たきやまじょう

多喜山城

滋賀県栗東市

別名 : 日向山城
旧国名 : 近江

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日向山登山口
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イオ

六角氏の湖南復帰を阻む城 (2025/05/04 訪問)

東海道と野洲川を見下ろす日向山(多喜山)の頂部に位置する城で、在地土豪の高野氏の詰城と伝わりますが、現在見られる城郭遺構は織田信長の近江侵攻で甲賀に逃れた六角氏の湖南復帰を阻むべく佐久間信盛が築いたものと考えられます。

日向山登山口駐車場(トイレ有)から登城開始。登山口から山頂まで721段の石段が設けられていて歩きやすくはあるものの、急坂を一気に登るのはちょっとキツいので、途中の休憩所で振り返って景色を眺めたりしつつ、10分あまりで山頂に到達。

山頂の主郭は周囲を土塁で囲み、北東隅に穴蔵状の櫓台を設けています。北辺の土塁からは眼下に東海道と野洲川を見下ろし、右手に三上山(近江富士)、遠く琵琶湖を見渡す眺望が開けています。主郭には廃城後に龍王宮が祀られ、井戸跡と思しき竜宮さんの池もありました。主郭の東側には土塁で三度の折れを設けた東虎口が、西側には折れは一度だけながら大石を用いた石垣を施した西虎口が開口しています。西虎口を出た先には三段の小さな曲輪が続いていました。

…と、GW後半のこの日は湖南地方の城をめぐりましたが、六角氏の隠れ城(三雲城)にはじまり、六角氏に味方した一向一揆の城(三宅城、金ケ森城)、六角氏家臣の城(浮気城、青地城)、六角氏に対峙するための城(鈎陣所、多喜山城)と、やはりこの辺りの城は六角氏に関連して築かれているんだなぁ、と再認識させられました。
 

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昌官忠

(東海&関西)遠征7日目:多喜山城 (2025/05/21 訪問)

東宝ランドバス停から徒歩20分ちょっとで、日向山登山口駐車場(35.0239757、136.0220752)に着きました。

多喜山城はいわゆる「元亀争乱」の際に六角氏などの抵抗勢力に備えるために、織田信長の家臣である佐久間信盛が築城したと伝わっていますが定かではありません。
この地は奈良興福寺領であったことからそれ以前に地頭代によって城が築かれていたという説もあります。

現在城址は公園として整備されていますが、とにかく石段が多いです。
主郭まで721段の石段を登ることになりますが、とても歩きやすかったです。
主郭に土塁や枡形、石垣などの遺構が見られました。
手原駅に向く途中、旧和中散本舗大角家住宅の前を通りました。奥に庭があるそうですが、24時間営業のはずが、門が閉まってました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=三雲城へ行く為、手原駅から電車で三雲駅に向かいました。

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しんちゃん

織田信長により築城(らしい) (2024/02/11 訪問)

多喜山城は比高120mほどの日向山の山頂に築かれています。東海道の南に位置し、元亀2年(1571)以降に栗太郡一帯を支配する目的で織田信長により築城されたとされています。主郭の周辺に郭が配されただけの小規模な城ですが、北側と西側に土塁が残っています。
虎口は南と東についており、北東には穴蔵と呼ばれる周囲を土塁で囲まれた小さな郭がありました。

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todo94

近江の城めぐり⑨ (2024/03/09 訪問)

日向山と書いて「にっこうやま」と読みます。階段が整備されていて地元の皆さんも多く訪れるスポットになっているようです。説明板に縄張図が記されているのもありがたい限りです。虎口や石垣などの遺構はさほど明瞭なわけではありませんが、土塁はしっかりと視認することができました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 佐久間氏(織田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、枡形虎口、櫓跡
再建造物 説明板
住所 滋賀県栗東市六地蔵
問い合わせ先 栗東市観光物産協会
問い合わせ先電話番号 077-551-0126