神吉城は赤松氏の一族の神吉氏によって築かれたとされています。初代城主は赤松円心の子孫の赤松範次の子・元頼で神吉氏を称したとされています。河岸段丘である神吉集落全域に築かれており、中の丸(本丸)跡である常楽寺を中心に東に東の丸、北に二の丸、西に西の丸が築かれ、周囲に大きな空堀を有していたようです。また本丸の周囲にも空堀が配されていたようです。
天正6年(1578)三木合戦が始まると、城主神吉頼定は別所氏に味方し、三木の大村坂では羽柴軍に勝利するものの、6月23日の神吉合戦では2000の守兵で3万の攻め手と戦ったそうです。この合戦の際、頼定の叔父・神吉貞光が佐久間信盛の調略を受け頼定を暗殺し、城は落城したとされています。
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