とばじょう

鳥羽城

三重県鳥羽市

別名 : 鳥羽の浮城、錦城、二色城
旧国名 : 志摩

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本丸西側石垣
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ひろべえ

念願の海賊城 (2019/07/30 訪問)

はるばる志摩鳥羽へ。徳島から340km、4時間半。遠かった。市民文化会館駐車場に止めて見上げれば家老屋敷跡石垣。ゴツゴツした荒々しさに海賊大名の気風を感じます。その後、大山祇神社、城山公園を経て本丸へ。見所の本丸石垣を堪能。本丸からは築城主九鬼嘉隆が眠る答志島を望む。その後三ノ丸から相橋へ移動。面白い縄張りだけにもっと遺構が残っていたら最高だったんですが、旧小学校・旧幼稚園がまだそのまま放棄。もっと発掘調査や整備を進めて欲しいと思いました。埋め立てられて鳥羽水族館や近鉄線に改変されず、二ノ丸や大手水門などが残っていたらそれは壮観だったでしょう。城巡り中、イルカの啼き声がよく聞こえるのも鳥羽ならではでした。

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コウキ

鳥羽城登城‼️ (2019/04/05 訪問)

鳥羽城に行ってきました‼️
三ノ丸広場の石垣がすごく迫力がありました‼️

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千枚岩 (2019/02/17 訪問)

石垣の中にしわが積み重なった千枚岩が散見される。泥岩が地下深部の高温高圧で変性したものである。田丸城と同様。このあたりは中央構造線が走っており、これに沿った三波川帯からの産出と思われる。また、石垣にはカンラン岩も用いられており、これは火成岩だがやはり地下深部で生成され、地表に現れたもの。

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ヒロケン

海城 (2019/02/05 訪問)

鳥羽城は、大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、四方を海に囲まれた「海城」でした。内陸部から藤口門、横町口門、相橋口門の三つの橋で連絡し、天守をはじめ13の櫓が廃城時にはありました。本丸の北西寄りに3層の天守があり、南側には本丸御殿がありました。

城主は築城主の九鬼氏が御家騒動により、国替えとなった後、譜代である内藤忠重が城主となりますが、その後内藤氏が江戸で殺傷事件により領地没収となると、幕府直轄地を経て、土井氏ー大給松平氏ー板倉氏ー戸田氏と城主の交代が相次ぎますが、稲垣氏の入封により、ようやく安定し幕末まで続くことになります。

伊勢神宮に詣でた後、朝熊山展望台で伊勢志摩・伊勢湾の大パノラマを堪能し、鳥羽城に初訪問してきました。鳥羽城は鳥羽水族館と道路を挟んだ直ぐお隣にあります。水族館には何度か来たことがありますが、その頃は、三の丸広場も無く公園ぽかったので興味が湧きませんでした。
家老屋敷横の駐車場に車を止め、階段を登り二の丸( '-'* )?へ、トイレがあるだけの広場、最近造られた石垣階段う〜ん。
大した事ないな(´・ω・`)ガッカリ・・・と諦めて三の丸広場へ。当時のものではないと知っていても、階段状の石垣が目に入り、気分は上昇。
まあまあと思いつつ、本丸へ本丸西側の石垣を見て、気分はマックス。野面積みの石垣が当時の面影を想像でき、じっくりと堪能。
本丸に上がり、所々にある掲示板を読みながら本丸を20分近く歩き回り帰路に着きました。

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城郭情報

分類・構造 平山城、海城
天守構造 型式不明[3重/1633年築/倒壊(地震)]
築城主 九鬼嘉隆
築城年 文禄3年(1594)
主な改修者 内藤忠重
主な城主 九鬼氏、内藤氏、土井氏、稲垣氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 県史跡(鳥羽城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県鳥羽市鳥羽3
問い合わせ先 鳥羽市観光課
問い合わせ先電話番号 0599-25-1157