戦国前期に菅沼元成が築いた城で、長篠菅沼氏の居城となりました。武田信玄の東三河侵攻により武田氏に従うも、信玄が病死すると徳川家康に攻められて開城し、奥平信昌が入って武田軍の侵攻に備えて現在見られる縄張に改修しています。そして武田勝頼率いる1万5千の大軍に包囲される中、織田・徳川連合軍の来援まで持ちこたえたことが、設楽原での勝利につながりました。長篠の戦いの後は、奥平信昌が新城城を築いて移ったことにより廃城となっています。
帯郭跡に設けられた駐車場から登城開始。長篠城址史跡保存館は前回に入館しているのでスルーして本丸に向かうと、眼前に広がる折れのある内堀と本丸土塁! これほどの備えをしてあったからこそ武田軍の包囲を耐え抜くことができたんでしょうね。そして土橋を渡って本丸へ。本丸土塁に上ると長篠城址の石碑が立てられていました。土塁上から見下ろすと折れを設けて横矢掛りになっていることがよくわかります。土塁の突端には城藪稲荷社があったようですが、文化財保存のため大通寺境内に移転したとのこと。この後、大通寺にも行く予定なので、その時にお参りするとしましょう。
本丸土塁を下りて本丸を見渡すと、南西辺は豊川の断崖、北西辺は矢沢川の断崖になっていて不忍の滝も見られます。豊川の対岸は鳥居強右衛門が磔になった地であることから、強右衛門に関する説明板や案内表示がいくつも立てられていました。南東辺はJR飯田橋の線路になっているあたりに土塁が設けられていたようです。線路の向こう側が野牛郭で、宇連川の対岸には武田五砦と呼ばれる武田軍が長篠城を包囲するために築いた砦群が見えています。この後、鳶ヶ巣山砦をはじめとする武田五砦にも行きましたが、その際に渡った牛渕橋から眺めると豊川と宇連川の合流点に築かれた長篠城の後堅固ぶりがよくわかりました。
本丸をひとめぐりした後は周辺の郭をめぐるとしましょう(続く)。
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