とばやまじょう

鳥羽山城

静岡県浜松市

別名 : 鳥羽山砦
旧国名 : 遠江

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鉢巻石垣
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姫街道

石垣を楽しむ (2025/03/20 訪問)

鳥羽山城は、遊歩道や山留など公園整備に伴って近世詰んだ石垣と、織豊期・江戸期に積まれた石垣が混在していて「当時の石垣」はどれか?わかりにくい部分もある。今日は、本丸の案内看板から「同時の石垣」を散策した。意識して見れば公園整備で積まれた石はだいたいが丸石で整然としてるのがわかってきた。
「同時の石垣」で見所は鉢巻石垣と腰巻石垣だが、僕は大手道の石垣が一番魅力的に感じた。埋まってたのを発見したまま展示してあるところが素晴らしい!
さて、鳥羽山城の小字は本城山。社山城は人の動きまで見えそうなくらい近くに見える。城の歴史としたら斯波対今川の時代まで遡って考える事が出来る重要拠点だと私は考えている。

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T-Shionoya

石材で装飾された鳥羽山城 (2024/12/29 訪問)

「100名城・続100名城に負けない名城」の記事で知り、昨年末に二俣城とセットで訪れた静岡県浜松市の鳥羽山城。

天竜川が山地から遠州平野へ流れ出るポイント。
嘗ての二俣川の合流点で、その二俣川を挟み二俣城の対岸に位置する比高約60mの鳥羽山に築かれた城。
東西に長い鳥羽山は3つのピークそれぞれに遺構が存在するようだが、明瞭な形を残すのは西のピーク。

1560年の桶狭間の後に二俣城の関連施設が置かれたかもしれないが、1575年には徳川家康が武田信玄に攻略された二俣城の奪還に鳥羽山を本陣としたとのこと。そのため本格的な整備は1576年以降の可能性が高く、1590年に堀尾氏が浜松に入ると石垣を導入した迎賓機能のある領主の居館的な施設に改修されたと推測される模様。

現在は鳥羽山公園として整備され、南の丸が駐車場になるなど改変も多いようだが、本丸は土塁と石垣に囲まれ門跡を残す国指定史跡の城跡。

訪問時は二俣城西の丸から天竜川の堤防を通り鳥羽山の北西部から遊歩道で本丸へ。遊歩道の入口付近では枡形のようなものを含む小規模な石積みが見られたが、後の時代のものでしょうか。
周囲の曲輪と比べて本丸だけが広く、大手門と東門は石垣の下部に排水用の暗渠があるなど先進的な印象。
堀切や枡形虎口の形態が見られるものの、公園化の影響なのか先入観のためなのか、石垣の表情が優雅に感じられた、私の城郭巡りの194城目でした。

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カズサン

本丸寸景3/3 (2024/11/04 訪問)

 台風21号崩れの秋雨前線、風雨・突風が一昨日、城址は木の葉、小枝、枯れた枝が散乱してました、紅葉にはまだ早い時期でしたが旗日でしたので、家族連れピクニック、学生のトレーニング連が本丸に集っていましたので、サラッと本丸内部を一時去って、搦手門跡、西の丸Ⅰ(笹曲輪)、本丸西側の鉢巻石垣、腰巻石垣の見学確認と西側を廻って、南西の角の石畳散策路を登って本丸大手門跡へ、少し人出が引いましたので、本丸東側の土塁、南端突き出し部、東門跡を内部から、東枡形側と観察、西側土塁側発掘出土の枯山水の庭園を試しデジカメで収めて、本丸南端の展望台より遠州灘、浜松市街アクトタワー、蛇行した天竜川を眺めて終わりとしました。
 12月に入ったら楓の紅葉も見頃になるでしょう。

 試しデジカメの探訪投稿ご覧頂きありがとうございました。
 

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カズサン

搦手門より西廻り2/3 (2024/11/04 訪問)

 大手門・大手道辺り1/3の続きです。

 本丸は家族連れとトレーニングのパーティーが多くサラッと流し、搦手門跡の残存石垣辺り、西の丸Ⅰ(笹曲輪)の虎口と東側土塁法面の堀底を通って、本丸西側の鉢巻石垣が残ってる上部へ廻り鉢巻石垣を北から南へと観察し、下部の西の丸Ⅱへ降りて、腰巻石垣が残ってる辺りを観察して、南西下部より本丸大手門跡へ石畳遊歩道を登る。
 一昨日の台風21号崩れ秋雨前線の通過の風雨と突風で枯れ葉に小枝が遊歩道に散乱、湿りも有りやぶ蚊の襲来を受ける。
 コンパクトカメラの試し撮り探訪の続きです。

 次に本丸寸景3/3に続く。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 徳川家康
築城年 天正3年(1575)
主な城主 大久保氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(二俣城跡及び鳥羽山城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣字鳥羽山