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カズサン

単郭周囲に二重土塁と堀 (2025/10/31 訪問)

 先の副城から豊前の国へ、副城を終えて北北西に約12km程(直線)経路約20km程の光岡城へ、雨もしとしと霞が出ている、光岡城の登城口前に広い駐車場と案内指示板、登城口より舗装された道を約800m程で到着。

 駐車場:北虎口手前に幅広路側帯が駐車場10台はOK、トイレ有(33°31'24"N 131°16'33"E h=130m)
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 北の虎口より進入する、主郭外周北側の堀と土塁、西の堀と土塁、内部は広い単郭城跡、余湖図コレクションさんの俯瞰図を参考に歩く、土塁が二重の周り、中が堀に成って居る、東に虎口と土橋がる、堀と土塁がよく残って居る、建物跡の表示木柱も有る、東屋、中程の祠が祀られている。
 草も若干伸びて居る、雨も降ってる状態でしたので歩ける所のみの観察探訪でしたが、麓からの舗装道、駐車場、トイレも完備し探訪し易く以降も良好に残って居る城跡でお勧めです。
 

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カズサン

【豊前 副城】大分県宇佐市 畝城竪堀が見所 (2025/10/31 訪問)

 豊後国東半島未踏の城廻りを終え真玉城より南西に約25km程(直線)経路30km程を経路途中以前に見慣れた道筋には豊後高田城、宇佐八幡神社を望みながら国道367号線と国道500号線が合わさった道沿いに「道の駅いんない」が有り、副城跡最寄りの駐車場と成ります。
 住所:大分県宇佐市院内町副
 駐車場:道の駅いんない(大分県宇佐市院内町副1381-2)
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 豊前副城は数年前に城郭放浪記さんの毎月の放浪履歴と昨日のTop10に未閲覧城郭としてヒットし、写真館と縄張図をみて是非機会が有ったら訪ねて畝城竪堀群を見てみたいと思っていた城郭です。今回の企画に入れて初登城。

 雨が又降り始めましたので北側の登城坂道を断念して、車で南側頂上の車2台可能駐車場へ、せめて主郭曲輪Ⅰ東側の畝城竪堀群を一目でも見たいと、傘を差しながら遊歩道を20~30m程歩くと畝城竪堀群が見えます、久しぶりの感動です、雨降りでしたので遊歩道で観察、主郭東下の二重横堀も歩きやい、主郭東虎口、二の曲輪東の尾根土塁もよく観察できる、スロープを登り主郭東虎口から進入、主郭の北土塁、南に高まりには櫓台、歩きやすい東虎口より戻り、南の堀切、切岸沿いの遊歩道でⅡの曲輪へ、東屋、建物を確認して下城しました。
 戦国末期の城跡の様ですが、比高が低く遺構がよく残って居り、畝城竪堀群、二重横堀、堀切、虎口が見所です、二の曲輪北側下は未踏査です。
 雨の中でしたが願いが叶い満足の探訪でした。

 道の駅いんないの「いしばし茶屋」で久しぶりにゆっくりした昼食を頂きました。
   

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しんちゃん

関ヶ原古戦場 黒田長政陣 (2025/10/19 訪問)

関ヶ原古戦場の黒田長政陣は岡山烽火場とも呼ばれています。また竹長重門の陣もあったとされています。
黒田長政は幼いころ豊臣秀吉・竹中半兵衛に命を救われたことがあるので旧知の仲であったと思います。その際に長政の遊び相手の少年が身代わりとなって首が織田信長の所へ送られたと何かの媒体で見ましたが、一般にはあまり知られていないようです。
「美談」の裏側と言うのはあまり覗かない方が良さそうですな。
標高164mの岡山の上からは関ヶ原が良く見えます。案内板にはここに5000の兵が東軍の最右翼として布陣していたとある。小早川秀秋や吉川広家を調略・・と言うよりは向こうの方が東軍に付きたかった気配はありますが、合戦前の長政の働きは戦場での武功以上のものがあったと思います。
関ヶ原に関しては既に多くの人のライフワークとなっています。次々と新説が出てきますが、とりあえず「新旧」まとめて取り込んで自分なりの「歴史」を自分の中で育てていきたいですね。「城びと」ってそれが出来る立ち位置にいると思うんですよ。
自由ですからね・・しがらみ無いし。

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りん

戦国でも歴史的舞台 (2025/12/04 訪問)

家康と秀頼の運命を決めたとも言われる2人の会見が行われた歴史的舞台ですね(*´꒳`*)

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todo94

2025年末・鹿児島県の攻城②【城びと未登録・夏陰城】(鹿児島県鹿児島市) (2025/12/26 訪問)

城山の裏手には。夏陰城という城があります。説明板によると、かつて大きな楠があって暑さ知らずの高涼地であったため夏陰と呼ばれたとか。城山の防備が薄いこの地に兵が置かれ夏陰城と呼ばれるようになったとのことで、鹿児島城(城山)の一部と云ってよいかと思いますが、立派な城址碑が建てられていました。この城山の裏手には、五代友厚誕生地、樺山安武・森有礼生育之地などもあります。西郷隆盛終焉の地、私学校跡とめぐって黎明館に戻り、無事、鹿児島城の城カードを購入することができました。

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シャンシャン

吉川氏ゆかりの史跡巡り② (2025/12/28 訪問)

吉川元春館からすぐ近くにある屋敷跡。こちらも国指定史跡。
吉川元春館と同様の技法の石垣が数十mに渡って残されているが、民有地のため石垣の上は畑になってる。

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シャンシャン

吉川氏ゆかりの史跡めぐり① (2025/12/27 訪問)

国指定史跡の吉川元春館跡。
北広島は雪があるかなーと思っていたけど、思っていた以上に雪が積もっていてびっくり(^^;
でも雪をまとった数十mに渡る石垣は見応え充分!
敷地内の戦国の庭歴史館で発売されたばかりのロゲットカードをGET!

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天守閣について (2025/12/27 訪問)

 1年とちょっとぶりに浜松城へ行って来ました。野面積みの石垣が好きです。
昔から浜松城の天守閣には違和感を覚えていました。天守台に比べて天守閣の面積が狭く不思議な感じがします。天守台は穴蔵構造で地階に井戸があり、1辺約21mのいびつな四角形で西側に八幡台と呼ばれる突出部があり、東側には付櫓と呼ばれる張り出し部分があります。この張り出し部分は、現在は天守閣への入口として利用されています。現在の天守閣は昭和33年に鉄筋コンクリートで作られました。天守台に比べ小さい建物です。昔は、本当は浜松城には天守閣はなかったんじゃないかと思っていましたが、浜松市のHPには「浜松城の天守は第二代城主堀尾吉晴の在城期(1590年頃)に築かれた説が有力だが、17世紀の絵図には天守が描かれていない事から、江戸時代前期には天守が失われていたと考えられる。」とあります。記録はないようですが、瓦の出土や天守台に井戸があることなどから天守閣は短い間ではあったが存在していたという説が有力なようです。「東海の名城を歩く 静岡編」には「その規模から、2階建ての櫓の上に、望楼を載せた漆黒の四重天守が想定される」と書いてありました。実際には今の天守より大きな建物だったのでしょう。
 いろいろと思うところはありますが、今では町にも自分にも馴染んでいます。

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とってぃ

続日本100名城スタンプリベンジ (2025/12/27 訪問)

前回はスタンプを押せなかったので、妻の実家の帰省の道中に。
前回入れなかった致道博物館にも行けました。

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カズサン

曲輪を濠で囲まれた真玉城初登城 (2025/10/31 訪問)

 国東半島未踏の城廻り、安岐城、富来城、岐部城を終えて国東半島北端を廻り込んで国道213号線を西方向約16km程(直線)経路24km程、国道213号線より南東へ約500m程入った真玉寺が豊後高田市真玉城で初登城、このころには雨も止んできました。
 駐車場:真玉寺北の高田高校真玉分校跡地を利用
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 真玉寺の東に土橋が有り、周囲は濠で囲まれている、よく濠がよく残ったものだと感心する、土橋を渡って真玉寺の沿革解説板が有り、その文面の中に「真玉氏居館跡」と記されて、文和元年(1352年)木付重実が前真玉氏の跡をついで入部、居館として以来9代238年続く。1590年の小田原征伐の年に滅んでいる。余湖図コレクションさんの解説では真玉統寛が小田和征伐に向かう途中に家臣の山田兼佐の謀反が起こり殺害されたと有りました。
 お寺の南側が歩けるので、東土橋、南側、南土橋を往復し、山門前で参拝、真玉分校跡地へ、分校跡地が内城、北の畑が外城の連郭式平城だった様です。濠に囲まれた曲輪は本丸か?良く分からない寺敷地郭です。
 雨が止んで助かりました。
   

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水野勝成 (2025/12/26 訪問)

 昨年も登城しましたが、近くまで来たので寄ってきました。石垣、伏見櫓、筋金御門、外観復元した天守など楽しむことができました。

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いんげん丸虫

真ヶ谷城 (しんがや) 千葉県市原市 (2025/12/07 訪問)

細長い丘陵上にある山城です。
詳細ははっきりしてませんが、遺構は良く
残ってます。登城口は少しわかりにくい
ですが、駐車可能で道も整備されてます。

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有地氏の城 (2025/12/26 訪問)

 有地氏の城と伝わっています。標高191mの通称城山にあり山頂部付近に東西約1Kmの範囲に曲輪が展開しています。主郭にはテレビ塔が建っていますが、曲輪、石垣がよく残っています。東側郭群と西側郭群との間には堀切と思われる地形があり土橋がかかっていました。竪堀もあり好きな風景です。主要な城域は散策したつもりですが、城の周囲はかなりの急斜面で端の方には高所恐怖症の自分は怖くてあまり近づけません。縄張り図を見ると西側郭群の西側の尾根にも堀切があるようです。曲輪の端に近づくのが怖くて気が付きませんでした。雑草で石垣が見にくくなっている所もありましたが、それなりに楽しく散策できました。

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福山城へ (2025/12/26 訪問)

 標高133mの黄葉山に築かれた城址で、東西に延びた尾根上に曲輪を展開しています。また北に延びた尾根にも曲輪が配されていました。曲輪跡、石垣跡、井戸跡などを観ることができます。水野勝成がこの地に新領主として入封したとき、福山城を築き神辺城の建物、石垣を悉く取り外し持ち去りました。神辺城の天守など建物は主に福山城の二の丸に移築されたようです。縄張り図を見ると南西部に畝状竪堀が描かれています。捜してみるとそれらしい地形はありますが、落ち葉の堆積もありわかりにくい状況でした。北側の尾根にある曲輪(吉野山公園近く)の北東部にも堀切や竪堀と思われる場所がありました。
 JR神辺駅から東へ5分ほど歩き福山市神辺交流館近くから登城しました。帰りは北尾根にある曲輪を確認後、吉野山公園方面へ下山しました。

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天守無しがアツい

大善寺 (2025/12/21 訪問)

衣笠城の城域にこそ到達したものの…その中心部がまだ見えない…「衣笠城址」の矢印に沿って坂を上ると…大善寺という寺に辿り着く

中に入ると…本堂に御朱印の案内が
それを授与するついでに…城の中心部はどうやって行けばよいかを尋ねようと考えて…本堂横の建物のインターホンを押す🏠

関係者と思われる方が出てきて…まず御朱印希望の旨を伝える…書置きのみ…福寿地蔵尊と矢取不動明王バージョンがあり…両方申し込む

1枚300円…2枚で600円…代金を収めて御朱印を受け取ってから…城中心部までの行き方を尋ねる。すると青い壁のある建物を右に曲がると階段があって、それを登れば行ける事を教えてもらう

そのとおりに進むと、本当に石碑や案内板…「衣笠城址」と彫られた石柱のある場所に辿り着けた。ここで御朱印を申し込んであの人に聞かなかったら…絶対にここまで来れなかっただろう…スマホの地図アプリだけでは得られない情報を生で得られたとも言える🤔

ちなみに2枚の御朱印における…不動明王は本堂の中に安置されており…地蔵尊は階段を降りた先に存在してる。城中心部の見学を終えた帰りにそこを訪れて…感謝の念を込めた参拝をおこなった🙏

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しんちゃん

六浦陣屋 (2025/12/22 訪問)

六浦陣屋のリア攻めポイントは個人宅になっています。まさに「自重」の塊のような場所にありますね。個人的には「非城びと城」の怒田城のほうがずっと楽しかったけどな~。周囲の道は狭いので歩いて陣屋跡まで行きました。
入り口に残っている石段が遺稿のようです。皆川藩初代藩主米倉昌尹の子孫で四代藩主忠仰の代に武蔵国金沢の地に移封し陣屋を構えました。宅地化が進んでいますが今でも陣屋跡中心には子孫の方が居住しているようです。

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カズサン

雨が激しく麓と国見展示館探訪 (2025/10/31 訪問)

 富来城を終えて国道213号線を北西に約10km程(直線)経路で約13km程、豊後水道沿いを進行するが雨で海の風情は今一、山手に入りペトロスカイ岐部公園が見えて来ると、国見ふるさと展示館駐車場に入る。ここが岐部城跡北麓に当たる。
 駐車場:国見ふるさと展示館駐車場
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 雨がよく降り先ず見える所は国見ふるさと展示館へ、ここは旧有永邸(幕末総代庄屋屋敷)へ情報収集、雨で岐部城跡への登城は断念、国見ふるさと展示館の一階はペトロ・スカイ岐部の展示と成って居る、入場料(200円)を払い閲覧。ペトロ・スカイ岐部は岐部城主の一族?、岐部城の城主は岐部氏で大友氏に属し大友氏が没落すると岐部氏も衰退していった。
 麓には岐部城の解説板、標柱も無く、ペトロ・スカイ岐部一色の様です。初登城でしたが麓のみで終了した。
   

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しんちゃん

怒田城(沼田城) (2025/12/21 訪問)

横須賀市吉井にある怒田城は別名沼田城と言い三浦氏の本拠・衣笠城の支城にあたります。三浦義明の祖父為継によって築かれとされ複数の郭と空堀の跡があります。石橋山の合戦の際に三浦氏は頼朝と合流できず衣笠城で畠山重忠ら平家方の軍勢を迎え撃ち(衣笠城合戦)三浦義明は討死し、三浦一族は安房上総へ逃れました。
衣笠城合戦の前に義明の孫・和田義盛は沼田城で敵を迎え撃つことを申し出ましたが義明に退けられ沼田城での合戦が行われることは有りませんでした。「城びと」の城には登録がされていませんが、この城は見ておきたいと思って訪問しました。
鎌倉時代の城ゆえか目立った防御設備は有りませんが周囲は急峻な崖に囲まれ防御力は高く見晴らしも良好です。でも逃げる場所が有りませんな・・。城址は吉井貝塚として整備されていて案内板には「貝塚を壊す堀と土橋」と表記がある。
城址の破壊が問題視されていますが(城好き限定)別の見解では城は古墳や貝塚などの遺跡を破壊しているということになりますか。
歴史は繰り返されるってやつですかね~古墳なんて戦国武将から見れば物見台ですからね。

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WEST

岸和田城探訪 (2025/12/12 訪問)

岸和田城を訪問しました。南海岸和田駅から徒歩約10分とアクセスが良いお城です。岸和田城の築城は良く分からないとのことですが、江戸時代前期以降は岡部氏が藩主として長く治めたお城となります。
見どころは、水堀越しに見る石垣と復興された三層天守です。本丸石垣の下には一部に犬走りが設けられています。天守などの建物は再建されたものですが、その姿は風格があります。天守内部は資料館となっており、岸和田藩の歴史や城下町の発展等の展示が充実していました。また、天守最上階からは遠くに大阪湾を望むことができ、海陸交通の要衝に築かれた城であることが分かります。
なお、天守前庭には重森三玲が作庭した「八陣の庭」がきずかれています。白砂と岩を用いたもので国の名勝となっています。

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しんちゃん

生き残る (2025/12/21 訪問)

佐原城は三浦氏の一族佐原氏の居城です。宝治合戦に於いて三浦氏は壊滅的な打撃を被りますが佐原流三浦氏の盛時は北条時頼方に付いて後に三浦氏を再興したとのことです。看板が立っていますが自動車に関してのことと考えました。
この日はけっこう訪れている人が多かった。「佐原十郎義連城跡」の石碑が在る所まで行って、リア攻めスポットまで行った後、そこから先は「自重」しました。

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