水城に隣接する丘の中に続百名城のスタンプ設置場所があります。なんちゅう所に作るんじゃ・・
でかい土塁と言ってしまうと身も蓋もないですが、古代山城と併設して巨大な防塁が築かれているのは当時としては画期的だったのではないでしょうか。日本が外国の脅威にさらされた時期は何度かあって、白村江で唐・新羅と戦った頃、元寇、秀吉の朝鮮出兵、幕末、日清戦争のころなどが城郭の機能が防御用として、期待されていた頃だと思います。
九州北部には元寇防塁などの外国の襲撃に備えた遺構がいくつもあり、水城が続百名城に選ばれた意味合いは大きいと思います。
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