日本100名城

つわのじょう

津和野城

島根県鹿足郡

別名 : 三本松城、石蕗城、一本松城
旧国名 : 石見

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津和野城
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ダイエティシャン

【赤色立体かるた】 (2021/11/13 訪問)

霊亀山 石垣そば立つ 津和野城
(れいきさん いしがきそばだつ つわのじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「SLの 煙たなびく 津和野城」
(SLの けむりたなびく つわのじょう)

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

津和野城 赤い瓦の 城下町
(つわのじょう あかいかわらの じょうかまち)

津和野城差し替えます。
津和野は山口県にあると間違えられがちですが島根県の石見地方にある城です。
石見地方は赤い色の石州瓦の産地で城址から見下ろす城下町でも石州瓦が使用されています。
松江のEXPOでブースの方ともお話し、魅せる整備も進んでいるとのこと。
近い内に行きたいです😊

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2019/05/04 訪問)

「執着が 悲劇を呼んだ 津和野城(しゅうちゃくが ひげきをよんだ つわのじょう)」

津和野城は坂崎直盛(宇喜多詮家)によって総石垣の近世城郭に生まれ変わりました。直盛は大阪夏の陣で千姫を救出しますが、幕府といさかいを起こし千姫を強奪する計画を立てるも、自害(もしくは家臣によって殺害)したとされています。
千姫救出の功績で1万石を加増されたと伝わりますが、これが5万石だったら、このような事件は起きていなかったかも。
千姫の命って1万石くらいなの?

「始まりは 蒙古襲来 津和野城」
弘安5年(1282)吉見頼行が沿岸防備のためにこの地に赴任し、周辺に城を築いたとされています。とはいえ津和野城はけっこう内陸にあるのですが。

「山陰の 天空の城 津和野城」
天空感けっこうあります。竹田城に似てるかな。

「千姫に 拒否られ改易 津和野城」
ミもフタも無い・・ オッサン相手なら何を言っても構わないという風潮はありますが、オッサンは傷つきやすいんですぞ。



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概要

鎌倉時代末期築の中世城郭を、関ヶ原合戦の軍功で入城した坂崎成正が総石垣の近世城郭に大改修。細い尾根に築かれた石垣はさほど高くないが、階段状に連なる様は壮観。その中でも人質櫓台の石垣は高さが約10m以上もあり、算木積による曲線が美しい。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 永仁3年(1295)
築城者 吉見頼行
主要城主 吉見氏、坂崎氏、亀井氏
文化財史跡区分 国史跡(津和野城跡)
近年の主な復元・整備 坂崎直盛
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)
住所 島根県鹿足郡津和野町後田
問い合わせ先 津和野町観光協会
問い合わせ先電話番号 0856-72-1771