鳥羽山城は武田氏二俣城との攻防戦で家康側の陣城でした、家康関東移封後豊臣家臣堀尾吉晴が浜松を治め弟宗光が二俣城と合わせて石垣改修されました。
本丸鉢巻石垣は本丸庭園遺構の裏側に辺り、搦手門から出て西の丸Ⅰ(笹曲輪)前を廻り南に進んで本丸城塁西法面を登る細い道を上がると鉢巻石垣が約70~80m程南に伸びています、犬走りが有り歩き易く良く観察出来ます。
掲載写真は以前投稿した写真です。
POYO58さんへ、二回目の「もういっちょ城クイズ」の投稿掲載写真は、どこの城郭、石垣か判りません、判る方にバトンタッチしてください。
山上の崖淵にそそり立つ織豊系の打込み接ぎ石垣、隅が算木積では有りませんので文禄慶長の頃築城された城なのでしょうが?写真を見てピンと思い当たりません。
浜松城と「どうする家康」浜松大河ドラマ館楽しんでください、土日祝日は浜松城公園駐車場一般車は利用できません。公共交通機関でお越しくださいとの広報案内でした。
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