みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

妻木貞徳 (2025/03/01 訪問)

 久しぶりの妻木城です。
土岐頼貞の孫、土岐明智彦九郎頼重が築いたとも伝わりますが、発掘調査の成果から実際の築城年代は15世紀中頃から後半と考えられているようです。関ケ原の合戦の際、東美濃地方唯一の東軍であった妻木城主の妻木家頼により、西軍方の攻撃に備えて防備を固めるために、土塁や堀切、横堀を普請して改築されました。その時の功績により妻木氏は7500石を領有しました。
北側の山麓には御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ石垣などが残っています。
 御殿跡から登城しました。登城路は整備されていて、それほど急勾配でもなく歩きやすかった。城内も以前に来た時(10年以上前)は倒木や藪になっている所もありましたが、処理されて散策しやすくなっています。


 JR多治見駅から妻木上郷バス停までバスがありますが、本数が少ないので要注意です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イタさん

境城址 群馬県伊勢崎市境町 (2025/02/26 訪問)

室町期に井上氏により築かれ、後に那波氏に属する小柴氏が在城したとある。暑い時期に来ているが、池は水草が生い茂りよく分からないため、通りがけに寄ってみた。城跡は境公園、長光寺、瑳珂比神社、高校の敷地になり面影はない。ただ弁天社のある池が水堀の名残と言われ、北東の瑳珂比神社境内に、やや土塁跡を思わせる高まりがある。公園内にも高まりがあるが、公園整備に伴う整備かも知れない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イタさん

城山遊歩道ありのハイキングコース (2025/02/26 訪問)

桐生市のHPを参考にすると、正平5年・観応元年(1350)に桐生国綱が築いたとされている。居住地を山麓の居館におき、梅原館を下屋敷とする。規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西の丸山砦、南の浅間山砦、両砦をつなぐ下瀞堀、北の物見山砦とを結ぶ一帯を城郭とした。本丸を斗口とし、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の梯郭構造で・・・城跡の全部が完全に残っている。
城域は桐生氏の発展とともに整備されたが・・・、金山城主由良氏により、天正元年(1573)3月、桐生氏は滅びた。由良氏は北条氏に属し、天正18年後に常陸国牛久へ転封となり廃城となる、と載っている。

城山林道の駐車場を利用。林道を少し上上がると遊歩道入口があり、案内板が立っている。以前に一度来ているが、入口の案内板があらぬ方向を指しており、林道の終点まで行き戻ってしまった。
堀切・竪堀・横堀など幅も深さも充分にあり見応えがある。郭は幾つもあり、案内板に載る本丸・二の丸・三の丸、何方かが付け足した北曲輪などがある。北曲輪側には行けなかったが、本丸以外の二の丸・三の丸は杉・ヒノキ林、自然林になっている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日本一の兵 (2025/03/01 訪問)

某アプリの異名「日本一の兵」の異名をゲットしました。イオさん、とりましたど。
といっても、二位との差がだいぶあったので気持ちに余裕がありました、ハナクソクルージングです(なんじゃそりゃ)。嬉しいんだけど、それ以上に先日の戦で敗れたダメージが深い・・武功3000以下の連中、貫かえせよな~(セコイぞ!)
他にも「マムシ」や「風雲児」などの異名も来てます。一ヶ月300以上で「マムシ」500以上で「風雲児」か・・おれ882城行ってるし、2月じゃなきゃ1000城行ってるし‥異名が足りないな!
一日で209城廻って「独眼竜」と「まことの武士」の異名もゲット。一日150以上で「まことの武士」か、200以上行ってます。異名が足りないな!
最近ボヤキが多いので「野村殿」みたいな異名があったら欲しいです。女性の像がある城を10城まわると「出歯亀」一日200以上で「まことの変態」一ヶ月1000以上で「日本一の変態」みたいな異名があると面白いですね。
「日本一の変態」・・なんかジワジワ来る異名ですな。

戦に5回負けると「落武者」とかね・・

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

三連休の攻城② (2025/02/22 訪問)

烏嶽城からの転戦です。烏嶽城と同じ豊後大野市内の城ですが、烏嶽城は旧緒方町、松尾城は旧三重町ということでかなり距離は離れています。延岡市にも松尾城がありますが、豊後松尾城の方が見ごたえのある城だと感じました。島津の大友攻めのための築城で、説明板によると島津家久はここから、栂牟礼城、丹生嶋城(臼杵城)、岡城などを攻めているとのこと。すごい歴史の地です。城山神社は島津引き上げに際して放火され、焼失したものの、その後再建されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

訪問しやすい。 (2025/02/22 訪問)

ここには続百名城の2巡目のスタンプを押すためにやって来ました。訪問はしやすいので、いろいろ理由をつけては来ています。スタンプは本丸近くの和菓子屋さんにあるので、ここで宗治饅頭を買っていきます。
駐車場からすぐに三の丸にアクセスでき、二の丸から橋を渡って本丸に入ります。本丸には宗治公の首塚がありますが、全体的に公園のようになっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

大宰府を守る城塁 (2025/02/23 訪問)

水城に隣接する丘の中に続百名城のスタンプ設置場所があります。なんちゅう所に作るんじゃ・・
でかい土塁と言ってしまうと身も蓋もないですが、古代山城と併設して巨大な防塁が築かれているのは当時としては画期的だったのではないでしょうか。日本が外国の脅威にさらされた時期は何度かあって、白村江で唐・新羅と戦った頃、元寇、秀吉の朝鮮出兵、幕末、日清戦争のころなどが城郭の機能が防御用として、期待されていた頃だと思います。
九州北部には元寇防塁などの外国の襲撃に備えた遺構がいくつもあり、水城が続百名城に選ばれた意味合いは大きいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

夜景の見事さに (2025/02/22 訪問)

いそいそと各地を回りながらにも途上には名城の数々。広島城の夜景の見事さに思わず寄ってパチリ、このまま夜通しで福岡に移動です。鉄筋コンクリートながらも外観の美しさは見事なものです。岩国城は帰途で寄りたかったのですが、吹雪に見舞われ断念。
パイパスはあっさりと閉鎖され2号線の一本道のみが頼りでした。超渋滞・・なんとかしてくれ~。
姫路城の夕景には少し間に合いませんでした。姫路市民以外は2500円に統一されるんだけど、国税もいっぱい投入されているよね。わたしも税金払ってますぞ~。姫路城、熊本城に限らず国や自治体の状況に左右される城郭も受難の時代と言えそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

敗けちゃった・・・ (2025/02/28 訪問)

ニッポン城めぐりで今月はランキング争いと「三増峠の戦い」イベントで大忙しです。実際に登城するわけではなく近くを通過するだけ、城びとにはもどかしいですが、状況的には仕方ない。日刊ランキングを激闘の末に制したので、次は月間です。
年度別は4月から3月までなので時期的には難しい。「天下一の兵」で良しとしておきましょう、イオさん 獲りましたど(まだ早い)。
ランキング争いでライバルの心をポキポキ折ってきた私ですが、ついに自分の番が来ました。「貫」をどかどかつぎ込んで来た「合戦」で我が北条軍がまさかの敗北・・39万の差を2万5千までせばめたものの僅差で敗北。武田軍より北条軍のほうが105人少ないので人数分の差です。上位陣の皆さんは武田軍より気合が入っているのですが、どうも下の方が・・けっこう日拠っている人達が多いです・・合戦は勝たなくては意味が無いぞ~!
私の軍功は6242で全体では2220位・・今ひとつですが龍勢は4回以上はあげているので、全体の貢献は8000を超えています。次は軍功1万以上を目指します。もっと武将をふやして、大手柄武将を充実させておかなくては・・

「黄梅院」ほしかった、どうも私は此のアプリでは女性キャラに縁が無いようです。いまのところ「豪姫」だけ。宇喜多秀家くんと一緒に登用してあげました。まるで宇宙戦艦ヤマトの森雪状態です(リメイク版では女性キャラが増えた)。

ちなみに写真は中国地方から九州まで「城攻め」に行って来たときに寄った店です。九州の資さんうどんは24時間営業でいつでも「うどん」が食べられます。天国ですか・・けっこう福岡にもうどんの店は多いです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地を通り抜け(※)、竜ヶ谷山の山頂にある雷電神社が龍谷山城址となります。
※通り抜けを禁止されていません。
雷電神社付近に、郭跡や空堀、土塁などの遺構が確認できます。

+ 続きを読む

dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅近くの長栄寺が毛呂氏館跡となります。
裏山は詰めの城として竪堀などの遺構があります。

+ 続きを読む

dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅の北側にあるゆずの里保育園の北側にある個人宅が斎藤美濃守館跡となります。
中世の館跡の土塁や空堀が残っています。
県の史跡に指定されているものの、個人宅だからか案内板や解説板の設置はありません。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

ここでリーチをかけました… (2025/02/22 訪問)

東京都城びと登録城,ここでリーチをかけました。この周辺を散策済の方は「なんだか効率の悪い廻り方してるな…」と感じていたかと思います。
赤い城さんの予想&リクエスト(?)に沿うよう,1月の攻城スケジュールと合わせて精査し,組み替えました。「ラストはハリポタ城ではなかったの…?」と,感じていた方もいらっしゃったかと思いますが,そういう理由になります。

法蓮寺は仰々しい賑わいでしたので,旗岡八幡神社のみの散策です。
越後の天気予報が気になり続けましたが,こちらは晴天に恵まれて春を感じました。

+ 続きを読む

todo94

三連休の攻城① (2025/02/22 訪問)

天皇誕生日を中日とする三連休は、大分県へと繰り出しました。金曜の勤務を終えてから夕食後に出発。広島で前泊し始発のさくらで別府へと向かいました。今回のターゲットの城は大分県南部なのに別府にてレンタカーを借り受けたのは、格安のニコニコレンタカーが駅近くにあったからです。ここから、烏嶽城はなかなかの遠距離。11時を優に回ってしまったので道の駅「原尻の滝」にてだんご汁定食の昼食をとりました。もちろん、東洋のナイアガラと称される原尻の滝は見てきましたよ。ここから烏嶽城はすぐです。城郭放浪記さんの案内の通りに向かいましたが、ナイロンネットのフェンスが広く張り回されていて、烏岳の登山口表示が見当たりません。フェンス内の木は伐採されていて道らしきものが確認できます。フェンス最上部にはピンクリボンがついていて、そこは下をめくってくぐれるようになっていました。そこから上はピンクリボンが城まで案内してくれます。3つばかり上り下りを繰り返す登りごたえのある山城でした。主郭には土塁が確認できます。更にその奥の烏岳山頂まで踏破してきました。帰りがけには、道の駅に写真展示してあった円形分水も見てきました。水が流れていなくてちょっと残念でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

プラスαで周辺観光も… (2025/02/22 訪問)

さすがに,神社仏閣城のハシゴは飽きてきたので,周辺観光にも目を向けました。立会川駅近くに坂本龍馬像がありました。また,梶原氏館との関連性はわかりませんが,来福寺から梶原稲荷神社に向かう途中,犬坂というグネグネの坂道を発見。意図的に造成されたように感じました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

見所はなんといっても堀切 (2025/02/02 訪問)

名胡桃城の城域は思ったより広く、笹郭・本郭・二郭・三郭・般若郭の遺構が良く再現されており国道17号線よりすぐにアクセスすることが出来ます。真田丸で人気が出たイメージがありますが、各郭の遺構・特に堀切の再現度は見事だと思います。
明応元年(1492)に沼田氏によって城館が築かれたのが始まりとされ、武田勝頼が沼田領を手に入れるため真田昌幸に城を築かせ、昌幸はここを拠点に沼田城を攻略しました。歴史的に沼田城と最もかかわりの深い城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

立地条件最高 (2025/02/02 訪問)

得意先の守衛殿に「暖かくなってきましたね~」と呑気なことを言ったら「夜はさむいよ~」と返しがありました・・大変ねえ。
某アプリに踊らされている毎日ですが、それも今月までです。ちなみに今は「三増峠の戦い」の真っ最中です。私はなぜか北条軍・・貫も両もクそみたいにあるので、どんどん投入しています。勝たなきゃ意味ないんだよ~(めっちゃ踊らされてる)。

沼田城の写真が残っていました。河岸段丘に築かれた城の代表的なもので、城郭として理想的な立地条件にあります。
関ヶ原の合戦では真田信之の妻・小松姫が武装した姿で真田昌幸・信繁父子を追い返したエピソードが有名です。某アプリの得点でゲットできないかな・・いかん獲りつかれ始めてる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

大沢城 (2025/02/01 訪問)

大沢城は静岡県松崎町の道の駅「花の三聖苑」の近くにある山神社の背後の丘陵に築かれていました。城びとの城では無く、城というよりは砦に近いです。足元に気を付ける必要はありますが、登城道が付いていて比較的簡単に主郭にいたります。
主郭には土塁が残り、西には腰郭と堀切、東側にも郭と堀切があり、コンパクトながら遺構はそれなりに充実しています。ここも某アプリのイベントで訪問しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

⑩【護佐丸と沖縄6城】(5)首里城(2/2) (2025/02/07 訪問)

5城目、首里城の続き(2/2)です。奉神門から中の御庭(うなー)へ入りました(写真①)。ここからが有料エリアで、復興中の正殿の工事現場を見学する事ができます。

首里城が本格的に歴史に登場してくるのは、1429年に首里城を居城とした中山王で、琉球を統一し琉球王国をつくった尚巴志(しょうはし)です。護佐丸はこの国王(尚巴志)に仕え、琉球の統一に最も貢献した側近で、国王が最も信頼していた人物でした。という事は、護佐丸も何度もこの首里城に滞在し、政事を補佐していたという事になりますね。

首里城は過去に6回火災で焼失したとされています。現在の首里城は、まだ記憶に新しい6回目の令和元年に起きた、あの大火災からの再建中で、来年(2026年)秋には正殿が完成する予定だそうです。現在はその正殿の工事が着々と行われており、その様子を見学する事ができました(写真②③④)。朱色も前回の平成の再建から少し色を変えて、昔により近くしているそうです(写真⑤)。奉神門はその塗り替えがすでに完了した門で、朱が以前の赤燈色から赤茶色(あざやかな赤から少し茶色に近い赤)に変わっています(前回写真⑦)。この赤い色は久米島の赤土から取られた色だそうで、ここが正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門なので、つまりもうここまで完成しているという事です。あとは唯一残るは正殿だけ! その完成が待ち遠しいです。

5回目の火災は1945年太平洋戦争の時というのも皆さんはよく御存知と思います。では1回目の火災はいつだったのか御存知ですか? それは前回お伝えした1453年尚氏の跡継ぎ争い「志魯布里の乱」の時です。この乱の後、第6代の王となった尚泰久は、自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせますが、阿麻和利はこの親しくなった関係を逆に利用して、勝連城から密かに船で抜け出して首里城へ行き、護佐丸が実は王を滅ぼそうとしていると讒言します。それを信じてしまった王は、阿麻和利に国王軍の旗を預け、護佐丸討伐を命じるのでした。国王は見事に騙されてしまったのです。国王軍の旗を持った阿麻和利の大軍が中城城に迫ります(護佐丸阿麻和利の乱)。しかし護佐丸にとっては全く身に覚えがありません。しかし時すでに遅く、もはや阿麻和利の大軍に囲まれ絶体絶命のピンチです! このままでは危ない! さあどうする護佐丸?

私は、首里城の正殿の裏にある東のアザナに立ってみました。とてもいい眺めでした(写真⑦⑧)。また北側の城壁から見た景色もとても美しかったです(写真⑥)。そして西のアザナからは那覇市街が一望できました(写真⑨⑩)。護佐丸は尚氏6代に仕え、ここで共に政事を行っていたので、同じように何度もこの景色をここから眺めたと思います。その時いったい何を考えていたのでしょうか? 尚氏への忠義と琉球王国の繁栄を、ただ願っていただけなのではないでしょうか・・・

次は、護佐丸阿麻和利の乱の舞台となった、護佐丸最期の居城「中城城」に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

横山城(鹿児島市桜島横山町) (2025/01/20 訪問)

鹿児島本港から桜島港へは片道15分で運賃は¥250。路線バスや電車に乗る感覚で簡単に乗れました。
徐々に近づいてくる桜島はとても迫力があり、島原半島へ渡ったのとはまた違ったドキドキ感がありました。

下船後、さっそく自然恐竜公園を目指します。
このお城の存在は“ニッポン城めぐり”で鹿児島城をポチッとするまで知らなかったのですが、桜島港から徒歩圏だったので、桜島観光の目的地としました。(「城びと」は未登録です。)

山頂への坂を登るにつれ開けてくる視界。迫りくる岩肌。
地理地形に疎く、どの部分を指して桜島というのかも、反対側が大隅半島と陸続きだということも知らなかったという体たらくですが、これまで見たこともなかった世界に「すごい!」「かっこいい!」をひとり連呼しながら登りました。忘れられない光景です。

到着した自然恐竜公園には想像を超える大きな恐竜たちがたくさん!
そして大きな滑り台。
す…滑ってみようか?
九州の果てまでやってきた開放感のせいか、そんな気持ちがじわじわと湧いてきました。
滑り台のあるお城にはいくつか行ったことがありますが滑ったことはなかったような。
ということで周囲に誰もいないことを確認してスタート!
たっ、楽しい😃
お城滑り台、癖になりそうです(^^)

城址はさらに奥の方のようで、道が続いているのも確認しましたが、それ以上は進まずに下山しました。

また、桜島港に説明板があったのですが、薩英戦争時には島津家により砲台が設置され、渡ってきた航路も戦闘の舞台だったということを知りました。薩摩の歴史を知り尽くすのは2日程度の滞在では到底無理ですが、その一片だけでも知ることができてよかったです。

再びフェリーで鹿児島本港へ戻ります。
外せないのが桜島フェリー名物、やぶ金のうどん!オーダーストップ間際で注文でき、出港前にいただきました。やわらかめの麺にさつま揚げ。やさしいお味でおいしかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ25