高天神城の築かれている山は古大井川の流れが運んできた堆積物によって成る高天神礫層で形成されています。この地層、とても水はけが良いです。逆に言えば非常に水持ちの悪い山です。
そんな山に築かれているので、高天神城の城兵は水の確保に苦労したと思います。三日月池(金魚・・)は通年水を湛えていますが、これは下にコンクリートを張って有るためです。規模も小さいので水の手の候補からは除外します。
水の手と思われる箇所は三つ。一つ目は井戸曲輪にある「かな井戸」、城内にある井戸らしい井戸はここだけです。
二つ目は二の丸の北の谷を降って行った先にある「沢」・・でも今年1月に訪問した時には水は流れていませんでした。冬季には沢の水も枯れているようなので、これは水の手としては有力ではありません。
三つ目は・・現在の大池のある場所に築かれていたであろう「ため池(大池)」江戸時代に書かれた古城の図には大池の南東へしばらく行った先に池らしきものが描かれています。
かな井戸に話を戻すと、かな井戸のある曲輪はおおよそ標高110m前後の位置にあります。数年前、かな井戸にのら猫が落ちたという事件があり、その救出作業の際に井戸の深さがおよそ13mであることが解りました。救出者の証言では井戸の側面に採掘の跡は無かったとのことです。
24年の6月21日ごろに、ある程度のまとまった量の雨が降ったので翌日に訪問してみました。井戸の底の標高は※標高97m前後だと思いますが、登城道の脇から水がどんどん染みだしていました。それが※標高97mあたりの場所なので、おそらく井戸にはほとんど水が溜まっていないはずです。実際に「かな井戸」には水が溜っているようには見えず、この程度の雨では役にたたないようです。
6月末に記録的な大雨が降ったので、訪問してみると数mは水が溜っているようでした。でも、すぐに下に染みだしていってしまうと思います。かな井戸がなぜ残されていたのかは不明ですが、これも水の手としては機能が不足しているようです。
となると残っているのは「大池」のみ。現在の大池の近くに池曲輪と呼ばれる曲輪があります。おそらくここから水を汲み上げていたのではないでしょうか?
※投稿内の標高の注記は記憶による部分が多いです。改めて地理院地図で調べた結果、一部を修正いたしました。
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