上月城は天正5年(1577)と6年(1578)の二度に渡って凄惨な戦いに巻き込まれています。一度目は織田方の羽柴秀吉による侵攻によるもので、城主は毛利方の赤松政範でした。上月城は程なく落城しますが、その際に秀吉は城内の者に対して、かなり残酷なことをやらかしているようです。
その後、上月城には尼子勝久・山中鹿介主従が入りますが、天正6年4月には毛利方の小早川・吉川勢の大軍に包囲され、信長が秀吉に撤退を命じたため上月城は孤立無援に陥り落城、尼子勝久は切腹し尼子氏は滅びました。
歴史の重みをひしひしと感じますが、城址は意外なほどにコンパクトです。川の対岸に歴史資料館があり、車はそこに駐車することが出来ます。東から登城道が付いていて、いくつかの腰郭と堀切を過ぎると、主郭にたどり着きます。主郭にある供養塔は最初に落城した際に落命した赤松氏らを弔ったもののようです。主郭から西へ尾根沿いに進んでいくと二の丸となり先には堀切があり、そのまま下ると城址の西側に降りてくるので、歩いて駐車場まで戻ります。
堀切もだいぶ埋まっていて、尼子氏最期の城としては「地味」な印象もありますが、山城としては訪問しやすい方なので、その分「情緒」を楽しむことが出来ると思います。
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