山上部分の曲輪の中には柱状の石材が規則正しく並べられているのに気付く。正確な用途は誰かにご教示頂きたいが控え塀の柱の下部と見ておけばよいのだろうか。これだけ綺麗に残る例もあまり見ないような気がする。
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2024/02/27 22:38
2024/02/13 17:55
2024/01/28 23:51
城への交通手段実践レポート (2023/05/19 訪問)
※大内氏館、小倉城と共に登城
※益田駅前に前泊
7:37益田(JR)、8:17津和野
※弥栄神社、太皷谷稲成神社経由でリフト乗り場まで散策
※百名城スタンプ 津和野城観光リフト乗場(9:00-16:00:1-2月平日運休)
津和野城跡散策 + 城下町散策
12:05津和野(JR)、13:10上山口
(徒歩10分)大内氏館(続百名城スタンプ (徒歩5分)大路ロビー10:00-17:00火休)
※スタンプは、歴史民俗資料館(9:00-17:00月休)でも可
※高嶺城には登城せず
15:05上山口(JR)、15:31,15:58新山口(新幹線)、16:33小倉
(徒歩13分)小倉城(続百名城スタンプ 天守受付9:00-20:00無休)
泊:小倉駅前ホテル泊
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2024/01/18 19:50
櫓は消失したが今も石垣が津和野の街を見守る。 (2019/05/04 訪問)
津和野城の歴史は古く鎌倉時代の吉見氏の築城に始まり長く吉見氏の時代が続きました。歴史が長い割には長閑であったのですが、陶晴賢が大内義隆を滅ぼした際には義隆の姉が吉見正頼の妻であった関係から、正頼は兵を挙げて長門に攻め込んだそうです。晴賢は大内義長を奉じて津和野城を攻めますが、津和野城は下瀬山城とも連携してこれをよく防いだとのことです。毛利氏が挙兵した際に晴賢と正頼は和睦を結びますが、晴賢が厳島の合戦で滅んだ後、毛利氏と合流して大内義長を自害に追い込んだそうです。
吉見氏は関ヶ原の合戦で城を追われてしまいますが、長く津和野の町を見守ってきた津和野城は健在で明治7年、地元の人に惜しまれながら櫓は入札され解体されたそうです。今だったらクラウドファンディングとやらで何とかなりそうな気がしますが。
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鎌倉時代末期築の中世城郭を、関ヶ原合戦の軍功で入城した坂崎成正が総石垣の近世城郭に大改修。細い尾根に築かれた石垣はさほど高くないが、階段状に連なる様は壮観。その中でも人質櫓台の石垣は高さが約10m以上もあり、算木積による曲線が美しい。
城地種類 | 連郭式山城 |
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築城年代 | 永仁3年(1295) |
築城者 | 吉見頼行 |
主要城主 | 吉見氏、坂崎氏、亀井氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(津和野城跡) |
近年の主な復元・整備 | 坂崎直盛 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀) |
住所 | 島根県鹿足郡津和野町後田 |
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問い合わせ先 | 津和野町観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 0856-72-1771 |