武田勝頼が長篠城を攻略した際に医王寺の本陣などの他に五ヶ所の砦を築きました。鳶ヶ巣山砦はその中核を担う砦で主将は武田勝頼の叔父・武田兵庫信実とされています。それなりに城域は広いはずですが、地形が変わっていたり駐車場になったりしているようです。
主要部周辺に案内板や戦死者達を弔う石碑(供養碑)がありますが、西側の斜面にも臨時の腰郭の様なものが複数あります。いつの時代のものかはっきりしませんが、ちょっと斜めっているところが即席の砦っぽい。
設楽ヶ原古戦場周辺は案内板や「いろはかるた」などがあって賑やかな雰囲気ですが長篠の五砦は少し地味な印象が有りました。堀や土塁などの遺構もあまり無かったと思います。案内板などがあると嬉しいですが、いろいろ事情が有るのかな?
イオさんも長篠の五砦を回っているようですね。お先に投稿させていただきました。ちなみにここを攻めても「めぐり」のリア攻めはつかないです(残念)。似てるようで微妙に違うんですよね。
大久保彦左衛門の通り名で有名な大久保忠教は徳川三代に仕え旗本の中心的な存在となり「天下の御意見番」と呼ばれています。酒井忠次が豊川を渡り鳶ヶ巣山砦を始めとする五砦に奇襲をかけたのは有名な話ですが、この戦いは忠教の初陣でもあり、後の世の講談では、忠教はことあるごとに鳶の巣文殊山での武勇伝を持ち出してくるそうです。
場所は変わりますが新城市の作手にも文殊山城があり、尾根続きに塞之神城へ行くことが出来ます。長篠・設楽ヶ原との関わりは不明です。
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