かんきじょう

神吉城

兵庫県加古川市

別名 : 真名井城、奈幸子城
旧国名 : 播磨

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常楽寺
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しんしんちゃん

裏切りにてあえなく落城 (2023/12/30 訪問)

神吉城は赤松氏の一族の神吉氏によって築かれたとされています。初代城主は赤松円心の子孫の赤松範次の子・元頼で神吉氏を称したとされています。河岸段丘である神吉集落全域に築かれており、中の丸(本丸)跡である常楽寺を中心に東に東の丸、北に二の丸、西に西の丸が築かれ、周囲に大きな空堀を有していたようです。また本丸の周囲にも空堀が配されていたようです。
天正6年(1578)三木合戦が始まると、城主神吉頼定は別所氏に味方し、三木の大村坂では羽柴軍に勝利するものの、6月23日の神吉合戦では2000の守兵で3万の攻め手と戦ったそうです。この合戦の際、頼定の叔父・神吉貞光が佐久間信盛の調略を受け頼定を暗殺し、城は落城したとされています。

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神吉頼定 (2022/10/08 訪問)

 三木合戦の激戦地として伝わる城です。常楽寺付近が本丸跡と伝わっています。遺構はありません。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その3 (2022/04/10 訪問)

神吉城は、天正六年(1578)の羽柴秀吉の播磨攻めで約3万の大軍の包囲をわずか千名ほどの城兵で抵抗し何度も攻撃を撃退したが、度重なる攻撃に城兵は討死、落城となったと伝えられている。
東西57間(約104m)、南北43間(約78m)の規模であったとのこと、勇敢な播磨武士の心意気が伺えます。
現在の常楽寺が中の丸。御城印も常楽寺で購入できます(御城印をいただきに5月4日に再登城)。

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ぴーかる

神吉城 (2022/01/15 訪問)

【神吉城】
<駐車場他>常楽寺専用駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>神吉城は赤松円心の子孫赤松範次が南北朝時代に印南郡神吉の庄を領して神吉氏と名乗り築城された。時代が下って羽柴秀吉の播磨攻めの時に加古川評定にて赤松氏一族である別所氏が織田方から離反した際に当時の当主神吉頼定は別所氏方に付き共に離反する。現地説明板には秀吉軍3万に対して約1千人で籠城して戦ったが頼定以下討死落城したとあります。また黒田官兵衛の養女が神吉頼定の奥方だったようです。頼定の墓が常楽寺の墓地の中にあります。神吉の庄全体が城域であったようで城は北に緩やかに登る傾斜地にある平城で4つの曲輪から構成されていたようです。現在は中の丸が常楽寺、西の丸が真宗寺となっています。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 不明
築城主 赤松範次
築城年 南北朝時代
主な改修者 神吉氏
主な城主 神吉(赤松)氏
廃城年 天正6年(1578)
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 兵庫県加古川市東神吉町神吉
問い合わせ先 加古川観光協会
問い合わせ先電話番号 079-424-2170