兵庫県には山下城が二つありますが、こちらは加西市の方になります。一説には赤松則祐の家臣であった浦上七郎兵衛行景の居城だとされ、観応2年(1351)光明寺合戦の際に、赤松則祐に従って赤松直義の軍と戦ったとされています。
本丸にある案内板によると、「播磨鑑」には浦上久松の居城であると記され、天文元年(1532)頃に築城され永禄9年(1566)ごろに別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578)まで機能していたと考えられているようです。
浦上久松は加西市史によると「別所家無二の与力」であったとされています。
本丸の西側下段に二の丸が配され、本丸の北西には大堀切があります。二の丸の西側には西本郭と見られる郭があり、他にも多数の郭が有ったようです。
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