吉田城の投稿です。自宅から一番近い続百名城でたまに散歩に行っています。地味な印象の城址ですが実は三河侵攻を狙う武田軍は一度もこの城を敗れていないんですね。元亀2年(1571)武田信玄は徳川家康との密約を反故にして大井川を越え、12000の兵を以て遠江と三河に兵を進めました。信玄は足助城や長篠城などを落としながら吉田城へ進軍。家康は吉田城を守る酒井忠次から知らせを受けただちに浜松城から吉田城へ向かいました。二連木城で忠次が敵を引きつけている間に、家康は吉田城に入ることが出来ましたが、この時に多大な損害を出したとされています。家康と忠次が吉田城に籠って守りを固めたので、信玄も無理強いはせずに甲斐に引き返しました。
この時、忠次と武田方がどのような交渉をしたのかは知れませんが、この時期の忠次の活躍は目覚ましいものがあります。この翌年、信玄は3万(諸説あり)もの大軍を率いて青崩峠から侵攻し、三方ヶ原の戦いに至ります。
長篠・設楽ヶ原の合戦の前にも武田勝頼の軍勢が吉田城まで攻め込んで来ています。その時、家康が吉田城に引き籠っているので勝頼は長篠城攻めに引き返しています。
※二連木城の投稿の内容を一部修正しました。
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