【赤色立体地図かるた】
(2025/04/25 訪問)
①「山あげを 烏と見守る 烏山城」
(やまあげを からすとみまもる からすやまじょう)
②「烏山 信雄とのぼう 節目の地」
(からすやま のぶかつとのぼう ふしめのち)
二句ほど浮かびましたので投稿いたします。
一句目は、烏山城の城下の名物、山あげ祭りを題材としました。
山あげ祭りは、毎年7月末に烏山で開催されるお祭りでユネスコ無形文化遺産に指定されています。「山」とは、竹で組んだ木枠に烏山特産の和紙を幾重にも貼り、山河などを描いたものです。祭りでは人力で「山」を持ち上げて、それをバックに野外歌舞伎を行います。
二句目は、烏山城の城主より
烏山城は那須氏によって築城されましたが、秀吉の天下統一以降、城主はたびたび変わっています。
まず織田信長の次男 織田信雄は、小田原征伐ののち、改易に等しい処分を受け、烏山2万石を与えられます。その後、秋田氏(安東氏)預りとなる短い間、城主を務めたとされています。
次に忍城の「のぼう様」でおなじみの成田長親の主君 成田氏長は、忍城開城後、蒲生氏郷預かりとなっていました。その後、天正十九年(1591)の九戸政実の乱の活躍などから、烏山を与えられ、大名として復帰を果たしました。一方、成田長親は、『成田系図』によると忍城の戦いの際に、豊臣軍に内通していたと氏長に疑われたことを契機に烏山を去り、尾張国で亡くなったとされます。
このように織田信雄と成田長親の栄枯盛衰の節目を見届けたのが、烏山城だったということで題材としました。
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