こだにじょう

小谷城

兵庫県加西市


旧国名 : 播磨

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小谷城跡縄張り図
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おっちゃん

小谷城跡縄張り図 (2017/02/12 訪問)

現地案内板より抜粋。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その5 (2022/05/14 訪問)

播磨を支配した赤松氏の居城のひとつ。
戦国期前期に赤松祐尚が改修。現在の遺構には織田軍団の築城技術の痕跡がみられることから、三木城合戦以降に羽柴秀吉の家臣が入ったと言われている。現在、本丸、西小丸、堀切、竪堀、横堀、幾つもの帯曲輪、虎口など多くの遺構が残り、見応えがあります。
小谷城の御城印は、五百羅漢で購入できます。

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小城小次郎

よく整備されていてとっても気持ちの良いお城 (2022/01/08 訪問)

近江の「おだに」城ではなくこちらは播磨の「こだに」城。天文年間に小谷城にいた赤松祐尚は善政を敷き領民にも慕われたとか。横堀を配する城郭構造は赤松氏の後に入った宇野氏の影響かも。よく整備されていて気持ちの良いお城。

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ぴーかる

小谷城 (2021/12/25 訪問)

【小谷城】
<駐車場他>公民館駐車場に駐車
<交通手段>車

<見所>竪堀・横堀・堀切
<感想>赤松氏の城びと登録の山城も本城の城山城・置塩城を残し、だいぶ攻め取ってきたので今シーズンは本格的な攻城を開始しようとこの日は赤松氏に関連する3城を攻めました。
 小谷城は応永年間(1394~1428年)に赤松満祐の義弟にあたる上原祐政が築城したとされます。嘉吉の乱ののち赤松氏は一旦衰退するのでその間は不明、応仁の乱ののち赤松祐尚が城主となり小谷城と麓の祐尚山陽松寺を再建します。秀吉の播磨攻めによって小谷城ものみ込まれたと思われます。
 陽松禅寺手前の公民館の駐車場に駐車するのがベスト、登山道は陽松禅寺脇から入ります。お寺の裏に1541年に尼子氏が攻めて来た時に戦死した兵の墓碑・五輪塔と赤松祐尚の追善墓があります。ゲートを開けて入山します。山の中腹に数段の連郭があります。主要部は東西に伸びた小曲輪の連郭の縄張りで主郭は東端にあります。南側全体に横堀を設けて見応えあります。北側には畝状竪堀を配してしたようですが現状は全く分かりませんでした。主郭の東側の堀切・南北にある竪堀は明瞭に残っています。城跡は地元小学校の協力や保存会の方々で非常に綺麗に整備されています。主郭の東屋に登城スタンプ等があります。

<満足度>◆◆◇
<小谷石仏>公民館の東に5分程度の所に小谷石仏という鎌倉時代に彫られたという石仏があります。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上原祐政
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 赤松氏、宇野氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
再建造物
住所 兵庫県加西市北条町小谷城山他
問い合わせ先 加西市教育委員会文化スポーツ課
問い合わせ先電話番号 0790-42-8775