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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2015/01/13 訪問)

「石垣が 幽玄を醸す 岡城址(いしがきが ゆうげんをかもす おかじょうし)」

幽玄と言ってもテンテンちゃんでも、キョンシーでもありません。「もののあはれ」を受け継ぐ美的観念をあらわしているようですが、中世の山城は無常感が満ちていて、雰囲気に会っていると思います。これが総石垣の平城だと、あまり雰囲気が出ない。総石垣の山城に朝霧などかかっていると言うことが無い、竹田城とか津和野城などはいい感じですね。
以前 竹田城を訪問した時は朝5時から登って、城址に着いた時は6時くらいでした。朝霧が出ていて、まさに幽玄の世界でしたね。がっつり朝霧が見たかったら、もう少し早い方が良さそうだけど。

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へす

【赤色立体地図かるた】

陣城の 野面に積みし 石垣山
(じんじろの のづらにつみし いしがきやま)

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2014/01/28 訪問)

「弓一丁 本領復帰 河村城(ゆみいっちょう ほんりょうふっき かわむらじょう)」

河村城の城主・河村義秀は石田氏山合戦で平氏に味方したため、所領を没収されますが、鎌倉で源頼朝に流鏑馬を披露し、本領に復帰できたと伝わります。赤色立体地図で見ると周辺にやたらと腰郭が多いように見えるけど、これはいったい何なのだろう。

「名瀑と 鉄道公園 河村城(めいばくと てつどうこうえん かわむらじょう)」
山北駅付近に鉄道公園があり、展示されているD52は月に一回動く姿が見られるそうですが、コロナ前の話なので現在は不明。
ハイキングコースが整備され「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「河村城址と洒水の滝へのみち」が選ばれたそうですが、500ってけっこう多いですな。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2014/05/17 訪問)

「浅井家の 血脈繋ぐ 小谷城(あさいけの けつみゃくつなぐ おだにじょう)」
「御屋敷を 城山が包む 小谷城(おやしきを しろやまがつつむ おだにじょう)」

小谷城落城に際して、当主・浅井長政は切腹、父久政も前日に切腹しており、長政の嫡子・万福丸は処刑され、もう一人の男子・万寿丸は幼かったため、後に主家させられました。
これで浅井家の嫡流は途絶えてしまったのですが、長政とお市の間に生まれた三人の娘が、豊臣家・京極家・徳川家に嫁いで行きました。
長女・淀殿(茶々)は息子の秀頼と大阪夏の陣で自刃し、京極家に嫁いだ次女の初も子供を授かることはありませんでした。
三女・江は二度目の夫との間に娘を授かり、その後に再婚した秀忠との間に2男5女を授かり、その血脈は今の天皇家に続いているという話です。実は愛知県にも浅井長政に関わる伝説があり、小谷城の落城の際に側室の八重の方が長政との子供・七郎を連れて美濃へ逃れ、そののち今の愛知県春日井市に移って来たということです。その縁で春日井市の名鉄・間内駅前に浅井長政の銅像が建っています。浅井家は滅びるも、三姉妹や庶子が子孫を残し、その血脈は公家や皇室にまで及びますが、その根幹は小谷城にあると思います。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/07/23 訪問)

「見どころは 二重桝形 赤木城(みどころは にじゅうますがた あかぎじょう)」

藤堂高虎の初期作品。これをモチーフにした五七五は出尽くした感があります。ここの特徴のひとつである「二重桝形」に着地しました。

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しんちゃん

天神山城 青山佐渡守・豊後守 (2015/10/23 訪問)

富山県魚津市の天神山城です。二回訪問しているのですが、こちらの投稿は最初の訪問時ものです。天神山の山頂からは弥生時代の土器が出土しているらしい。二世紀後半の倭国大乱にかかわるという説もあるようですが、話が古すぎて良くわからない。
争いは弥生時代から起きているらしいけど、記録が魏志倭人伝しかないらしい。
城跡から青山佐渡守・豊後守に行くことが出来ます。豊後守は加賀藩青山家2代当主・天神山城主・青山長正のことで前田利家・利長に仕えました。佐渡守は長正の養父で加賀藩青山家の祖・青山吉次で城生城の守将などを務めています。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/12/20 訪問)

「東西に 城郭中枢 高天神城(とうざいに じょうかくちゅうすう たかてんじんじょう)」

東西それぞれに城郭中枢を持ち,一城別郭と称される特徴を詠みました。実際のかるたにおいて,アルファベットの「H」のような形は,瞬殺で取り合いになると予想します。

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todo94

夏のチャシめぐり⑥【城びと未登録】ポンチャシュナイチャシ(北海道稚内市) (2025/08/11 訪問)

ピリカタイチャシからは宗谷岬へと向かいました。晴天時の宗谷岬は駐車場が満車となる混雑でしたが、5度目の宗谷岬にして初めてはっきりとサハリンを見ることができました。そこから稚内市街に戻る途中、ポンチャシュナイチャシに立ち寄っていきました。説明板などはありませんでしたが、段丘面は確認できたのでここで間違いないかなとは思います。

この日の締めはノシャップ岬。漢字で書くと野寒布岬。ちなみに本土最東端は納沙布(のさっぷ)岬です。佐多(さた)岬と佐田(さだ)岬並みに紛らわしいですよね。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「名は体を表す名城 石垣山」
(なはたいを あらわすめいじょう いしがきやま)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「大堀切 圧巻詰城 八王子」
(おおほりきり あっかんつめじろ はちおうじ)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「山の神 領民守る 滝山城」
(やまのかみ りょうみんまもる たきやまじょう)

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ヒロケン

迷路 (2025/08/11 訪問)

志布志城は内城、松尾城、高城、新城の4つの中世山城の総称で志布志城と呼ばれています。高城、新城への立ち入りは制限されているとの事で、内城、松尾城を攻略すべく登城しました。
志布志城の中核をなす内城の規模は、東西約300m・南北600mの規模があり、シラス台地に深く刻まれた大規模な空堀によって主要な7つの曲輪が区画されています。標高は内城本丸で約54m麓との比高差は約50mもあります。この志布志に広大な山城が築かれた理由として、この地は海上交通の拠点として、海外・国内貿易が盛んで国内外の陶磁器や銭貨・鉄砲玉などが出土しており、経済的・軍事的に重要な場所であった事が窺えます。
この重要な城を巡り、城主も入れ替わりが多く肝付氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、豊州家島津氏、肝付氏、島津氏と変遷しています。

志布志市埋蔵文化センターで続100名城スタンプと志布志城内(内城)散策マップをいただき、埋蔵文化センターから約3Km程離れている志布志小学校横の無料観光駐車場に駐車。用を済ませてから平山邸庭園(国史跡)の前を通り、大手口より入城。
南九州地方特有のシラス台地を削った切岸、大規模な堀がこの城の最大の見所といえます(私見)。郭の周囲に土塁が一部見られましたが、この急崖を登れる人が居るとも思えず、土塁が必要なのだろうかと疑問に思ったりもしました。
本丸周辺は、よく整備されており難なく散策が出来ましたが、中尾久尾と呼ばれる郭を散策しようと大空堀から入っていったところ、雑草・雑木が生い茂り、予定の時間が迫る中「折角だから」と思い郭を見学しようと入りこんだところ暫くして全然、自分の位置が分からなくなり、迷子状態に(>_<)噴き出る汗💦顔の周りを飛び回るやぶ蚊やブト💦何度も足を滑らせ泥まみれ💦どのくらい時間が経過したことだろうかふと気が付くと、建物が・・・助かったぁ~志布志小学校の裏手に出れ無事駐車場へ(;'∀')松尾城攻略は断念(気力がない)

この城で驚いたこと、大手口の手前に朽ち果てた家が数件、住んでいないと思うが門の表札を見ると「肝付〇〇」末裔の方であろうか⁉
この城で学んだ事「無理はしない‼‼」皆様もお気を付け下さいませ。

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todo94

【赤色立体地図かるた】 (2018/05/19 訪問)

遠州を 制す要は 高天神 (えんしゅうを せいすかなめは たかてんじん)

赤色立体地図での特徴を読み込みたかったのですが、この城はこれがアイデンティティかなと思いました。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2017/05/24 訪問)

 ①「安東氏 愛季栄し 脇本城」(あんどうし ちかすえさかえし わきもとじょう)

 ②「男鹿の崎 崖城両峰 脇本城」(おがのさき がけしろりょうほう わきもとじょう)

 脇本城は男鹿半島の南付根の崖の上に寒風山を北に備えてた要害の城、安東愛李(アンドウチカスエ)が安東氏を統一して秋田氏を名乗った頃檜山城から脇本城へ移った様です。安東氏は奥羽十三湊日之本将軍とも呼ばれて隆盛を誇って居ました。
 脇本城には峰が二つ有り北側に内館跡群と東側生鼻崎方向は家臣の住む外館跡群があり両峰に曲輪が存在しおり、江戸期には2回地震で生鼻崎先端が数百m程海に没した様です。
 平成29年の5月下旬出羽横手経由払田柵跡を始めに秋田県未踏の城廻り1泊2日、前後を宮城と岩手を入れて3泊4日の中での初登城でした。
 
 

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2021/02/20 訪問)

魁の 天主そびえる 安土城
(さきがけの てんしゅそびえる あづちじょう)

大手道 魅せる石垣 安土城
(おおてみち みせるいしがき あづちじょう)

安土城といえば、城郭史上の魁ともいうべき壮麗な天主が真っ先に思い浮かびますが、赤色立体地図かるたとしては、まっすぐにのびる大手道とその両脇の魅せる石垣の家臣団屋敷が特徴となるでしょうか。
 

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2010/05/01 訪問)

 「安倍氏経て 南部縦横 花巻城」(あべしへて なんぶじゅうおう はなまきじょう)

 花巻城は南部氏の領国経営の防衛、流通、経済の要所にて南の仙台藩伊達氏に接し、西の秋田藩佐竹氏にも接し、北は南部領盛岡、東は南部領釜石へと縦横に繋がっていた要の城でした。
 本丸には西門の石垣と櫓門が平成6年復元されて、円城寺搦手櫓門が移築されて現存です。本丸を北に、南に二の丸、三の丸が控えて悌郭式城郭、本丸北は崖で瀬川が流れ現在鳥谷ヶ埼公園として整備されてる、東の北上川に繋がっている。二の丸は花巻小学校校舎グラウンドと成り、三の丸は三の丸公園整備されて、三の丸北の鳥谷埼神社の山門は移築円城寺搦手門として現存、三の丸は広く体育館、市役所が設けられている。
 現在は花巻東高校出身の大谷翔平、菊池雄星の方が有名に成って居ます。
  

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姫りん

土塁城vs石垣城 (2025/08/16 訪問)

戦国北条氏が築いた美しい小田原の城下町!
秀吉軍が一夜にして築いた石垣城は、信じがたいまさかの光景だったことでしょう。小田原城🏯の眼前過ぎて、その近さに恐怖を感じました🫨
相模湾の恵みの海鮮丼も、最高に美味しかったです😀

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ナギャン

住宅街の中にある御城 (2019/07/13 訪問)

横浜市営地下鉄のセンター南駅から歩いて10分で茅ヶ崎城に到着する。
住宅街の中にドドンとこんもりお山の御城だ。平山城になるんかな?

住宅が近くということで写真を撮るときは注意が必要だ。不審者と勘違いされるかもしれない。
城跡に行くまで公衆トイレはないので注意が必要だ。一応、茅ヶ崎城跡内に公衆トイレはあるが頻尿の人は持たないかもしれない。

廓にはベンチがあって休憩にもってこいだ。しかし、訪れた時は先客さんが座っていた。残念だ。

ローカルすぎてあまり訪れる人が少ないがここもおすすめだ。
結構前に「中島卓偉のお城へ行こう!せーの!キャッスル!キャッスル!」にも登場したので機会があれば見てほしい。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/25 訪問)

「御殿下 車道が縦断 鉢形城(ごでんした しゃどうがじゅうだん はちがたじょう)」
私が訪問した時の案内板には伝御殿下曲輪を本曲輪と記載してありました。城の中心部を車道が通り、銀人材センターもありますね。ある意味地元の人々の生活に欠かせない城だと言えるでしょう。
戦国期の洗練された土の巨大城郭で、総石垣の近世城郭とはまた違った趣があります。

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しんちゃん

小楠公御墓所 (2017/07/30 訪問)

飯盛城の麓、四條畷神社より西に600mほど行った場所に小楠公御墓所があります。小楠公とは楠木正成の子・楠木正行のことで、父正成が明治政府によって「大楠公」として神格化されたのに伴い、正行も崇められるようになったそうな。適当だな・・
オヤジの正成なんか実戦でウ〇コ投げてた人なのに、天皇の為に戦死すると神格化されるらしい。楠公・・機雷ではないですぞ。

ちなみにウ〇コの効果は結構あったらしい、楠木軍にとっては貴重な実弾で、鎌倉軍も楠木軍のウ〇コが不足してきたころを見計らって、攻撃を掛けてきたそうな。え~~い!足りん、足りんぞ!! ウ〇コが足り~~ん!! これで検閲通るだろうか?

通らなかった・・修正・・ 楠木軍にとっては大事な実弾なので大目に見て欲しい。付加効果・・「心をえぐる」
弾幕うすいぞ! 何やってんの! あっ武頼人さん。

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