立派な堀と土塁に興味があり1月末に訪れた愛知県新城市の長篠城。
豊橋平野から北東に進んだ平地の最奥部、豊川と宇連川の合流点に築かれた城。
南側は50mの断崖がその2つの川に落ち、本丸北西部も碁石川が天然の要害となる地形。
山を越えれば、東は遠江、北は信濃に繋がる要衝。
1508年に菅沼元成が築城し、長篠菅沼氏は今川氏&徳川氏に従属。
一時期は武田氏に服従するが、信玄の死後に徳川が奪還すると奥平貞昌(信昌)が城主に就任。そして長篠・設楽原の戦いを迎えます。
訪問時は対岸の牛渕橋より崖の様子を眺めてから入城。主郭、弾正曲輪土塁、瓢曲輪東の搦手門跡まで巡り、最後に史跡保存館へ。
主郭の折れを備えた堀と土塁は見応えがあり、パンフレットによると主郭の土橋は虎口に対してオフセットしていたとのこと。
一方、駐車場や史跡保存館が建つ帯曲輪は土塁や堀を失っている点が残念で、他の史跡指定エリアも民家が建つなど多くが侵入不可。各所に標柱が建つものの、100名城としては遺構が少なくマニアックな印象。
それでも滞在時間は2時間半。
丸馬出のある姿を見てみたいと感じた、私の城郭巡りの174城目でした。
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