鳥羽城を築いた九鬼嘉隆は、関ケ原の戦いで西軍につくも敗れて答志島に逃れます。家督を継いで東軍についていた九鬼守隆は徳川家康に父の助命嘆願をし許されますが、嘉隆は助命の使者が着く前に九鬼家の将来を案じた豊田五郎右衛門(嘉隆の娘婿)に促されて自刃…。答志島には嘉隆の首塚や胴塚が祀られています。
この週末(といっても半年以上前)は家族旅行で伊勢志摩に行きましたが、城には行かないまでも鳥羽周辺で泊まるのならせめて答志島で、と朝食前に九鬼嘉隆最期の地を中心に答志島の和具地区を散策しました。嘉隆は洞泉庵の境内(現在の答志和具コミュニティセンター)で自刃し、介錯した刀を洗ったとされる池が血洗い池として伝わっています。洞泉庵の先には嘉隆の胴塚が建てられ、さらに先の築上山頂には首塚があるようです。時季的に登山口は藪が茂っていてどうなることかと思いましたが、散策路はおおむねよく整備されていて10分程度で山頂に到着。嘉隆の首は首実検の後、この地に葬られたとされています。山頂からは嘉隆が水軍を率いた鳥羽湾から太平洋までが一望でき、海賊大名と呼ばれた嘉隆が葬られるには相応しい地かもしれないな、としばし手を合わせました。
答志島の細い路地裏は日本遺産の構成資産になっていて、築上山を降りてホテルに戻る間にも八幡祭の炭で書かれた魔除けの「まる八」をいくつも見かけました。魚介も美味しかったですし温泉も気持ちよく、歴史と伝統が今に息づく魅力ある島でした。
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