次は、豊臣秀吉の陣跡へ行ってきました。高松城から歩いて30分、太閤岩入口と書かれた細い道から入り(写真①)、さらに15分ほど登ると旗が立てられ開けた場所がありました(写真③)。どうやら秀吉は、ここから切腹する清水宗治の姿を見ていたようです(写真④⑤)。またさらに10分程登ると、太閤岩がありました。秀吉はこの岩に腰掛け、水没していく高松城を眺めていたようですね(写真⑥)。
そこから今度は、豊臣秀長の陣跡まで行ってきました。太閤岩入口からさらに南東へ30分程歩き、高速道路のトンネルの西側にあった登山口(写真⑦⑧)から急坂を登る事30分、鼓山(つづみやま)の山頂に秀長陣跡はありました。途中の鉄塔の下あたりから、道がなくなったので、草むらを掻き分けながら進み、ここでいいのかと不安になりましたが、説明板を発見したときは、無事たどり着いたとホットしました(写真⑨)。
でも意外でした。秀長の陣から高松城は全く見えません。ならばなぜここを陣にしたのか? そう言えば水攻めを考案し、また本能寺の変を知り明智光秀を討つ事を進言した黒田官兵衛の話は有名ですが、ここ高松での秀長の話題は聞いた事がありません。ならば秀長は、一体この時ここで何をしていたのでしょうか?
結局分からぬまま帰り、先週そこがドラマで取り上げられ、ドラマでは秀長は戦場を抜け出して安土の信長の元へ行き、出陣を促す役割をしていたようです。どうやら自分が築いたこの鼓山の陣に、信長を迎え入れようと準備していたようですね。しかし本能寺の変が起こり、それどころでは無くなったようです(そうだったのか~😯)。
備中高松駅から出発して、(備中高松駅→備中高松城→宗治自刃の地→秀吉陣跡→太閤岩→水攻め史跡公園→秀長陣跡→吉備津駅)(図⑩)と、結局4時間もかけて歩き回ってしまいました。吉備津駅から1km先にある桃太郎伝説で有名な吉備津彦神社まで行きたかったのですが、鼓山の急傾斜で予想外に体力を消耗してしまい、力尽きて行けなかったのが残念です(笑)。
次は天王山に登り、秀長の山崎の戦いをたどります。
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