みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

左大弁

広い城 (2025/10/07 訪問)

先ずは資料館で約20分お勉強してから攻城。
城内は広く、本曲輪が道路でぶった切られる程!
ただ説明文があまり無いので、見て周るだけなら約40分あれば周れそうです。
ここも堀が深く、城域が広いので、攻城戦は大変だっただろうと思いました!

+ 続きを読む

トク

【宮本武蔵】(14)福山城(大坂の陣と腰掛岩) (2025/06/06 訪問)

宮本武蔵の続き(14)です。

巌流島での決闘の後、松井興長の鉄砲隊に守られ中津に着いた武蔵は、おそらく事の状況を無二斎に報告し、そのまま豊後杵築(細川藩の飛地で興長の領地)で匿われたと思います。そこで細川忠興と良好な関係であった隣国日出藩(日出城)の、あの姫路城で世話になった「木下延俊」(妻は細川忠興の妹)にも会いに行き、両家の客分として一年ほど剣術などを教えて過ごしていたのではないでしょうか。きっと延俊とは、あの妖怪退治の話で盛り上がったかもしれませんね。

しかし1613年の徳川家康と豊臣秀頼の会見が二条城で行われた後、にわかに徳川一門に不穏な動きが始まります。この時密かに家康から譜代大名に対し、豊臣との戦支度の命が下ります。巌流島から一年が経ち、いつまでも杵築に居るわけにもいかないと思っていた矢先、武蔵は刈谷城主「水野勝成」に招待されたので三河に行く事にしました。勝成は出奔中に、一時中津で黒田官兵衛に仕えていたとの記録があります。その時に面識があったのかもしれません。そしてこの時の勝成は、関ケ原では大垣城を攻め、守っていた府内城主の福原直高や富来城主の垣見家純などを討った功績で、家康から過去の出奔を許され刈谷3万石の城主となっていました。

勝成は戦を知らない若い家臣たちに剣術や兵法を教え、息子「勝俊」の初陣を補佐してほしいと頼んだようです。そして1615年、勝俊の守役である家老の中川将監(志摩之助)の軍に加わって大坂の陣に出陣します。その時の様子が、福山城に残る水野家の資料に残っている事から、武蔵が参陣していた事は間違えないようです。

結局、水野軍は大野治房を破るなどして、無事に勝俊は初陣を飾りました。ここで武蔵は将監から、三男の「三木之助」を養子にしてほしいと懇願され、断れず養子に迎える事にします。

大坂の陣の功績で、勝成には大和郡山6万石を経て福山10万石が与えられ、1622年福山城を築城します。そして完成すると、完成祝いにその当時明石にいた武蔵は福山に招待され、将監の屋敷に泊まり接待されたようです。その屋敷跡には、武蔵が腰かけたという「腰掛岩」が残っていました。私もその岩に座り、そこから福山城を見上げてみました。武蔵はどんな事を考えながら、ここから福山城を見上げていたのでしょうか? 将監と酒を酌み交わしながら、意外と大坂の陣での話や三木之助は今どうしているのかなどの話をしながら、福山城にかかる月を見上げていたのかもしれませんね。

次は、明石に行く前にしばらく滞在した(姫路城)に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

左大弁

堀と土塁 (2025/10/07 訪問)

平城に分類されると思いますが、大きく深く高さのある堀と土塁は、城の起源・本質を物語っているかと。
資料館20分、史跡30分で合わせて約1時間程で見て回れそうです。

+ 続きを読む

左大弁

行くべき城です! (2025/10/07 訪問)

車で攻城。
嵐山小川I.Cから左に行くと菅谷館ですが、杉山城は右。
説明文には山城とありますが、山城に付き物の登山は無いので、周りやすいお城です。
それにしても、複雑な構造、配置の各郭、堀、土塁は見応えの塊!
ポイントにある説明文とイラストが、当時の攻城戦を想像させてくれ、5点評価の5点をつけたいお城です。
尚、城内結構広く、色々周って約1時間は必要かと。

+ 続きを読む

todo94

日帰りドライブで北陸の城めぐり⑥ (2025/09/27 訪問)

古国府城からの転戦です。高岡古城公園の北端にある駐車場に車を停め、古竹藪、三の丸、明丸と進んで鍛冶丸にある高岡市立博物館に入館しました。無事、城カードをゲットし、展示も一通り拝見させていただきました。初めて高岡城に来たときは二の丸と本丸をつなぐ通路の石垣だけに萌えていました。地味な100名城だと正直思っていました。いま改めて見てみると、本丸周りの濠なんか、すごく広くて深いですよね。重機のない時代にこれだけの土木量、感嘆せざるを得ません。入り組んだ水濠もこれだけ保存状態が良くて大規模な城はそうはないでしょう。その魅力を写真で伝えるのはなかなか難しいようには思いますけれども。城カードの写真が航空写真を用いているのはナイスチョイスだと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 平井神社・織田信長旗本陣跡 (2025/09/28 訪問)

新城市上平井にある平井神社から極楽寺跡周辺は織田信長が合戦に望んで最初に本陣にしたとされています。平井神社の清め水の奥に「織田信長旗本陣跡」の石碑があり、織田信長が幟(のぼり)旗や旗指物を林立させたとされています。
平井神社の北東に信長が陣を張ったとされる極楽寺跡がありますが以前より藪化が酷くなった上に、私有地の可能性を考慮して近くで撮影するにとどめました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

壬生寺 新選組ゆかりの地 (2016/02/20 訪問)

京都市中京区の壬生寺は新選組ゆかりの地です。北の八木邸は新選組の最初の屯所として使われ、屯所が西本願寺に移転してからも壬生寺は引き続き新選組の兵法調練場として使用されました。境内には近藤勇の銅像や新撰組の関係者を弔った壬生塚が有ります。
八木邸で近藤らに襲われ落命した芹沢鴨や平山五郎の墓もあり、池田屋騒動で討死した奥沢栄助ら三人や、規律を犯して切腹した葛山武八郎など葬られている人たちは様々です。
不手際で処刑された勘定方の河合耆三郎の墓も有り、墓碑は耆三郎の家族によって立てられたとされています。近藤勇の胸像の脇には近藤の遺髪塚もあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

鳥居強右衛門勝商墓所  (2014/03/27 訪問)

長篠・設楽ヶ原の合戦の英雄・鳥居強右衛門勝商(かつあき)の墓所は二つあります。一つは長篠城の近くの新昌寺、もう一つは新城市作手鴨ヶ谷にある甘泉寺です。当地は強右衛門の妻の故郷であるとされ、境内には強右衛門と妻の墓が並んで立っています。
織田信長が強右衛門の功績を湛えて墓を立てたという伝承も有り、こちらが首塚、新昌寺は胴塚とされています。比較的人が多い新昌寺と較べてこちらは静謐な雰囲気があふれています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

左大弁

広いです! (2025/10/06 訪問)

車を搦め手側駐車場に置いて攻城しましたが、広いです!
ぐるっと一回りすると、1時間は必要。
高崎市役所箕郷支所にスタンプとともに資料もあるそうなので、まずそちらに行くべきでしたが、知らずに直接行ったので、ちょっと非効率な周り方をしたかも…
ちなみに、搦め手は最初は大手だったそうで、井伊直政の時に南西に今の大手を作ったそうです。

+ 続きを読む

左大弁

竪堀が売り? (2025/10/06 訪問)

車で行きましたが、平沢登山口駐車場に駐車。
そこからは、徒歩20分程で本丸に着きます。
あまり遺構は残ってない感じですが、竪堀は大きく見応えアリ。
ちなみに、平沢登山口駐車場へは、国道側ではなく群馬原町駅の南側にある道から国道の下をくぐる形で進みますが、狭い路地の様な道だったので、危うく通り過ぎるところでした
(他にもルールはありそうでしたが…)

+ 続きを読む

江戸城天守を再建する会オンライン講演会 「石垣問題」~なぜ名古屋城木造天守再建計画は進まないのか(その2)~ (2025/10/09 訪問)

10月8日(水)19:00~20:30 講師:三浦正幸広島大学名誉教授 参加自由(参加費無料・申込不要)
視聴用URL:https://us02web.zoom.us/j/87602396159   2016年に策定された名古屋城天守閣木造再建計画は
2022年を完成を目指しました。しかし、現存する石垣に、木造天守を再建することについて関係者間で、疑問が
提起され、現在に至るまで合意が成立せず、計画は停滞しています。江戸城天守再建を考えるに当たっても、こ
の問題は、避けて通ることのできない重要課題です。当会顧問三浦名誉教授が、新たな視点から解決策を提言し
ます。

+ 続きを読む

左大弁

凄い堀 (2025/10/06 訪問)

関越道 月夜野I.Cから岩櫃城に行く途中、国道17号沿いに不意に現れました!
それにしても凄い深い堀で、確かに正面からの力攻めは厳しいだろうと納得。

+ 続きを読む

蜻蛉切

中島砦 (2025/10/03 訪問)

近くにできた、千代倉歴史館に寄ったついでに中島砦に行きました。

+ 続きを読む

蜻蛉切

鳴海城跡 (2025/10/03 訪問)

鳴海城跡と鳴海神社に行きました。

+ 続きを読む

キンヤ

城のような石垣が築かれた陣屋 (2025/09/07 訪問)

御殿の書院を見学後、周囲の石垣を見学しました。14年前に訪れた時より整備され見易くなってました。
陣屋は町を一望できる高台にあり、石垣が良く残されています。
築造後、安政の大地震や明治維新後に積み直された部分もあり、切込接ぎや打込接ぎ、布積みや落し積みなど様々な石垣が見られます。

東側の急斜面では以前は民家に隠れていた石垣が見られるようになり、6段位あり、美濃岩村城の六段壁を思わせました。
南東側の大手には立派な石垣が築かれ、出隅の切込接ぎの高石垣は見応えがあり、テクニカルな枡形虎口も残されており、まるで城のようです。
南~南西側には三段の石垣があり、下から見上げると城らしい佇まいです。
主郭書院の南〜南西側上段の石垣は築造当時のものと思われ、2箇所の石垣隅は鎬(シノギ)角で、小島陣屋の中でも最も美しい切込接ぎです。
陣屋で、これ程多くの石垣を築くとは、小島陣屋の殿様は石垣好きだったのでしょうか。

素晴らしい陣屋で、個人的には、これまで訪れた陣屋の中で1番好きです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

山名氏城跡 (2025/07/01 訪問)

久しぶりに此隅山城に登りました。有子山城も再訪したかったのですが夏場なので、今回はパス。此隅山城は文中年間(1372~1374)に山名師義(弟の時義かも)によって築かれました。有子山城と併せて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています。
最高所に主郭が置かれ、周辺に郭が残りますが、思った以上に城域が広く尾根上に四方に郭が散布していて、北東・北西側はさらに分岐しています。とてもじゃないけど全部は見切れないので南東側から登って比較的コンパクトに済ませました。ただ主郭周辺以外は、あまり洗練されているイメージはありません。北西側には堀切や土塁が残っているようですが今回は訪問せずです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

あき

三重旅行2日目  (2025/09/30 訪問)

北畠神社の社務所にて これから霧山城へ向かうと伝えると驚いた顔をされたので なんだろうと思ったら城山ではないけど近くの山にで熊が目撃されたとの事 熊鈴持ってくるの忘れた〜音出しながら行きますと言ったら熊鈴貸してくださいました 本当にありがとうございます 霧山城入口から城跡ま1350mだそう頑張ります 詰城跡まではつずらおりの道を登って行きます 10分ほどで到着 土塁の上にも曲輪がありそうでしたが道がわからないので先へ進みます ひたすら杉林の中を進みます 整備されているので道に迷うとかの心配はないです 1人汗をかきつつ熊鈴だけが鳴り響く中 鐘突堂跡に到着 そんなに大きくない曲輪ですがここまで展望が杉だけだったので景色が気持ち良いです 奥に行くと城跡はここまで本丸へは戻るようにと看板があります 鐘突堂跡の看板まで戻り右手の道を登って行くと突き当たりにセラピーロード終了の看板があり 右側に矢倉跡があります 小さな曲輪ですが堀切が残っていました 先ほどの看板まで戻り左側へ行くと本丸跡 入口の虎口が良いです 本丸跡は今までの曲輪の中では広く 土塁も残っていました その先は米倉跡の曲輪 土塁は無く平坦な曲輪となっていました 本丸跡へ戻り土塁の上から景色見ながらおやつタイム 気持ち良い風が吹いて行きます 名残り惜しいですが電車の時間があるので山を下り熊鈴を社務所にお返しして駅へ 登山アプリで1時間45分かかってました 帰り道トンネルの工事現場の人に自転車は珍しいな頑張れ!と声かけられました トンネルはやっぱり怖かったです 自転車をお返しして 駅前の給水塔(工事中)や津宿の建物など見学して13:06分の電車に乗り松阪へ戻りました 電車は2時間に1本なので時間に気をつけないとちょっと大変かもですが 伊勢本街道の雰囲気など感じられるので城を含め見どころのある場所でした

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

もういっちょ,得意の途中下車で…🚉 (2024/08/24 訪問)

大宮駅西口から,徒歩約20分で到着。路線バスを使うという手段もありましたが,歩きにしました…🐾
当日は友引により,普門院閉門中。個人的には,普門院に隣接する「普門院幼稚園」が気になりました…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

あき

三重旅行 2日目 (2025/09/30 訪問)

松阪駅から7:32発の名松線に乗り家城にて乗り換え のんびりと車窓から長閑な景色を眺めながら8:59伊勢奥津駅に到着 駅前の観光案内施設でレンタサイクル(無料)借りて北畠氏館へ向かいます 途中長いトンネルがありこの日は片側工事中 誘導員さんの指示に従い行きましたが 途中後ろから車来て怖かったです トンネル抜けて伊勢本街道の雰囲気を楽しみながら駅から20分位で北畠神社に到着です 神社にお参りして社務所でスタンプ押し御城印と御朱印頂きました 庭園も社務所に300円お支払いして入ります 1週5分位の小さな庭園ですが美しく整備されています 室町時代から残っているのは素晴らしい 池を眺めて癒されます 神社の敷地内には入口跡や最古の石垣など看板のみあります 保護のため埋め戻されているそう 残念ですが後世に残していくために必要なら仕方ないですかね この後霧山城へ向かいます

+ 続きを読む

あき

三重の旅 1日目 田丸城 (2025/09/29 訪問)

酷暑の夏の間お休みしていた城巡りを再開 田丸城へ行ってきました 田丸駅から歩いて10分位で大手門橋へ着きます 橋を渡ってすぐの村山龍平記念館でスタンプ押し御城印を購入していざ出発です 雨がポツポツ振る中蓮池跡など眺めながら登って行きます 途中には富士見門が移築されており貴重な現存建物だそうです だんだん陽がさしてくる中本丸虎口へ到着 道を屈折させて防御を高めています 何より石垣が美しいです 本丸の前に北の丸跡へ今は神社になっています お参りして見渡すと土塁が残っていました そして田丸城で私が1番気に入ったのが北の丸と本丸の間の空堀 こうゆう堀を見るとワクワクします そして本丸へ 天守台が残っています 付櫓のある3層の天守が立っていたそうです 天守台の石垣も素晴らしい その後二の丸を通り二の丸虎口を眺めながら 田丸神社に参拝 田丸城から移築された蔵を見学して駅へ 電車は1時間に1本なので時間に気をつけて見学しないとですね 伊勢神宮に参拝し松阪駅近くのホテルへ宿泊です

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ21