続日本100名城

すがややかた

菅谷館

埼玉県比企郡

別名 : 菅谷城、重忠館
旧国名 : 武蔵

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菅谷館
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ぴーかる

菅谷館 (2025/02/08 訪問)

【続百名城73城目】
<駐車場他>埼玉県立嵐山史跡の博物館駐車場
<交通手段>車

<まえがき>豪雪行軍:2/7の晩からの大雪で名神・新名神は21:00より通行止め。高速道路は上り線が完全に塞がれてしまったので、さてどうしたものかと思案し、伊勢湾岸線の、みえ川越からは通行が可能でしたので、一般道国道163号線の伊賀越えで行けると思い、2/7
23:00より出立しました。ところが、京都府の木津町のところで一般道も通行止め。スマホで検索すると一般道も東方面に行く道路は全て通行止めで、さすがに諦めようかと思いましたが、滋賀県米原市から国道365号線を南下していくルートだけは通行止めになっておらず、三重県に抜けられる。信楽町⇒水口町⇒滋賀県を北上し米原市から南下。翌朝7:00頃にやっと、みえ川越ICに入れました。菅原館に到着したのが2/8の11:30頃、約12時間半かかり無事到着できました。無茶しすぎました(反省)。

<見所>堀・土塁・曲輪
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、1城目。最初に博物館にてスタンプ押印と御城印購入、博物館の見学⇒三ノ郭⇒西ノ郭・大手門跡⇒三ノ郭馬出⇒二ノ郭⇒南郭⇒本郭の順で巡りました。特に高い土塁と深い堀、広大な郭に感動しました。推定平安時代末頃の古い築城でこれほどの遺構があることにも驚いた。川の合流地点の台地上に築いているのも単なる館というより防御性のある城だと感じました。運転疲れも気にならないほどいい城跡で、楽しく散策しました。

<満足度>★★★

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火ノ島豊後守正宗

菅谷館跡 (2024/07/11 訪問)

続75城目。
武蔵嵐山駅に隣接している観光案内所で自転車を借りて10分程度で到着できます。
ちょっとした城址公園で天候は悪かったですがそこそこの人出で賑わっておりました。
近くにある歴史資料館にスタンプが置いてあります。

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しんちゃん

平城でありながら、防御は堅い。 (2024/05/06 訪問)

菅谷館は源頼朝に仕えた御家人・畠山重忠の館跡とされています。長享2年(1488)菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家の合戦が行われ、山内上杉顕定方の太田資康(太田道灌嫡子)によって改修がされ、戦国時代の城郭として再興されました。
平城でありながら、堀や土塁で防御を固め、横矢がかりなどの仕掛けも充実した、高度な縄張りに仕上がっています。

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天守無しがアツい

未だ分からぬ畠山重忠邸の場所 (2024/09/29 訪問)

畠山重忠一族の館…通称 菅谷館は埼玉県立嵐山史跡の博物館あたり…菅谷館跡と現在呼ばれてる一帯にあったとされてますが、正確な位置はどこなのか? については現在も分かってないそうです🏠

博物館の側に(1枚目の)畠山重忠と菅谷館跡の関係性を紹介する案内板がありました。この城郭が古くから菅谷館ではないかと言われており、その西には鎌倉へ通じる街道跡が残されており、この城郭のどこかに重忠の館があったと考えられる…と

現在ここに残る城跡は…戦国時代に(河越城に対する)山内上杉氏の拠点として再興されたもので、鎌倉時代の頃の面影がないため、館の正確な位置が分からない…博物館の側に何かしらの建物があったと思われる柱跡は残っていたが、それが畠山一族が使用していたものを示す証拠が無いのでしょう

博物館の側には菅谷館跡のジオラマ(2枚目)もありました。そこから少し道を歩くと看板地図もあったので、それを頼りに城跡内を歩けるだけ歩いてみる…ことにしました🚶‍♂️

まず本廓のあたりを散策してみることに…小径を頑張って進みました…「途中でムカデ出ないか?蛇出ないか?もし噛まれたらヤバい🐍」という不安が頭の片隅を漂いながらの行進

幸い…そいつらに出くわす事は無かったものの…1番の障害となったのは、飛び回る虫でした…蚊とかカナブン(?)もしくはその他の羽の生えた虫が…しつこいくらいに私の耳元を飛び交い…集中力を削いできました😓

少しぬかるんでる階段を降りて橋を渡ったら…何とそこは菅谷館跡の敷地を超えていた…と設置されてる地図を見て気づき、せっかく来た道を引き返して敷地内の小径を通る…そこにもブンブン飛んでる虫がおり、「しつこいぞ!😠」と叫びながらの進行🚶‍♂️

この辺りが本廓(3枚目)…つまり館跡の中心地だそうです。けれど今の姿は…木々や草に覆われており、館がここにあったなんて面影は微塵もありません…何よりここもブンブン…と小さい虫がうるさい🐝 散策というよりはどこまでも付いてくる虫から逃げ回る形にさえ、なっていたかもしれない

なので撮影したらすぐに次へと進みました…一度博物館のある場所まで戻り、それから二の廓に行ってみました

どこも草木に覆われていて、土塁だ堀だと言われてもよく分かりませんでしたが、唯一の素人でもそれと分かる場所が空堀…(4枚目)どの辺りにあったか…細かい位置は忘れましたが、本廓もしくは二の廓だった気がします

二の廓では…地図上では楕円形状の道を歩いてまたこっちに引き返せると思えたので、そう歩くつもりでした。ところが歩いてくうちに…奥の方に道路があるのが視界に入り、「このままうるさい虫を我慢しながら戻るよりは、あっちに出た方が早そう」と思えたので、そっちへ向かうことに🚶‍♂️

小さい川を渡り階段を数段上るとガードレールと道路が…そこから角を2つ右に曲がると…行きに通った場所(小学校と中学校)に戻れました。ちなみにその学校の壁面に足軽のような格好をした兵士達が描かれており、地元民にこの辺りが城跡…という事が知れ渡ってると思われます

正直、今回の菅谷館跡散策は…飛び交う虫に悩まされたという点で苦行でした🐝🦟 けれど畠山重忠一族および戦国時代にこの辺りに居を構えていた人たちも…悩まされていたのかもしれませんね…「虫が五月蝿くて寝れんわ!」と

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城郭情報

城地種類 単郭式平城
築城年代 鎌倉時代
築城者 畠山重忠
主要城主 畠山氏
文化財史跡区分 国史跡(比企城館跡群)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡
住所 埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷
問い合わせ先 嵐山町文化スポーツ課
問い合わせ先電話番号 0493-62-0824