もありました。森城には八幡社が建っています。参道の両脇には土塁が伸び、堀底道、竪堀のような趣です。主郭にも微かな土塁が認められました。

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赤い城

城山公園 (2025/08/09 訪問)

愛知環状鉄道の北岡崎駅から徒歩で15分弱。
城跡は城山公園となり城山稲荷神社が鎮座します。
遺構は残りませんが少し高い位置にあり、それらしさは感じます。
公園には石碑も立っていました。

徳川四天王のひとり、酒井忠次の生誕地で岡崎城から北に向かう足助街道沿いに位置します。

ここも自動リアのための再訪でした。
近くの大樹寺も行けば良かったかな😌

写真が少ないのでお昼に行った岡崎城近くの平岩城の説明板と家康像も投稿しておきます。

【見どころ】
 ・高低差


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にのまる

龍潭寺 (2025/08/10 訪問)

「おんな城主直虎」から8年。ようやく訪問が叶いました。気賀駅に降り立った時の感動たるや……!
井伊谷城までは行けませんでしたが、気賀の関所と龍潭寺へ行きました。井伊氏歴代墓所にお参りしたあとは田圃の中の伝・井伊共保出生の井戸へ。
この日も天浜線フリーきっぷを使って田園地帯を行ったり来たりして楽しみました。

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しんちゃん

住職が脅かしてくる (2025/06/30 訪問)

6月も終わりとなると昼間は32度くらいある。正直暑い、熱中症は心配だけどせっかくここまで来たのだから行けるだけ行ってみることにした。
城址に近づいていくと城山登山道のパネルがあった。「城山たんけんたい」という小学生らしい集団が写っている。今の時代はそのまま掲載できないのでモザイクをかけさせてもらった。
案内に沿って進んで行くと住職に「私有地ですよ」と声をかけられた。案内に沿ってきただけなんだけど・・
話をすると、立入禁止というわけではないが、この住職 いろいろと脅かして来る。熊が出るぞとか、猿の集団が住んでるぞとか・・最近研究者が数人来たけど登城道が分からず引き返したとか言ってる。城の研究をしているのだったら、最低限の登城スキルを身に着けておくべきではないだろうか・・この時期未訪の城を良く回っていたせいか研究者や専門家が山城に撃退されたという話を現地で良く聞いた。
最近はどこにでも熊が出るので、調査中に襲われる危険もあるだろう。私の様な城キチは遺構を見て帰ってくるだけなので、まだ気楽な方かもしれない。ひとしきり住職の忠告を聞いた後「有難うございます、城山に入ってもよいですか?」と笑顔で聞いてみた。
住職は「こいつ話通じないな~」という顔をしている。そりゃ熊も猿も好きじゃないけど、そんなこと言ったら島根の未踏の山城など回れないのだ。いつもの通り城山にGOだ。
住職に教えてもらった橋を渡って山に取りつく。このまま真っ直ぐ谷間を登って行くのが正解だが、左の丘陵に直接取りついたので難儀した。けっこう急だし、けっこう登る。尾根に取りつくと竪堀の様な道が見えてきたのでそのまま主郭に向かった。

最も無難なルートだと、住職に教えてもらった橋を渡って谷間の底をまっすぐ進んで行くと良い。ヤブを突っ切り、ガレ場をまっすぐ進むと出丸に続く道が有るはずだ。尾根の左手(西側)にもう一つ北の尾根に続く道が有ると思うので、そこから尾根沿いに登って行けば比較的楽に登れるはずだ。解らなかったら、登れる所から登って行くしかないが結構大変だ。

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しんちゃん

お茶壺屋敷 (2022/01/04 訪問)

静岡市の井川、大日峠の近くに御茶壺屋敷はありました。案内板によると家康公は駿府城内で茶会を催すために安倍川郡井川の名主・海野弥兵衛と柿島の名主・朝倉六兵衛の両名に新茶を茶壺に詰めて風味を損なわないように保管と管理を命じました。
両名は夏でも涼しいこの地に御茶屋を造りました。お茶をしまっておくための蔵とはいえ家康公に献上する大事なお茶なので周囲の守りはしっかりしていたようです。周囲に土塁も残っていますね。

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