かんべじょう

神戸城

三重県鈴鹿市

別名 : 本多城
旧国名 : 伊勢

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

夏の雪だるま

織田信孝の城 (2016/09/20 訪問)

三重県鈴鹿市の神戸城です。1550年頃伊勢平氏子孫の関氏一族神戸氏が築いたとされます。神戸氏は北伊勢に勢力を持っていましたが、織田信長の伊勢侵攻により信長に屈服、1568年信長三男信孝を養子に迎え和睦します。神戸氏当主具盛はのちに強制的に蟄居幽閉され、信孝が神戸氏を継ぎ城を改修するとともに1580年金箔の瓦を用いた五重の天守閣を築き、城下は伊勢街道の宿場町として大いに栄えたとされます。本能寺の変で信長が亡くなると信孝は岐阜城に移り、跡目相続で豊臣秀吉と対立、1583年柴田勝家とともに秀吉と戦い、勝家が賤ヶ岳・北ノ庄城で敗れると、岐阜城で降伏開城、後に切腹となっています。1595年神戸城の天守は桑名城へ移された後、神戸城は江戸時代に城主が次々替わる中、天守は再建されず、1732年本多忠統が2万石で城主となり明治維新まで続いています。城は本丸、二の丸、三の丸の周囲を堀が囲む平城で、現在は堀が埋められ城跡のほとんどが神戸高校敷地や住宅地となり、僅かに本丸部分が神戸公園となり石垣や堀が残っています。

+ 続きを読む

前ちゃん

織田信孝が養子に行った城 (2019/01/08 訪問)

神戸高校の隣、公園化され整備されている

野面積の石垣、所々崩壊を防ぐため、コンクリで固められていた

+ 続きを読む

広い水堀をもった平城で、織田信孝が築いた織豊系城郭 (2018/10/13 訪問)

織田信長の侵攻を受けた伊勢の国人領主神戸具盛は、信孝を養子に迎える形で家督を譲って隠居した!
1580年になると、信孝は本格的に神戸城拡張工事に着手致します!
本丸・二の丸・三の丸で構成され、本丸には三重目に唐破風をつけた5重天守が築かれたと言われています!
1595年に桑名城へ移築された神戸櫓が、この天守であったとの伝承が有ります!
本丸に残る天守台は、隅角部や上端に近世の積み直しを受けているものの、未加工の自然石を積み上げた野面積で、信孝時代に築かれた可能性が高いです!
天守台のある本丸は堀で囲まれ、本丸の東と南側には土塁、東側には出枡形の虎口を設けて、二の丸と接しています!
本丸は江戸期には、すでに天守台のみで、建物も存在しない打ち捨てられた曲輪でありました!
本丸東側に位置する二の丸に政庁及び藩主居住の御殿が置かれ、東隅に城内唯一の二重櫓が築かれていました!
東側には二の丸と同程度の面積を有し、大手口が位置する三の丸が、本丸の西側には南北に長い西曲輪が置かれ、三の丸と共に馬出としての機能を併せ持つ曲輪で有りました!
南側には、東西に長い馬場を配置して、さらに三の丸の東側に出曲輪を置き、防備を固めていました!
これらの曲輪群は、いずれも広大な水堀によって囲まれており、城下の西から北を巡り、東側を通って南に流れる六郷川が、天然の堀として総構の役目を果たしていました!
城跡は現在、神戸公園と神戸高校となり、本丸跡と天守台、僅かに水堀などが見られます!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

神戸信孝 (2009/02/07 訪問)

鈴鹿市にある神戸城は織田信長の三男・信孝が養子入りし城主となった城。神戸高校の隣に位置し、公園として整備されていて本丸にはしっかりと天守台が残っている。また、ほど近い蓮花寺には神戸城の太鼓櫓が鐘楼として移築されて残っている。さらに、四日市の顕正寺には神戸城の大手門が移築されている。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 輪郭式平城
天守構造 複合連結式[5重6階/1580年築/解体]
築城主 神戸具盛
築城年 天文年間(1532~1555)
主な改修者 神戸信孝、本多忠統
主な城主 神戸氏、石川氏、本多氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 石垣、堀
指定文化財 県史跡(神戸城跡)
再建造物 石碑、説明板、移築櫓、移築大手門
住所 三重県鈴鹿市神戸5-10他
問い合わせ先 鈴鹿市考古博物館
問い合わせ先電話番号 059-374-1994