日本100名城

ながしのじょう

長篠城

愛知県新城市

別名 : 末広城、扇城
旧国名 : 三河

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長篠城
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トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と 2古戦場めぐり (2024/09/06 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

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T-Shionoya

長篠城 丸馬出のある姿を見てみたい (2024/01/29 訪問)

立派な堀と土塁に興味があり1月末に訪れた愛知県新城市の長篠城。

豊橋平野から北東に進んだ平地の最奥部、豊川と宇連川の合流点に築かれた城。
南側は50mの断崖がその2つの川に落ち、本丸北西部も碁石川が天然の要害となる地形。
山を越えれば、東は遠江、北は信濃に繋がる要衝。

1508年に菅沼元成が築城し、長篠菅沼氏は今川氏&徳川氏に従属。
一時期は武田氏に服従するが、信玄の死後に徳川が奪還すると奥平貞昌(信昌)が城主に就任。そして長篠・設楽原の戦いを迎えます。

訪問時は対岸の牛渕橋より崖の様子を眺めてから入城。主郭、弾正曲輪土塁、瓢曲輪東の搦手門跡まで巡り、最後に史跡保存館へ。
主郭の折れを備えた堀と土塁は見応えがあり、パンフレットによると主郭の土橋は虎口に対してオフセットしていたとのこと。
一方、駐車場や史跡保存館が建つ帯曲輪は土塁や堀を失っている点が残念で、他の史跡指定エリアも民家が建つなど多くが侵入不可。各所に標柱が建つものの、100名城としては遺構が少なくマニアックな印象。

それでも滞在時間は2時間半。
丸馬出のある姿を見てみたいと感じた、私の城郭巡りの174城目でした。

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しんちゃん

野牛郭 (2024/03/16 訪問)

長篠城に来るのは何回目になるでしょうか?最新の写真が欲しくてやってきたのですが、せっかくだから普段いかない場所に行ってみようと思って駐車場(巴城郭跡)に車を停めて古城跡踏切を越え、南東の野牛(やぎゅう)郭を訪問しました。
踏切の名前もいいセンスをしてます。線路で土塁が分断されていて、その先に進むと野牛郭に到達します。殿井と呼ばれる井戸跡も残っています。家屋があるので、その先に進むのを躊躇しますが、どうやら廃屋になっているようです。そこから川辺に降ってみると宇連川が流れ、その先で豊川と合流しています。川の流れがキレイですね、完全に春の陽気になっています。はっきり言って熱いです。
その後はいつもの通り本丸を訪問です。休日ですが他の百名城と比べると断トツに人は少ないですね。でも毎年5月5日の長篠合戦のぼりまつりの時には多くの人手で賑わいます。火縄銃の演武やよさこい踊りも見ることができます。事前に奥三河観光ナビをチェックしていただけると良いでしょう。

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HARU

長篠城 (2023/06/25 訪問)

岡崎・静岡(駿府)・浜松に続き、徳川家康公ゆかりの地巡りの第4弾として「長篠城」を訪れました。長篠城は宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた要害堅固な城。武田氏と徳川氏が争奪を繰り返し、長篠設楽原の戦いの発端にもなった城としても有名です。史跡保存館には貴重な資料が残り、設楽原の復元された馬防柵も見応えがありました。

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概要

宇連川と豊川が合流する断崖上に、奥三河の土豪・菅沼元成が築いた要害堅固な城。戦国末期には武田氏と徳川氏で争奪戦が繰り返されて、家康家臣の奥平氏による籠城戦の舞台としても有名。武田軍の猛攻を防いだ主郭北側の大規模な空堀や、野牛曲輪、弾正曲輪などがよく残っている。

城郭情報

城地種類 平城
築城年代 永正5年(1508)
築城者 菅沼元成
主要城主 菅沼氏、奥平氏
文化財史跡区分 国史跡(長篠城跡)
近年の主な復元・整備 奥平信昌
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
住所 愛知県新城市長篠字市場
問い合わせ先 新城市教育委員会長篠城址史跡保存館
問い合わせ先電話番号 0536-32-0162