1588年(天正16)、豊臣秀吉から豊前六郡18万石の所領を与えられた黒田官兵衛(孝高)が築城しました。
1600年(慶長8)、黒田官兵衛・長政は関ヶ原の戦いの功で筑前福岡52万石へ国替えとなり、その後は細川氏、小笠原氏、奥平氏が代々居城としました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されていた2014年に行きましたが、続100名城に選定され再訪しました。
河口付近に築かれ、堀には河口の水が引きこまれた水城で、日本三大水城にも数えられます。
西側に中津川が流れ、対岸から見ると水城らしい眺望です。
本丸の石垣がよく残っていて、1番の見所と思います。
北側では黒田時代から細川時代への石垣の変貌を見ることができ、西側の川沿いの石垣も黒田時代で黒田氏が持ち込んだ古代山城の神籠石の転用が見られます。
南側の石垣は、発掘調査により黒田時代の石垣は今よりも低く幅は狭いもので、細川時代に高く幅広く造り替えられたことが分かったそうで、綺麗に修復・整備されています。
模擬天守は1964年(昭和39)に萩城天守の古写真をもとに建てられたものですが、黒の下見板張がカッコよく立派で、個人的に好きな模擬天守です。
前回は巡っていなかった城下を囲む総構えの「おかこい山」と呼ばれる土塁にも行きました。
中堀沿い1ヶ所、外堀沿い2ヶ所を巡りましたが、南西の外堀内側の自性寺に土塁がよく残されており、高く長大で見応えがありました。
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