武田信玄が馬場信春に命じて作らせたともされる珍しい同心円状の円郭式縄張りと徳川家康が死因とされる鯛の天ぷらを食べたとされる有名な城です。
下屋敷公園には、江戸時代には本丸南東隅の石垣上に建っていた櫓などが移築されてます。
本丸櫓は「御亭(おちん)」と呼ばれる2階建の建物で、藩主が休息したり観月などの際に利用したらしく、窓が多く風流な櫓でなかなか良かったです。
城跡は、学校が建ち住宅街となっており遺構は一部しか残っていないとのことでしたが、散策すると思っていたより土塁や堀が見られて良かったです。
かつては丸馬出が6箇所も設けられていましたが、1箇所だけ丸馬出の三日月堀が残されており、丸馬出好きにとっては嬉しく感謝です。
同心円状に三重の堀を巡らす円郭式縄張りは、二の丸・四の丸では分かり辛いですが、三の丸の堀沿いの道をたどって行くと、丸い縄張りがよく分かり、土塁が5ヶ所で残されてました。
近くにある旭傳院には、田中城の不浄門の移築とされる山門があり(その規模から城門でなく城内にあった屋敷門とも)、袖壁が風流な門でした。
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