栗原山の山頂・三画点に到着しました。途中には扁平地がたくさんあった。関ヶ原の周囲の山々や丘陵はほぼ陣地に転用できる。
赤色立体地図で見るとすごいことになるんじゃないかな? 個人的には関が原の周囲の山々全部を史跡認定したいぐらい。明治の頃から現代まで、けっこう遺構の破壊や開発が進んでしまったのではないだろうか?
一応・・自害ヶ岡も「戸田左門覚書」では石田三成の陣があったと書かれているので・・今は新幹線と高速が通っている。
本当に三成の陣が有ったのかは分からないけど・・だから一応。。。
だいぶ寄り道したけど、そこから長宗我部盛親陣跡に進みます。神谷氏の「関ヶ原合戦図志」や参謀本部の「日本戦史関原役」の挿絵だと長宗我部陣は比較的麓にあるけど、こちらの長宗我部陣はけっこう比高の高い山の中腹にある。ここからは眺めが非常に良いです。
ここからだと大垣も良く見えるだろう。毛利軍が大垣城の後詰を考えていたのなら、この場所にも兵を配置したほうが合理的な気がする。
ただ合戦の際には関ヶ原が良く見える場所に陣を移した方が良いだろう。当然吉川も南宮山に登っているはずだ。
関ヶ原の戦いは、誰がどう転ぶかわからないので常に戦場を俯瞰しておく必要が有ると思う。吉川は合戦の前日に家康と和睦を行っているが、小早川や東軍の豊臣恩顧の武将たちの動き次第では、参戦を余儀なくされると思うから。
参謀本部の比定した毛利秀元陣跡からは伊勢街道しか見えない。しかもなぜここにだけ堀や土塁などの遺構があるのか? 史跡認定すらされていないのが、なんとも怪しい。
余談ですが「日本戦史関原役」ヤフオクで購入しました。けっこう古い本だけど安かったです。良くも悪くも関ヶ原史に大きく関わってる書物なのでとりあえず読んでおこう・・と
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