「家康公ゆかりの四城」の御城印を頂くために訪問しました。
非常に残念なことに、本丸は学校になっており遺構はほぼ破壊されており、標柱が立っているぐらいです。
「下屋敷」なる施設に本丸櫓が移設されて、内部には田中城に関する展示や模型が見られます。
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2025/11/23 12:07
2025/11/20 11:50
田中城探訪 (2025/11/02 訪問)
静岡県藤枝市にある田中城を訪問しました。ここは、徳川家康鷹狩の地でも有名ですが、死因と言われた天ぷらを食べたお城としても知られています。
自動車でのアクセスでしたが、田中城下屋敷の駐車城を利用しました。
田中城は四重の堀で囲まれた同心円形の縄張で、亀城の異名を持ちます。廃城後宅地化が進んでも、その名残があり、散策するとその形を実感できます。
遺構として、三日月堀跡、三の丸土塁跡、三の堀などを見ることができます。
駐車場がある田中城下屋敷には、移築された本丸櫓、仲間部屋・厩、茶室に加えて復元した庭園があり、ゆっくり観賞することができます。
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2025/10/26 17:50
珍しい円郭式縄張りの城 (2025/09/07 訪問)
武田信玄が馬場信春に命じて作らせたともされる珍しい同心円状の円郭式縄張りと徳川家康が死因とされる鯛の天ぷらを食べたとされる有名な城です。
下屋敷公園には、江戸時代には本丸南東隅の石垣上に建っていた櫓などが移築されてます。
本丸櫓は「御亭(おちん)」と呼ばれる2階建の建物で、藩主が休息したり観月などの際に利用したらしく、窓が多く風流な櫓でなかなか良かったです。
城跡は、学校が建ち住宅街となっており遺構は一部しか残っていないとのことでしたが、散策すると思っていたより土塁や堀が見られて良かったです。
かつては丸馬出が6箇所も設けられていましたが、1箇所だけ丸馬出の三日月堀が残されており、丸馬出好きにとっては嬉しく感謝です。
同心円状に三重の堀を巡らす円郭式縄張りは、二の丸・四の丸では分かり辛いですが、三の丸の堀沿いの道をたどって行くと、丸い縄張りがよく分かり、土塁が5ヶ所で残されてました。
近くにある旭傳院には、田中城の不浄門の移築とされる山門があり(その規模から城門でなく城内にあった屋敷門とも)、袖壁が風流な門でした。
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2025/09/21 19:08
円郭式の田中城 丸馬出がシンボルだが・・・ (2025/08/14 訪問)
お盆休みに立ち寄った静岡県藤枝市の田中城。
志太平野北部、瀬戸川などが流れる湿地帯の微高地に円郭式の縄張で築かれた城。
北側には東海道が走る要衝の地。
15世紀頃に今川氏の命で土豪の一色氏が屋敷を拡張した徳一色城が始まりとされ、1570年には武田氏が攻略し、馬場信春が改修して田中城に改名。
長篠の戦いで武田の勢力が弱まると、徳川が攻撃を繰り返し1582年についに開城。
17世紀初めに酒井忠利が四之丸を増設し、正門を平島口から大手口に変更。江戸前期は城主が度々変わったが、江戸中期からは本多正信の弟正重系の本多氏が務めたとのこと。
現在、本丸には小学校が建ち城域の大部分は宅地化・農地化されているが、その区画には円形城郭の痕跡が見られ、所々に堀や土塁が点在。
また下屋敷(別荘)跡に本丸櫓や厩などが移築され史跡公園化されている。
実際に訪れると、やはり遺構は少なく、6つを擁したシンボルの丸馬出も新宿二之門前の三日月堀が半分残るだけという点が少々残念。
一方、三之丸に稜堡のような突出部が存在したことを知れたのは収穫で、質素ながら二重櫓が現存する点も貴重なこと。
また旭傳院の山門は予想外に小さく、城内にあった屋敷の門と考えられている模様。
丸馬出が1か所だけでも完全復元できると更に城跡らしくなりそうに感じた、私の城郭巡りの210城目でした。
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| 分類・構造 | 輪郭式平城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 一色氏 |
| 築城年 | 天文6年(1537) |
| 主な改修者 | 山県昌景 |
| 主な城主 | 一色氏、山県氏(武田氏家臣)、依田信蕃(武田氏家臣)、本多氏 |
| 廃城年 | 明治元年(1868) |
| 遺構 | 曲輪、移築櫓、石垣、横堀(水堀) |
| 指定文化財 | 市有形文化財(田中城本丸櫓)、市史跡(田中城址) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 静岡県藤枝市田中1 |
| 問い合わせ先 | 藤枝市産業振興部商業観光課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 054-643-3078 |