みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

くま

千秋公園の魅力発見!フォトビンゴ (2025/10/25 訪問)

スマホ片手に歴史探訪へGO!

秋の千秋公園で、新しい遊びがはじまるよー!
その名も…
「千秋公園の魅力発見!フォトビンゴ」

公園の中にある歴史スポットを巡って、スマホで写真を撮ってビンゴを完成させる、宝探しみたいなイベントです!

🧡 参加費はまさかの…無料!
 お財布に優しいの、最高じゃない?

💛 アプリのダウンロードは不要!
 めんどくさい登録なしで、すぐ始められるよ

💚 豪華景品が当たるチャンス!
 ビンゴを全部そろえると、秋田の特産品や商品券が当たるかも…!?

友達とわいわい楽しむもよし、
一人でじっくり歴史に浸るもよし、
家族みんなで公園散歩もいいね!👨‍👩‍👧‍👦

この秋、千秋公園で最高の思い出つくっちゃお!🫶


期間
2025年10月25日(土)~11月3日(月・祝)

場所
千秋公園

▼参加方法や詳細はこちら↓
https://www.akitacci.or.jp/local/jigyo/sensyupark_photobingo/

+ 続きを読む

トク

【宮本武蔵】(16)明石城(小笠原忠真と武蔵) (2025/06/05 訪問)

宮本武蔵の続き(16)です。

家康の曾孫にあたる「小笠原忠真」は、1615年大坂の陣で父と兄を失うも、「あっぱれ!さすがは我が鬼孫じゃ」と家康から褒められる程の活躍をし、1617年信濃松本8万石から播磨明石10万石へ加増転封となり「船上城」へ入ります。そこで秀忠より西国監視役を命ぜられ、1619年忠真はそれにふさわしい「明石城」の築城を開始します。この時に武蔵を客分に招き、城下の町割りを託したようです。

武蔵は城下の南側を町人町とし、西国街道と合わせた町割りを作りました。今でも鍛冶屋町・細工町・東魚町・西魚町などの名前で残り、諸国を旅して学んだ軍略的知識も取り入れて攻めにくい構造し、かつ西国街道を中央に通し経済発展の基礎をも築いていたようです。

さらに武蔵は忠真のための憩いの場として、山里曲輪に庭園を造ります。その庭園が再現されていました。庭園の横のサービスセンターにはカフェがあり、暑かったのでお茶ならぬ抹茶アイスを食べながら庭園を眺めてみました。ちょっとだけ武蔵の気分に浸る事ができました(写真⑦)。

武蔵はここで、実兄の田原久光の子でこの時15才の「伊織」を二番目の養子に迎えます。そして忠真に仕官させてほしいと懇願し、近習として取り立ててもらったようです。その宮本伊織は忠真の下でめきめきと才能を表し、わずか5年後の20才で何と家老に抜擢されました。

明石城が完成した1624年頃、武蔵は同じく完成した名古屋城の「徳川義直」の元へ招かれます。というか明石城が一段落したこの機に、尾張へ自分を売り込みに行ったようです。そして義直の面前で、当時剣術指南役をしていた「柳生利厳」(柳生宗矩の長男)の弟子たちをあっという間に倒し、何とここで自分を利厳に代わり剣術指南役にするよう要求したそうです。この時、年俸として1億円を要求したとか(利厳はこの時3千万円)。この頃の武蔵は相当プライドも高くなり、ちょっと図に乗っていたようですね。しかし義直から断られて仕官できず、結局また明石の伊織の屋敷へ戻ります。

それから1630年頃になると、九州では各地で不穏な動きが始まります。譜代大名である小笠原忠真は九州目付の職を与えられ、播磨明石から豊前小倉15万石へ転封となり、九州の外様大名を監視せよ命ぜられました。せっかく苦労して明石城を完成させたのに、今度は九州に行けと命ぜられ、忠真はどんな気分だったのでしょうね。武蔵は伊織に同行し、再び小倉へ行く事にします。そして小倉で、またしても問題が起きてしまいます。

次は(小倉城)島原の乱に続きます。

明石駅でお腹が空いたので、明石名物で昼は「たこやき」、夜は「たこ蕎麦・たこめし」とたこづくしを堪能しました🐙。駅構内にあった店に二度も吸いよせられ、まさに「おもうつぼ」にハマってしまいました~😋!(写真⑧⑨⑩)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

残念石トイレ (2025/10/12 訪問)

大阪・関西万博で大坂城の残念石トイレを見てきました。

当初は万博にほとんど興味がなく、周囲の評判を聞いて興味が出てきた頃には暑すぎて行く気になれず、やっとましになってきたかな、という頃には入場予約が取れなくなっていましたが、何とか最終日前日に駆け込みで行ってきました。

文化財ともいうべき大坂城の残念石をトイレに使うとは何事か! という批判もありましたし、残念石なんて城好きしか興味を示さないのでは? とも思いましたが、現地で見てみると、矢穴もくっきりのこり、なかなかお洒落にデザインされていて、閉幕後に元あったところ(木津川市の赤田川)に戻されるのであれば、藤堂高虎に切り出されてから約400年を経て、こうして一世一代の注目を集めるのも残念石にとって悪くはなかったのかな、とも。できれば全体像などもっといろんな角度からの写真も撮りたかったんですが、女性も多く並んでいるトイレの写真を撮りまくるのはさすがに憚られました…。

パビリオンの予約も取れず、コモンズをはしごするくらいでしたが(でも初めて名前を知った国がいくつもあって非常に興味深かった)、大屋根リングにガンダムに万博グルメに花火にドローンショーにと、家族と万博を満喫した一日でした。
 

+ 続きを読む

赤い城

遍路道で分断 (2025/08/15 訪問)

遍路道でもある県道139号線沿いにあります。
石碑のあるのは北側で墓地になっています。
県道で分断された南側は宅地などになっています。
北側を少し散策(というほど広くない)しましたが明確な遺構は見当たりません。
的場跡の石碑も立っていました。

この背後、秋月歴史公園が奥丸跡、せっかくなので行ってみました。
道は細いですが駐車場もあり、そこからすぐに公園があります。
が、下の安国寺跡からガサガサと。
猿の群れが食べ物を物色していました。
静かに退却しながらも獣避けの柵を開け、登っていきます。
途中削平地があり、櫓風の展望台があります。
ただし老朽化により入れません。

さらに登ると東屋があり、折れて登ったところが頂上、天守台があったとされています。
木々に阻まれ眺望は良くないですが達成感はありました。
帰りは猿の気配も消えていたので安国寺跡を見学し撤退しました。

秋月城から近い切幡寺は第10番札所で、大塔は豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うために大阪に建立したもので明治時代にここへ移築されたそうです。

【見どころ】
 ・安国寺跡
 ・奥丸の天守台跡

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

3連休の秋田ドライブでの攻城④ (2025/10/11 訪問)

羽後滝沢城からの転戦です。矢島小学校はすでに移転しているようなのですが、関係者以外立ち入り禁止の表示が出ていました。別名矢島城で由利高原鉄道の終点矢島駅のほど近くです。由利高原鉄道は2016年に完乗しているのですが、まだその時には城びとは存在しておらず、八森城の存在も知りませんでした。乗り鉄と攻城の抱き合わせにはとてもそそられます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

丸子城散策2/2(主郭部) (2025/10/12 訪問)

主郭部を散策してから「赤色かるた」を考えていたら,もっとリアルな発想ができたかな…と思いました。川柳からかるたに続き,五七五のリズムで謳うことが毎年恒例のように思いますので,この思いは次回以降まで温めておきます…<笑>。
喰い違い虎口にロープが張られていましたが,三日月堀方向へはさらに奥のほうから行けるようになっていました。しっかり整備されていて安心して散策できました。感謝申し上げます。

todo94さんへ…
秋田県の攻城で私を持ち上げてくださりありがとうございますm(__)m
クマの出没情報ハンパない東北地方です。ただの出没だけではニュースにならなくなってきました。人身事故になってようやく…です。お気をつけください。
そんな私も今週末,再び岩手県入りする予定です。天候悪い予報ですが…。
そうそう,丸子城の読み札は,todo94さん採用と予想します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

丸子城散策1/2(登城口~二の曲輪) (2025/10/12 訪問)

最寄りのバス停は「吐月峰駿府匠宿入口(とげっぽうすんぷたくみしゅくいりぐち)」。バスの運転手は噛まずに言えるのか,興味がありました。しかし,前のバス停から距離が短いこともあり,録音音声のみでした…。静鉄バスの[84]系統で。新静岡駅・静岡駅と藤枝駅を結ぶ路線です。この日はあちこちで祭りが開催されており,迂回運行していました。土日はほぼほぼ30分間隔です。
この日は雨上がり。事前情報でシダ類が群生しているということも予習済でしたので,ヒルとマダニには細心の注意を払いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 山県昌景陣地・山県塚 (2025/09/28 訪問)

設楽原歴史資料館より南に行った丘陵に、武田四天王の一人とされる山県昌景の陣所と昌景の墓とされる山県塚が有ります。武田軍の左翼の中核を担い徳川家康本陣へ攻撃を仕掛けるも敗退し討死したとのことです。山県昌景の近くには、従士とされる名取又左衛門通忠の墓や山県甚太郎昌次、高坂又八郎助宣の墓があります。山県甚太郎昌次は三枝虎吉の子ですが山県昌景に山県の姓を名乗ることを許されています。昌次の兄の三枝昌貞は武田軍の足軽大将で二十四将の一人とされ姥ヶ懐砦の攻防戦で討死しています。
高坂又八郎助宣は高坂弾正(高坂(香坂昌信 / 春日虎綱)に近い人物とされますが詳細は不明。長篠城の南にある新昌寺にも墓が有ります。山県塚周辺の丘陵が陣跡とされ、遺構は残っていないようですが横堀の様な溝が一列ありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 徳川家康本陣跡・断上山 (2025/09/28 訪問)

「家康は 断上山に 拠りたがる(いえやすは だんじょうやまに よりたがる)」 いろはかるたもどき

徳川家康本陣跡とされる断上山(八釼山)の頂部はなかなかの広さがあります。断上山10号墳へは丘陵の東側に「ケッターパーク」の入り口があるのでそこから入ると登りやすいです。もちろん八釼神社からも登ることができます。
手前には「徳川家康物見塚」がある9号墳にいたる道もあります。家康と断上山古墳には縁が有るんですよ。断上山10号墳の周辺は堀が切られたようになっています。「歴史探偵」で合戦のさなかに戦場に城が現れた・・みたいな紹介が有ったような気がしますが、たしかに合戦の際に攻め手からはそう見えるかもしれません。
2018年に訪問した際には周囲の堀(らしき)はもっと浅かったと思います。調査の際に掘りなおしたのかな?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 徳川家康本陣跡 (2025/09/28 訪問)

設楽原古戦場の徳川家康の陣は八釼神社に置かれていたとされることから、現地に立っている「いろはかるた」の看板には「八釼山」と書かれています。この八釼神社の裏手を登っていった所に断上山第10号墳があることから断上山とも呼ばれています。
この断上山周辺に扁平地が広がり、家康の大部隊が駐屯していたのではと思われます。10号墳の東側にある9号墳は、家康が指揮を取ったとする伝承があることから「徳川家康物見塚」と呼ばれています。たしかに10号墳より9号墳の方が戦況がよく見えますが、より修羅場に近いです。
武田勝頼も陣所を才ノ神陣からより戦場に近い場所に移って指揮を取ったと各所の案内に書かれているので、家康と勝頼の戦いがヒートアップしていった様子が伺えます。
ある意味、この時代ではライバル関係に有った二人だと思います。家康の方が勝頼より3歳ほど年長で、設楽ヶ原の戦いの時は家康33歳(数え)で勝頼が30歳くらいだったと思います。これだけの合戦の主役二人が30そこそことはびっくりです。勝頼公は実際は29ですからね。若さゆえの失敗とすると重すぎる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駿府城

【限定御城印販売】徳川家康公ゆかりの城を巡る御城印が登場!

徳川家康公の足跡を今に伝える4城が、地域を越えて特別に連携!家康公を「龍」で表現し、それぞれのお城の歴史と魅力を込めた、ここでしか手に入らない限定御城印をご用意しました。
さらに、4城すべての御城印を揃えた方には、先着2,000名様に特典として武将印「徳川家康」をプレゼント!家康公を辿る城めぐりが、より特別な思い出になること間違いなしです!

販売開始日:令和7年10月4日(土)~ 無くなり次第終了
販売価格:300円(税込)※おひとり様5枚まで
販売場所:
・駿府城 駿府城公園東御門・巽櫓売店(有料エリア)
・岡崎城 岡崎城天守1階 ミュージアムショップ
・浜松城 浜松城天守閣1階売店(有料エリア)・天守門
・田中城 田中城下屋敷受付

【ご注意】
・各城にてそのお城分の御城印を取り扱います。
・各城の休館日は異なりますので、事前にご確認ください。
・特典は各城の在庫状況によってはお渡しできない可能性があります。
・交換には、各御城印及び購入時にお渡しする専用の袋すべてが必要になります。紛失や汚損にご注意ください。

この秋、家康公ゆかりの名城を巡り、歴史とともに特別な御城印をぜひお楽しみください!

+ 続きを読む

todo94

3連休の秋田ドライブでの攻城③ (2025/10/11 訪問)

山根館からの転戦です。本丸跡は以前から空き地だったようで、標柱は草の中にうずもれていました。かつて前郷小学校があった二の丸は、きれいな公園として整備されていました。外濠跡や土塁はこの二の丸側にあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

江戸城天守を再建する会ガイドが案内する「親子で歩く江戸城」  江戸城御城印販売(500円)  (2025/11/01 訪問)

日時:11月1日 10:00~12:30  集合場所:皇居東御苑大手門前内堀通り
参加者:保護者1名と小・中学生1名を含む2名以上 参加費:会員:1,000円 非会員:3,000円 (大人・小人同額)
申込先:江戸城天守を再建する会事務局 info@npo-edojo.org 03-6423-1882
振込先:ゆうちょ銀行:00129-9-578881 NPO江戸城再建 三井住友銀行光が丘支店:普通0851894 

+ 続きを読む

関ケ原古戦場散歩(長宗我部盛親陣跡) (2025/10/13 訪問)

 関ケ原の戦いの時、長宗我部盛親が陣を敷いたと伝わる場所へ行って来ました。南宮山東南の山麓に陣跡があります。麓の清水寺公園と栗原山の中腹の2カ所に説明板がありました。栗原山の中腹にある方が実際には陣があった跡のようです。主戦場である笹尾山付近とは間に南宮山があり、かなり遠くに陣を敷いたことになります。「やる気がなかったのか」と思っていましたが、小和田哲男先生のYou tube「戦国・小和田チャンネル」を見ているとここに陣を敷いたのは大垣方面に備えてのことだったようです。この地はかつて栗原山の山頂部から東山麓には大規模な栗原九十九坊跡といわれる広大な寺院伽藍が広がっていました。建武2年、足利新田の戦いで兵火に焼かれてしまいましたが、戦国時代には栗原右衛門尉義師が城として利用していたと伝わっています。今も削平地を多く残っていて、長宗我部盛親も陣城として利用したものと思われます。散策してみると寺の遺構か、城の遺構か、陣城の遺構かわかりませんが、切岸や土塁のような地形もありました。また、この地は竹中半兵衛重治の閉居の地とも伝わっています。永禄7年(1564)2月、半兵衛は稲葉山城に弟久作の病気見舞いと称して家臣十数名を率いて登城し、舅である安藤守就の軍勢と謀って斎藤龍興を追放しました。半年ほどで稲葉山城を退去した半兵衛が閑居していたのが、この地であったと伝わっています。木下藤吉郎が美濃攻略を目的に竹中半兵衛を口説き落とすため、あししげく通った地が連理のサカキ(長宗我部盛親陣跡)付近とされています。
 県道215号線を垂井駅より南へ行くと、右手に長宗我部盛親陣跡などと書かれた看板があり細い道を登って行くと清水寺公園があります。獣除けの柵を開けて(もちろん閉めて)登って行くと長宗我部盛親陣跡へ案内する標識があり容易に陣跡へ行くことができます。それなりの山道ですが、途中、「ガンバレ もう少しだ」と書かれた標識が励ましてくれます。栗原山を登ってみましたが、遺構らしいものはありません。陣跡から栗原九十九坊跡付近が栗原城の跡ではないと思います。
 
 未踏の関ケ原の陣跡を訪ねるために行って来ましたが、調べて見るとエピソード満載の地でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ゆうにゃん

今年の7月、6月くらいに犬山城に日帰りで行きました。 (2025/07/06 訪問)

自分は一宮市に住んでいます。犬山城は車で1時間で行けるので凄いと思いました。国宝5城のうち犬山城は日帰りで行けるので

+ 続きを読む

あき

三重旅行3日目 (2025/10/01 訪問)

津城から電車を乗り継ぎ上野市駅へ徒歩5分位で白鳳門に到着 この門は観光用に建てられた門との事です 登って行くと天守が見えてきますが まずは高石垣へ ギリギリまでのぞき込みます 怖い高い! そして天守へ 色々な破風があり美しいです 受付でスタンプ押し御城印も購入 天守の中は展示館になっており 藤堂高虎の歴史や 藤堂家の武具などが見られます 最上階の天井には大色紙がはめ込まれていました  1階には井戸があり抜け道となっていると言われていたそうです(調査したらなかったようですが) 筒井氏時代の石垣も見て堀の道を通って下から高石垣を見つつ駅へ 名古屋行きの高速バスに乗り 名古屋から東京へ向かい帰宅したしました 楽しい3日間のお城巡りでした

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

関ケ原古戦場散歩(長束正家陣跡) (2025/10/13 訪問)

 関ケ原の戦いのとき、長束正家が陣を敷いたと伝わる場所へ行って来ました。南宮山の東山麓にあり、主戦場であった笹尾山付近からはかなり距離があります。全く戦わなかったわけではなく池田輝政隊とは銃撃戦があったようです。

 関ケ原古戦場はときどき行きますが、南宮山東地区は行ったことがないので散策してきました。

+ 続きを読む

あき

三重旅行3日目 (2025/10/01 訪問)

前日に松阪から津駅近くのホテルに移動 この日に津駅の観光案内所で御城印を購入 お城の近くには売ってないので欲しい方は注意です 津城には津駅からバスで向かいました 三重会館前で降りて徒歩5分ほどです 途中のバス停にも石垣が保護されていました 三重隅櫓を見つつ まず公園内へ 天守台や三重隅櫓を近くで見学 藩校の門も移築されていました 高山神社の開く時間になったので移動し お参りしてスタンプ押し お城の周りを一周 広い水堀と石垣が素晴らしい 公園内はなんとなく残念な感じでしたが 周りの石垣が見応えありました ここから津新町駅へ行き伊賀上野城へ向かいました

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

明石焼やない玉子焼きです (2025/10/13 訪問)

明石と言えばお城好きはともかくとして(すいません😅)天体好きには“子午線の町”、競馬好きには“メイショウさんが住む町”、橋好きには“明石大橋のある町”として有名、でも忘れちゃいけないのが“🐙の町”ということ。昼網と言って早朝じゃなしにお昼前に漁船が帰ってくる“昼網”で有名、そんな昼網で採れたタコで作るのが「明石焼」、あっ、間違えた😅“玉子焼き”。メリケン粉より卵をベースにしたたこ焼きを出汁で食べるのが玉子焼き、たこ焼きももちろん出汁の美味しさが人気の秘訣です。ぜひ明石城から歩いてごふんの「魚の棚」(うおんたな)であなた好みの玉子焼きを探してください。

+ 続きを読む

Himeji Castleやった (2025/10/13 訪問)

日本人観光客の顔を見たっけ?世界遺産やからしょうがないか?モンサンミッシェルに🇫🇷フランス人が少ないのと一緒やね、知らんけど😅
姫路城はもう何回も行ってるので、きょうは「100名城スタンプ」をもらって帰ってきました。なんと!さすが世界遺産、入場ゲートの手前にスタンプが置いてありました。世界遺産は太っ腹です。帰りはなぜか有名⁉︎「姫路駅そば」を食べました。大阪関西万博では3,850円やったけど、ここでは500円でした。でも、出汁が塩っぱくて、出汁文化に生きる大阪人としては、なんで人気なんかわかりません。

+ 続きを読む

ページ22