<オススメ>★★☆☆☆
1570年に武田信玄が「元来堅固の地に候」と称え、遠江侵攻の拠点となった。長篠の合戦後、徳川家康に対する駿河防衛拠点となり武田勝頼の命で山県昌景が改修を行う。度重なる徳川軍による攻撃を受けるが、武田氏滅亡とともに降伏開城する。徳川家康の関東移封後は、横田村詮(中村一氏家老)が入城した。1616年、徳川家康は田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて鯛の天ぷらを食した。これが家康の死因とする説がある。現在曲輪・移築櫓・横堀(水堀)などが遺されている。
<アクセス>
JR西焼津駅 徒歩20分
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