続日本100名城

はままつじょう

浜松城

静岡県浜松市

別名 : 出世城(しゅっせじょう)

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浜松城
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よっぴー

浜松城に行ってきました (2018/03/29 訪問)

浜松城に行きました。浜松駅からバスで市役所前で降りてそこから歩くのが便利です。立派な天守閣と大きな徳川家康公の銅像がありました。

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チェブ

石垣アーップ! (2020/01/03 訪問)

2回目の「浜松城」です。
前回、2018年の年末にお邪魔したら、お休みでした。
と言うことで、お正月に再登城。
続100名城スタンプいただきました。(←本当の目的)

写真ホルダーに前回の「浜松城」の天守が沢山あります。もちろん家康さんの銅像のも、あります。
同じ写真を撮ってもな~っと思い、石垣のアップです。
野面積みの石垣、貼り付いて見ると隙間が思っていた以上に広いです。先人の技術、脱帽です。

天守の中にスタンプがあるので入城したら地下に通じる階段。天守台には穴蔵があり井戸が掘られてます。
これなら籠城も安心して出来ますね。
そして、またまた先人の技術に感心しました。

発掘調査をしてる場所があり、近い将来、またまた私は感動するのでしょうね。楽しみです。

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しんちゃん

浜松城は、本当に武田軍が恐れた堅固な城だったか? (2020/01/16 訪問)

夕方、仕事帰りに登城。我が浜松城の自慢は、野面積みの石垣と門脇の鏡石だ。特に鏡石は、巨石を縦に使い尚且つ隅石
であるため、設置は大変だっただろうが見事だ。
ところで、学校では北から攻めてきた「武田軍が堅固な浜松城を警戒」城の手前で進路を西に取り、徳川をおびき出して三方原で合戦になったと教わってきたが、最近は「三方ヶ原の合戦時、織田も恐れる25,000人の最強騎馬軍が本当に浜松城を警戒しただろうか?」と疑問に感じており、今回はそこをテーマにまわった。さて、江戸末期の城絵図には現存する石垣や堀があるが、家康がいた時代の城絵図は大きく異なり浜松城と言うより引間城(古城)である。武田軍との攻防絵図から、武田軍は掛川城や浜松城など見向きもせず、要塞であり、遠江の守りの要である高天神社と二俣城はしっかりと押さえて、京を目指していた感じがする。
もう一つの日頃から感じていた疑問「北遠地方の城と浜松城は天竜川でつながっていただろうか?」と言う事も今回はっきりした。浜松城下絵図を見ると城近くまで馬込川が来ていた事がわかる。馬込川とあるが、当時は天竜川の下流はいくつもの支流が流れており、その内の一つが馬込川だったようだ。よって北遠地方の要所の城から浜松城まで、川で容易に来れただろう。浜松城公園から国道を渡り、ひっそりと残る引間城に初めて行ってみた。なるほど、ここから船着場が見えたのであろう。
結論とすると、浜松城は東海道の宿場町にある要の城で川・道と交通の便が非常に良く城下街の形成には持ってこいの場所で、戦いは北遠・中遠の要塞で頑張っていたと考えれる。
浜松城から大手門跡まで歩いた。城絵図を見ながら大手門跡に立つと城の大きさや今も城下町に残る地名などがよくわかり面白い。さらには、浜松駅近くにある浜松魅力発見館THE GATEに立ち寄った。浜松城、二俣城、高根城をドローン空撮した状況をVRで見る事が出来る。各1分30秒程度と短いが、とても良かった。

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カズサン

令和2年初の登城詣で (2020/01/10 訪問)

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
 本日浜松城二の丸北下段駐車場の北側に在るホテルコンコルド浜松で新年会が有りましたので新年会終了後令和2年初めての登城として浜松城に登りました晴天西日に付き日の当たる面を撮影。
 登城後秀忠公の産土神社である五社神社を初詣、国宝の五社神社、諏訪神社各本殿は昭和20年の空襲で焼失し戦後市民の力で五社、諏訪併せて再建し現在に至っています、勿論徳川家康公も祀って有りますので往時の参勤交代の行き帰りには各諸侯参拝を欠かせ無かった様です。

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 元亀元年(1570)
築城者 徳川家康
主要城主 徳川氏、堀尾氏、松平(桜井)氏、水野氏、高力氏など
文化財史跡区分 市指定史跡
近年の主な復元・整備 天守、天守門
主な関連施設 浜松城天守閣
主な遺構 天守曲輪、本丸、石垣
住所 静岡県浜松市中区元城町
問い合わせ先 浜松市役所市民部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466