伊勢平氏子孫関氏の一族神戸氏の4代神戸具盛が天文年間(1532-55年)に築城。北西に威を振るったが織田信長の侵攻を受け三男信孝を養子に迎え、金箔瓦を用いたの5重6階複合連結式天守を天正8年(1580)建てた。が羽柴秀吉と対立し自刃。その後天守は三重櫓として桑名に移築された。城主は変遷し、江戸期後半は本多氏が治め維新を迎えた。現在は公園となり、二の丸は神戸高校となっている。移築された大手門が顕彰寺山門に、太鼓櫓が蓮華寺鐘楼にある。
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2023/12/31 10:10
野面積みの天守台が残る織田信長三男神戸信孝の城
伊勢平氏子孫関氏の一族神戸氏の4代神戸具盛が天文年間(1532-55年)に築城。北西に威を振るったが織田信長の侵攻を受け三男信孝を養子に迎え、金箔瓦を用いたの5重6階複合連結式天守を天正8年(1580)建てた。が羽柴秀吉と対立し自刃。その後天守は三重櫓として桑名に移築された。城主は変遷し、江戸期後半は本多氏が治め維新を迎えた。現在は公園となり、二の丸は神戸高校となっている。移築された大手門が顕彰寺山門に、太鼓櫓が蓮華寺鐘楼にある。
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2023/10/12 21:59
織田信孝時代の見事な天守台が残る (2023/10/07 訪問)
貞治6年(1367)亀山城主関盛盛政の長男盛澄が神戸氏を名乗り、天文年間(1532~55)
に神戸氏によって神戸城は築かれたとされています。永禄10年(1567)織田信長三男信孝
が神戸氏の養子に入り元亀2年(1571)神戸城主になります。天正8年、神戸城の拡張工事
がなされ五層の天守が築かれたとされ本丸北西部には大きな天守台が残っています。
南西には土塁が残り本丸西側から南側にかけて水堀が残っています。かつての二の丸・
三の丸は神戸高校の敷地内になっているようです。鈴鹿市の蓮華寺に本多氏の時代に
二の丸に築かれていた平櫓が移築されています。四日市市の顕正寺には城門が移築されて
います。
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2023/08/05 10:38
分類・構造 | 輪郭式平城 |
---|---|
天守構造 | 複合連結式[5重6階/1580年築/解体] |
築城主 | 神戸具盛 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な改修者 | 神戸信孝、本多忠統 |
主な城主 | 神戸氏、石川氏、本多氏 |
廃城年 | 明治4年(1871) |
遺構 | 曲輪、石垣、横堀、移築櫓、移築大手門 |
指定文化財 | 県史跡(神戸城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 三重県鈴鹿市神戸5-10他 |
問い合わせ先 | 鈴鹿市考古博物館 |
問い合わせ先電話番号 | 059-374-1994 |