設楽ヶ原の古戦場の武田軍と徳川・織田連合軍の間には連吾川が流れています。川に架かっている橋を良く見ると両軍のレリーフがはめ込まれていて見ていて面白い。東が武田方でまさに騎馬隊が敵陣に襲い掛かっている所ですが西側では鉄砲隊が待ち構えています。
この周辺が柳田前激戦地で、生き残った武田軍の部隊が合流して最後の突撃を行った場所とされています。ここよりやや東に行った先に甘利信康の碑があります。
場所は変わって、長篠の古戦場から豊川を渡って少し北に行った場所に「松平伊忠戦死の地」の石碑があります。伊忠は酒井忠次とともに鳶ヶ巣山砦を急襲し守将の武田兵庫信実を討ち取る武功を挙げましたが、追撃で深追いしすぎて小山田勢の反撃を受け討死してしまいました。伊忠らの奮闘で五砦を落とし武田軍の背後を押えることが出来たのですが、伊忠は徳川・織田方の武将で唯一と言って良い戦死者になってしまいました。おかげでそこはかとなく「うっかり者」のイメージがついてしまったような・・生きていれば大手柄武将だったのだけど、戦場では大胆さと慎重さの使い分けが難しいですな。南無・・
+ 続きを読む











