もともと土豪会田出羽の陣屋があった場所でしたが、放鷹時の宿泊所などのために徳川家康が増林にあった御茶屋御殿を移したものといわれています。遺構はありません。石碑と説明板がありました。
越谷駅より徒歩15分くらいです。
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2025/10/03 22:06
徳川家康 (2025/10/02 訪問)
もともと土豪会田出羽の陣屋があった場所でしたが、放鷹時の宿泊所などのために徳川家康が増林にあった御茶屋御殿を移したものといわれています。遺構はありません。石碑と説明板がありました。
越谷駅より徒歩15分くらいです。
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2025/10/03 21:57
宇田長左衛門 (2025/10/02 訪問)
大相模小学校付近が跡地ですが、平日ということもあり復元された長屋門がある花田苑へ行って行きました。
越谷駅からバスに乗り花田苑入口下車。バス停から1分くらいで行くことができます。
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2025/10/03 21:20
100城突破!
2年かけてやっと100個以上の城を行くことができました
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2025/10/03 21:14
2025/10/03 21:02
井川 (2022/01/04 訪問)
静岡市葵区井川にある井川湖は「井川五郎ダム」が造られた時に出来た人造湖です。周囲約10kmの大きさで南アルプスの水が流れこんでいます。井川大橋は全長258mの吊り橋で2tの車まで通行可能です。パッと見は木製の吊り橋なので、ここを車で通行できるとは驚きです。じつはここにも夢の吊り橋があって渡ることが出来ます。構造は寸又峡にあるものと同じですかね・・知名度ではいささか差がついてしまった感はありますが、これはこれで良いですよ。
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2025/10/03 20:47
2025/10/03 19:01
得意の途中下車で…🚉 (2025/08/23 訪問)
京浜東北線の北浦和駅で途中下車。徒歩約15分。京浜東北線は路線バス感覚で利用してます。実際,そんな人は多いのではないでしょうか…?
急ぐ人は行き先によって,宇都宮線,埼京線,湘南新宿ラインで,埼玉県と都心部を行き来しているのではないかと予想します。
歩いている途中,ひときわ目を引いたのが,ラーメン店の行列でした。埼玉県民なのか,東京方面から来たのかは不明。炎天下に並んで,熱いラーメン🍜…私はパスです。
針ヶ谷陣屋は,北浦和東公園を目指してください。たったこれだけ…<笑>。
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2025/10/03 11:54
謎の城🏯 (2025/10/02 訪問)
大阪天王寺で見つけた小さな城🏯
廃業したホテルでした。😅
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2025/10/03 11:19
【宮本武蔵】(13)小倉城(巌流島の決闘(後編)) (2025/06/18 訪問)
宮本武蔵の続き(13)です。
決闘は関門海峡に浮かぶ「船島」で行われました。門司城代の沼田延元が見聞役を務めます。そして両者に助太刀話は無用、1対1の決闘で行うべし、とされたようです。そこで皆さんが知っている巌流島の決闘は、こんなイメージではないでしょうか?
----(今までの通説)----
小倉藩の剣術指南役である小次郎に、武蔵はどちらが強いのか決闘を申しみ、関門海峡に浮かぶ巌流島で決闘をした。小次郎は長い90cmの刀の使い手、故に武蔵は当日、船の上で櫂を削ってそれより長い115cm木刀を作り、そのせいで2時間も遅刻する。いらだった小次郎は「遅いぞ武蔵、臆したか!」と叫び鞘を投げる。それを見た武蔵は「小次郎、負れたり!」と叫び、燕返しをかわし、一刀両断の元に小次郎の額に一撃を加え、これで小次郎は死して決着がついた!
----------------------------
しかしこれは吉川英二さんの小説(創作)によるもので、それをまたドラマでおもしろく脚色された内容なので、事実とは全く異なるようです。
この時見聞をしていた沼田延元の家臣の記録(沼田家記)によると、両者はちゃんと遅れず定刻(同時)に着いたそうです。そして武蔵は、最初から持ってきた木刀で一刀両断のもとに勝ち、すぐその場を立ち去ったのは間違えないようです。しかし武蔵はこの時、小次郎にはまだ息があったと事を確かめ、延元に手当てを依頼して去って行きました。木刀なので武蔵は最初から小次郎を殺す気など全く無かったと思われます。ところがその後、隠れていた新免氏の弟子たちが出てきて、何とボコボコに殴って殺してしまったというのです。
どうやら弟子たちは無二斎から「絶対に小次郎を殺せ」と命じられていたのではないでしょうか? 延元も興長の密命を受けていたのか、手当てをするどころかこの弟子たちの行為を黙認したと思われます。
さらにそれだけではありません。後でそれを聞いた小次郎(岩流)の弟子たちが今度は黙っているわけがありません。1対1と決まっていたにもかかわらず、弟子に助太刀をさせた卑怯な武蔵を襲って仇を討とうとします。危険を察した武蔵は沼田延元の屋敷に隠れます。そして細川家家老の松井興長が、自らの鉄砲隊を護衛に付け、武蔵を無二斎のいる中津まで送り届けたそうです。さすがの岩流一族でも、細川軍の鉄砲隊が相手では手が出せなかったというわけですね。
しかしこの結末に地元の人たちの反応は意外でした。武蔵を卑怯者と呼び、正々堂々と決闘をした小次郎の方を称賛し偲んだそうです。そして船島を小次郎の流派「岩流(巌流)」にちなみ「岩流島(巌流島)」と名付け、人々は亡き小次郎をここで供養したそうです。
小倉城では、武蔵が木刀を振り下ろす様子が人形で再現されています。さああなたも小倉城を訪れ、武蔵と勝負してみてはいかがでしょうか!
「城びと、負れたり~!」😱~(写真⑤⑥)。
次は、武蔵が出陣した大坂の陣で関わった水野家の(福山城)を訪れます。
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2025/10/03 10:20
飛騨神岡の城めぐりオータムキャンペーン2025
飛騨の夏も過ぎ、涼やかな秋の季節、飛騨の城をめぐってみませんか?
江馬館と神岡城の共通入館券(おとな300円)をお買い求めいただいた方には、
高原郷土館・江馬館の2館を入館された方に名勝江馬氏館跡庭園の見どころ・見方がわかる特製クリアファイルをプレゼントします。
詳細は、飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」内以下リンクをご参照下さい。
https://www.hida-kankou.jp/event/856
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2025/10/03 10:19
飛騨神岡の城めぐりオータムキャンペーン2025
飛騨の夏も過ぎ、涼やかな秋の季節、飛騨の城をめぐってみませんか?
江馬館と神岡城の共通入館券(おとな300円)をお買い求めいただいた方には、
高原郷土館・江馬館の2館を入館された方に名勝江馬氏館跡庭園の見どころ・見方がわかる特製クリアファイルをプレゼントします。
詳細は、飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」内以下リンクをご参照下さい。
https://www.hida-kankou.jp/event/856
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2025/10/03 08:04
小牧長久手の戦いの砦めぐり(岩崎山砦・田中砦・二重堀砦) (2025/06/01 訪問)
(続き)
岩崎山砦(小牧市岩崎)
熊野神社が建つ岩崎山に築かれた砦で、稲葉一鉄・貞道らが4千の兵で守ったとされます。南西麓の岩崎中会館の前に岩崎山砦跡の石碑と説明板が立てられていました。岩崎山の頂部からは小牧山城をすぐ近くに望むことができます。また岩崎山は花崗岩の岩山であるため、名古屋城石垣の石切場になっていて、矢穴のある石も見られました。
田中砦(小牧市東田中)
三ツ山古墳群の三基の古墳を利用して築かれた砦で、堀長政、蒲生氏郷、加藤光泰らが1万3千の兵で守ったとされます。三基の古墳のうち南端の三号墳のみが現存し、北裾に田中砦跡の石碑と説明板が立てられています。往時は岩崎山砦から田中砦を経て二重堀砦まで土塁が築かれていたようですが、現在では痕跡も見られません。
二重堀砦(小牧市二重堀)
小牧山城に最も近い最前線の砦で、日根野弘就らが2千の兵で守ったとされます。二重堀の地名が残る住宅地の一角に日根野備中守弘就砦跡の石碑が立てられていますが、現在地に移設されたものであり、遺構は耕地整理により消滅していて砦の所在地も不明のようです。
さて、この後は小牧山城に攻め込むつもりでしたが、6つの砦めぐりに思いのほか時間を要したため、またの機会に徳川軍の砦と一緒にめぐることにして、金龍紀行の一環として別の機会に行く予定だった清洲城に行先変更。犬山城や青塚砦は昨年に登城済みなので、これで城びとの記事で紹介されていた楽田城周辺の羽柴軍の城や砦は全部行けたよな、と思って帰宅して記事を読み返してみると…小口城を見落としてた~っ! 清洲城より小口城に行くべきでした…やれやれ(この日二度目)。
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2025/10/03 06:58
日帰りドライブで北陸の城めぐり④ (2025/09/27 訪問)
小丸山城からの転戦です。能登地震によって発売延期されていた七尾城の城カード、七尾城史資料館にてゲットしました。資料館のCG映像や展示を拝見してから本丸駐車場へと向かいます。もう少し涼しい季節に訪れることができたら麓からの登城にもチャレンジしてみたいと思います。好天の下、上杉謙信も絶賛した本丸からの眺望を楽しむことができました。二の丸、三の丸、安寧寺と散策コースを進みましたが、袴腰の先は通行止めとなっているので、来た道を引き返すしかありませんでした。
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2025/10/02 21:29
上杉姓氏発祥之地 (2025/07/01 訪問)
八田城から西に程なく行ったところ、国道27号線と県道481号線が交差する付近に「上杉姓氏発祥之地」の石碑があります。交差点の名称は「上杉」いいセンスしてますね。
八田城の詳細はよく解らないのですが上杉氏の城のようです。麓は居館跡の様な扁平地になっていますが、いつの時代の物かは不明。尾根沿いに登って行くと水道施設があり出丸のような雰囲気が有ったような気がします。主郭西手に堀切があり目の前に主郭が立ちふさがっています。
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2025/10/02 21:20
武茂氏ゆかりの門 (2025/02/25 訪問)
武茂城の両側に東城・西城を従えて三城一体となっていたらしいが武茂城しか訪ねたことはない。武茂城と東城に挟まれた乾徳寺の山門は武茂氏ゆかりの門らしい(武茂城の門だったという決定打はないそうだが)。
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2025/10/02 21:11
細川親子 (2025/07/01 訪問)
田辺城の櫓門は田辺城資料館、隅櫓は彰古館として公開されています。内容は細川藤孝にまつわる物が多く、文武両道を極めた古今伝授の継承者であり優れた文化人であることが伺えます。息子の忠興は気が短いことで知られ残虐なエピソードも多く残りますが、千利休に師事し利休七哲の一人に数えられています。また武家茶道の一つ、三斎流の祖とされ門人も多くいたようです。家康の影響か薬学にも通じていたとされ、徳川秀忠の奇病が万病円で回復した時に寄生虫(寸白)が原因であると見ぬいています。とはいえ万病円にはヒ素や水銀が含まれていて荒療治どころか寿命が縮みかねないわけですが。
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2025/10/02 20:37
熊も猿も出なかったよ。 (2025/06/30 訪問)
主郭や南の郭の周辺には石積みらしき跡があるけど詳細は不明。切石らしきものもあるけど年代や石積との関連は不明です。
研究者の皆さん、リターンマッチ期待してます。「城山たんけんたい」のパネルを見ると皆小学生ぐらいですな。道順さえ解れば小学生でも登れますぞ。とりあえず熊と猿は出ませんでした、今回は。西日本の熊は人が近づくと逃げてくれるけど東北の熊はどうかしてる。
クマスズを付けていても逃げずに襲ってくるんじゃないのか? 訪問はしばらく無理だけど、東北の山を攻める時にはポリスマグナムを装備していこうと思っています。カウンターアソールトは正直なところ危ないんじゃないか? ネットを見るとカウンターアソールトをニホンザルに噴射しているドアホウがいるけど、ただの動物虐待だぞ。ただ東北の熊はちょっと普通じゃないのでポリスマグナムで対応できるのか少し不安だ。
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2025/10/02 08:08
小牧長久手の戦いの砦めぐり(内久保砦・久保山砦・小松寺山砦) (2025/06/01 訪問)
犬山城から楽田城に移った羽柴秀吉は、徳川家康が籠る小牧山城と対峙するため、楽田城の周囲に多くの砦を築いています。城びとの記事「秀吉VS.家康 小牧・長久手の戦いを知る」を読んで以来、いつか行ってみたいと思っていましたが、その中に金森長近が守将となった砦もあるようなので、金龍紀行も兼ねて小牧長久手の戦いの砦めぐりです。
内久保砦(犬山市内久保)
三明神社のあたりが砦跡とされ、蜂屋頼隆、金森長近らが3千の兵で守ったとされます。参道に内久保砦ののぼり旗が立てられていましたが、遺構はもとより石碑や説明板も見受けられませんでした。
久保山砦(小牧市久保一色)
外久保砦とも。熊野神社と裏山が砦跡とされ、丹羽長秀が守ったとされます。社殿の左脇に久保山砦の説明板が、左手から裏山に続く道沿いに石碑が立てられています。長久手の戦いの後には秀吉が楽田城から久保山砦に移って全軍を指揮したと伝わることから太閤山とも呼ばれ、頂部には豊臣軍ののぼり旗が翻り、秀吉の本陣風に整備されていました。砦跡の西側斜面には二重の竪堀状の地形が見られますが、久保山砦の遺構でしょうか?
小松寺山砦(小牧市小松寺)
小松寺山一帯に東西2か所の砦が築かれ、三好秀次、丹羽長重(長秀とも)らが守ったとされます。東砦は住宅地となって何の痕跡も見られませんが、西砦は小松寺の数段の削平地が砦跡のようです。本堂東側上段の八所社・熊野社合殿の手前に小松寺山砦の説明板と石碑があり、背後には土塁っぽい地形が見られました。小松寺山砦の遺構…かなぁ?
(続く)
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2025/10/02 07:07
日帰りドライブで北陸の城めぐり③ (2025/09/27 訪問)
御舘館からの転戦です。今回、北陸への日帰りドライブを強行したのは、七尾市美術館にて長谷川等伯展が開かれていることを知ったからなのです。安部龍太郎の直木賞受賞作「等伯」を読了しているので長谷川等伯には思い入れがあるし、2024年元日の地震以後、休館していた七尾市美術館がこの9月20日に営業再開したばかりというのも強い動機付けとなっています。圧巻の国宝・松林図屏風はトーハクの国宝コーナーでも見たことがあるのですが、等伯の故郷での鑑賞は、また一味違った感動がありました。京に出る前に描いていた仏画も非常に興味深かったです。
ということで、美術館の近くにある小丸山城は完全におまけでした。昔あったはずの利家とまつの銅像が見当たりませんでした。どうやら、小丸山城の本丸から花嫁のれん館の駐車場に移されてしまったようです。残念。
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2025/10/02 06:56
裏山に土塁 (2025/08/09 訪問)
東岡崎駅からバスで30分、奥殿松平氏の陣屋です。
駐車場もあります。
陣屋のとなりにはヒマワリ畑がありますが時期的に見頃は終了してました。
洋風の庭園も隣接しています。
移築された書院では休憩も可能です。
裏手には日本庭園があり、綺麗に整備されています。
隣接する金鳳亭では食事もできます。
裏手の山には藩主の墓所があり、途中に土塁と空堀が施されています。
これ、防御のためだけではなく山からの水害を防ぐ目的もあったようです。
陣屋内には三河花火資料館などもあり帰りのバスの時間待ちでぶらぶらとしてみました。
【見どころ】
・陣屋と墓所の間の空堀と土塁
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