かじたじょう

加治田城

岐阜県加茂郡

別名 : 却敵(きゃくてき)城、加治田山城、古城山城
旧国名 : 美濃

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とてもカラフルな仕上がりとなってます
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半布里コミッティ

「にっぽん城まつり2024」に加治田城ブース出展します!

にっぽん城まつり2024 に加治田城ブース出展します!(2日・3日両日共)

今回の出展にあたり、加治田城と堂洞城の新しい御城印をご用意しました。
(加治田城縄張り図入の新バージョン、加治田城と堂洞城の堂洞軍記バージョン)
また、帆布を使用したトートバッグをコミッティメンバーで制作しました。
富加町にある文化財をデザインしたタグもついていて、色もそれぞれに異なる
唯一無二の仕上がりとなってます。
ひとつひとつ心を込めて作りましたので、お楽しみに!

当日はお城のスペシャリストによるお城話や武将隊による演武など
盛り沢山のイベントが予定されています。

開催日時 : 令和6年3月2日(土)・3日(日) 10:00~17:00

会場   : 名古屋市中小企業振興会館 吹上ホール

多くの方のご来場をお待ちしております。

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半布里コミッティ

「山城に行こう!2023」に加治田城ブース出展します!

山城に行こう!2023 美濃金山城跡国史跡10周年~心に響いた10の山城~ に
加治田城ブース出展します!(11日・12日両日共)

加治田城の新しい御城印をご用意しました。
(加治田城主の家紋、花押イラスト入り)
その他にイベント時限定の御城印やグッズもあります!


12日(日) 12:30-13:30
「地元の山城ここだけの話」にて、富加町職員が山城事情を語ります。
 ※トミカニミタケ(富加町、可児市、御嵩町)の職員によるトークです。


また、可児市特別顧問による講演会や、城跡紹介ブース、物販・体験ブースなど
楽しいイベント盛りだくさんです。


開催日時 : 令和5年11月11日(土) 12:00~16:00 / 12日(日) 10:00~16:00

会場   : 広見地区センター  (メイン会場)
         可児市広見7-77

入場料  : 無料

多くの方のご来場をお待ちしております。

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半布里コミッティ

マンガ「斎藤新五利治」関連企画展 第1弾 第2弾 開催案内!

第1弾 : 『マンガ「斎藤新五利治」ができるまで』 企画展

マンガ作者の渡辺浩行先生から、貴重なコマ割りと構図の入ったネームや
原画をお借りし、展示されます。

 期間 令和5年7月15日(土)~10月1日(日) 
 場所 富加町郷土資料館 (開館時間に準ずる)

同展示室にて 関高校 地域研究部・文芸部による研究ポスターも掲示されます。
日本考古学協会にて発表されたすばらしい研究内容となっております。


第2弾 : ギャラリートーク & マンガ作者によるサイン会

 日時 令和5年9月10日(日) 受付時間 12:30~  
                 開始時間 13:00~
 場所 富加町郷土資料館

 ※ 参加費無料、申し込み不要

学芸員と渡辺浩行先生とのギャラリートークが開催されます。
また、当日「斎藤新五利治」をお持ちいただいた方には、渡辺先生のサインを
描いていただけます。
なんと先着20名はイラスト入りサインです。当日整理券配布予定。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:加治田城 (2023/04/27 訪問)

更木陣屋からの転戦です。大弘法師堂入口(35.496785、136.998632)清水川公園に到着。車は清水川公園の駐車場に駐車しました。
そこから、清水寺二天門脇の登城道口を通り、近道を使って主郭(山頂)まで徒歩30分弱、下りは20分くらいです。
近道も本道も主郭への残り150mで合流します。

加治田城の築城時期は不明でのようですが、戦国時代の永禄年間(1558年 - 1570年)には、美濃佐藤氏の居城であったようです。佐藤忠能・忠康父子が築城したとも伝えられています。
佐藤氏は初め美濃斎藤氏に従っていたが、のちに尾張国の織田氏に内応。そのため1565年(永禄8年)に、堂洞合戦や関・加治田合戦において斎藤氏に攻め込まれるが、織田氏の支援も得ていずれも撃退しています。しかし、関・加治田合戦において佐藤忠康が戦死したため、織田信長の命により斎藤道三の末子・斎藤利治が城主となったそうです。
1582年(天正10年)本能寺の変において利治が死去すると、斎藤利堯が跡を継ぎ織田信孝の家老となりましたが、同年7月には東美濃での勢力拡大を狙う森長可との間で加治田・兼山合戦が起こり、奮闘し城を死守。しかし、その後(1582年~1583年)、利堯の城主としての活動が見えなくなり、その所領は森氏が統合したようです。
その後、東美濃全域並びに中濃の一部にまで版図を拡大した森氏は、領内に多すぎる城の保全の煩雑さを考慮し加治田城を廃城にしました。廃城後、城下町は宿場町として昭和初期まで栄えたそうです。

登城道は城址が近づくにつれ歩き難くなりますが、途中にある近道も含めて問題なく主郭に着きます。帯曲輪、堀切等が確認できます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=堂洞城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 二重櫓[2重2階/築年不明/破却]
築城主 佐藤忠能、佐藤忠康
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者 斎藤利治、斎藤利堯
主な城主 佐藤氏、斎藤氏、森氏
廃城年 天正11年(1583)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、堅堀、堀切、切岸、虎口
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県加茂郡富加町加治田
問い合わせ先 富加町郷土資料館
問い合わせ先電話番号 0574-54-1443