じゅらくだい

聚楽第

京都府京都市

別名 : 聚楽城、聚楽亭、内野御構
旧国名 : 山城

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聚楽第址碑
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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)

亀岡駅(亀山城)から電車とバスを乗り継いで千本中立売(京都市営バス)バス停で下車、そこから京都市立正規小学校を目印に進むと門前に「平安宮大蔵省跡碑」や「本丸西濠跡碑」などがあります。
「聚楽第址碑」は中立売通りを東方向に4~5分歩いた「ハローワーク西陣」の中立売通りを挟んだ前にあります。
付近には黒田官兵衛や上杉景勝などの屋敷跡を示す石碑もあるようですが、自分は捜さずに撤退しました(唐津小笠原藩邸跡碑だけは京都市立正規小学校門前にありましたので写真を撮りました)。攻城時間は20分くらいでした。

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小城小次郎

聚楽第型城郭というものがあるらしい (2020/09/21 訪問)

豊臣家が京都に築いた政庁兼迎賓館としてあまりにも有名だがそのほとんどが市中に埋もれている。だがこの城の縄張形式がやがて全国の大小の城のモデルとなって拡散していった。縄張も天下統一の象徴になり得るということか。

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エグ1394

聚楽第(京都市考古資料館) (2020/09/20 訪問)

京都市考古資料館を訪問しました。入館料は無料です。
「聚楽第」の御城印を購入しました。
付近を散策し、「聚楽第」の石碑を確認しました。
聚楽城は関白になった豊臣秀吉によって、平安京大内裏(平安宮)跡に建てられた政庁兼邸宅です。一般には「聚楽第」と呼ばれることが多いです。秀吉は関白職を甥の秀次に譲った際に聚楽第も譲り渡していますが、実子である秀頼が生まれると、いわゆる「秀次事件」によって秀次を高野山に追放し切腹させ、聚楽第を破却しました。完成からわずか8年後のことです。聚楽第の建造物の多くは伏見城(指月伏見城)へ移築されたとされています。また、西本願寺の飛雲閣など聚楽第から移築されたと伝わる建造物も少なくありませんが、いずれも詳細は不明です。いまのところ聚楽第の遺構と認められている建造物は唯一、大徳寺の唐門だけです。現在は石碑が残るくらいですが、跡地を歩くとその規模の大きさを実感することができます。跡地には黒田官兵衛(孝高)や上杉景勝、千利休などの屋敷跡を示す石碑が建てられています。

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ぴーかる

聚楽第 (2020/06/21 訪問)

【聚楽第】
<駐車場他>中立売通りの石碑の西方向にコインPあり。
<交通手段>徒歩

<感想>JR二条駅前ビルで昼食後、徒歩で行った。小学校側の石碑には行かなかった。中立売通りは車の往来が激しく、石碑を撮るのも一苦労した。豊臣時代、秀次を追放・切腹後に聚楽第を徹底的に破却したあと、こないだ様々な遺構が発見された京都新城を造築することとなる。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 豊臣秀吉
築城年 天正14年(1586)
主な城主 豊臣氏
廃城年 文禄4年(1595)
遺構 石垣
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府京都市上京区下石橋南半町他
問い合わせ先 京都市産業観光局観光部観光企画課
問い合わせ先電話番号 075-222-4130