鳶ヶ巣山砦は長篠城を囲うように武田勝頼が築かせた五つの砦の一つです。鳶ヶ巣山砦が本城で他の四ツの砦が支城になるようです。長篠・設楽原決戦の前夜、徳川家康の重臣・酒井忠次は奇襲を命じられ、豊川を渡り、南側から尾根伝いに移動して夜明けに鳶ヶ巣山砦を背後から攻撃しました。
五つの砦の守兵一千に対し、奇襲部隊は四千の兵に五百の鉄砲を装備しており、鳶ヶ巣山砦の守将・武田兵庫頭信実は数で勝る相手に奮戦しましたが信実以下ことごとく討死し、五つの砦は全て落城してしまったとのことです。同じころ設楽原では武田軍と織田・徳川軍が決戦に至り、武田軍の敗北で幕を閉じ、武田氏の凋落が決定的になりました。
鳶ヶ巣山砦跡には、この一連の戦いで命を落とした将士の墓(供養碑)が建てられています。東には平坦地が有りますが例によって杉が大量に植えられており、地形もだいぶ改変されているようです。扁平地と将士の墓の周辺との境には謎の土盛りが有りますが、これは境界線のようなものなのでしょうか?
※砦ではありますが、あえて主城 落城 支城などの表記で投稿させていただいております。
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