家康が鯛の天ぷらを食した城で有名、今日は菊祭りで賑わってました! 亀の甲羅の様な円郭式平城、江戸後期に造られた庭園は素敵でした。
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2024/01/14 20:21
2023/11/18 08:03
円郭式縄張めぐり (2023/08/06 訪問)
(続き)
下屋敷を出るとまずは本丸に向かいます。下屋敷の北西を流れる六間川は(流路は改変されているものの)かつての四之堀にあたり、新宿木戸と番所が設けられていましたが、痕跡はなく案内表示が見られるだけです。作事役所跡の標柱を横目に進んだ先には三日月堀(馬出曲輪)の説明板が立てられ、その奥には三日月堀が! 一部だけとはいえ、住宅地の中に三日月堀が見られるのはありがたいことですね。三日月堀の奥の二之丸と本丸は小学校になっていて、校門脇に本丸跡の標柱が立てられているのみです。小学校の前を通り過ぎて少し行ったところが大手二之門跡で、大手二之橋を模した木橋が二之堀に架けられています。
続いては北側の四之丸へ。御成街道へと続く平島口側には不開門と呼ばれた平島一之門があり、その外側には馬出曲輪と三日月堀が設けられていましたが、いずれも文字の消えかかった標柱があるだけで遺構は失われています。三日月堀跡から畑となっている三之堀沿いに西へ向かうと、道が緩やかにカーブしていて円郭式の縄張を実感します。畑の奥には三之丸土塁も何箇所か遺っていて、家老屋敷の土塁も見られました(家老屋敷跡には三之丸側から行けますが、見落としてしまいました)。さらに進んで西側に回り込んだところには、中学校の裏手に三之堀と土塁が明瞭に遺っていました。
城外では、中学校から西に約300mの姥ヶ池は、田中城の水源として木管で城内に水を引いていたようです。姥ヶ池から北に約400mの田中神社は、かつて城内にあった稲荷社に東照公を合祀して大手側の現在地に遷座した神社です。そして、田中神社から大手道に至る県道の合流点に建てられた田中城跡の石碑を確認して、円郭式縄張めぐりを終えました。
住宅地でもあり遺構の多くが失われていますが、それでもあちこちに堀や土塁が点在し、説明板や標柱も随所に立てられており、何より「自転車で西に向かっていたはずが、緩やかに弧を描く道を走るうちに気が付くと東向きだった」なんてのは円郭式縄張ならではの経験でした。終わりがけに雨に降られたこともあり、見落としはいくつかあるものの、なかなかに堪能させていただきました。
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2023/11/17 08:11
田中城下屋敷 (2023/08/06 訪問)
室町期に今川氏の命により一色氏が築いた徳一色城を前身として、武田信玄の駿河侵攻で開城すると馬場信春が大改修して田中城と名を改め、山県昌景を城主としました。長篠の戦いの後は徳川家康の侵攻を再三食い止めるも、江尻城主の穴山信君の降伏に伴って開城。家康が関東に移封されると駿府城に入った中村一氏の支配下となるも、中村氏の米子移封により再び徳川方の城となり、酒井忠利が入って現在見られる縄張に拡張・改修しました。その後、駿府藩領や幕領を経て譜代大名が次々と入れ替わり、江戸中期に本多氏が入って明治まで続きましたが、徳川家達の駿府入りに伴って駿府藩領となり、やがて廃城となりました。
本丸を四重の堀で同心円状に囲んだ円郭式縄張が特徴で、湿地帯に囲まれ、主な虎口に丸馬出を6箇所も設けた甲州流の城として平城ながら難攻不落を誇りました。
下屋敷の駐車場に車を駐め、積んできた折りたたみ自転車で円郭式の縄張をめぐる…前に、まずは下屋敷内の見学から。田中城下屋敷は江戸後期の城主下屋敷跡で、泉水や土塁のある庭園が復元され、田中城の関連建物が移築されています。
本丸櫓は本丸南東隅の石垣上に建っていた「御亭」と呼ばれる2階建の建物で、本丸櫓内には田中城のジオラマや田中城と徳川家康に関する様々な資料が展示されています。田中城は大御所時代の家康の鷹狩の宿所であり、死因とも云われる鯛のてんぷらを食べたのも田中城だったんですね。2階からは下屋敷を広く見渡すことができました。本丸櫓の他にも下屋敷の庭内から移築されていた茶室、城内から移築されていた仲間部屋と厩、長楽寺村の郷蔵が移築復元されています。下屋敷の庭園にあった築山や稲荷社は失われていますが、泉水や土塁が往時の面影を伝えています。また、下屋敷から南東に約400mの旭傳院には田中城の不浄門が移築されていますので、こちらもどうぞ。
さて、下屋敷の受付で田中城跡散策ガイドと田中城遺構図を(下屋敷のパンフレットも)もらって、円郭式の縄張めぐりに向かいます(続く)。
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分類・構造 | 輪郭式平城 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 一色氏 |
築城年 | 天文6年(1537) |
主な改修者 | 山県昌景 |
主な城主 | 一色氏、山県氏(武田氏家臣)、依田信蕃(武田氏家臣)、本多氏 |
廃城年 | 明治元年(1868) |
遺構 | 曲輪、移築櫓、石垣、横堀(水堀) |
指定文化財 | 市有形文化財(田中城本丸櫓)、市史跡(田中城址) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 静岡県藤枝市田中1 |
問い合わせ先 | 藤枝市産業振興部商業観光課 |
問い合わせ先電話番号 | 054-643-3078 |