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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/10 訪問)

「青緑に 光る石垣 徳島城(せいりょくに ひかるいしがき とくしまじょう)」
青緑(あおみどり)にしようかなと思ったけど、なんか水藻みたいでイヤだったので・・和歌山城は紀州青石(緑泥片岩)を石垣や石畳に使っていて、雨の日はとても綺麗です。徳島城の石垣は阿波青石を使っているので、雨の日はどのような光沢を放つのか興味が有りますね。雨の日がオススメの城って珍しいと思うんですよ。
徳島城の庭園には阿波青石の石橋があります。山の上の城には行ってないので、ぜひ再訪したい城の一つです、最近アプリで近くを通ったのですけどね・・

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/09/14 訪問)

「近江守護 威厳の石垣 観音寺城(おうみしゅご いげんのいしがき かんのんじじょう)」
石垣で近江守護に相応しい格式を高めて有りますが、強固な防御設備を持たない「見せ城」であったと思います。発想的には安土城の先を行っているのですが、ちょっと「華」が足りない。やはり信長には安土城が似合っています。またゆっくり回ってみたい城の一つです。

威厳→権威の方が良かったのかな・・なんか有りがちで申し訳ない。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2020/01/03 訪問)

「太閤の 望み儚し 名護屋城(たいこうの のぞみはかなし なごやじょう)」
こんなことを書くと お前は秀吉びいきか~! と言われそうですが、はい 秀吉びいきです。
何と言っても、最初に日本統一を成し遂げた人物だし、正直評価が低すぎると思います。歴史上で低く扱われているな~と思う人物は何人かいますよ。小早川秀秋とか吉川広家とか・・その中でも秀吉は、特に抜きんでていると思います。最近は大河でも扱いは良くないし。
実際はもっと凄い人物だと思いますね。あの家康が秀吉存命中は何も出来ませんでしたからね。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/29 訪問)

「名人の センスがキラリ 赤木城(めいじんの せんすがきらり あかぎじょう)」
築城名人の代表と呼ばれる藤堂高虎の初期の作品です(作品?)。
戦国武将で城づくりヘタな人はよほどいないと思うんですよ・・脳筋武将と呼ばれる福島正則も良い城を造りますし。
でも藤堂高虎はやはり別格になるのでしょうか? 攻め手の気分で登って行くと、あっちこっちから攻撃を受けてシオシオになります。
今日は避難警報が出ていたので、途中退社して親を連れて、一時避難しました。暑いので二次災害の方も心配ですね。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/11/15 訪問)

「046cafe 行ったら寄りたい 洲本城(おしろかふぇ いったらよりたい すもとじょう)」

令和6年10月にオープンの「046cafe」。オリジナルグッズもあるとのことなので,いずれ再訪して立ち寄ってみたいです。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2019/11/25 訪問)

「ヤマザクラ ツツジのコラボ 新高山城(やまざくら つつじのこらぼ にいたかやまじょう)」

春はヤマザクラとツツジの競演を愛でることができます。私は秋に行ってしまいましたが…。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2018/11/18 訪問)

「一夜の妙 戦意奪った 石垣山城(いちやのみょう せんいうばった いしがきやまじょう)」

秀吉の,石垣山城を一夜で完成させたような策で,小田原城に籠城する北条氏の戦意を喪失させたことは,たとえ城の石垣が崩れようとも永遠に語り継がれる歴史のエピソードです。

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美夢

にのまるさん、100名城制覇おめでとうございます! (2025/07/29 訪問)

遅ればせながら、にのまるさん
100名城制覇🏯、おめでとうございます!
真摯にお城を巡られているにのまるさんの
一つの証となりますね✨✨✨

自分はまだまだ行けていないお城が多いですが
先輩方に続けるように
でも無理し過ぎないように
マイペースで楽しみながら頑張ります

本日は、続100名城の諏訪原城を攻めて来ました
めちゃくちゃ暑かったですが💦💦
金谷坂は両脇が木立で風もあり
意外と涼しく、心地よい空間でした
(丸石の石畳は歩きにくいので注意が必要です)
諏訪原城ビジターセンターでは
クーラーが効いていたので
スタンプを押した後もしばし休憩させて頂きました🥤

諏訪原城自慢の大馬出しを見学して
さぁ帰ろうと駅まで行ったら、、、

津波警報の為、電車が運休
なっ、なんですとーーーっ‼️‼️‼️
しばらくすれば落ち着くかとも待ったのですが
解除には半日〜1日かかるかもと

金谷駅の近くにはホテルが無いようなので
最悪は野宿かと困っていたのですが
新幹線だけは動いてくれていたので
なかなか来ないタクシーを1時間待って
やっと乗ってタクシーで掛川駅へ🚕💨

こだま🚅に乗って無事に生還致しました

大変でしたが
前泊した島田駅のホテルルートイン島田は
人工温泉ながらも大浴場があり
お部屋のテレビでYoutubeが見られましたし
前から行きたかった蓬莱橋も
風がとても爽やかで気持ち良かったので
これからも、アクシデントにめげずに
回ろうと思います
(⁠^⁠∇⁠^⁠)⁠ノ⁠♪


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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/07/09 訪問)

「アイヌとの 共生文化 勝山館(あいぬとの きょうせいぶんか かつやまだて)」

出土品から,アイヌとの共生文化があったことが決定的とのことでした。こんな昔から共生社会が存在していたことに,現代人の我々が学ぶことは大きな価値があるものと思います。

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結城宗広

波多野城跡

波多野氏の居館です。石碑と波多野氏の説明文の看板があります

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hitoritabi

20240503  (2024/05/03 訪問)

朝鮮風の山城が印象的
GWのためふもとのキャンプ場からのアプローチ道路が狭く大混雑でした

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/22 訪問)

「日本への 別れを告げた 清水山」
(にほんへの わかれをつげた しみずやま)

「太閤が 睨み効かせる 清水山」
(たいこうが にらみきかせる しみずやま)

清水山城は、太閤秀吉が毛利高政に命じて、朝鮮出兵の兵站基地として対馬に築いた城です。しかし、厳原港から見える急斜面の地には、物資を蓄えられる平地もなく天守もありません。写真①では木に覆われて見えませんが、三ノ丸から一ノ丸へと続く斜面の両側は、二つの登り石垣のような石塁でつながっています。もしかしたら、山頂の一ノ丸には豊臣の旗印(桐紋)と金の馬印(ひょうたん)があったのではないかと、私は想像しました。当時は木などなかったので、下から見上げると、これらがとてもよく見えたでしょう。まるで睨みつけられているように、まるで威厳を見せつけられているように、兵士たちからはそう思えたのではないでしょうか? もう朝鮮へ渡れば生きて帰れないかもしれないと不安がる兵士たちを鼓舞し、最後の決意をさせるための城だったのではないかと、私には思えてなりませんでした。
 

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イオ

六角氏の湖南復帰を阻む城 (2025/05/04 訪問)

東海道と野洲川を見下ろす日向山(多喜山)の頂部に位置する城で、在地土豪の高野氏の詰城と伝わりますが、現在見られる城郭遺構は織田信長の近江侵攻で甲賀に逃れた六角氏の湖南復帰を阻むべく佐久間信盛が築いたものと考えられます。

日向山登山口駐車場(トイレ有)から登城開始。登山口から山頂まで721段の石段が設けられていて歩きやすくはあるものの、急坂を一気に登るのはちょっとキツいので、途中の休憩所で振り返って景色を眺めたりしつつ、10分あまりで山頂に到達。

山頂の主郭は周囲を土塁で囲み、北東隅に穴蔵状の櫓台を設けています。北辺の土塁からは眼下に東海道と野洲川を見下ろし、右手に三上山(近江富士)、遠く琵琶湖を見渡す眺望が開けています。主郭には廃城後に龍王宮が祀られ、井戸跡と思しき竜宮さんの池もありました。主郭の東側には土塁で三度の折れを設けた東虎口が、西側には折れは一度だけながら大石を用いた石垣を施した西虎口が開口しています。西虎口を出た先には三段の小さな曲輪が続いていました。

…と、GW後半のこの日は湖南地方の城をめぐりましたが、六角氏の隠れ城(三雲城)にはじまり、六角氏に味方した一向一揆の城(三宅城、金ケ森城)、六角氏家臣の城(浮気城、青地城)、六角氏に対峙するための城(鈎陣所、多喜山城)と、やはりこの辺りの城は六角氏に関連して築かれているんだなぁ、と再認識させられました。
 

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todo94

三連休2日目の攻城③ (2025/07/20 訪問)

肥後妙見城からの転戦です。九州に特有の「原」を「ばる」と読む地名ですね。駐車場所には難渋しました。下の方の道幅の広い部分に路駐してしまいました。グーグルマップのポイントのあたりは住宅地の中の行き止まりになっていて、その先の藪に遺構が潜んでいるのだろうかと思いましたが、踏み込むことはやめておきました。標柱の位置にはピクミンブルームの巨大な爽やかなキノコが生えていたのですが、近辺を探してみてもなかなか見つかりません。笹薮の奥に標柱は埋もれ切っていました。ピクミンブルームのマップがなければ、標柱は諦めていたと思います。

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赤い城

阿波公方館 (2025/07/06 訪問)

別名は阿波公方館で足利義維以降9代に渡り足利氏の居館となっていました。
主郭部には阿波公方民俗資料館が建っています。
竹下政権時のふるさと創生事業で建設されました。

周囲は水田で二郭にあたる部分に古墳があり、ここに碑が立っていました。
近くの古津八幡神社には源義冬寄進灯籠と鳥居が移築されている他、小松島市の地蔵寺には玄関と書院が移築されています。
また今回はパスしましたが吉祥寺には花垣門が移築されているそうです。

【見どころ】
 ・水田の中の館跡全景

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にのまる

西北隅櫓 (2025/07/19 訪問)

「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」を使い一泊二日で名古屋近郊へ出かけてきました。
当初は電車に乗るのに忙しくてお城には寄れないと思っていたのですが、順調に乗り潰せたので名古屋城駅で一旦下車し、外堀を一周してきました。

名古屋城は「100名城スタンプ」の1個目を押した思い出のお城です。以来3回くらい行っているのですが、「西北隅櫓を堀の外から見る」という課題を残したままでした。(「内堀の鹿さん🦌🦌に会う」もまだです。)

修復中の搦手馬出周辺石垣や樹木の間から顔を出す天守を見上げながら外堀沿いの小径を目的の西北隅櫓に向かって歩きます。
やがて見えてきたその櫓は想像を遥かに超える美しさでした。石垣からはみ出さんばかりの全身に夕日を浴びて金色に輝いています。
周囲に睨みをきかすための隅櫓が時を経て人々を魅了し驚嘆や賞賛の眼差しを一身に集めているー。戦のない平和な時代なればこそですが、城自らがこの時代を生き抜こうとしているのだと感じました。

閉園時間を過ぎていたため城内には入れませんでしたが、刻印石を見たり二之丸大手二之門を通ったりしながら東門まで歩きました。

写真⑧は名古屋駅の階段、⑨はキッチン名古屋さんの味噌カツ丼と名古屋駅在来線ホーム住よしさんの冷やしかき揚げきしめんと熱田神宮の宮きしめんさんのグリーンティーフロート、⑩は熱田神宮の信長塀です。

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コロスケコロコロ

堀内新宮城! (2025/07/21 訪問)

法事をされているようだったのでひっそりと見学しましたが、厳かな雰囲気が良かったです。

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コロスケコロコロ

新宮城! (2025/07/21 訪問)

石垣がすごくて眺めも良くて、良かったです。

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コロスケコロコロ

田辺城! (2025/07/20 訪問)

水門跡が珍しくて良かったです。

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コロスケコロコロ

湯浅城! (2025/07/20 訪問)

遺構には行けなかったけど、天守風建造物で満足したので良かったです。

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