とびがすやまとりで

鳶ヶ巣山砦

愛知県新城市

別名 : 乗本村砦、鳶ヶ巣砦
旧国名 : 三河

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石碑と墓
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みんなの口コミ

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:鳶ヶ巣山砦 (2021/07/01 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の4城目は鳶ヶ巣山砦です。
宇利城から転戦。県道439号線の牛渕橋/鳶ヶ巣山入口(34.920610、137.560991)を左折し、そのまま車を進め、砦入口付近の駐車場(34.920361、137.568467)に駐車しました。

1575年(天正3年)長篠・設楽ヶ原の戦いにおいて、武田軍は長篠城 包囲のために、君ヶ臥床、姥ヶ懐、鳶ヶ巣山、中山、久間山の5つの砦を築き、鳶ヶ巣山砦はその中の1つ。
砦には信玄の弟の武田信実、小宮山信近ら1,000が構えたが、酒井忠次率いる4,000の兵の織田・徳川連合軍の奇襲に合い、武田軍の包囲網は崩壊、信実他多くが討死して砦は落城。

また、この場所には長篠の合戦時からあるといわれる「天正の杉」 の枯れ果てた姿が残っています。
攻城時間は20分くらいでした。

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カズサン

長篠城眼下、長篠戦が甦って来ます! (2021/03/04 訪問)

 城びと登録未踏城、山城登城を当初より体力的にパスしてましたが皆さんの投稿と城郭放浪記さんの案内で砦の近くに林道と駐車場在りとの情報が有り三河塩瀬城初登城の後R257号線を引き返し長篠方面へ移動。
 車で移動 ルートはR257の有海信号交差点を直進南下、新東名を潜り県道433号線を新東名沿いに走り、また新東名を潜り飯田線を渡り豊川に架かる牛渕橋を渡ると突き当り集落に入る道を細いですが道なりに進むと本久集会所(新城市乗本新井貝津50-1)に当たります、その手前集会所倉庫横に案内看板案内図がり舗装された林道を約900mと小さな看板、細く急ですが舗装され道は良い車の距離計を見ながら駐車場に到着。
 砦の駐車場、林道を片側広くして10台位は可能、トイレは有りません。車で行けて大変助かります初登城です。

 鳶ヶ巣砦へは小さ看板で約300mと有り数分で着きます、余湖図コレクションの俯瞰図で辿って行くと、入口に鳥居の有る7曲輪、横を通って堀切の様な縊れた所を通り6曲輪5曲輪へ同じ様な平坦な曲輪と見えましたが6と5の間に溝?土居?ほ凹みと土盛が有り区別してる様子、5曲輪が高所で鳶ヶ巣山、ここに慰霊石碑、祠、鳶ヶ巣砦戦の解説板、枯れた天正杉展示、尾根伝いに下って4曲輪、3曲輪此処に来ると長篠城が眼下に一望、2曲輪、先端の1曲輪円墳の様な土盛、現在墓地、集落から登って来れる道に繋がってます。
 3曲輪と2曲輪は南西長篠城方面に数段の曲輪が有る様に見えますが後世の段々畑かどうかは分かりません。 降りて来た道をまた昇るのがキツイ、でも長篠城を見ながら武田氏の数陣も北側の見え戦が甦って来ます、武田氏は高みに陣を敷きながら10日近く囲み攻め落とせなかったのか?と思ったりしたり。

 歴史的には先達の方が詳しく投稿されてますので鳶ヶ巣砦で簡単に 天正3年(1575年)武田氏により築かれ長篠合戦の陣城の一つで武田信実(信玄弟)小見山信近が陣を守る、織田・徳川軍が援軍に来ると武田氏の本体は城の押さえ残して設楽ヶ原へ戦場を移す。残った兵に対して徳川氏方の酒井忠次軍が背後から攻め武田信実以下打ち取られた、設楽ヶ原合戦の直前との事。

 この後、長篠城、大通寺三陣所、医王寺山勝頼陣所、天神山陣所を巡ります。

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武田信実 (2020/12/11 訪問)

 長篠の合戦のときに重要なポイントとなった砦です。遺構はよくわかりませんが、案内板の周辺は削平地と思われます。駐車場と反対側の尾根を下っていくと眺望が開け長篠城が一望に収めることができます。

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じゅんじん

長篠の戦 (2012/01/07 訪問)

長篠城がみわたせます。早々と落としておけば歴史が変わったかも!!あのころは新東名が工事中でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田信実
築城年 天正3年(1575)
主な城主 武田信実
遺構 曲輪、竪堀
住所 愛知県新城市乗本字鳶ヶ巣