「人たらし」と呼ばれる豊臣秀吉ですが、ぶっちゃけ「たらし」だけで天下を取れるほど戦国の世は甘くないです。誰よりも才覚に溢れている人物だと思いますね。そんな秀吉ですが、信長と同じく残忍なエピソードは多いです。戦国大名なら誰でもあるとは思いますが、甥の秀次を死に追いやり、その一族を殺害した手法が特に残忍とされています。
秀吉の主君・織田信長も甥の万福丸を「串刺し」という残忍極まりない手法で処刑しています。命じられたのは秀吉で、さすがの秀吉も串刺しは止めてほしいと信長に頼みますが許されなかったようです。記憶で書いているのですが、このころに秀吉の中の何かが壊れたような気がしますね。晩年のエピソードが取り上げられることが多いですが、信長配下の時代にも見せしめとして敵方の女・子供を処刑して見せしめにしたことも有ったようです。
長浜城は坂本城と同じく琵琶湖に面した水城です。なんとなくエレガンスな感じがしますが、若い娘が人柱として埋まっているという伝説があります。築城を命じられた京極氏が近くの村から美人の娘を探し出してきたのですが、秀吉が知ったら勿体ないからやめろと言ったかもしれませんな。
さりげなく長浜城カレーの写真も入れておきます。以前、道の駅「浅野三姉妹の郷」で購入した青い「びわ湖ブルーカレー」を使いました。築城部材は魚肉ソーセージです(カルシウム入り)。ご飯が冷めるといやなので、あらかじめ天守等を組み立てておきます。
ご飯を整えて天守や櫓を移築。これぞ秀吉流一夜城・・カレーがサラサラしてるので船が沈んでる。
スプーンで櫓ごとすくっていただきます。オカンが不思議な物を見るような目で見ています。正直、自分でも何を食べているのかよく分からなくなってきた。
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