日本100名城

つわのじょう

津和野城

島根県鹿足郡

別名 : 三本松城、石蕗城、一本松城
旧国名 : 石見

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津和野城
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ろっし

お城探訪 (2024/02/12 訪問)

あまり知られていないのか⁉️城の下にある太鼓谷稲荷神社は人が多いが、ここは休日に来ても人がいない。

登れば他の山城にも負けない素晴らしい石垣が待っています。

ロープウェイもあるから登りやすさではおすすめです。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2023/05/19 訪問)

※大内氏館、小倉城と共に登城
※益田駅前に前泊

7:37益田(JR)、8:17津和野
 ※弥栄神社、太皷谷稲成神社経由でリフト乗り場まで散策
 ※百名城スタンプ 津和野城観光リフト乗場(9:00-16:00:1-2月平日運休)
 津和野城跡散策 + 城下町散策

12:05津和野(JR)、13:10上山口
 (徒歩10分)大内氏館(続百名城スタンプ (徒歩5分)大路ロビー10:00-17:00火休)
  ※スタンプは、歴史民俗資料館(9:00-17:00月休)でも可
  ※高嶺城には登城せず

15:05上山口(JR)、15:31,15:58新山口(新幹線)、16:33小倉
 (徒歩13分)小倉城(続百名城スタンプ 天守受付9:00-20:00無休)

 泊:小倉駅前ホテル泊

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しんちゃん

櫓は消失したが今も石垣が津和野の街を見守る。 (2019/05/04 訪問)

津和野城の歴史は古く鎌倉時代の吉見氏の築城に始まり長く吉見氏の時代が続きました。歴史が長い割には長閑であったのですが、陶晴賢が大内義隆を滅ぼした際には義隆の姉が吉見正頼の妻であった関係から、正頼は兵を挙げて長門に攻め込んだそうです。晴賢は大内義長を奉じて津和野城を攻めますが、津和野城は下瀬山城とも連携してこれをよく防いだとのことです。毛利氏が挙兵した際に晴賢と正頼は和睦を結びますが、晴賢が厳島の合戦で滅んだ後、毛利氏と合流して大内義長を自害に追い込んだそうです。
吉見氏は関ヶ原の合戦で城を追われてしまいますが、長く津和野の町を見守ってきた津和野城は健在で明治7年、地元の人に惜しまれながら櫓は入札され解体されたそうです。今だったらクラウドファンディングとやらで何とかなりそうな気がしますが。

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しんちゃん

千姫事件のいわくつき。素晴らしき天空の城。 (2019/05/04 訪問)

津和野城は標高367mの山上に築かれ南方に周囲を囲うように流れる津和野川が天然の堀の役目を果たしています。弘安4年(1281)の二度目の元軍の来襲ののち、弘安5年に鎌倉幕府は吉見頼行に対し西石見の海岸防備を命じます。頼行は任務を遂行の途中に当地を本城を築くのに最適と定め永仁3年(1295)築城にとりかかったとのことです。吉見氏14代広行の時代に慶長5年・関ヶ原の合戦に毛利輝元に従い西軍として参戦し、西軍の敗走後に吉見氏は当地を追われたとのことです。関ヶ原の合戦の功績で坂崎出羽守成正が3万石で入りますが、例の千姫事件で滅んでしまいます。
翌元和3年(1617)亀井政矩が4万3千石で入り明治まで続いたそうです。
津和野城には10年前に訪れましたがリフトは休みで登城道は通行禁止になっていたのでやむをえず断念しました。4年前に再度来訪し、ようやく本願を果たすことができました。リフトを使えば城域まですぐに到達でき主要部の石垣を十分堪能することができます。

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概要

鎌倉時代末期築の中世城郭を、関ヶ原合戦の軍功で入城した坂崎成正が総石垣の近世城郭に大改修。細い尾根に築かれた石垣はさほど高くないが、階段状に連なる様は壮観。その中でも人質櫓台の石垣は高さが約10m以上もあり、算木積による曲線が美しい。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 永仁3年(1295)
築城者 吉見頼行
主要城主 吉見氏、坂崎氏、亀井氏
文化財史跡区分 国史跡(津和野城跡)
近年の主な復元・整備 坂崎直盛
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)
住所 島根県鹿足郡津和野町後田
問い合わせ先 津和野町観光協会
問い合わせ先電話番号 0856-72-1771