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しんちゃん

稲荷櫓と稲荷曲輪門 (2025/03/15 訪問)

甲府城は天正11年(1583)徳川家康家臣・平岩親吉によって築かれたとされています。家康の関東移封後は豊臣家臣の武将によって本格的に築城がなされています。現在の主な縄張りが完成したのは加藤光泰の時代とされています。江戸時代においても江戸を守る城として重視され将軍の血縁者や幕府の重臣ら城主となり(柳沢吉里を除いて江戸定府)、後に天領になっています。
現在舞鶴城公園として整備されているのは本丸(天守曲輪)、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の4の主要な曲輪で、南東の楽屋曲輪は山梨県庁、北西の清水曲輪はJR甲府駅周辺となり石垣が復元されています。思っていたより城域が広く周囲を水堀で囲まれていました。
稲荷曲輪門は稲荷曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ門で、発掘調査で柱の跡などが見つかっています。明治初年までは存在していて、平成11年に復元されました。稲荷曲輪にある稲荷櫓は城内の鬼門に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたようです。現在の稲荷櫓は平成16年にできるだけ元の姿で復元したものです。

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しんちゃん

大手周辺の縄張り (2025/03/15 訪問)

新府城の大手には周囲を土塁で囲まれた枡形虎口が有り、外側に丸馬出が付いています。丸馬出の下方には三日月掘が確認されており、丸馬出の東側にも小さな枡形虎口らしきものが付いています。丸馬出に設置されている案内板を見ると西側の空間も枡形虎口であるように描かれています。城内に設置してある案内板は時期が異なるのか、詳細が微妙に異なっていますが、この大手周辺の遺構が非常に手の込んだ構造をしているのは間違いが無いようです。武田氏の城や、土の城好きの好む巧妙な仕掛けが凝縮しており、訪問時にテンションが上がるのは間違いないと思います。三日月堀の底の形状は平らな箱堀であることが発掘調査で明らかになっています。

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じゅんじん

武田の拠点 (2024/07/07 訪問)

武田方の拠点ですね。公園化されるのかな?

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じゅんじん

雨上がり (2024/07/05 訪問)

まだ橋がありました。渡れません。

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じゅんじん

夕暮れ (2024/07/04 訪問)

出張ついでに寄りました。

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じゅんじん

寄り道 (2024/07/03 訪問)

城址碑のみです。

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赤い城

お返しクイズの回答

日月で遊びに行ってて遅くなりました。
小田原城はわかるのですが場所は?

私が持ってる八幡山古郭からよりちょっと東側でしょうか?
駅周辺かな?
Googlemapでみると東横インがありますね。
前ににのまるさんとのやりとりで東横イン・・・。
全く自信ありません。

にのまるさん、よろしくお願いします🙇

わからないので私のゴジラ岩もアップしておきます。

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しんちゃん

アディオス福岡 また来年。 (2025/05/10 訪問)

須崎台場は幕末の文久3年(1863)に福岡藩によって築かれた台場の一つです。12貫目砲など15問の大砲が据えられ、現在も福岡県立美術館の北西に石垣が残り、周囲は小公園になっています。ちなみに12貫目は約45kgらしいので、けっこうな威力だったのではないでしょうか。とりあえず、美術館の駐車場に車を留め、ゆっくり石垣を見てこようかなと考えていましたが、いつまで待っても駐車場から車が出てこない・・これはもしや?と考えて、車から出て石垣の写真を撮って戻って来ました。その間、駐車場近辺では何の動きも無し。
結局、駐車場には入らず、バックで退散して本州に向かいました。帰りに長浜ドラゴンというラーメン屋に寄りました。自分は本格的なとんこつラーメンを食べるとお腹をゴロゴロさせるので、ライスを一緒に頼みました。
実際に食べてみると、おもったよりあっさりで、お腹にも良さそうです。麺の量もしっかりあるので、替え玉も必要ないぐらい。ライスは要らなかったな・・と思いながらも全部いただきました。

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しんちゃん

長い間、相馬氏の居城であった。 (2025/01/01 訪問)

朝田さん、双六館の投稿待っておりました。ゴジラ岩の写真も良かったです。いずれ訪問する時の参考にさせていただきます。
美女ふたり(?)が崖の向こうで「おいで~ おいで~」をしていたら、連れてかれてしまうのではと心配しましたが、無事に帰ってこられて良かったです(私は自信が無い)。
小高城は南北朝時代に相馬氏によって築かれたとされています。慶長元年(1596)16代・相馬義胤が居城を牛越城に移すも、関ヶ原の合戦で佐竹氏の与力大名であった義胤は徳川方に協力しなかったとして改易されますが、周囲のとりなしもあって再興が認められると、再び小高城を居城としました。慶長16年(1611)8月に会津地震、次いで10月に慶長三陸地震が起きると、居城を相馬中村城に移し、長らく相馬氏の居城であった小高城は廃城になりました。
小高城は前川の北の丘陵にあり、今は小高神社が建っています。境内は広く、複数の郭が残り、神社の北側には土塁も残っているようです。ちょうどこの日は元日だったので、初詣の人々で賑わい、獅子舞も披露しておりました。

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朝田 辰兵衛

双六館散策2/2(主郭,周辺観光のゴジラ岩も紹介) (2025/05/18 訪問)

双六館の主郭は「御前落とし」という悲話を伝承しております。戦国時代は安倍千寿丸の居館であったとされます。ある時,脇本城主の脇本五郎脩季攻撃を受け,50日ほど持ちこたえたがついに敗れて自害。奥方は双六館の断崖から身を投げました。
天正17(1589)年,湊合戦で湊安東勢と檜山安東勢がぶつかります。脇本五郎脩季は湊安東勢に組しました。しかし,次第に劣勢となり脇本城落城。脇本五郎脩季は自害。脇本五郎脩季の奥方は双六館まで追い詰められ,断崖から身を投げました。
奇しくも,自らの夫に滅ぼされた安倍千寿丸の奥方が身を投げた断崖という…。

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チェブ

酒井と酒々井。 (2025/05/01 訪問)

前回の『大椎城』から転戦。
と、言っても『行った』をポチッとしたかったから寄ったが正解です。
城趾の『本城寺』を目指しましたが、民家の間を通過し畑道。車では通る事が難しそうな場所でナビは『目的地に到着しました。』と言いました。
相方は『車の向きを変えておくから写真、写しておいで。』
と暗黙の、1人で行って来いオーラをキラキラさせてました。
しゃーない行くか!と写真②を走ります。
抜けると意外と広く散策できそうです。
鋳銅鰐口の説明板の中に『酒井 定隆さんの居城』とあり、写真を写して退陣しました。
千葉県で酒井氏か?三河から分かれたのかな?
等など調べていたら、千葉県には『酒々井町』があり、酒井氏と関係がないか検索しました。
、、、ぜんぜん、関係なし。
『酒々井町』は『しすい』と読みます。
由来は、親孝行の息子が父の為に井戸の水を徳利に入れたら、酒になった。とか、酒の井戸になった等でした。

この日のお城攻めは「中野城」で終了。
お城もだけど、地名の由来が『日本昔ばなし』で語れそうな場所ばかりでした。

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ぴーかる

伊万里・唐津

【大川内鍋島藩窯跡】佐賀県伊万里市
3/20 平戸城訪城のあと訪れました。国史跡であり、伊万里焼や有田焼のお店が数多くあります。駐車場は大川内山伊万里鍋島焼会館駐車場に駐車するとよいでしょう。ご飯茶碗のいいのがあったら買おうかと色々店に入りましたが、これいいと思ったものはやっぱりお値段が高い。悩んでいるうちに17時になって結局買わずしまいでした。

【海中魚処 萬坊】佐賀県唐津市
3/21 唐津といえばイカの活きつくり。名護屋城訪城のあと昼食として訪れました。いか三昧コースを予約して行きました。いか三昧コースから上のコースはサイトで予約できるのでそのほうがいいです。予約なしでは90分待ちです。数年前にTVで見て、名護屋城に行くときに絶対行こうと、今回の旅のメインでもありました。3年程前のメモでは3300円でしたが4400円に値上がりしてましたけど、コースメインのヤリイカは甘くて絶品でした。

【曳山展示館】佐賀県唐津市
3/21 唐津城訪城のあと訪れました。入館料300円で唐津くんちの曳山が展示されています。曳山 魚屋町の鯛かわいい。

【虹の松原】佐賀県唐津市
3/21 曳山展示館のあと訪れました。日本三大松原の1つ。唐津城がかすんで(黄砂かな)見えました。気比の松原は行ったので残り三保の松原のみ。2020年久能山に行った時に、スケジュール詰めて行っとけばよかったと後悔。元寇防塁のある福岡県の生の松原のほうが散策が面白かった。

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朝田 辰兵衛

双六館散策1/2(登城口~二ノ郭,NGルートも紹介) (2025/05/18 訪問)

椿漁港から中山峠をトンネルで抜けると,右手に「菅江真澄の道 双六」との標柱があり,一見ここが登城口のように思えますが違います。ここからまわれ右をしてみてください。館山崎の灯台が見えると思います。灯台が建てられている場所が二ノ郭になります。そのさらに先端部が主郭となります。
防波堤までのアプローチ道も視界に入るハズ。防波堤の付け根部分が登城口。なんの表示もありません。進み始めはところどころ右側が断崖となっています。なんとなくの道を進みます。少し進むと道が左に折れます。ここが堀切。堀切の中を進みます。堀切を超えたらすでにヤブ化が進んでおりました。灯台を目標地点として進みます。そんな中,三ノ郭を発見。自然地形かもしれませんが,竪堀も見つけました。しかし,画像ではわかりづらいと思います。ヤブはさらに深くなっていますが,灯台に供給する配電線が見えます。その先が灯台のある二ノ郭です。二ノ郭~主郭間に三角点があり,思い切りスネをぶつけました。ご注意ください。

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カズサン

二度目の別名仏殿城登城 (2025/05/14 訪問)

 川之江陣屋(一柳直家陣屋)の跡に在る石碑、石盤を確認見学して、現存の移築門が在る川之江八幡神社に寄り日本唯一木造二階建陣屋表門を初探訪観察し拾数年来の願いが叶い大満足。
 此処まで来ると途中の走行で城山の模擬天守が見え隠れしており、平成29年9月以来の8年振りに2度目の登城し模擬天守閣にも登りました、家内は初めての登城と成ります。

 川之江城模擬天守閣・付櫓は昭和61年に東京工業大学名誉教授藤岡通夫博士の指導の下、川之江市市政30周年記念事業として、順次櫓門、涼櫓、隅櫓、、控塀と共に完成した、本年で39年を経過します。
 駐車場は北側の涼櫓下に数台可能の駐車場が有り利用。

 既に2台の駐車関東よりキャンピングカーで見えていた、地元の方か、ウオーキングで見えている方もいらっしゃる、丁度麓の川之江高校1年生全クラスで清掃ボランティア活動されて、会うたびに挨拶をして大変気持ちよい、恐縮します。
 天守閣に登り入場料100円、天守最上階廻縁に出て景色を堪能、川之江の産業は製紙業、臨海工業地帯に工場、煙突が並び白い煙(水蒸気)を出して活気がある様子。
 天守閣内、周りを眺めて8年振りの撮影、木も大きく成って来ました、8年前の写真と比較すると良く分かります。
 
 最近は文化庁がうるさくて気楽に観光天守閣、城郭櫓が建てらませんが、川之江城は市の英断で約40年前に建てる事が出来ました、昨今の城郭再建ブーム、規制を少し緩くして地方再生の起爆剤にされたらと思うのですが?
   

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トク

【春の長崎天草を巡る⑱】長崎観光(4/4)グラバー園と長崎港 (2025/04/05 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、長崎観光編(4/4)です。

亀山社中から下り、20分ほど寺町の石畳通りを歩いて、「めがね橋」まで行きました(写真⑤)。めがね橋は中島川に掛かっている橋で、ここは長崎市の中心部であるにもかかわらず、橋の下を流れる水はきれいで、鯉が気持ちよさそうに泳いでいました(写真⑥)。長崎は本当に美しい街です。

次は(めがね橋)電停から市電に乗り3駅目の(大浦天主堂)で降車し、大浦天主堂を訪れました(写真④)。そして隣接する「グラバー園」へ入りました。ここからも長崎市内が一望でき、とてもいい眺めでした(写真①②③)。しかしこの美しい景色とは裏腹に、トーマス・グラバーという人物は、戊辰戦争で武器を薩長に売って大儲けした人物です。それを仲介したのが、先ほど訪れた亀山社中の坂本龍馬です。

大河ドラマ龍馬伝では福山雅治さんが、「武器を売ってほしいがぜよ!」とこの庭でグラバーに詰め寄るシーンがありましたね。でも彼が売った武器で幕府側の多くの人が死んだ訳ですから、この綺麗な景色を見ると、何とも複雑な心境になります。明治に入りグラバーはそのつぐないか日本に留まり、蒸気機関車の輸入や炭鉱開発など、日本の近代化に生涯貢献したようです。

午後は、長崎港を12:25に出航し16:10に福江港へ到着予定のフェリー「椿」に乗船し五島へ渡りました(写真⑦)。3時間45分の船旅です。ジェットフォイルもありますが、波が少し高そうだったのと急ぐ旅でもないので、揺れないフェリーの方を選択して行きました(写真⑧⑨)。

出港前にお腹が空いたので、乗船口にある南蛮亭で「五島うどん」をいただきました。五島うどんとは、コンブなどでとったあっさりした出汁に、コシのある細麺をからませたのが特徴です。ドッピングを全部載せた南蛮スペシャルを注文しました。海老天やゴボウもパリパリでボリューム満点、めちゃ美味しかったです😊(写真⑩)。

次は、福江の江川城に続きます。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり㉑ 城前地区から政庁跡へ (2025/04/28 訪問)

南大路の向かって右手には、城前(じょうまえ)地区が広がっています。官衙主屋などが、構造復元されています。城前地区を登って行ってたどり着いた政庁跡は石敷広場など、昔のままの佇まいを残していました。帰路は南大路を下って城前地区や外郭南門を俯瞰する景観も楽しみました。最後に外郭南門を別アングルから撮影して多賀城を後にしました。

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Tokyobay

二宮尊徳ゆかりの地 (2025/03/10 訪問)

南堀・南曲輪周辺には二宮尊徳ゆかりの史跡がある。単に神社があるだけではなく、博物館のある場所は実際に二宮尊徳が本を借りて勉強していた場所らしく、小田原城と深い縁があることを知って感心した。

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しんちゃん

伊東氏の城とされるが、謎は多い (2025/05/06 訪問)

那珂城の入り口は畑地の東脇、進行方向から見ると左端に付いています。畑に鹿の足跡が有るので、山中に獣が通れるスペースが有るのは解ります。足跡は途絶えていますが、畑地から見える藪の向こうから城の気配がします。
九州に入って二日目くらいから、自分の城魂(しろだま)ゲージが上がって行くのが解ります。いわゆるZONEに入った状態で、城との一体感を感じます。非日常の連続の中でようやく味わえる感覚で、城址の声が聞こえるような気がします。カンが研ぎ澄まされているわけですね。今は地元に戻って、だらけた生活を送っているので、すっかり城魂は抜けて行ってしまっていますが、九州に入ってからの数日間は「普通」では無い状態だったと思います。えげつない城攻めを連続で続けることで、良い修練になりました。修行僧みたいですね。

入口付近はすごい藪で、地元のガイドさんが攻略を諦めたのも納得です。こんな激藪の城はヤヴラヴの”ヤヴラー”である「イオ」さんくらいにしかオススメは出来ませんが、例の施設との関連はないので誰が攻めてもいいんじゃない・・?
本丸に向かう途中にも土塁があり、主郭は堀で囲われています。主郭切岸はなかなか険しいですが、本来の入り口は倒竹で完全に塞がれているので使えません。攻め手から向かって左側の端部を木を使ってよじ登って行きます。かなり急ですが片手にストックを束ねて持っているので、まだ余裕があります。主郭の上もかなりの藪で、全部を見るのはしんどいので、ほどほどの所で登ってきた場所から戻って行きました。激藪を突破したら、畑を踏まないように気を付けて林道へ戻ります。




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dance

記録 (2024/12/12 訪問)

石垣がかっこいい✨

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HKISD

佐田城散策 (2025/05/18 訪問)

非常に歩きやすい山城でした。
但し、歩きやすいのでピンクの印を見落とすとどんどん違う方向に行くので要注意です。
整備されていてとても良かったです。

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