3年ちょっと前の田中城の写真が出てきました。基本的には今と大差無いですが下屋敷の冠木門の色合いや、中の展示物など若干の差異はあります。家康公と言えば薬オタクで知られ、「八味地黄丸」をベースに「海狗腎(オットセイの〇〇)」など数種の補腎剤を加えた「無比山薬円」を愛用していたようです(通称 八之字)。
田中城で鯛の天ぷらを食して体調を崩した際には、「万病円」「銀液丹」という薬を自らに処していたようです。その他にもサイの角を調合した「烏犀円」という調合薬を開発して、大久保長安(駿府記)や池田輝政(駿府記)にも分け与えていたようです。家康公は「烏犀円」は中風に効くと考えていたようですが、実は「万病円」「銀液丹」「烏犀円」にはヒ素や水銀が薬剤として調合されています。
家康公に関しては胃がんという定説が有りますが、自ら調合した薬が体をじわじわ蝕んでいた可能性もあります。
話はそれますが、豊臣秀吉公の死因については私は毒殺を疑っています(ヒ素もしくは水銀で)。
秀吉公の死因に関しては、ガンや梅毒・脚気などの説もあります。元々 世界的にも梅毒の治療薬として水銀が広く利用されてきているので、その毒が体に溜っていたとする考え方も有ると思います。
秀吉公はビタミンB1を豊富に摂取していたので脚気の線は薄いと思います。また梅毒であれば、他の側室にも移っているはずです。
私はやはり毒殺の線が怪しいと思いますが、そうであれば当然 上杉景勝公の会津移封の件が関わってくると思います。
いずれどこかで「関ヶ原」や「会津の城郭」との関わりを含めて、投稿させていただきたいと思っています。
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