みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

朝田 辰兵衛

丸子城散策1/2(登城口~二の曲輪) (2025/10/12 訪問)

最寄りのバス停は「吐月峰駿府匠宿入口(とげっぽうすんぷたくみしゅくいりぐち)」。バスの運転手は噛まずに言えるのか,興味がありました。しかし,前のバス停から距離が短いこともあり,録音音声のみでした…。静鉄バスの[84]系統で。新静岡駅・静岡駅と藤枝駅を結ぶ路線です。この日はあちこちで祭りが開催されており,迂回運行していました。土日はほぼほぼ30分間隔です。
この日は雨上がり。事前情報でシダ類が群生しているということも予習済でしたので,ヒルとマダニには細心の注意を払いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 山県昌景陣地・山県塚 (2025/09/28 訪問)

設楽原歴史資料館より南に行った丘陵に、武田四天王の一人とされる山県昌景の陣所と昌景の墓とされる山県塚が有ります。武田軍の左翼の中核を担い徳川家康本陣へ攻撃を仕掛けるも敗退し討死したとのことです。山県昌景の近くには、従士とされる名取又左衛門通忠の墓や山県甚太郎昌次、高坂又八郎助宣の墓があります。山県甚太郎昌次は三枝虎吉の子ですが山県昌景に山県の姓を名乗ることを許されています。昌次の兄の三枝昌貞は武田軍の足軽大将で二十四将の一人とされ姥ヶ懐砦の攻防戦で討死しています。
高坂又八郎助宣は高坂弾正(高坂(香坂昌信 / 春日虎綱)に近い人物とされますが詳細は不明。長篠城の南にある新昌寺にも墓が有ります。山県塚周辺の丘陵が陣跡とされ、遺構は残っていないようですが横堀の様な溝が一列ありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 徳川家康本陣跡・断上山 (2025/09/28 訪問)

「家康は 断上山に 拠りたがる(いえやすは だんじょうやまに よりたがる)」 いろはかるたもどき

徳川家康本陣跡とされる断上山(八釼山)の頂部はなかなかの広さがあります。断上山10号墳へは丘陵の東側に「ケッターパーク」の入り口があるのでそこから入ると登りやすいです。もちろん八釼神社からも登ることができます。
手前には「徳川家康物見塚」がある9号墳にいたる道もあります。家康と断上山古墳には縁が有るんですよ。断上山10号墳の周辺は堀が切られたようになっています。「歴史探偵」で合戦のさなかに戦場に城が現れた・・みたいな紹介が有ったような気がしますが、たしかに合戦の際に攻め手からはそう見えるかもしれません。
2018年に訪問した際には周囲の堀(らしき)はもっと浅かったと思います。調査の際に掘りなおしたのかな?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 徳川家康本陣跡 (2025/09/28 訪問)

設楽原古戦場の徳川家康の陣は八釼神社に置かれていたとされることから、現地に立っている「いろはかるた」の看板には「八釼山」と書かれています。この八釼神社の裏手を登っていった所に断上山第10号墳があることから断上山とも呼ばれています。
この断上山周辺に扁平地が広がり、家康の大部隊が駐屯していたのではと思われます。10号墳の東側にある9号墳は、家康が指揮を取ったとする伝承があることから「徳川家康物見塚」と呼ばれています。たしかに10号墳より9号墳の方が戦況がよく見えますが、より修羅場に近いです。
武田勝頼も陣所を才ノ神陣からより戦場に近い場所に移って指揮を取ったと各所の案内に書かれているので、家康と勝頼の戦いがヒートアップしていった様子が伺えます。
ある意味、この時代ではライバル関係に有った二人だと思います。家康の方が勝頼より3歳ほど年長で、設楽ヶ原の戦いの時は家康33歳(数え)で勝頼が30歳くらいだったと思います。これだけの合戦の主役二人が30そこそことはびっくりです。勝頼公は実際は29ですからね。若さゆえの失敗とすると重すぎる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駿府城

【限定御城印販売】徳川家康公ゆかりの城を巡る御城印が登場!

徳川家康公の足跡を今に伝える4城が、地域を越えて特別に連携!家康公を「龍」で表現し、それぞれのお城の歴史と魅力を込めた、ここでしか手に入らない限定御城印をご用意しました。
さらに、4城すべての御城印を揃えた方には、先着2,000名様に特典として武将印「徳川家康」をプレゼント!家康公を辿る城めぐりが、より特別な思い出になること間違いなしです!

販売開始日:令和7年10月4日(土)~ 無くなり次第終了
販売価格:300円(税込)※おひとり様5枚まで
販売場所:
・駿府城 駿府城公園東御門・巽櫓売店(有料エリア)
・岡崎城 岡崎城天守1階 ミュージアムショップ
・浜松城 浜松城天守閣1階売店(有料エリア)・天守門
・田中城 田中城下屋敷受付

【ご注意】
・各城にてそのお城分の御城印を取り扱います。
・各城の休館日は異なりますので、事前にご確認ください。
・特典は各城の在庫状況によってはお渡しできない可能性があります。
・交換には、各御城印及び購入時にお渡しする専用の袋すべてが必要になります。紛失や汚損にご注意ください。

この秋、家康公ゆかりの名城を巡り、歴史とともに特別な御城印をぜひお楽しみください!

+ 続きを読む

todo94

3連休の秋田ドライブでの攻城③ (2025/10/11 訪問)

山根館からの転戦です。本丸跡は以前から空き地だったようで、標柱は草の中にうずもれていました。かつて前郷小学校があった二の丸は、きれいな公園として整備されていました。外濠跡や土塁はこの二の丸側にあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

江戸城天守を再建する会ガイドが案内する「親子で歩く江戸城」  江戸城御城印販売(500円)  (2025/11/01 訪問)

日時:11月1日 10:00~12:30  集合場所:皇居東御苑大手門前内堀通り
参加者:保護者1名と小・中学生1名を含む2名以上 参加費:会員:1,000円 非会員:3,000円 (大人・小人同額)
申込先:江戸城天守を再建する会事務局 info@npo-edojo.org 03-6423-1882
振込先:ゆうちょ銀行:00129-9-578881 NPO江戸城再建 三井住友銀行光が丘支店:普通0851894 

+ 続きを読む

関ケ原古戦場散歩(長宗我部盛親陣跡) (2025/10/13 訪問)

 関ケ原の戦いの時、長宗我部盛親が陣を敷いたと伝わる場所へ行って来ました。南宮山東南の山麓に陣跡があります。麓の清水寺公園と栗原山の中腹の2カ所に説明板がありました。栗原山の中腹にある方が実際には陣があった跡のようです。主戦場である笹尾山付近とは間に南宮山があり、かなり遠くに陣を敷いたことになります。「やる気がなかったのか」と思っていましたが、小和田哲男先生のYou tube「戦国・小和田チャンネル」を見ているとここに陣を敷いたのは大垣方面に備えてのことだったようです。この地はかつて栗原山の山頂部から東山麓には大規模な栗原九十九坊跡といわれる広大な寺院伽藍が広がっていました。建武2年、足利新田の戦いで兵火に焼かれてしまいましたが、戦国時代には栗原右衛門尉義師が城として利用していたと伝わっています。今も削平地を多く残っていて、長宗我部盛親も陣城として利用したものと思われます。散策してみると寺の遺構か、城の遺構か、陣城の遺構かわかりませんが、切岸や土塁のような地形もありました。また、この地は竹中半兵衛重治の閉居の地とも伝わっています。永禄7年(1564)2月、半兵衛は稲葉山城に弟久作の病気見舞いと称して家臣十数名を率いて登城し、舅である安藤守就の軍勢と謀って斎藤龍興を追放しました。半年ほどで稲葉山城を退去した半兵衛が閑居していたのが、この地であったと伝わっています。木下藤吉郎が美濃攻略を目的に竹中半兵衛を口説き落とすため、あししげく通った地が連理のサカキ(長宗我部盛親陣跡)付近とされています。
 県道215号線を垂井駅より南へ行くと、右手に長宗我部盛親陣跡などと書かれた看板があり細い道を登って行くと清水寺公園があります。獣除けの柵を開けて(もちろん閉めて)登って行くと長宗我部盛親陣跡へ案内する標識があり容易に陣跡へ行くことができます。それなりの山道ですが、途中、「ガンバレ もう少しだ」と書かれた標識が励ましてくれます。栗原山を登ってみましたが、遺構らしいものはありません。陣跡から栗原九十九坊跡付近が栗原城の跡ではないと思います。
 
 未踏の関ケ原の陣跡を訪ねるために行って来ましたが、調べて見るとエピソード満載の地でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ゆうにゃん

今年の7月、6月くらいに犬山城に日帰りで行きました。 (2025/07/06 訪問)

自分は一宮市に住んでいます。犬山城は車で1時間で行けるので凄いと思いました。国宝5城のうち犬山城は日帰りで行けるので

+ 続きを読む

あき

三重旅行3日目 (2025/10/01 訪問)

津城から電車を乗り継ぎ上野市駅へ徒歩5分位で白鳳門に到着 この門は観光用に建てられた門との事です 登って行くと天守が見えてきますが まずは高石垣へ ギリギリまでのぞき込みます 怖い高い! そして天守へ 色々な破風があり美しいです 受付でスタンプ押し御城印も購入 天守の中は展示館になっており 藤堂高虎の歴史や 藤堂家の武具などが見られます 最上階の天井には大色紙がはめ込まれていました  1階には井戸があり抜け道となっていると言われていたそうです(調査したらなかったようですが) 筒井氏時代の石垣も見て堀の道を通って下から高石垣を見つつ駅へ 名古屋行きの高速バスに乗り 名古屋から東京へ向かい帰宅したしました 楽しい3日間のお城巡りでした

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

関ケ原古戦場散歩(長束正家陣跡) (2025/10/13 訪問)

 関ケ原の戦いのとき、長束正家が陣を敷いたと伝わる場所へ行って来ました。南宮山の東山麓にあり、主戦場であった笹尾山付近からはかなり距離があります。全く戦わなかったわけではなく池田輝政隊とは銃撃戦があったようです。

 関ケ原古戦場はときどき行きますが、南宮山東地区は行ったことがないので散策してきました。

+ 続きを読む

あき

三重旅行3日目 (2025/10/01 訪問)

前日に松阪から津駅近くのホテルに移動 この日に津駅の観光案内所で御城印を購入 お城の近くには売ってないので欲しい方は注意です 津城には津駅からバスで向かいました 三重会館前で降りて徒歩5分ほどです 途中のバス停にも石垣が保護されていました 三重隅櫓を見つつ まず公園内へ 天守台や三重隅櫓を近くで見学 藩校の門も移築されていました 高山神社の開く時間になったので移動し お参りしてスタンプ押し お城の周りを一周 広い水堀と石垣が素晴らしい 公園内はなんとなく残念な感じでしたが 周りの石垣が見応えありました ここから津新町駅へ行き伊賀上野城へ向かいました

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

明石焼やない玉子焼きです (2025/10/13 訪問)

明石と言えばお城好きはともかくとして(すいません😅)天体好きには“子午線の町”、競馬好きには“メイショウさんが住む町”、橋好きには“明石大橋のある町”として有名、でも忘れちゃいけないのが“🐙の町”ということ。昼網と言って早朝じゃなしにお昼前に漁船が帰ってくる“昼網”で有名、そんな昼網で採れたタコで作るのが「明石焼」、あっ、間違えた😅“玉子焼き”。メリケン粉より卵をベースにしたたこ焼きを出汁で食べるのが玉子焼き、たこ焼きももちろん出汁の美味しさが人気の秘訣です。ぜひ明石城から歩いてごふんの「魚の棚」(うおんたな)であなた好みの玉子焼きを探してください。

+ 続きを読む

Himeji Castleやった (2025/10/13 訪問)

日本人観光客の顔を見たっけ?世界遺産やからしょうがないか?モンサンミッシェルに🇫🇷フランス人が少ないのと一緒やね、知らんけど😅
姫路城はもう何回も行ってるので、きょうは「100名城スタンプ」をもらって帰ってきました。なんと!さすが世界遺産、入場ゲートの手前にスタンプが置いてありました。世界遺産は太っ腹です。帰りはなぜか有名⁉︎「姫路駅そば」を食べました。大阪関西万博では3,850円やったけど、ここでは500円でした。でも、出汁が塩っぱくて、出汁文化に生きる大阪人としては、なんで人気なんかわかりません。

+ 続きを読む

しんちゃん

興禅寺 (2025/07/01 訪問)

暑い中、久々に黒井城を訪問。城めぐりのアプリで近くに雪舟がいると知ったので回収に来たんですよ。せっかくなのでついでに黒井城に登ってみることに。麓の興禅寺の山門と野面積の石垣は実に立派です。明智光秀が丹波を征した後に家臣の斎藤利三の居館があったとされ春日局生誕地とされています。黒井城とともに国の史跡に指定されているので、セットで訪問される方も多いと思います。
黒井城は悪右衛門こと赤井直正の子の直義の代に明智光秀によって落城させられ、斎藤利三が城主として入りました。
登城道を登って行くといくつか扁平地かあり、「石踏の段」から山上へ向かいます。山上に近づいてくると道の真ん中に小振りなフンが落ちていました。こんな所に犬を連れてくる人がいるとも思えないし、小熊だろうか? イノシシじゃないし他の動物とも異なる。なんにせよ熊スズならして周囲に気を配りながら登ります。
出来る事なら御城友と一緒に複数で登ってくだされ。フェンスに注意書きもあることだし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

討ち入り失敗の巻😰 (2025/10/13 訪問)

三連休の最終日にちょっと足を伸ばして赤穂城に来ました。JR播州赤穂駅から歩いても15分と意外と近いです。入場料は無料!その入口に「100名城スタンプ」が置いてあるのでラッキー!と思ったら、にこやかにおっちゃんが声をかけてきて「お城好きそうやけど、攻略本、どない?」と言われたので思わず「買います」と言ってもうた。まあ、入場料やと思たら安いもんか・・・(でもなんか、モヤっ・・・🫨)。お城内には磯田先生出演のわかりやすいビデオまであって満足度満点です。帰りは赤穂浪士を祀る「赤穂大石神社」に立寄り。参拝道両脇の四十七士の石像が圧巻!でも説明に「大石内蔵助をはじめ23体」って書いてあんねんけどなんで47体やないの?(これまた、モヤっ・・・🫨)気を取り直してお城前にあるお店(お土産&カフェ)でひと休み🍵。赤穂浪士の家紋をラテアートで描いたカフェラテがあったので「これやッ!」って注文したけどでてきたもんを見て、イラッ💢 グラスに入った普通のアイスラテ。でも、普通に考えたらラテアートはホットでしか作られへんわね?ということで赤穂城への討ち入りは失敗⁉︎に終わりました。でも、楽しかったです。オワリ😄

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原古戦場 羽柴秀吉陣地はたぼこ (2025/09/28 訪問)

せっかく「はたぼこ」まで来たのでフェンスの中も散策して見ようと思います。フェンス入口に鍵は無いので、見学しても良いのではと考えお邪魔させていただきます。フェンス内はがらっと雰囲気が変わり簡易的な郭が数段に渡って広がっています。丘陵の中腹一帯を陣所として活用しているようですが秀吉の座所はどこにあったのか?
フェンス内の扁平地が秀吉の背後を守る郭であったのなら、フェンスの外の案内板の周辺で指揮をとっていたのだろうか?想像してみるしかないですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原古戦場 羽柴秀吉陣地・はたぼこ (2025/08/28 訪問)

設楽ヶ原の合戦時、羽柴秀吉は織田信長戦地本陣の北東に陣を敷いていました。宗国地区一帯には今でも「はたぼこ」という地名が残り周辺に秀吉が陣を敷いたことが由来になっているようです。ここは織田軍の最左翼にあたりますが、最前線で戦った織田家臣の佐久間信盛らに比べれば比較的安全な位置に有ると思います。
「はたぼこ」の意味を調べると「纛」旄牛の毛や雉の尾で飾った大旗 という内容が出てきます。今では使われることの無い漢字ですが秀吉の陣に立った旗に由来があるのでしょうか。秀吉の陣地は丘陵地になっており、上まで舗装路が付いていますが民家があるので気を遣いながら歩いて登ります。周辺は田畑になっており陣地らしい雰囲気があり、見晴らしも悪くは無いです。奥手まで進んで行くとフェンスが在って手前に石碑や案内板そして「設楽原古戦場いろはかるた」が立っています。
長篠周辺は長篠城や医王寺周辺以外は案内板も無かったりと、少し寂しい印象を受けましたが、設楽原を歩いていると案内板や「いろはかるた」があったりと、いろいろ楽しませてくれます。比較的楽に回れる場所が多く、開けている印象もあるので城めぐりに慣れていない人でも楽しく回れると思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

もいち

夜も朝も美しい松本城。城下町も落ち着く雰囲気 (2025/10/13 訪問)

3年ぶりに松本城に行ってきました。前回は旅行中に立ち寄った程度で城巡りを始めた頃だったので、城だけサラッと見たのですが、今回はじっくり見たくで一泊。夜にライトアップした城が美しく、水面に映る城もまた美しい。
夜はさくら刺しを堪能した後、朝ウォーキングがてら歩きながら松本城へ。
本町通りを北上すると明らかに道がクランクしている。川を越えたところなのでもしやと思い見回すと近くに神社がありその手前に大手門の指標あり。歩きながら回るといろいろ発見があり面白い。気がつくと少しずつ城に向かって登っている気がします。
8:15くらいに到着すると、8:30の開門を待つ観光客がインバウンド主体にたくさんいらっしゃいました。
夜に撮った同じ場所で朝の風景を撮影後、列に並びます。
8:30の開門直前に事前電子予約しておいた効果で列が分かれてスムーズに入場。
事前予約がおすすめです。そして9:00になると写真撮影スポットなどで渋滞するので、朝イチの8:30がオススメ。
黒門からしばらく進むと天守へ。
現存天守だけあって、階段が急。最大60°あるとのこと。
薄暗い雰囲気が歴史を感じさせます。
城を出て古地図を見ながら東門の馬出しへ。道の高低差などを感じながら歩くと面白いのと、総堀の南側に実際に使われている井戸の位置を見ると、昔の堀の形状を感じながら街歩きでき楽しい。
そして太い通りから一本道を外して歩くと古い街並みを感じられて楽しかったです。
街歩きしていて美味しそうなお店もたくさん見つけたので、また来たい街、城だなぁと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

3連休の秋田ドライブでの攻城② (2025/10/11 訪問)

塩越城からの転戦です。結構な山の中ですが、駐車場から主郭までさほどの距離はありません。近くに院内油田跡の設備が残されていました。空堀はかなりの広がりをもって張り巡らされているようですが、熊に遭遇するのも怖いので主郭のみの散策にとどめました。礎石群を越えて巨石の方まで足を伸ばしたのですが、直前に朝田辰兵衛さんの投稿をチェックしなかったばかりに、城址碑を見逃してしまいました。痛恨の極みです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ25