しかたじょう

志方城

兵庫県加古川市

別名 : 観音寺城、船原城、市易城
旧国名 : 播磨

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①観音寺の山門
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昌官忠

(東海&関西)遠征12日目:志方城(城びと登録城の攻城=1500城目) (2025/05/26 訪問)

加古川駅でレンタカーを借り、車で20分くらいで観音寺駐車場(35.817728、134.821843)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に櫛橋氏によって築かれたと云われていて、黒田官兵衛の妻・光(てる)が生まれたお城です。
櫛橋氏は藤原氏の末裔で櫛橋伊朝を祖とし代々赤松氏の家臣であったそうです。
天正年間(1573年〜1592年)に別所氏と結んで羽柴秀吉に対抗しましたが敗れて落城したようです。
落城後の1587年(天正15年)宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために観音寺を建立したそうです。

黒田官兵衛の妻「光(てる)」のふるさとと案内板に書かれていました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=山下城へ向かいました。
ちなみに、城びと登録城の攻城=1500城目は志方城でした。

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しんちゃん

観音寺が本丸跡 (2023/12/30 訪問)

志方城は赤松円心の四男・氏則によって築かれたとされています。戦国期の城主は櫛橋氏とされ伊則の時に三木城の別所長治の与力として戦い落城したとされています。観音寺が本丸跡とされ西に二の丸、北の志方小学校も郭の跡とされています。観音寺の東側に水堀跡(空堀跡)と見られる場所があり、かつては皿池のあたりとも水彫りで繋がっていたようです。

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黒田官兵衛妻の実家 (2022/10/08 訪問)

 黒田官兵衛の妻の実家として知られている城で、観音寺の境内が本丸跡と伝わっています。遺構はないと思われます。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その2 (2022/05/04 訪問)

志方城は黒田官兵衛の妻:光(てる)の所縁の城。天正六年(1578)、羽柴秀吉の攻略で落城。
今は本丸跡は観音寺の境内、二の丸が志方小学校、西の丸が旧志方町役場のあたりと言われています。
本丸のあった観音寺の山門裏に城址標と説明板がありますが、説明板が樹木で隠れて見え難い....。
志方城の御城印は、加古川市立総合体育館で購入できます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 櫛橋則伊
築城年 明応元年(1492)
主な城主 櫛橋氏
遺構 消滅
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県加古川市志方町志方(観音寺)
問い合わせ先 加古川観光協会
問い合わせ先電話番号 079-424-2170