続日本100名城

ふくいじょう

福井城

福井県福井市

別名 : 北庄城、福居城

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福井城
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県庁 (2018/11/09 訪問)

 石垣と堀が見ごたえがありますね。できれば周囲の曲輪も残っていればと思います。

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イオ

天下普請の巨城 (2018/11/03 訪問)

本丸には県庁や警察本部が建ち並んでいますが、本丸を取り巻く水堀の幅は広く石垣は高く、さすがに天下普請の城でした。
天守台跡だけでなく、近年、御廊下橋や山里口御門が復元されるなど、福井県の力の入り方が感じられ、江戸期と現況の本丸を重ね合わせて見ることができる今昔マップも実にわかりやすくてありがたいです。
また、少し離れたところには柴田勝家の頃の北庄城跡があり、発掘調査の成果が見られるようになっています。

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続日本100名城の福井城と北ノ庄城 (2018/09/23 訪問)

鳥越城の後、福井県に入り福井城と北ノ庄城を訪問致しました!
越前国68万石を与えられた結城秀康は、慶長6年から6年をかけて福井城(当時は北ノ庄城)を築きました!
足羽川を南側の 防御線とし、その北側に本丸を中心に二の丸や三の丸などの曲輪を配置し、曲輪の間に堀を設けた環郭式の大規模なお城でした!
本丸には1000坪を超す大規模な本丸御殿があり、高さ約30mに及ぶ四重五階の天守が北西隅にそびえていました!
北東・南東・南西各隅それぞれの櫓(艮・巽・坤の各櫓)が建ち、周囲石垣上には多門櫓や塀が巡っていました!
現在は、旧本丸と、それを取り巻く内堀だけであるが、この高石垣を巡る広大な内堀こそが、福井城の特長であります!
天守台跡や「福井」の由来となった井戸跡などが有ります!
大天守台は残っておりますが、小天守台は石垣の被害が大きく震災の爪痕を残しています!
本丸西側に開かれた虎口には山里口御門が設けられ、門の外側には御廊下橋が架けられた!
この御廊下橋は、西三の丸に屋敷を構えていた藩主が、政庁である本丸に渡る際に使用したといわれ、屋根付きの珍しい形状のものだった!
2008年にこの御廊下橋が復元され、今年の春には山里口御門が復元されました!
本丸北側に開かれた虎口には北不明御門が設けられ、門の外側には土橋が設けられていました!
また、北ノ庄城は、九重天守をもった巨大な城郭で、柴田勝家の居城だったが、天正11年に焼失、遺構もほぼ失われました!
前方に二の丸と三の丸を配し、後方に河川をおいた梯郭式の平城と推定されますが、詳しい縄張は不明であります!
柴田勝家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄城に逃げ込むと、その前年に再婚したばかりのお市の方と共に北ノ庄城で自害を致しました!
6度にわたる発掘調査ひ結果、現在の柴田神社の地下から北ノ庄城の石垣の跡と思われる石が出土しました!
本丸なの正確な位置は特定するには至っていないが、現在のところ柴田神社境内が北ノ庄城本丸天守跡と推定されており、そこには現在、柴田勝家の像やお市の方の像や三姉妹の像も建てられてます!

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青春の巨匠

勝者が重ねる城 (2018/08/24 訪問)

一乗谷の朝倉氏滅亡頃、柴田勝家が築城した北ノ庄城の上に柴田勝家滅亡後結城秀康が福井城築城し、廃藩置県で松平春嶽版籍奉還後、明治政府によって県庁がその上に建てられたってこと?次は自民党王国の福井県に革新系知事が当選した時にまた県庁の上に展望台でもたつのでしょうか!

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城郭情報

城地種類 平城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 結城秀康
主要城主 結城氏、松平氏
近年の主な復元・整備 御廊下橋、福の井(井戸)、山里口御門(平成30年〔2018〕4月完成予定)
主な遺構 本丸、水堀、石垣、天守台
住所 福井県福井市大手3
問い合わせ先 福井市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 0776-20-5367