(続き)
帯郭から古城跡踏切を渡って野牛郭へ。線路で分断されていますが、線路の東側にも本丸土塁がわずかに遺っています。土塁の先の野牛郭には物見櫓や井戸があり、発掘調査で貯水施設も確認されています。南端には土壇があり、土壇の脇から下りていった先の宇連川は驚くほど綺麗な流れでした。
帯郭まで戻って、今度は弾正郭へ。弾正郭に向かう道中、通りの北側の住宅地の一角に家老屋敷趾の標柱が立てられていました。標柱から南に進むと右手の石垣(たぶん後世のもの)の脇に弾正郭趾の標柱があります。この先だな、と突き当りを右に曲がろうとすると…民家の中庭!? 建物はあっても野牛郭のような郭跡が広がっているんだろうと勝手に思っていましたが、これではとても立ち入れません。写真を撮るのも憚られるので、すぐさま回れ右して今度は東側の郭へ。
駐車場から道路をはさんだ北側、第2駐車場になっているあたりが二の丸跡とされ、糧庫趾や倉屋敷の標柱が見られます。また、江戸中期に長篠の地を与えられた一色直興が二の丸跡に長篠陣屋を構え、林高英が代官を務めたことから林藤太夫高英屋敷跡の標柱も立てられている…はずですが、笹藪に沈んでしまっていてほとんど見えませんでした。駐車場の北東側には巴城郭、さらに北東には瓢郭があったようですが、それぞれ空き地に標柱が見られるくらいです。
長篠城の周辺には様々な伝承にまつわる地があるので、郭めぐりと並行して史跡めぐりもしています(続く)。
ところで……例によって4か月遅れの投稿のため登城した時期はかなり違うものの、しんちゃんさんの一連の長篠の戦い関連の投稿と投稿時期も内容的にも丸かぶりになってしまいますが、ご容赦ください。それにしても久間山砦から北側に下山するところまで同じだとは…(笑)
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