領主は上田藩藤井松平氏の分家筋で五千石の旗本陣屋です。
1730年頃陣屋が築かれ現在跡地は塩崎小学校となっています。
学校の敷地内に破風が残されていますが清掃作業されていた年配の方に尋ねたところ、これは小学校の初代校舎の一部とのこと。
当時は大きく立派な建物が建てられていたと伝わっているそうです。
学校近くには武家屋敷風の門や歴代領主の位牌が安置されている天用寺があります。
川中島小学校には陣屋表門が移築されています。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2025/09/06 12:44
塩崎陣屋・長野県長野市 (2025/08/08 訪問)
領主は上田藩藤井松平氏の分家筋で五千石の旗本陣屋です。
1730年頃陣屋が築かれ現在跡地は塩崎小学校となっています。
学校の敷地内に破風が残されていますが清掃作業されていた年配の方に尋ねたところ、これは小学校の初代校舎の一部とのこと。
当時は大きく立派な建物が建てられていたと伝わっているそうです。
学校近くには武家屋敷風の門や歴代領主の位牌が安置されている天用寺があります。
川中島小学校には陣屋表門が移築されています。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/09/06 11:49
御殿が完成 (2025/05/06 訪問)
完成後に初めて訪れました。次は内部を見たい。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/09/06 11:40
2025/09/06 11:36
2025/09/06 11:31
2025/09/06 11:27
2025/09/06 11:23
古墳 (2025/05/03 訪問)
中には入れません。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/09/06 11:10
2025/09/06 10:52
2025/09/06 10:35
2025/09/06 07:26
北海道&東日本パスで下北半島の観光 (2025/08/18 訪問)
中市館攻略を終えて、8月17日の15時前に無事レンタカーを返却して、快速しもきたで下北駅を目指します。この日の午後、下北半島の付け根の部分に線状降水帯がかかり、大湊線内で運転見合わせが発生。70分を超える遅延が生じましたが、無事、ホテルにチェックインすることができました。そして18日はレンタカーにて仏ヶ浦を目指します。ツアーに申し込むなど、仏ヶ浦にこだわっていたのは、阿部龍太郎の「十三の海鳴り」に仏ヶ浦が登場していたからなのです。昨年11月に蠣崎城を攻略した際に出来たら足を伸ばしたいと思っていましたが、全くもって無謀な心づもりでありました。今回は、佐井港から仏ヶ浦遊覧船を利用しました。年季の入った遊覧船で料金は3000円。佐井港の最寄りの城は田名部城だと思いますが、仏ヶ浦に最も近い城びと登録城は蠣崎城になりそうです。仏ヶ浦では浸食されやすい凝灰岩の造形の綾を思う存分堪能することができました。むつ市を起点にしてのレンタカーですので、下北半島内をまだまだ巡ることができます。本州最北端の大間崎(まぐろ丼は行列を前にあえなく断念)、新島襄寄港の地碑、尻屋崎灯台と存分に、前日の大雨が嘘のように快晴に恵まれた下北半島を味わい尽くすことができました。レンタカーを返却した後、大湊駅まで歩いて向かう途中では、斗南藩士上陸の地碑もチェックすることができました。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2025/09/06 06:02
2025/09/06 05:42
2025/09/06 05:21
2025/09/05 23:17
2025/09/05 22:50
2025/09/05 22:41
【赤色立体地図かるた】
「果てて尚 勇ましき哉 高取城」
(はててなお いさましきかな たかとりじょう)
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2025/09/05 21:05
水郡線で城めぐり② 赤館(福島県棚倉町) 立花宗茂も入った城 (2025/06/17 訪問)
棚倉城から北に徒歩30分ほど進んだ赤館公園付近が城址です。
JR磐城棚倉駅から徒歩20分、赤館公園に駐車場、トイレもあります。
駐車場の所に説明板が設置されています。山頂の主郭を中心に階層式になっており、切岸や腰曲輪が良好に残っています。主郭からは棚倉城や棚倉の街並みを一望することができます。
説明板には、公園の北西側にも遺構がある情報が記載されていましたが、伐採工事を実施していたようで、道路より北側の見学は断念。
赤館公園から下る道沿いには、初夏ということもあり少し見づらかったのですが、竪堀の遺構らしきものもありました。
赤館の歴史は、かなり濃密です。棚倉城が築城されるまで、この地域の中心的なお城でした。戦国時代は、白河結城氏と南郷に進出した常陸の佐竹氏との争奪戦の舞台となりました。戦国末期には佐竹氏が赤館を領有し、赤館を南郷の拠点にして、伊達政宗との戦いに臨んでいたようです。
佐竹氏が関ケ原の戦いのあと、出羽移封すると、立花宗茂が城主となります。立花宗茂が柳川に復活を果たすと、丹羽長重が入り、麓の棚倉城が築城され、赤館城は廃城となったようです。
棚倉城からも比較的近く、白河へ向かうバスも赤館跡のそばを通るみたいですので、棚倉に向かう際はぜひ寄ってみてください。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2025/09/05 20:55
水郡線で城めぐり① 棚倉城 築城400年!! (2025/06/17 訪問)
茨城の水戸と福島の郡山を結ぶローカル線の水郡線に乗って、沿線の福島県のお城を巡ってきました。
水郡線沿いは、実は私の地元でして、高校時代に通学でよく水郡線を利用していたのですが、福島県側には、あまり行ったことがなかったので、今回行ってみました!!
最初に棚倉城です!!
JR水郡線 磐城棚倉駅から本丸跡まで徒歩10分ほどです。白河市からもJRバスが磐城棚倉方面に運行されているので、そちらでもアクセス可能です。本丸内と追手門跡付近の二ヶ所に駐車場があります。
磐城棚倉駅から本丸に向かいたいところでしたが、まずは駅の北東側にある長久寺へ。
長久寺の山門は、棚倉城二の丸南門が移築されたものです。棚倉城で唯一現存する建築物で、城址からも徒歩圏内ですのでおすすめスポットです。
長久寺の移築門から本丸に移動。本丸跡は亀ヶ城公園として整備され、高い土塁と水堀が残されています。本丸の南の追手桝形を出ると、大きなケヤキの木があります。
ケヤキの東側は、追手門跡にあたり、説明板が設置されています。発掘で追手門の礎石が発見されており、盛土をして遺構を保護しているようです。
追手門そばの土蔵は、2025年が築城400周年ということで、臨時の観光案内所になっています。土蔵の脇には、棚倉藩主ゆかり阿部家の阿部正備の茶室があります。
追手門跡を見学していたところ、案内所の方にお声をかけていただき、ご厚意で施錠してあった阿部正備茶室の内部も見学させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
その後、土蔵内の案内所で棚倉城の詳しい説明もいただきました。土蔵内には棚倉城の本丸の模型も展示されています。多聞櫓が本丸を囲んでおり、模型からも、かなりの規模の城郭だったことが伝わりました。
また棚倉城の二の丸西側には、鉢巻石垣が残されていますが、令和3年(2021)2月と令和4年(2022)3月の二度の福島県沖地震で崩落被害が起きたようです。現在は修復工事が行われているため、今回の見学は見送りました。今年度は石垣の解体作業が行われ、令和10年(2028)の復旧を目指しているようです。修復が完了したら改めて見学に伺いたいと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2025/09/05 20:07
阿弥陀尾砦 (2024/12/29 訪問)
古楢尾砦を北上して行くと東西の分岐があり手前に段々の平坦地があります。これが阿弥陀尾砦で、土塁や堀などの遺構は残っていませんが、およそ三段の郭を合わせると、それなりの広さが有りました。西に向かうと丹土尾砦で、東に向かうと山伏平に向かうようです。
足柄城を散策してからけっこう時間が過ぎてきたので、だんだん暗くなってきています。今回の訪問はここまでにして引き返しました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。