続日本100名城

はままつじょう

浜松城

静岡県浜松市

別名 : (曳馬城、引馬城、引間城、匹馬城)
旧国名 : 遠江

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浜松城
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カズサン

天守曲輪・天守閣ー4/4 (2025/02/17 訪問)

 冬枯れの浜松城散策探訪、搦手の埋門が樹木の景観整備、伐採、剪定作業で通行止めと成って居ましたので、天守御門から入り天守閣には登らず外回りをグルーと見て何時もながらの写真ですが投稿致します。
 一点今まで気付か無かったのですが天守御門東側下の側溝南にパイプが敷設されて水はけが南広場方向の側溝へ流されるようになっていました。浜松城を守るためなのでしょう。
 最強の寒波第二波でしょうか、北西の風が強く吹き抜けていましたが天守閣は観光客で賑わっていました。
 

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カズサン

本丸囲い石垣・土塁ー3/4 (2025/02/17 訪問)

 浜松城の本丸南側に天守曲輪南東隅から石垣・土塁が南東角まで伸びて多門櫓、鉄門、菱櫓が構えていました、現在は天守曲輪南東隅に石垣・土塁の一部が残存し、多門櫓下の石垣は発掘調査で発見されて底辺部整備されて残存現地展示されています。
 又本丸北側には天守曲輪北東から東に富士見櫓台が東端に在りその下段から東に石垣・土塁伸びて北東隅底石垣が一昨年のどうする家康大河ドラマ館の北側に石垣露出展示館が併設されて、本丸北東隅石垣として露出展示されていました、その地点まで本丸囲い石垣・土塁でした。
 冬枯れ草刈整備されて本丸囲い石垣・土塁南側と北側の残存部分が良く見える様に成って居ました、この時期のプレゼントです。
 東側の本丸は半分ほど消滅して石垣崖法面と南北の通路と成って居ます、しかしその地下には浜松市役所駐車場となって東側の石垣底辺部が残って居ります、本丸を復元されると東側の石垣と裏御門が見えて来る様に成るのですが、どうなる事でしょう?
 草刈されて良く見える様に成って居た本丸囲い石垣・土塁の写真を投稿します。
 

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カズサン

天守曲輪石垣群ー2/4 (2025/02/17 訪問)

 日本庭園の散策探訪、紅梅も愛でて日本庭園南門より出ると、花見の頃には賑やかな西端城曲輪へ、埋門辺り北側の樹木が密集してる辺りの伐採作業をしており、天守曲輪埋門は通行止め、車と作業者、庭師が大勢で作業中。
 天守櫓門から入る様にと天守曲輪石垣を西、南、北と廻る、鉢巻石垣の土塁部分は草が刈られて奇麗に整備されて冬枯れのこの時期はベストの状態、埋門辺りも奇麗に伐採、草刈されて石垣が良く見える、埋門の間から天守台西端の八幡台石垣も良く見える、西側の屛風折れ鉢巻石垣、南側の鉢巻石垣、南東角には本丸を囲んでいたい石垣・土塁の付根が残って居る、東側の出隅櫓台?石垣、天守櫓門より天守曲輪へ進入、京都からの観光バスで天守閣入場者が一杯に成って居ました。
 最強の寒波第二波が始まり強風が吹いていました。
 

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カズサン

日本庭園はメンテナンス中ー1/4 (2025/02/17 訪問)

 浜松城の日本庭園はメンテナンス中で大滝、中池、大池の水が抜かれて、水の無い池を偶然にも見る事が出来ました。
 今回の散策探訪は丁度2ヶ月振り、確定申告書を所轄の税務署に提出した帰りに寄りました、冬枯れの浜松城、日本庭園の梅の咲き具合は如何かなと期待を寄せながらの入園、おや⁉池の水が抜かれてる、池底の清掃もしたらしい、メンテナンスの案内告知板が有り作業中の様子、期待の梅は紅梅が1本満開、白梅は蕾状態、東門から入って池を廻り擬宝珠橋を渡り南門から出ましたが、南門のハート石の確認、日本庭園案内板の確認して終了。
 埋門辺りからの樹木伐採電動のこぎりの音が響きわたって庭師、専門業者の車が数台駐車居ている、天守閣、天守曲輪へ向かいます。
 

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城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 永正年間(1504〜1521)?
築城者 今川貞相?
主要城主 飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏
文化財史跡区分 市史跡(浜松城跡)
近年の主な復元・整備 徳川家康
天守の現況・形態 独立式望楼型[3重4階/1958年築/RC造模擬]
主な関連施設 模擬天守、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣
住所 静岡県浜松市中区元城町
問い合わせ先 浜松市役所市民部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466