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翡翠

長浜城 (2025/08/16 訪問)

時間はなかったのですが小谷城跡から近くだったので、ちょっと寄ってみました。

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トク

ファイト九州デー(福岡ペイペイドーム) (2025/08/17 訪問)

先週の福岡・熊本・鹿児島では、8月1ヶ月分(500ml)の雨が1~2日で降り、多くの方々が豪雨災害に見舞われました。今でもローカルニュースでは、酷暑の中で家屋に入った泥の撤去をする人の姿や、農作物への深刻な被害状況などが取り上げられています。それらの方々を元気づけるため、「ファイト九州デー」と銘打って、入場者全員にレプリカユニフォームが配られ、みんなで応援しようと企画された試合があったので見に行ってきました。試合は投手戦の末、1☓-0のサヨナラ勝ち! 外の気温以上に試合は熱く、サヨナラの瞬間のボルテージは最高潮! 被災者の皆さんには元気を届けられたでしょうか?(お城に関係ないローカルな話題ですいません)。

P.S(赤い城さんへ)
かるたの鷹取城は黒田六端城の城(鷹取山城)の方ではないので、今の内にこそっと修正しておいた方がいいかも? 確かに間違えやすいですね。
 

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2020/11/21 訪問)

八方に のびる石垣 周山城
(はっぽうに のびるいしがき しゅうざんじょう)

城山山頂から八方にのびる支尾根に石垣を施した巨大山城であり、破城により石垣はほとんど崩されているものの、状態良く遺る西尾根の高石垣を見るに明智光秀の石垣技術の高さが窺え、この石垣が全ての支尾根を覆っていたのかと考えると、一体どれほど壮麗な山城だったんだろう…と思わされます。
 

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カズサン

初秋ブラ散歩 (2025/08/17 訪問)

 今回又静岡に用事が有り帰りを国道1号線バイパスを通りましたので、今年1月10日以来の登城、以降変化は無いか如何かな?との気持ちで暑い中ですがチョイ寄り。
 一昨日夕刻より浜松北部で警告の出る雷雨集中豪雨、ビジターセンターの方に聞くと諏訪原城も豪雨だったそうで雨の痕跡がそこかしこに見当たり、蒸し暑く雲も霞んで視界悪し富士山は見えません。
 しかし初秋、晩夏の証かツクツクボウシ、ヒグラシ、カナカナ蝉の大合唱が外堀、大手馬出、中馬出辺りを散策しましたが良く聞こえました、うるさくも有り又夏を感じさせ、潤いの有る、中馬出までのブラ散歩約30分でした。
 ビジターセンターから中馬出、復元薬医門辺りまでのブラ散歩で1月からの変化は無く夏草が茂ってるだけでした。

 暑さ対策で、ブラ散歩の前後には冷房の効いたビジターセンターで涼み、係りの方と会話したりしましたが、
 ①「牧野城御城印限定販売」のチラシが目に付きました、牧野城は武田氏の諏訪原城を徳川氏が攻略改修して牧野城と改名した謂れによるものです。7月24日申し込み開始、8月19日引換開始24日まで、限定300枚、500円/枚、諏訪原城ビジターセンターにて。
 ②「山城ブームの到来!諏訪原城の時代がやってきた!!」シンポジウムのチラシも、11月16日、島田市金谷生きがいせんたー夢づくり開館ホールにて開催、昇太師匠、加藤日本城郭協会理事の講演とトークセッション、全席指定プレーガイド販売、前売り1000円当日1500円とか。
 ③「全国山城サミットin白山大会」のポスターも目を引きました、恵那大会以来訪ねて居ませんが、今年は9月14日で13時から16時半の基調講演、昇太師匠、千田教授にて白山市松任文化会館ピーノ(要申込)、9月15日10時から16時、道の駅一向一揆の里特設会場にて開催。
 詳細はホームページでご確認ください。

 30分程の暑い中のブラ散歩でしたが久しぶりの登城を楽しみました、駐車場はほぼ満車、家族連れ、お父さんとお子さん、夏の暑い中ですがほぼほぼ来客は有る様です。
  

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しんちゃん

小幡城 (2019/01/05 訪問)

土の良城として、城好きには有名な小幡城。そうでない人には、たぶんさっぱりわからない。初めて小幡城を訪問した時の写真です。
ひたすら堀底道の写真ばかりだけど、すこし古い写真なので変な所に入り込んでいないか心配だ。
1月の頭くらいで、だいぶひんやりしてたけど、寒い中楽しんで歩き回っていたのを覚えています。ただ一部を除いて郭の上には上がれないんだよな~ 堀底 堀底

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ナギャン

招き猫の豪徳寺 吉良さんの御城の世田谷城 (2020/01/25 訪問)

ふらいんぐうぃっちで登場したこともある豪徳寺。
招き猫がいっぱいある。お寺なので夕方に行くより朝とか昼前に行くことをお勧めする。

豪徳寺に行く前によるといいのがこちらの世田谷城、御城関連で超有名人のれきしクンこと長谷川ヨシテル先生がこの御城の縄張内に住んでいたとか。世田谷に住めるってすんごいね。・・・テントとか段ボールハウスでないといいが。

世田谷城は閑静な住宅街にあるので騒いだりはしゃいだりするのはNGだ。また、住宅が近いので写真を撮影するときにも注意が必要だ。
堀だったり廓だったり土塁の一部が残るだけのシンプル御城だ。しかし、残していただいてサンキュー!!
こちらの御城跡にはトイレとか施設はないので注意が必要だ。

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翡翠

小谷城 (2025/08/16 訪問)

安土城の後、観音寺城途中まで、行ったのですが、まだ入山出来る時間ではなかったので、スタンプと御城印だけでその日は彦根に行きました、次の日小谷城に挑戦、安土城よりハードでした。そして、藪蚊との戦いでした。写真がなかなか撮れませんでした。

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ナギャン

桜で有名な佐倉城 佐倉城は永久に不滅ですってね。 (2023/11/12 訪問)

意外と御城がいっぱいある千葉県。
夢の国だったりドイツのランドだったりといろいろ御城がある。

そしてこの佐倉市には昭和の超有名人の出身地でもある。昭和野球の大スターである長嶋茂雄氏が佐倉市生まれとのこと。
JR佐倉駅のホーム下にある観光情報センターで長嶋茂雄グッズが購入できる。また、こちらの観光情報センターで周辺のおすすめスポットも教えてもらえる。
当たり前だが佐倉城跡をメインに武家屋敷を見てまわるのもかなりおススメだ。その中でもおすすめは旧堀田邸という武家屋敷だ。
こちらは病院と介護老人施設の奥にポツンとあるお屋敷でかなり奥まったところにある。グーグルマップを信じていくと病院の敷地内にお屋敷があるように勘違いする。
旧堀田邸は戦隊シリーズのロケでも使用されたところだ。シンケンジャーだったかな?一筆啓上!

旧堀田邸をじっくり回った後に周遊バスで佐倉城跡に向かう。
佐倉城跡は天守跡だったり堀だったりが残る土の御城。土の御城好きにはたまりませんな。
こちらの御城は桜がキレイでおすすめの花見スポットらしい。桜と佐倉かシャレてるね。

そして忘れてはいけないのがこのお城の縄張内にある国立歴史民俗博物館だ。
展示物も見事でジオラマあり武具あり民芸品ありと手が込んでいる。全くしょぼくない。さすが国立の施設だねぇ。
1階のお土産屋さんとレストランも立ち寄る価値あり。カレーがうまい。近くで収穫した古代米を使用したカレーを堪能するのも一興だ。

佐倉市はもっともっとこの御城だったり武家屋敷(旧堀田邸)をプッシュしていっぱい観光客をよんだ方がよい。
旧堀田邸をガイドしてくれる御爺様はかなりいい。いろいろ歴史を教えてくれたり四季折々の屋敷跡風景の写真を見してくれる。
この人のおかげで旅が楽しくなった。最後に今回まわったところはお手洗いが少ない。博物館のトイレを利用するのベスト。

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T-Shionoya

長浜城訪問 (2006/09/09 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第26弾は、彦根城に続いて訪れた滋賀県長浜市の長浜城。

琵琶湖の北東部、京都と北陸を結ぶ北国街道東近江路が通り、湖上交通も利用可能な湖畔の城。
ただ秀吉の城として知られるが、その時代のつくりは不明な点が多いとのこと。

嘗ては今浜と呼ばれ京極氏方の城が存在したらしいが、浅井氏滅亡後に羽柴秀吉が名を改めて長浜城を築城。
本能寺の変の後、一時は柴田領となるものの、秀吉が奪還し1585年からは山内一豊が在城。しかし天正地震で被災し、城郭の一部は湖底に沈んだとの記録もある。
関ケ原の後、徳川家臣の内藤信成・信正親子が城主となり改修するが、1615年に廃城となり石垣などは彦根城で再利用されました。

現在は内堀が道路となり、その内側は豊公園として公園化され、本丸跡地に建つのは天守型の歴史博物館。
外堀は狭められつつも名残を残し、湖底にも城跡らしき遺構が確認されている模様。

2006年訪問時の記憶はほとんどなく、印象に残ったのは移築門のある大通寺と知善院へ向かう際、通過するのみに終わった城下町跡の黒壁スクエア。
そこで今年6月、黒壁スクエアの観光と内堀&外堀巡りを含めて再訪問。
公園内は北側に高くなった部分があるが、やはり"城"らしさは感じ難いもの。しかし公園内外の広いエリアに「御殿跡」や「石垣出土地」、「御馬屋跡」など数々の標柱が点在。
そして今回は外堀跡などの水の流れる風景が好印象に感じられた長浜でした。

※写真1~8は2025年6月の撮影

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しんちゃん

破城いろいろ (2024/01/26 訪問)

先日、石垣山城の井戸曲輪の東側が崩されているのでは・・という話を書きました。ちょっと思う所があるので そこから話を膨らましてみたいと思います。
破城といっても、いろいろあるようです。熊本県の宇土古城の場合は廃城に伴って、念入りな儀式が行われたとされ、城門付近の横堀から多数の石塔の部材が発掘されているようです。これは丁寧な方ですね。
多くの山城は「島原の乱」の後、石垣の隅部などを崩されています。一揆勢などに使われないようにということですね。中でも石垣山城はけっこう念入りに破城が行われ本丸周囲の石垣もかなり壊されています。もし敵対勢力が石垣山城に籠ったとしても、石垣を修復する前に、小田原城の手勢がすぐに本丸まで到達できると思います。水の手から侵入して、本丸まで一気にいけますよ。
水口岡山城や佐和山城は石垣をほとんど持っていかれてしまって、かわいそうな状態になっています。朝田さんが言う所の、完ハキャというやつで・・やれば出来るみたいですね。
ちなみに近くの安土城や観音寺城の石垣は比較的原型を留めていますが、これは後述で・・

佐賀県の名古屋城も石垣を結構念入りに崩してあります。でも江戸時代260年あったのに、残されている石垣も多い。これは推測ですが、非常事態を考えて完全破却までには至っていないのかもしれません。中国に攻撃的な政権が誕生、もしくは欧州の国が中国を占拠して日本を攻めてくる場合に朝鮮を経由して来る可能性があります。その際に防衛、もしくは攻撃の拠点とするために、保険としてある程度の形状を残してあるのかもしれません。
江戸の平和が崩れて、戦国の世が再来したときのことを考えると・・薩摩の麓や仙台の要害も立派な城だし。各藩も補修して使えるのなら山城を残しておきたいのでは・・?  まあ詳しい所は破城を行った本人に聞いてみないとわかんないけど・・・

※安土城の石垣は昭和の修復以前はだいぶ崩れていたようです。思った以上に念入りにやられているらしい。詳細が知りたいですね・・情報が足りない。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/06/27 訪問)

「八高線 防御高める 鉢形城(はちこうせん ぼうぎょたかめる はちがたじょう)」

荒川と深沢川が天然の堀。水運にも利用されていました。唯一の弱点は南側か。現代となり,その南側を塞ぐかのようにJR八高線が走っています。現代に入り,南側の防御力が高まったと思います。

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しんちゃん

えさし藤原の郷 (2017/05/02 訪問)

歴史公園・えさし藤原の郷は奥州市江刺にあるテーマパークです。主題は平安時代末期から奥州藤原氏が滅亡する鎌倉時代初期とされ、藤原氏の栄華と東北の文化を体験できます。どことなく御所を彷彿とさせる政庁建物を見ていると、何気に平安時代にいるような感じがします。人気の源義経や平氏にかかわる展示も充実しています。

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ナギャン

100万石の城郭 しかし、その魅力は1000万石あり。 (2023/09/15 訪問)

加賀100万石で有名な石川県にお邪魔した。
ご存知!金沢城や兼六園や尾山神社が有名で、神社には国重要指定文化財の神門がある。

ブラブラとするには適している範囲に御城と庭園・神社がギュッと集まっている。見所がバラバラに点在している観光地よりお勧めだ。
金沢駅から周遊バスが出ているので歩きで回るのが億劫な人は利用するといい。

御城があるということは武家屋敷跡もあり、武家屋敷跡 野村家は建物もきれいでお庭も洋風の御庭にはない静かな感じでいい。池には鯉も泳いでいる。2階に上がると茶室があり500円か1000円くらい支払うとお部屋を貸し切りで利用でき、抹茶とお菓子を堪能できる。

武家屋敷からぶらぶら歩くと御城が見える。石垣の博物館といわれる金沢城は石を積み上げた人たちの魂を感じる。「何が何でも積んでやるぞ!」という魂を!
石川・能登は地震や豪雨で大変なことになっているがきっとなんとかなると信じている。自分も石川県のアンテナショップでいろいろ購入して復興の一助になればと思っている。石川のお味噌美味し!

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

苗木城 竜の息吹で 赤い城
(なえぎじょう りゅうのいぶきで あかいしろ)

巨岩が印象的な苗木城。
赤壁城とも呼ばれています。
漆喰で城壁を白く塗っても白い色を嫌うという竜が息を吹きかけると漆喰が溶け、赤い下地がむき出しになったという伝説があります。
実際は一万石の小さな藩だったので財政難で漆喰を施すことができなかったとか。

これでかるたお題の50城の読み札登録完了(漏れはないと思いますが・・・)
夏休みの宿題を終えた気分です。
拙い作品ばかりで申し訳ないです。
また、まだまだ未訪の城多いことを実感しました。
やっぱり行かないと臨場感ある作品はできないですね。

次回から通常レポートに戻ると思います。たぶん・・・

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しんちゃん

長者ヶ原廃寺 角塚古墳 (2017/05/02 訪問)

奥州市・長者ヶ原廃寺跡のある場所は、承安4年(1174)に16歳の源義経を京都から連れてきたという藤原秀衡の御用商人・三条吉次季春(金売吉次)の屋敷があったという伝承がありますが、調査によって奥州藤原氏かそれ以前の重要な寺院の跡と考えられています。
現在は礎石の跡が再現されており、文治5年(1189)藤原氏を滅ぼした源頼朝が鎌倉に帰る途中、時間を割いて安倍氏ゆかりの地を見学しているようです。
「吾妻鏡」にその時の様子が描かれていて、「土塀の中には何も残っていない、秋草が生い茂っているばかりで、どこに礎石が有るのかわからない」とボヤいているそうです。頼朝にそんな趣味があったとは意外ですが、現在、何気なく整列している礎石を頼朝が頑張って探していたと考えると、ありがたみが増して来ます。

角塚古墳は奥州市胆沢にある国の史跡の前方後円墳です。特にこれと言って特徴のない被葬者も良く解らない古墳ですが、春は菜の花に囲まれて、なんか良い感じです。


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チェブ

3人の里見 義俊さん。 (2025/06/28 訪問)

田んぼや畑が広がる道をドライブすると、ポッコリと「小原城」が現れます。
鳥居の斜め前に路駐をして、「小原城」攻め開始です。
鳥居近くに説明板がありました。
里見氏が小原の地を得、1502年に里見 義俊さんが大改修したそうです。
鳥居の奥まで進むと土塁があり、虎口のように切れてました。2本の木が、いい演出をしてくれているので、虎口跡に見えるのかもしれません。
一旦戻り、向かって右手に『本丸水堀跡』の説明板を見つけました。『環境整備上やむなく埋め戻してしまった』
と、ありました。
深さは分かりませんが広さはありました。
こんな立派な堀を作った里見 義俊さん、気になります。
調べてみると、1170年に亡くなってます。
説明板には1502年に改修とあったので、誰?義俊さん何人いるの?と再度「小原城」を検索。
1336年に里見 義俊さんが奥州より、小原の地に入り築いた説もありました。
3人の義俊さんが「小原城」を少しづつ改修した、で決着します。

『環境整備上やむなく埋め戻してしまった』水堀。
冊等がないので、豪雨で危ないのかもと、勝手に推測。

九州や北陸の線状降水帯に伴う豪雨により、被災された皆様へお見舞い申し上げます。

私は遺構も大切ですが、埋め戻した事も歴史の一刻として良しとします。
その代わり私の頭の中の「小原城」、3人の義俊さんたちが水堀を深くする計画を立ててますので。

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ノボル

テイクアウトカフェに行く途中で (2025/08/17 訪問)

前日光つつじの湯そばのカフェに行く途中に寄ってみました
秋に再訪しようと思います

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小城小次郎

「稲城三城」の現実がちと辛い (2025/01/12 訪問)

「稲城三城」と謳われる稲城市内の山城のうち小沢城は実質川崎市にあり、長沼城と大丸城は跡形もないという残念な状態にある。発掘中の写真では山頂を囲む横堀と切岸がいい感じに見えるので消滅したのが実に惜しい。

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あさやん

四度目の登城 (2024/09/15 訪問)

この日は滋賀を探索、そのついでに安土城によらせてもらった
何度来ても、ここも登り甲斐のある城、大きなお城だ
日本100名城スタンプは以前にいただいているので、御城印のみいただきました。

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あさやん

駿遠三城攻め 予定外でしたが登城 (2024/08/14 訪問)

この日は日帰りで静岡方面に、駿遠三の城攻め。
諏訪原城、高天神城、浜松城のあと、若干時間があったので豊橋へ。
この豊橋城(吉田城)も二度目の登城、浜松城同様、
続日本100名城のスタンプと御城印をいただきにきました。
現在公園となっているお城の隣にある市役所にあります。

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