続日本100名城

びっちゅうたかまつじょう

備中高松城

岡山県岡山市


旧国名 : 備中

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備中高松城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2023/05/16 訪問)

※鬼ノ城、備中松山城と共に登城

6:07品川(新幹線)、9:09,9:29岡山(JR)、9:59服部 
 ※服部駅からタクシー2時間貸切(旅行支援キャンペーンで半額利用でした)
  鬼ノ城(散策50分)、足守陣屋、蛙が鼻堤防跡(備中高松城遺構)を経て備中高松城跡までで2時間。

 鬼ノ城(百名城スタンプ 鬼ノ城ビジターセンター9:00-16:30月休)

 足守陣屋
  ※足守藩木下家(豊臣秀吉の家系)の陣屋
  ※明治まで存続し、庭園「近水園(おみずえん)」と数奇屋建築の吟風閣が現存

 備中高松城(続百名城スタンプ 城址公園史料館10:00-15:00月休)
  ※蛙が鼻堤防跡は水攻めの際に築いた堤防の一部(資料館から徒歩14分)
  ※資料館が隣に建替え中でオープン間近でした

13:25(資料館から徒歩10分)備中高松(JR)、13:42,13:49総社(JR)、14:14備中高梁
  駅観光案内所(乗合タクシー800円事前予約要)、14:30ふいご峠
 (徒歩20分)備中松山城(百名城スタンプ 券売所9:00-16:30)
  ※さんじゅうろう(猫)は二の丸で出迎えてくれました
  ※天守内で映画の撮影をしていました(岡山出身の俳優さんが演じてました)

16:10ぶいご峠(乗合タクシー)、16:20,16:56備中高梁(JR)、17:58,18:10岡山(JR)、19:39津山

 泊:津山城付近のホテルに泊
   ※ホテルの窓から津山城のライトアップが見えました

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イオ

水攻め関連遺跡めぐり (2023/10/15 訪問)

(続き)

城跡から南東約900mの高松城水攻め史跡公園は、羽柴秀吉が水攻めのために築いた約3kmにわたる堤防の起点となった地で、幅15.2m、高さ4.5mの堤防(蛙ヶ鼻築堤)が現存しています。堤防前に立てられた高松城跡高さ表示板と堤防を見比べると、本丸を水没させるに足る規模で築かれていることがよくわかります。蛙ヶ鼻での発掘調査では堤防の基底部に杭列や土俵の痕跡が確認され、その一部はモルタルで固めて見学できるようになっていました。

蛙ヶ鼻築堤から北西約2.5kmの足守駅付近が水攻め築堤の北端で、副堤を築いて足守川の水を引き入れた場所と伝わります。足守川の水の取入れ口と副堤の北端に標柱が立てられていました。蛙ヶ鼻から副堤北端まで車で走っても約15分。これほどの距離にあれほどの規模の堤防をわずか12日間で築いてしまうとは…。実際に訪れてみてスーパーゼネコン秀吉組の実力のほどを改めて実感させられました。

時間があれば秀吉本陣はじめ、「高松城水攻め」パンフレットに載っている諸将の陣跡にも行きたいところでしたが、その辺はまたの機会に。
 

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イオ

水攻めと清水宗治 (2023/10/15 訪問)

戦国期に三村氏に仕えた石川氏が足守川東岸の沼沢地に築いた城で、三村氏が毛利氏に滅ぼされると清水宗治が城主となり、羽柴秀吉の中国攻めでは水攻めの舞台となりました。本能寺の変を受けて宗治の切腹を条件に秀吉と毛利方が和睦すると、宇喜多氏の城として花房正成が入り、関ケ原の戦いの後は花房職之が交代寄合旗本として城主となりました。江戸初期に一国一城令により廃城となりましたが、廃城後も花房氏がこの地を領し、本丸跡に陣屋を構えて明治まで続いています。

南側の駐車場から登城開始。駐車場のあたりは三の丸跡で、駐車場から南に徒歩2分には南手口の外濠に舟を並べて橋とした舟橋跡に説明板が立てられています。駐車場北西の髙松城址公園には蓮池が広がり、水攻図案内盤、水攻め築堤跡高さ表示板、水攻音頭など大いに水攻め推しです。4か月前にリニューアルオープンしたばかりの備中高松城址資料館を見学し、続100名城のスタンプを押したら「高松城水攻め」パンフレットを片手に城めぐり再開。資料館の裏手に説明板があり、説明板の奥の田畑が二の丸跡のようです。資料館は城外だったんですね。二の丸跡西側に復元された蓮池に自生する蓮は宗治蓮と呼ばれ、400年前から地中に眠っていたもののようです。

宗治蓮を眺めながら橋を渡って本丸へ。本丸には清水宗治の首塚があり、辞世の句碑も立てられています。また、本丸から北西に徒歩2分の住宅地(家中屋敷跡)には胴塚が、南側の駐車場から東に徒歩1分の妙玄寺(花房氏の菩提寺)は清水宗治自刃の地として供養塔があり、妙玄寺すぐ南のごうやぶ遺跡は宗治の家臣らが殉死した地と伝わります。

続100名城ながら明瞭な遺構はほとんど見られませんが、水攻めと清水宗治関連の史跡だけでもなかなか見どころがありました。せっかくなので、周辺の水攻め関連遺跡にも行ってみるとしましょう(続く)。
 

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ぴちょまる

備中高松城 (2023/11/16 訪問)

秀吉による水攻めで有名な城跡。
元は湿地帯だったようで、発掘して整備を進めてできた沼に、蓮が咲いたとのこと。

遺構というより、清水宗治公に関連する首塚、胴塚、自刃の地、家来衆が心中した場所などに碑が建てられている。
続100名城のスタンプは、二の丸にある資料館に設置されているが、秋冬は15:00に閉館してしまうので要注意。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 16世紀前期?
築城者 石川氏
主要城主 石川氏、清水氏、花房氏
文化財史跡区分 国史跡(高松城跡附水攻築提跡)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、堀
住所 岡山県岡山市北区高松
問い合わせ先 岡山市北区役所土木農林分室
問い合わせ先電話番号 086-286-9070