ながはまじょう

長浜城

滋賀県長浜市

別名 : 今浜城
旧国名 : 近江

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/28 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トク

63【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と長浜城) (2023/07/02 訪問)

(23人目)「石田三成」の続きです。
秀吉に仕え出世への始まりとなった「長浜城」を訪れてきました。

15才で家臣となった佐吉は、ここで秀吉に小姓として仕え、得意の算術で才能を発揮し徐々に頭角を現します。そして8年後、秀吉の中国攻めの時に初めて従軍し、それから賤ケ岳、小牧長久手の戦いを通じて、この長浜から出世への道が始まりました。その後、九州征伐、小田原北条攻めなどで、兵站の才を存分に発揮します。しかし唯一戦った忍城では失敗してしまいました(笑)。そして奥州仕置を経て、朝鮮出兵のため名護屋城へ。

私は長浜城の天守に立ち、琵琶湖を眺めてみました。南側には彦根城や佐和山が見えました(写真④)。また北側には賤ケ岳(写真⑤)や小谷城(写真⑥)、東側には伊吹山が見えました(写真⑦)。

佐吉(三成)は、ここで秀吉に仕えながら、いったいどんな夢を見ていたのでしょうか?


【余談1】大蛇(おとち)の岩窟
伊吹山中を敗走しながら秀吉と出会った観音寺を目指した三成ですが、追手が迫ってきたため、今度は母の墓がある法華寺を目指します。そこで地元の人々に助けられその法華寺の山中奥にある「大蛇の岩窟」に匿われました。本当は、長浜からその岩窟まで行こうと思っていたのですが、とんでもない山中みたいで(だから隠れるのに最適だったのかも?)、熊や蜂や蛇が出て道にも迷ったりもするとの事、一人で行くのは大変危険な場所のようなので、心残りではありましたが断念する事にしました。いったいどんな場所だったのでしょうか? 長浜市のHPにボランティアガイドが行った時のツアー写真がありましたので代わりに掲載させていただきます(写真⑧⑨)。行く時は個人でなくボランティアガイドと大人数のツアーで行かれた方がいいようです。またここでの美しい秘話は以前私の(12人目:田中吉政)でお伝えしましたのでよければまた参照して下さい。三成がそこで食べたニラ粥はいったいどんな味だったのでしょうか?🤔

【余談2】にしんそばと地ビール
長浜駅前で名物「にしんそば」と「地ビール」で昼食をとりました。猛暑の中を歩いたのでとても美味しかったです。三成にもこの「伊吹バイツエン」飲ませてあげたかったな~😊(写真⑩)。

次は、三成の人生ターニングポイントになった(肥前名護屋城)を訪れます。
 

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて③ (2023/04/01 訪問)

2度目の訪問です。前回は耐震工事中で天守内に入ることができませんでした。
JR北陸線長浜駅出てすぐの豊公園内にあります。長浜城は豊臣秀吉公が浅井攻めの戦功により初めて城持ち大名に出世したお城で、約7年間ここを居城としていました。豊臣氏滅亡後は廃城となり石垣などの材料は彦根城の築城に用いられました。現在の天守は歴史博物館として再建されたものです。「日本さくら名所100選」に選定されている豊公園内では約600本の桜が満開でお花見の人で賑わっていました。

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侍ホリタン

天下人秀吉の始まりの地を訪ねて (2022/01/09 訪問)

JR長浜駅から徒歩5分、豊公園内にあります。羽柴秀吉が一国一城の主となって初めて築いた城、大阪の陣の後、廃城となり資材の多くが彦根城に転用されてます。現状の城は模擬天守となります。天守内部は博物館になってるようですが、私が訪問した時には耐震工事中で入ることができず残念でした。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式望楼型[3重5階/1983年築/RC造模擬]
築城主 羽柴秀吉
築城年 天正元年(1573)
主な城主 羽柴氏、柴田氏、山内氏、内藤氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、横堀、井戸
指定文化財 市史跡(長浜城跡)
再建造物 模擬天守、石碑
住所 滋賀県長浜市公園町
問い合わせ先 長浜城歴史博物館
問い合わせ先電話番号 0749-63-4611